密林の女帝と恋バナ女子会のおはなし -2-



腹巻の中で蒸さりながら目を覚ました。
まだ早朝だと言うのに、じめじめとした空気で気温も高い。
ばっふと腹巻から這い出て、汗に濡れたゾロのシャツに顔を顰める。
「・・・こんな暑ィのに、よく眠れるな」
大の字でガーガー鼾を掻くゾロの首筋には、汗が幾筋も流れ落ちている。
それを眺めていたら、俄かに外が騒がしくなった。

「・・・なんだろう」
顔を洗いに行きがてら、様子を見てみるかとゾロの身体から降りる。
サンジ達が休んでいた東屋は日陰になっていて風の通りもよく、外よりよほど快適な場所だったと出てからわかった。
朝日なのに陽射しがきつい。
水溜りもまるで湯のように熱くて、サンジは顔を洗う水を求めるのも諦めて早々に引き返した。
そこに、頬を紅潮させたマーガレットがやってきた。
「おはようございますコックさん、早いんですね」
手には、花を浮かべた水鉢を持っている。
「これで顔を洗ってもらおうと思って」
「ありがとう、助かるよ」
よく気が付くいい子だなあと、サンジはにこにこしながら簾の上に座った。
「よく眠れた?」
「うん、いままでぐっすりだった」
額に滲んだ汗を拭うサンジを、マーガレットは興味津々といった目で眺める。
「朝日が昇ると途端に暑くなるのよ。夜は風もあってちょっとは涼しかったの」
日に焼けた小麦色の肌には汗など浮いていない。
この湿気と気温に慣れているのだろう。
サンジは冷たい水でぱちゃぱちゃと顔を洗った後、花の香りのする布で濡れた頬を拭った。
「ところで、なんだか賑やかなんだけど・・・」
「ええ、暁の魔女様が帰って来たの!」
ぱっと顔を輝かせるマーガレットに、サンジは「ん?」と首を傾げた。
その名前、どこかで聞いたことがある―――
「あれ?確か魔女祭りの村で、暁の魔女に石にされた人とかいたような・・・」
「そうよ、ハンコック様のお怒りに触れるとみんな石にされちゃうのよ」
物騒なことをさも自慢そうに笑顔で言い放ち、マーガレットはサンジを掌に乗せて立ち上がった。

「暁の魔女さまー!」
「ハンコックさまー!」
「おかえりなさーい」
女性達の黄色い声が密林に木霊している。
旺盛に繁る樹木も嬌声に揺れて、色鮮やかな鳥は飛び交い小動物は跳ね踊って村の喧騒に拍車を掛けていた。
そんなお祭り騒ぎの中、朝日を背に受けて巨大な蓮の花がすっくと伸びていた。
やがて薄紅色の花びらがゆっくりと開き、中から輝かんばかりの美女が姿を現す。
「ハンコックさまーっ」
「素敵―!!」
「ああ、なんて美しいのっ」
「美しさがとどまるところを知らないわー!」
怒涛のような歓声は、次第に陶酔感へと変わっていった。
村の女性たちはみな恍惚とした表情を浮かべて、崇め奉るように跪いている。
そんな中、昇る朝日よりも神々しく輝かしく、まさしく“美女”が降り立った。
サンジも、ロビンやアルビダ、ビビにカヤといろいろな美女や美少女を目にしてきたが、これはまた恐ろしいほどの美貌だった。
迂闊にハート目で駆け寄れないレベルで、メロリンする前に石のように固まってしまう。
「ね、美しいでしょうハンコック様は!」
マーガレットは誇らしげに胸を張り、両手を大きく振って歓待を表した。
「暁の魔女様、お帰りなさいませー!」

ハンコックは平伏す女たちの間をつかつかと歩き、マーガレットは慌てて斜め前から進み出た。
「ハンコック様、客人にございます」
「なに?客人とな?」
凛とした声を響かせ、ハンコックが足を止めてマーガレットを見下ろす。
その目に触れただけで、マーガレットはくなんと膝から力が抜けてしまった。
「ああ大丈夫、マーガレットちゃん」
手の指を伝い立ち上がったサンジが、精一杯背伸びして恭しく礼をする。
「初めてお目にかかります、ノースから参りましたコックと申します」
貴女のコックですーなんて軽口、とても言えない。

