Bon appetit!  -人買いと火を噴く竜のおはなし-


吹き抜ける風が、どこか花を思わせる甘い匂いを運んできた。
どんどん歩き進むうちに、足元に硬く降り積もっていた雪はいつの間にか消え、踏み固められた道の端に青々と草が生い茂ってくる。
山並みは赤や黄色の彩りに包まれ、まるで秋に逆戻りしたかのようだ。
「ちょ、止まれよ」
腹巻の中からサンジの声がして、ゾロはん?と歩みを止める。
「後ろ、振り返ってみ」
そうゾロに言わないと、サンジは後ろを見られない。
ゾロは身体ごと反転させて後ろを見た。
遠い山並みは白に覆われているけれど、雲が切れて晴れ渡る空はずっと青が続いている。
「今日一日でだいぶ溶けただろうなあ」
「ああ、もう吹雪の村じゃなくなってるだろ」

あの村を出て数時間。
これだけ歩いただけで、もうこんなにも気候が違うのだ。
きっとすぐに、実り豊かな季節へと生まれ変われるだろう。
名残惜しげに後を眺めるサンジの傍で、ぐ〜っと怪獣の唸り声が聞こえた。
振り仰げば、ゾロがなんとなくバツの悪そうな顔をしている。
「腹、減ったよな」
「そうだな」
「もうすぐ村に入るから、飯屋探そう」
鬱蒼とした林を抜けるとると、助けを呼びに行った若者達を保護してくれたという遠い隣村が見えた。


時刻は午後3時を過ぎた頃で、村の入り口辺りにある飯屋は閑散としていた。
ちょうどいいとばかりに奥まった場所に席を取り、とりあえず二人分の定食を注文する。
「半日歩いて、くたくただろう」
「別に、前はなんもねえ森ン中を一日中歩き続けてたからな」
ゾロのとぼけた返事に、ぷっと吹き出した。
食堂の奥から定食を運んで来るのに気付いて、慌てて腹巻の中に戻る。
「はい、お待ちどうさま」
恰幅のいいおばちゃんがトレイを運んできて、ゾロを珍しそうに見下ろす。
「どこから来なさったのかね。旅の人でしょ、今時分にこの村を通り掛るなんて」
「吹雪んとこから来た」
地名を知らないからそう答えると、おばちゃんは大仰に目を見開いた。
「あれまあ、ハテ村から来なさったの。じゃあ、ちゃんと来ることができたの」
「ああ」
まあ大変、とおばちゃんは急に奥に引っ込んだ。
何事かと思えば、すぐに若い娘を連れて戻ってくる。
「ちょっとお客さん、この子に話してやって。ハテ村は大丈夫だった?」
突然客の前に引き出されておどおどしつつ、娘は真剣な顔でゾロに話しかけた。
「あの、ハテ村は大丈夫でしたでしょうか。あの人達は、無事に戻ったんでしょうか」
「ああ、もしかして助けを呼びに行った彼らを保護してくれたの、お嬢さん方ですか?」
「そうだよ、よれよれになってうちに来てねえ。とりあえずご飯食べさせてあったかくしてあげたんだけど、どうしても早く帰らなきゃって言い張って」
「でも途中から酷い吹雪になってて、何度戻ろうとしても戻れなくて」
「それでずっと、ここで面倒見てくださってたんですね」
おばちゃんと面差しが似ているから、この二人は親子なのだろう。
親切な親子に助けられていたと知って、サンジは村の代表になった気分で礼を言った。
「どうもありがとう、あなた方のお陰で彼らは無事村に帰ってきましたよ。村の人達も無事で、再会を喜んでました」
「ああ、よかった」
親子は同じ仕種でほっと胸を撫で下ろし、それから同じタイミングでぎょっと目を見開いた。
「・・・お客さん、誰が喋ってるんだい?」
目の前には無表情な緑頭の男が一人。
口を開いていないのに、なぜだか可愛らしい声だけが響いてくる。
「実は、俺の腹は勝手に喋るんだ」
「・・・は?」
「―――は?」
もっとマシな言い訳はないのかと、サンジは腹巻の中でひっくり返った。
「気にするな。もう一人いると思えばいい」
「はあ・・・」
「変わってますね」
「そうだな」
ゾロは平然として、運ばれてきた食事に手をつけている。
サンジは構わず、喋り続けた。
「まあ、そういうことで。ところでもしかして、お嬢さんはあの若者達のどなたかと・・・」
指摘されて、娘はぽっと頬を赤らめる。
代わりにおばちゃんが、娘の肩を抱きながら答えた。
「そうなのよう、半年も一緒にいたら情が移っちゃって、ずっとここにいればって私らは言ったんだけどね。どうしても村が気になるからって。でも無事戻ったんならよかったわ、今度は娘を迎えに来てくれるでしょう」
「そうですね、おめでとうございます」
あの実直そうな若者達なら、誰であろうときっとそうするだろう。
「まあ、嬉しい知らせを持ってきてくれてありがとう。うんと食べていってね」
おばちゃんはそう言うと、娘さんと一緒に頭を下げて奥に下がっていった。

