Bon appetit!  -氷の村と妖精のお話-  4


家の中にサンジサイズの小さなかまどを作り、持参した鍋に小声で軽く呪文をかけた。
鍋が二周りほど大きくなり、サンジから見れば大鍋となる。
それを火にかけ、仕込みを始めた。
城から持参したリュックを開き、中から小瓶を取り出す。
スパイスとは違うものだ。
「そりゃあなんだ?」
固唾を飲んで見守っている村人たちを代表するかのように、ゾロが聞いた。
「薬草を乾かして粉にしたもんだ。少量でも滋養が付く」
僅かな食材を調理し、コトコトと煮詰める。
家の中にいい匂いがたちこめたが、所詮小さな鍋だ。
けれど匂いだけでほっこりと温まる何かがあった。

「いい匂い〜」
サンジの周りに集まった子ども達が輪を作った。
子どもの目から見たら、動くままごとみたいなものなのだろう。
小さくてもいっぱしの匂いが立ち昇るから、それだけで幸せそうに頬を緩ませている。
その内取って食べる仕種をして笑い合った。
「美味しいね」
「美味しいね」
子ども達のあどけない仕種に、サンジの目からぶわっと涙が盛り上がった。
慌てて袖で拭い、怒ったような声で怒鳴る。
「ゾロ、鍋を火から降ろせよ」
ゾロは言われたとおり指で摘まんで、小さな鍋を部屋の中央まで運んだ。
物珍しそうに付いてくる子ども達を離れさせ、空いた空間を作る。
「うし、そいじゃあBon appetit!」
サンジは声高らかに呪文を唱え、両手の指先から黄金の光を振り撒いた。

小さいながらも湯気を立てていた鍋が、見る間にぐぐんと膨張する。
呆気にとられた村人たちが見守る前で、ままごと用の小さな鍋は両手で囲いきれないほどの大鍋となった。
「ひやあぁ?」
大人たちの素っ頓狂な声を掻き消すように、子ども達から歓声が上がる。
「すごい!」
「すっごい妖精さん」
「妖精さん、すごいーっ」
狐に包まれたように目をぱちくりさせている大人達とは対照的に、子どもの反応は実に早くて素直だ。
「すごーい」
鍋に駆け寄ろうとする子ども達を、ゾロが両手を伸ばして塞いだ。
「危ねえ、火傷する」
「落ち着いて、順番に配るからな。余所の家に集まってる人達も呼んでやってくれ」
それから小さい身体をくるりと反転させた。
「さて、これからはマダム達の出番だ。俺じゃあよそえねえから、お願いします」
男たちの影に隠れて目を丸くしていた女性達が、戸惑いながらも何度も頷いた。


「すごい、いい匂い〜」
涎を垂らす勢いで覗き込む子ども達に、次々とスープが入った椀が渡される。
ゾロの肩に止まったサンジは、テキパキと指示を出し続けた。
「みんな、最初は一杯だけだぞ。薄めに作ってあるけど、いきなり腹を満たすと身体がびっくりするからな」
「よく味わってゆっくり食べろ。物足りないくらいで止めておけよ」
「食料はまだこの先も作れるから、とにかく今日はこれだけで置いておくんだ。またちゃんと作ってやるから」
サンジが小さい身体で精一杯訴えるから、ゾロも目を光らせて無茶食いしようとする大人を諌め、慌てて喉を詰まらせる子どもを介抱する。
「なんて美味いんだ、こんな美味いスープは初めてだ」
「本当に生き返るよ、まさかこんな美味いモノが食べられる日が来るなんて」
やせ細りながらも骨格のがっしりした大男が感激に咽び泣いている。
鬱陶しいなあと悪態を吐きながらも、サンジは満更でもない顔で煙草を吹かした。