ハンコックはじっと目を凝らしてサンジを見つめてから、ふんと表情を緩めた。
「そなた、ロビンの秘蔵っ子か」
「・・・はい」
やっぱり、魔女同士は通じ合っているらしい。
「ならばもう一人連れがおるであろう。わらわの出迎えにも来ぬとは、無礼者は殺してしまえ」
「申し訳ありません、まだ寝所のようで・・・」
「すぐに起してまいります!」
慌てて侍女達が走り出すのに、絶妙のタイミングでゾロが東屋から出てきた。
腹巻の中に手を入れてポリポリ掻きながら、大欠伸している。
侍女たちがそんなゾロの手を引いてハンコックの前に跪かせようとするのに、ゾロは寝惚け眼で先にサンジを見つけた。
「なにしてんだお前」
「ゾロッ、ご挨拶が先だコラ」
慌てて手を振るサンジの背後で、暁の魔女が憤怒のオーラを立ち昇らせながら腰に手を当てて仁王立ちになる。
「この無礼者、わらわの美しさの前に平伏さぬか!」
「ああ?」
剣呑な表情で顔を上げたゾロは、ハンコックとしばし見詰め合った。
村の女達が固唾を呑んで見守る中、先に目を逸らしたのはハンコックの方だった。

「聞いておった通りだの。まあ仕方ない」
そう言ってから、ハラハラと気を揉んでいる侍女を振り返った。
「この者たち、いかに歓待しようともこの村にはなんの恩恵も与えぬぞ。早々につまみ出せ」
「ははっ」
「ハ、ハンコック様?」
驚くマーガレット達の前をさっさと通り過ぎようとして、再びサンジに目をやる。
「・・・しかし、この者は少し面白かろう。後でわが元に来るがよい」
「ははっ」
サンジよりマーガレットの方が平伏して了解した。
目を白黒させているサンジの隣で、ゾロはもう一度くわあと大あくびをした。


剣の腕を買われ、ゾロは女戦士達相手に手合わせに出かけた。
丁度いい運動だとばかりに、手加減なしでやり合うつもりらしい。
レディに怪我させるなよと釘を刺しつつ、サンジは一宿一飯の恩義を返そうとキッチンを借りて女性好みのスイーツをたくさん作った。
「Bonappetit!」
掛け声と共に綺麗にデコレートされたケーキが次々と現れ、マーガレット達が無邪気に歓声を挙げる。
「すごいすごい、コックちゃんったら魔法使いなの?」
「食べものに関してだけ、大きくできるんだ。ささ、どうぞ召し上がれ」
きゃっきゃと賑やかにテーブルを囲み、ケーキを頬張る姿はまるっきり普通の女の子達だ。
けれど一度武器を手にすれば、闘気を剥き出しにした屈強な戦士に変わる。

「コックちゃん、大きくできるのは食べ物だけなの?・・・その、自分は大きくなれないの?」
カトレアが口端にクリームをつけたまま、あどけなく聞いた。
それにサンジは、う〜んと唸りながら首を傾ける。
「最初、この魔法を紫の魔女に授けてもらった時は、手紙とか花束とかも大きくできたんだよ。でもその時は、一日に一回しか魔法が使えなかったなあ。すごく疲れて、そのあと寝込んだりしてね。でも何度かいろいろ試しているうちに、自分が作った食べものを大きくするのはさほど疲れないってわかってきた」
「魔法って、体質に合う合わないがあるって、聞いたことあるよ」
プリムラは幸せそうに頬を押さえながらもぐもぐと口を動かす。
「その人に合う魔法の種類って、使っているうちに定まってくるって」
「そうかもしれない。俺、料理作るのも好きだしこうやってみんなに食べてもらえることが一番嬉しいから、この魔法はいくら使っても疲れないし何度だって使えるんだ」
「素敵ね、コックちゃんこの村にずっといて欲しいなあ」
「カトレアは食いしん坊だから」
「マーガレットだって!」
きゃっきゃとふざけていたら、そこに侍女が現れた。
「コック様、ハンコック様がお呼びです」
「わ、あ、はい!」
侍女の足元をタッタカタ〜と素早く駆けると、マーガレットが慌てて追いかけた。
「コックちゃん、私も一緒に行くわ」
「あ、ありがと」
マーガレットの手に掬い上げてもらって、肩にちょこんと腰掛ける。