完全に行ってしまったのを確認して、改めてサンジは腹巻の中から這い出した。
「あーどうなることかと思った」
「そりゃてめえだろ、なに途中から参加してんだよ」
「だって黙ってらんねえよ、つか、てめえがもっとちゃんと喋りゃあ俺だって口挟まなくて済むだろうが」
もういっそ、腹話術師になるか?と提案する。
「人形持って話す真似したら、早くね?」
「一体お前は、俺をどうしたいんだ」
額に手を当てて苦笑するゾロの腕伝いに、テーブルへと下りた。
「あーいい匂いだ」
「ちと待て」
ゾロは小皿に料理を少しずつ取り分けて、湯気が立つそれにふうふうと息を吹き掛けた。
「火傷すんな、気をつけて食え」
誰に言ってんだよと鼻で笑いたいところだが、サンジは黙って目の前に置かれるのを待った。
傍若無人に一人旅を続けてきた割に、ゾロは随分と気が付くし面倒見もいい。
忠実な従者としての素養があるのだろうか。
「お前、案外マメだよな」
「ああ?」
ゾロは心外そうに片眉を上げて見せ、すぐにああと納得したように表情を戻した。
「俺んちは昔から生き物飼ってたからな」
「なにそれ、俺ペット?!」
今度はサンジの方が心外で、腹巻を踏み付けのしのしとゾロの腕によじ登る。
「それより飯食おうぜ、いただきます」
「う・・・いただきます」
文句も言いたかったがサンジもそれなりに腹が減っていたので、すっかり癖になった食事前の挨拶を揃って交わし久しぶりの食事に舌鼓を打った。

「ところでよ」
「ん?」
はふはふと頬袋を膨らませながら、サンジは小さなマイスプーンを振り上げる。
「飯代とか、俺もちゃんと払うからな」
「ん?」
一応、家出を計画した当初から資金はちゃんと貯めていた。
だが悲しいかな、サンジは硬貨や紙幣を携帯できるほどの大きさにない。
故にどうしても、価値のある宝石程度しか持ち出せなかった。
「俺の荷物ン中に売れば金になりそうなもんあるから、それ使ってくれ」
冷静に考えたら、そもそも宝石を持ち出したところで換金できなきゃ使えなかっただろう。
そう言う意味で考えても、家出というものはつくづく無謀だったなと今頃気付く。
森の中でゾロに出会ってなかったら、鳥の餌になることは回避できたとしても、どこかで野垂れ死にが関の山だ。
「じゃあ、いざとなったらそれを使わせてもらう」
「・・・?まだいざとなってねえのか」
「俺もそれなりに手持ちがある。今まで使うこともなかったし」
半年森の中を彷徨っていたんなら、それもそうだろう。
けれど、その前は?
「お前、10年も彷徨しててさ、金の工面とかどうしてたの」
もしかして働いてたのか?
「まあ、小金の稼ぎくらいはある」
「ふうん」
ゾロみたいにガタイに恵まれていたら、どんな仕事だってできるだろうしそれなりに稼ぐことも可能だろう。
そう思うと安心するような、ちょっと悔しいような複雑な気分だ。

