Bon appetit! -氷の村と妖精のお話-  5


泥のように眠っていた村人たちは、夜が明けてからようやく目を覚ました。
隙間だらけの屋内にあって外から陽射しが差しているのに気付き、はっとして飛び起きる。
ゾロにとっては朝を迎えれば当たり前に見る光景だったが、長い冬に閉ざされていた村人たちはその光だけで感嘆の声を上げ、子どものように外に飛び出した。
「吹雪じゃあ、ない」
「晴れてる・・・」
「空だ、空が見えてるっ」
やった、空だ、雪が止んだと響く歓声に呼び起こされたか、サンジもモゾモゾと腹巻の中から顔を出した。
「ふあ、あ〜・・・おはよう」
「おう」
寝ぼけ眼でゾロを見上げ、また俺、一人で寝ちゃったかと反省してばつが悪そうに頭を掻いた。
柔らかな金髪に寝癖がついて縺れている。
そんな様子のサンジに、ゾロは新雪を指でひと掬いすると目の前に運んでやった。
ゾロの体温で見る間に水に変わるそれで、サンジはバシャバシャと顔を洗う。
「吹雪が止んで、喜んでっぞ」
「ん、でも俺らがこの家に着く頃にはもう止んでなかったか?」
確かに、他の家の人々を呼んだときも猛吹雪ではなかったはずだ。
「目の前に食うもんがあって、それどころじゃなかったって感じだったしな。気付かなかったつうか・・・」
「腹が張って、ちょっと余裕も出て来たのかな」
とは言え、まだまだ彼らの体力を回復させるまでには至らない。
サンジはゾロの肩によじ登り、目を覚ました女性達に声をかけた。
「レディ&マダム達、おはようございます。食料は、まだ残っていますか?」
「隣の家に、聞いてみます」
「なにか、ないかな。ほんの少量でいいんだ」
くるくると周囲を見回すサンジを取り囲み始めた子どもに手渡し、ゾロは壁に掛けられたツルハシに手を伸ばした。
「ちょっと退いてろ」
輝く雪山の上ではしゃぐ男たちを脇に退けさせて、カチカチに凍った雪面にツルハシを打ち下ろす。
ピキピキとヒビが入るのに合わせて二度三度と打ち付けると、氷が砕けて大きく抉れた。
「あ」
「あ!」
分厚い雪と氷に塞がれていた、黒い大地が顔を覗かせた。
そこには、僅かではあるが緑色の芽が吹き出ている。
「おいコック、これは食えるか?」
ゾロに呼ばれ、子どもに運ばれたサンジはそっと地面に降ろされた。
土とは言えまだ全てカチカチに凍っている。
それなのに、氷の割れ目から伸び出た葉に、サンジは感激の声を上げる。
「大丈夫だ、雑草だけど食えないもんじゃねえ」
「じゃあ、それ使え」
遠くまで様子を見に行っていた村人が、何度も転びそうになりながら走って戻ってきた。
「おおい、鳥を捕まえたぞ」
その手には、2羽の山鳥がぶら下がっている」
「鳥が飛んでたんだ、鳥なんて見たのは久しぶりだ」
「吹雪が止んだからな」
「もっともっと飛んでくるぞ」
男たちは興奮した面持ちで、錆び付いた狩猟用の道具を取り出し始める。
女たちも笑いさざめきながら、サンジの指示で調理に取り掛かった。

「今日は天気もいいし風も冷たくないから、みんなで外に出て食べよう」
陽の光を浴びた方がいいとサンジが判断し、村人全員が外に出て温かな鍋を囲んだ。
昨日より具も増えて、食べられそうならお代わりも自由だ。
けどくれぐれも無茶食いはしないようにと、サンジが釘を刺す必要もないほど村人たちは理性的だった。
「しかし驚いたなあ、あんな分厚い氷に覆われてたのに、草が芽吹いてるなんて」
サンジは氷の下から見つかった草の生命力にひたすら感心している。
「本来なら、もう・・・とっくに、春が来て、る・・・季節だ・・・」
「それにしたって、冷てえし暗いし寒いしで、あんなとこ草が生えようなんて思わねえだろ」
なあ?とゾロを振り仰げば、いつの間にかゾロは壁に凭れ腕組みをして舟を漕いでいた。
そういやこいつは寝てなかったっけと今更ながら口を閉じて、サンジは定位置たる腹巻の中にそろそろと降りる。