巨大な団扇のような葉と、極彩色の花々が生い茂る宮殿に入った。
パチパチと篝火が爆ぜ、焚き染めた香の匂いが漂う。
幻想的な雰囲気にうっとりとしていると、繻子の向こうで衣擦れの音がする。
マーガレットはサンジを床に下ろし、さっと平伏した。
サンジもそれに倣って、片膝を着き礼を示す。
「参ったか」
玉座に座ったハンコックは、まさに目も眩むばかりの美しさだった。
サンジは直視できなくて、僅かに視線をずらす。
そうすると、大胆なスリットからはみ出したすらりと長い脛が目に入って、余計落ち着かない気分になる。
「構わぬ、近う寄れ」
「ははっ」
サンジはチョコマカと走って、ハンコックの足元に跪いた。
それを見下すような目で眺めながら、豊かな胸を反らした。
「そなたは、我が佳き友、ロビンの秘蔵っ子。その出自も正しく好ましい」
「・・・はい」
「よって、そなたの願いを叶えて遣わそう。その身体、人並みに大きくして進ぜる」
「えっ」
思わぬ展開に、サンジは驚愕した。
まさかこんな、ただで美味しい話がある訳がない。
「ロビンちゃんから、魔法の力で望みを叶える場合、必ず交換条件があると聞いているんだけど・・・」
「いかにも」
やっぱり。
「一体なんでしょう。俺にできることであれば、なんでもお役に立ちたいです」
もしこの身体が人並みの大きさになれるなら、ある程度の犠牲を払うことも厭わないと今のサンジは真剣に望んでいる。
「なに、そなたにとっても悪い話ではない」
ハンコックの唇が笑みの形に歪んだ。
微笑んでいるのに、その迫力は只者ではない。
「人並みの大きさになった暁には、そなたは見目麗しい男となろう。さすれば、我が村の女たちと可能な限り交わるがよい」


「――――・・・」
は?


サンジはなにか聞き間違えたかと思って、口を半開きにした中途半端な笑顔のまま聞き直した。
「あの、いま、なんと?」
「体力が続く限り、女と交われと申した」
―――― はい?

呆然としたサンジに、ハンコックの側で控えていた侍女が言葉を繋ぐ。
「この村は、昔から女しか生まれないところです。それゆえ、旅の途中の男が通りかかると手合わせをして、我らの眼鏡に適った者のみ複数の女と交わり子を成してきました。その役目を貴方様にとハンコック様は申しておいでです」

―――― はいー?

理屈はわかったが、はいそうですかわかりましたとはおいそれと言えない。

「そなた、なりは小さいとは言えいっぱしの男であろう。手足の長さも身体のバランスも、縮尺が小さいだけで均整は取れておる。おそらく経験はなかろうが、人並みの大きさになれればこそ、その悩みも取り払われるぞ」
言いにくいことをズバズバと指摘するハンコックが男前で、サンジはますます萎縮してしまう。
気恥ずかしくて、隣のマーガレットの顔も見られない。
「・・・それで昨夜、ゾロを?」
なんとかゾロに話を振ってみようかと思ったが、ハンコックは麗しい額に縦皺を寄せた。
「あの者の血は我が村には不要。だがそなたはオールブルー国の第一王子。由緒正しき家柄じゃ。こちらにとってなんの不足もなく、気高く美しい子が生まれよう。悪い話ではなかろうが」
それでもサンジがぐずぐずと返事を渋っているので、ついにハンコックは声を荒げた。
「そなた、やる気はあるのかないのか。どっちじゃ!」
そんな大上段に構えて迫られたって困る。
ぶっちゃけ、サンジだって小さいなりに成人男子なので興味や願望がないと言えば嘘になる。
もしこの条件を飲んで大きくなれたら、初めて女性と経験できるわけだし、いままで耳年増だったから知識だけは豊富?だし。
村のお姉様方にリードしてもらったなら、きっと何とかなるんじゃないかと思う。
そりゃもう体力の続く限り。
大きくなれるわ経験ができるわで、一石二鳥って言うか美味しいことだらけじゃないか。
本来ならば。
けれど―――