「ごちそうさん」
会計をと申し出ると、おばちゃんは手を振って笑った。
「いいよう、いい知らせを持ってきてくれたんだから」
「そりゃ悪い」
「それより、これからどこ行くんだい?」
最終的にはイーストに行きたいと言えば、それなら・・・と親切に地図を出してきてくれた。
「道なりに進むとドルトン公国の街に出るけど、イーストに行くんなら左の道から山を越えて隣の国に抜けた方が早いよ。こっちの方がドルトン公国の街より大きいし、賑やかだし」
「ありがとう」
礼を言って地図を貰うと、それよりとおばちゃんは真面目な顔をした。
「街が大きいだけ物騒だって話もあるから気を付けなよ。お客さんは強そうだから大丈夫だろうけど、喋るお腹なんて珍しいものを持ってたら人買いに目をつけられるかもしれない」
「人買いが、いるのか?」
「ああ、見世物小屋もあるって言うし、色んな人間が集まる場所だから色々あるさあ」
ゾロは無意識に腹巻の上に手を当てた。
「どうもありがとう、ご親切なマダム」
「気をつけてね」
「ありがとう、マダム達にも神のご加護を」
別れの挨拶はサンジに任せ、ゾロはさっさと歩き出した。


***

おばちゃんに教えられた通り、ドルトン公国には入らず一山超えて隣の国へと向かう。
今回はサンジのナビも生かされ、ゾロは間違わず夕暮れ時には目的の街に辿り着いた。
「でかい街だな〜」
サンジは腹巻の編み目を広げ、感嘆の声を上げた。
整備された道は幅が広く、引っ切り無しに車や荷馬車が行き交っている。
路地を覗けばあちこちに市が立ち、ひしめくように多くの人で賑わっていた。
「わ、あれなんだろ。っと、あそこのレディ可愛いな〜・・・あ、いい匂いがする」
ゾロははしゃいで腹巻の中から頭を飛び出させたサンジの、金色の旋毛を指でやんわりと押す。
「でかい声で喋るな、見付かる」
「こんだけ賑やかなんだから、大丈夫だって」
自分の腹に手を置いて周囲に気を配りながら足早に歩くゾロとは対照的に、サンジはあちこちで後ろ髪を惹かれ捲くっていた。
「ああ、あの店に寄りてえよ、あとこっちの市も・・・」
ふっと鼻腔を擽るような甘い匂いに誘われ、サンジは思わず腹巻から這い出して身体を傾ける。
「こら出るな、見付かる」
「う〜〜〜だってよう」
これは芳しいコーヒーとケーキの匂いだ。
夕闇に柔らかな明かりが灯り、道端に椅子を設えたオープンカフェはそろそろ店仕舞いだろうか。
サンジがじっと見つめているのに気付いたか、ゾロは足を止めた。

城にいる頃は、サンジ専用の小さなカップとソーサーでお茶を楽しんだものだ。
勿論ケーキはサンジ手作りで、自分サイズを美麗に飾り味だってなかなかのものだったと思う。
弟妹達にも好評だった。
今はそんなものを作る余裕も材料もないけれど、時には甘いものを食べてゆっくりしたい。
「一休み、すっか」
「いいのか?」
ぱっと顔を輝かせ見上げるサンジを軽く腹巻の中に押し込んで、ゾロは若い女性客で賑わうカフェに入った。