「お休みになってしまいましたか?スープをと思ったのですが」
若い女性がおずおずと、ゾロとサンジの分のスープを持ってきた。
それにサンジは笑顔で手を振る。
「俺達の分はいりませんよレディ。よかったら皆さんで召し上がってください」
「でも・・・」
「大丈夫、こいつには睡眠が一番のご馳走なんです」
昨夜も、ゾロはスープに手をつけてはいない。
大きな身体をしているから、数日くらい食べなくても大丈夫だろう。
そういう意味では、サンジはゾロの心配なんかしないのだ。



***


「ここはオールブルーとの国境にあって、峠を越えりゃあオールブルーのが近いんですよ」
燃やされずに残った地図を床に広げ、サンジはゾロの腹巻に入ったままフムフムと村人の説明に聞き入った。
「隣のドリトン公の領土になるってことか」
「とは言え、街からは遠いんで外れた村です。ましてやこんな突発的な災難があっては、誰にも知られる前にひっそりと滅びちまう」
村人は諦めたように力なく笑う。
「けれど、吹雪が止んでくれたんで希望が見えました。残った村人達で力を合わせて、なんとかやっていきますよ」
表に目を向ければ、あれから一度も吹雪くことなく燦々と降り注ぐ太陽の光が、固く凍り付いていた雪原をゆっくりと溶かし続けていた。
「この調子で、冬が過ぎ去ってくれれば・・・」
「そうだな、大体なんで吹雪が続いたんだっけか」
サンジが改めて問うと、村人たちも首を傾げながら答える。
「よくはわからねえんですが、峠に落ちた大岩が凍り付いて・・・」
言ってから、はたとサンジの顔を見る。
「妖精様は、どちらからいらしたんで?」
「オールブルーからだ」
「オールブルーって、どこから」
「・・・峠を、越えて?」
ここいら辺り、サンジも寝こけていたものだから今ひとつ自信がない。
「峠って・・・」
「そう言えば、来る途中でっかい氷壁があったから、壊してきたけど」
「―――は?」
「壊してって・・・」
「どうやって?」
それは、サンジにもわからない。
なにせ一瞬のことだったし、腹巻の中に入っていたし。
「ともかく、もう峠に氷壁はないと思う」
「・・・はああ?!」
車座に座っていた村人たちが驚いて腰を浮かす。
と、外から悲鳴のような声が響いた。
「何事だ?!」
慌てて飛び出す村人達に続き、駆け出そうとしてサンジは足を止めた。
そのまままだ眠っているゾロの腹に、渾身の一撃を食らわせる。
「ぐほっ!」
「起きろ、なんかあったぞ!」
腹を擦る手に潰されないよう、身軽に腕から肘、肩へと駆け上った。
さあ行けと、まるで乗り物のように指図しながらゾロを立ち上がらせる。

外へ出てみれば、悲鳴と思われたのは歓喜の泣き声だった。
大きな荷物を背負った若者達が、村人達に抱きつかれお互いに声を上げて泣いている。
「・・・一体」
「帰ってきたんですよう、妖精様」
「妖精様、みんな無事でした!」
吹雪に閉じ込められた折、屈強な若者達が選ばれ助けを呼びに離れた隣村へ向かい消息を絶った。
彼らは無事隣村に辿り着けたものの、この村だけが酷い吹雪に閉じ込められた状態だったため戻るに戻れなかったのだ。
それが今日、やっと吹雪が止んだのを確認して帰ってこられたのだと。