***



腹が満ちて安心したのか、子ども達は食べ終えた後ひと所に集まって寄り添いながら寝てしまった。
後片付けをする女性達も一様に緩慢な動きで、今にも食器を取り落としそうだ。
「落ち着いたらみんなひと眠りするといい、俺らが起きてるから」
サンジに言われ、頑固そうな年寄りも子どものように目を瞬かせてそのまま横になってしまった。
精も根も尽き果てていたのだろう、全員が素直にサンジの言葉に従い家の中で仲良く丸くなって眠る。
ゾロは呆気に取られながら一部始終を見ていて、家の中に安らかな寝息が響き渡る頃、肩に乗ったサンジにそっと唇を寄せた。
「すげえな、お前なんで色々知ってんだ?」
ゾロと出会った時も、野草を上手に調理して見せていた。
金持ちに飼われていただけじゃ培えない、サバイバルぶりだ。

「俺は生まれつきこんなナリだからな。いつどんなことがあって一人きりになろうとも、生き抜けるようにって勉強してきた」
王族の地位に甘んじることなく、両親はサンジに時に厳しいと言えるほどの教育を受けさせて来た。
人並みの身体を持たない王子への、それが精一杯の親心だ。
「すげえ奴だな」
ゾロの率直な感嘆の声が面映くて、サンジは「別に」と呟き仏頂面を作ってそっぽを向いた。
それは照れから来るものだと、付き合いの浅いゾロにも充分わかる。
出会った時からそうだったように、困っているものや腹を空かせている者を目の前にすると放っておけない性分なのだろう。
「この村に、お前が来てよかったな」
「んなの、てめえの呪いもたまには役に立つってことだ」
「そうだな、俺のお陰だな」
「言ってろ」
にへへと笑い、ゾロの肩の上で足を組み替える。
「それに、俺もこの村は気に入ってんだ。みんな飢えて死に掛けてんのに、子どもや年寄りがちゃんと生き残ってるだろう?」
「ああ」
飢餓に見舞われた場合、体力のないものや身体の小さいものから先に死んでいくのが常だ。
けれどこの村には、男も女も子どもも年寄りも等しく飢えてはいるが生き延びている。
大人や体力のあるものが、弱者を気遣ってきた証拠だ。
「吹雪が止まなくて助かる見込みもなくてさ、でも絶望しないでみんなで力を合わせてがんばって来たってことだろ。めちゃくちゃ強くて優しいじゃねえか。ここで俺ができることをしないでどうすんだってんだ」
そう言って、ゾロの頬に肘を当てた。
「そう言うお前だって、俺の言う通り動いて働いたじゃねえか。このお人好し」
したり顔で言われて、ゾロは思わず口を閉ざした。

コックが思っているのとは、多分少し違うと思う。
もしゾロが一人でこの村に彷徨い付いたとしたら、食料がないと聞いた時点で別の場所に向かって歩き始めただろう。
気の毒な村人のためになにかできることはないかとか、そんなこと思い付きもしない。
無論、村人から何かを頼まれれば、聞いてやらないことはない。
けれど望まれなければそれきりだ。
村人の今後に思いを馳せることもなく、心残りも後ろ髪を引かれることもなくさっさと忘れて先へ行く。
今回は一緒にいたのがコックだったから、彼が命じる言葉に従ったまでのことだ。
それがいいとか悪いとか、そういう基準はゾロにはない。
なぜコックの言うことを聞くかというと、偉そうにあれこれと指図する姿が見ていて面白いからだ。
ぶっちゃけ可愛い。
だからつい、言うことを聞いてしまう。

「―――て、な…」
ついコックの可愛さについてあれこれと思い返していたら、言葉を聞き損ねた。
あ?と振り返ればゾロの頬に凭れるようにして、こっくりこっくり舟を漕いでいる。
小さな身体で張り切って、さすがに疲れが来たのだろう。
ゾロは転がり落ちかけた身体を受け止めて、そっと腹巻の中に仕舞った。
それから腕を組んで崩れ掛けた壁に凭れ、穏やかに眠る村人たちをずっと見守っていた。



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