「これを」
種類など分からないから、板書きされたおすすめのセットメニューらしきものを指差した。
たぶん店の一番人気だろうし、そう外れもしないだろう。
一番隅の目立たない席に座りはしたが、腰に刀を三本も提げたいかにもな風貌のゾロが一人でお洒落なカフェに座っているのは、自然と人目を引いている。
若い女性の二人連れが、ゾロをちらちらと見ては小声で囁き合っていた。
フリルのエプロンを身に着けたウェイトレスが銀のトレイに美々しく盛られたケーキとコーヒーを運んでくる。
「お待たせいたしました」
さすがのサンジも、これは痛々しいなといたく同情した。
そうでなくとも目立つ野郎の一人客の前に、フルーツと生クリームで彩られた可愛らしいケーキと表面にハート模様が描かれたラテのカップだ。
端から見ると笑えて来る。
ぷるぷると腹巻の中で震えていると、ゾロの指が無造作につまみ出した。
「笑ってないで、とっと食え」
「・・・悪りぃ、バレた?」
テーブルに肘を着いて身体を傾けてくれたから、サンジはその影で存分にティータイムを満喫した。
滑らかな生クリームとフルーツの酸味を味わい、サンジから見れば肌理の粗すぎるスポンジも頬張る。
ゾロがスプーンで掬ってくれたラテを啜り、ほっと息を吐いた。
「あ〜やっぱ甘いもんは、いいなあ」
そんな様子をゾロは興味深そうに繁々と眺めている。
一頻り口を付けると、サンジはやっぱりお腹がいっぱいになってしまった。
どうしようと躊躇いがちに仰ぎ見るのに、ゾロは「もうそれで終いか?」と小声で尋ねる。
「後は俺が食っていいか」
「食うの?お前が?」
ゾロとは長い付き合いではないが、なんとなく酒ばかり飲んで甘いものは苦手な印象があった。
「俺はなんでも食うぞ」
言って、銀のフォークで生クリームを掬い口に運ぶ。
甘えなと呟くが、顔を顰めたりしない。
そのまま無表情にぺろりと平らげてしまった。

「へえ・・・」
何でも食べられるのなら、今度もし作れる材料と場所があったら本格的にケーキを作って食べさせてやろう。
ゾロのイメージにはまったくそぐわない気もするが、割と気に入ってもらえるかもしれない。
無口で無愛想だけど案外面倒見がよくて、酒浸りののん兵衛かと思ったらケーキも食べられて。
ゾロの意外な一面が見られるのが、サンジにとっては楽しかった。
もっとゾロのことを知りたいと、思ってしまった。
出会ってまだ間もない、お互いに知らないことばかりの関係なのだけれど、その分新しく知ることがたくさんあると思うと嬉しかった。

サンジはラテの泡で上唇が白くなったゾロの顔を珍しいものでも見るように眺めて、それからトトトと腕伝いに肩に駆け登った。
緑の髪ごしに窓の外を窺えば、多くの人々が行き交うのが見える。
サンジの大好きな可愛い女の子や、色っぽい奥さんやお年を召した昔のレディ。
元気に駆け回る子どもに、むくつけきおっさん。
ヨボヨボの年寄りに、肩で風を切るように歩く荒っぽい若者達。

もしも、もしも自分が普通の身体を持っていたら―――
全体的なサイズが小さいだけで、サンジの手足は長いし、もしかしたらゾロとはそう上背は変わらないかもしれない。
二人で並んで、こんな賑やかな街を歩いて。
おしゃれなカフェだって、二人連れならそう不自然に見えないかもしれないし。
同じく二人連れの可愛いレディに声を掛けたっていいだろう。
そんな風にゾロと旅ができれば、どれほど楽しいだろうか。

そう夢想しながら、夜の明かりに照らされた往来を眺める。
あの雑踏の中を今の自分が歩いたとしたら、誰にも気付かれない内に踏み潰されて終わりかもしれない。
そう考えると哀しくなって、掴んだゾロの髪をぎゅっと握り締めた。

「そろそろ行くか?」
サンジの視界から外を遮るように、ゾロの掌が翳された。
その手を伝い降りて腹巻へと帰る。
けれどどうしても、肩よりは眺めが悪い。
「お前、髪伸ばせよ。そうしたら俺が肩に乗ってても見付かんねえだろ」
「ああ?うぜえだろ」
長い緑の髪のゾロを想像して、自分で言い出しておきながらサンジはちょっと笑ってしまった。



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