「お断りします」
サンジははっきりと答えた。
その小さな身体のどこから人並みに大きな声が出るのかと、驚くほどの自然な響きだ。
ハンコックはぴくりと片眉を上げて、涼やかな目を剣呑に眇める。
「いま、なんと申した?」
「せっかくのお言葉ですが、大きくなることはお断りいたします」
「そなた、わらわの好意を無碍にすると言うか」
白くしなやかな指が、サンジを指差すように伸ばされる。
傍らに控えていたマーガレットがはっとして動いた。
「コックちゃん危ない!」
サンジの前にマーガレットの背中が立ちはだかったと思いきや、眩い光が視界を白くした。
両手で顔を覆い、次に目を開けたときには灰色の石の塊がすぐ目の前に立っている。
「―――!!」
まるで生きているかのようなリアルな石像。
それが、身をくねらせたマーガレットのものだとわかって、サンジは戦慄した。
「マーガレットちゃん?!」
「ふん、庇ったか愚か者め」
ハンコックの冷徹な瞳の前で、サンジは慌てて石像に駆け登った。
肌は硬く、見開いた瞳もそのままで、すべてが石化していた。
「マーガレットちゃん・・・あああ、なんてことだっ」
「ちょこまかと動くな、貴様も石にしてくれる」
再びハンコックが指をさしたので、サンジはマーガレットを庇うように顔の前で両手を広げた。
「お願いです、俺に出来ることはなんでもしますから!マーガレットちゃんを元に戻してください!」
「できることは何でも、とな?」
「・・・う」
「ならば、人並みの大きさになって種馬となれ」
「あああああ」
サンジはがっくりと膝を着いた。
「・・・そ、それは」
「そなた、いま『なんでもする』と申したではないか」
意地悪なハンコックの言葉に、サンジは唇を噛み締めた。
その悲愴な顔付きに気を良くしたか、ハンコックは長い足を組み替えた。

「面白い小童じゃ。そなたもいっぱしの男であれば、わらわの命令をそこまで嫌うこともなかろうに」
「・・・嫌ってなど、いません」
「涎を流して飛びつかんまでも、ここまで大義名分を作ってやっているのだぞ。なぜ素直に好意を受け入れぬ」
「―――・・・」
サンジ自身、気持ちの整理が付いていないところをグサグサ責められ、言葉も出ない。

サンジは硬くなったマーガレットを見上げた。
確か、ロビンが魔女祭りの村で石化した村人達を元に戻していたはずだ。
コレで終わりじゃない。
マーガレットは、ちゃんと元に戻れる。
「マーガレットを、戻して欲しいか?」
サンジの心を見透かしたように、ハンコックが優しげな声で囁いた。
「もちろんです」
「ならば、せめて私の問いに答えよ。なぜそなたは我が村の女どもと交わるのを嫌がる」
「嫌がってなど・・・」
「言い繕う必要はない。正直に述べよ」
ぴしゃりと遮られ、サンジは一旦口を閉じた。
自分の中でもモヤモヤしたきり、答えが出なかったことをあえて言葉に換えてみる。

「青臭いことを笑っていただいても結構です。俺は、愛する人としか・・・したくありません」
「生娘でもあるまいに、男たるもの何事も経験じゃ。そうでなくとも不自由な身の上で、この上身持ちを固くしてどうする。そなたの子がこの村に溢れても、誰も王位継承を望んだりはせぬぞ」
「そんな心配はしていません」
ふるふると首を振り、サンジは青褪めた顔でハンコックを見上げた。
「俺の、気持ちの問題です」
「ふむ・・・」
正面から見ると恐ろしささえ感じるほど、完璧な美貌だ。
怜悧な瞳で見つめられ、内心怖気を感じながらもなんとか踏ん張って見つめ返す。
「そなたがいくら愛したところで、その身体では成就はできぬぞ」
「わかっています」
「それでも気持ちを大切にしたいか」
「はい」
「・・・少なくともこの村では、理解のできぬ感情じゃ」
そうなのかもしれない。
女子しか生まれないこの村で、家庭の形態は存在しない。
むしろ誰しもが姉妹で家族で親類で、一組の番の概念はないのだろう。

「そなたが愛する相手とやらと一人だけに添い遂げたいと願うのは、先ほどあの剣士が言うた“生涯の番”と同じ意味か?」
「・・・は、はい」
慎重に返事をする。
意味としては同じだから、おかしなことはない・・・と思う。
「じゃが、あの者とお前とでは“生涯にただ一人”の意味合いは、微妙に違うぞ」
「・・・え?」
どういう意味だろう。

瞬きして見返すサンジを、ハンコックはくくくと喉の奥で笑った。
「まあよい、自分の愚かしさを正直に話した褒美に、マーガレットは元に戻してやろう」
そう言って掌を一振りすれば、サンジを膝に乗せたままマーガレットは柔らかく温かい元の身体に戻った。






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