「妖精様、ありがとうございます」
若者達は、隣村から背負ってきた荷物を降ろすのも惜しんでサンジの前に(というか、サンジを肩に乗せたゾロの前に)這い蹲り頭を下げた。
「もう、ダメだと思ってたんです。あんまり時間経ち過ぎてて、俺らが帰って来られなくて」
「なのに、こうしてみんな助かってた、生きてた」
「ほんとに、ありがとうございます!」
若者達にしてみれば、自分達だけ逃げ果せて残してきた家族を見殺しにしてしまったと思っていたのだろう。
待ち続けた村人達は、若者達が遭難してしまったと絶望していた。
どちらも、思いもかけず無事だと知って感極まって泣いている。
「なにもかも妖精様のお陰です」
「どうか妖精様、このままこの村に留まってくださらんか」
「大切に大切にいたしますので、どうか末永く村をお守りくださいませ」
村人全員がサンジの前にひれ伏して、雪解けと共に顔を現した黒い土に手を着いている。
ゾロは偉そうに腕を組んで仁王立ちしたままで、サンジはそんなゾロの肩に立ち上がって途方に暮れていた。

「おい」
「・・・なんだよ」
ゾロが横目で見るから、サンジは至近距離で睨み返した。
「どうするよ」
「どうするもなにも・・・」
考えてみれば、サンジには名立たるバラティエの料理を食べてみたいという夢はあっても、ちゃんとした目的があって旅立ったわけではなかった。
ただ、このままオールブルー国にいても家族や民に迷惑が掛かるだろうと慮ってのことだ。
こんな小さな村で、優しい村人に囲まれてささやかに暮らしていけるなら、それはとても幸せな一生となるだろう。
サンジ自身はたいしたことはできないけれど、ここで暮らしていくのなら、この先村人達を飢えさせることはない。
それが、妖精様と崇め奉られて生きていくということ。

「お前は?」
「あ?俺は国に帰る」
ゾロに即答されて、サンジはぐっと黙った。
「お前がどうするかは、自分で決めろ」
「俺は・・・」
ゾロに言い掛けて、サンジはくるりと前に向き直った。
村人達が哀願するよな目で自分を見上げていた。
ああ、大切に思ってくれているんだなあと、その瞳だけでサンジはほっこりと胸が温まるようだ。
「この村は大好きだし、みんなが幸せになってくれるのを祈ってるよ。でも、俺はここには残れない」
「妖精様」
「俺は、飯作る以外はなんにもできないちっぽけな人間なんだ。けど、そんな俺でも恐れないで、優しくしてくれてありがとう」
そう言ってにっこりと笑えば、村人達は再びひれ伏して口々に涙声で礼を言った。


「もう少し、ゆっくりしていっていただけるといいんですが・・・」
「妖精様も従者様も、この村ではお食事の一つもしていただけなくて」
申し訳ないと謝る奥さん方に手を振り、サンジはゾロの肩の上でシャンと胸を張った。
「これから村を再建していかなきゃならないんだから大変だろうと思うけど、みんな無事で帰ってきたんだからきっと大丈夫だよ。俺は村のみんなの力を信じてる」
「妖精様」
うっとりと見つめる村人の目線に、バツが悪そうに頭を掻いた。
妖精ではないが、それでは何かと問われれば答えられない。
結局訂正せずに有耶無耶のまま退散することになった。
「それより、こんな時に俺の調理器具を作ってくれてありがとう。すごい腕だな」
「ああ、そんなものでよけりゃいくらでも」
せめて旅立つサンジに餞をと、村の鍛冶屋が腕を揮って小さな鍋や包丁をたくさん作ってくれた。
お陰でしばらくは調理に不自由しないだろう。
「もしこれからも何かあったら、峠を越えたオールブルー側の小さな村にディゴの店って食堂があるから。そこの女将さんに俺のことを話すとよくしてくれると思うよ」
「なにからなにまで、ありがとうございます」
神妙に頭を下げる大人たちの足元で、子ども達はピョンピョンと跳ねてゾロの肩に乗ったサンジに手を振った。

「それじゃあ、みんな元気で」
「妖精様も、従者様も」
「ありがとうございました、このご恩は一生忘れません」
ゾロは一度手を上げると、そのまま振り返らず大股で真っ直ぐに前へと進む。
サンジはその肩に乗って後ろを向き、村人達の姿が見えなくなるまでいつまでも手を振っていた。




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