Bon appetit!  -氷の村と妖精のお話-  3


隙間風が吹き付けて、サンジはぶるりと身体を震わせた。
俄かに覚醒し、ふはっと顔を上げる。
温かな腹巻の中でどうやら熟睡してしまっていたらしい。
サンジを乗せた輿は・・・否、ゾロはまだ歩き続けているようで一定のリズムが心地よかった。
「ふわあ〜」
大きく伸びをして背筋をシャンとさせ、サンジは腹巻の縁に手を掛けて勢いよく外に顔を出した。

「さ・・・びー?!」
慌てて温かな中に引っ込み、ガチガチと歯を鳴らせる。
一体なにが起こったのかわからない。
なぜに寒い?つか冷たい。
外は猛吹雪。
「なんでだー?!」
覚悟してもう一回顔を出して叫んだら、顎の下に氷柱を垂らしたゾロが「ん?」と俯いた。
「おう、起きたか!」
「起きたかじゃねえよ、ここどこだよ!」
大声で叫ばないとお互いの声が聞こえないくらい、雪が激しく吹き荒れていた。
確かにノースは平均気温の低い国ではあるが、それにしたってこんな急激な天候の変化なんてサンジは聞いたこともなかった。
こんなに荒れてる場所はノースの最北端ぐらいしか思いつかない。
「お前どんだけ歩いたんだ、つか、どんだけ間違ってんだ!」
「ああ?たかだか30分だぜ」
サンジは熟睡したものの、時間的にはさほどではなかった。
それなのに、こんな荒れた場所までどうやって移動してきた?
「ほんとか、最北端まで来たんじゃねえのか?」
「てめえが言うとおり道なりに歩いてったら、俄かに雲行きが怪しくなってな。どっかで雨宿りできる場所がねえか歩いてたら、どんどん寒くなって来て雪が積もってきて吹雪になった」
「ああああもう」
寒さに顔を半分腹巻の中に埋めながら、サンジは暖かいゾロの腹にぴったりと引っ付いた。
一番安全な場所に居るであろう自分でもこんなに寒いのだ。
軽装過ぎるいでたちのゾロが何時間もこんなところを彷徨っていたら、確実に凍死してしまう。
今だって相当危うい。
「お前、寒いだろ」
サンジはゾロの腹を抱えるように腕を伸ばし、背伸びして振り仰ぐ。
「ん、そうでもねえ」
パラパラと氷柱の破片を零しながら、ゾロはにかっと笑った。
「腹が、あったけえからな」
「―――!」
思わずぎゅっと腹を抱きしめた。
サンジの手足は小さ過ぎて、相手にぬくもりを与えてやれるほどの面積もない。
けど、なんとか自分がいる場所だけでもゾロを暖めたかった。
腹巻からよじよじと登り出て、冷えた場所に自分の身体を押し付ける。
「おい、引っ込んでろ。寒いぞ」
「別に」
「ばかやろ、てめえはちっけえんだからすぐ冷えっだろうが」
氷のように冷たい手が頭を押さえ付けようとするのに、抗って顔を振ったら道の先にきらりと光るものを見つけた。

「おい、なんかあるぞ」
「あ?」
一面真っ白で視界は利かないが、近付いて見てみればどうやら巨大な氷壁だった。
見上げるほどに大きく高く聳え立って、行く手を阻んでいる。
「行き止まりだな、引き返すぞ」
「ああ?めんどくせえ」
ゾロはサンジの頭に掌を乗せると、やや強い力で押し込んだ。
「なにすんだ!」
「中入って、掴まってろ」
いつになく真剣な声音だったから、サンジは思わずしゃがんで撓んだ腹巻を握り締めた。
ゾロの腹筋が一瞬膨れぐっと引き締まる。

「羅生門!」
パキンと一瞬差した閃光が、編み目を通してサンジの目を射る。
続いて地響きが鳴り、ゾロの身体ごと縦に揺れた。
「ふわわわわわ」
獣の咆哮のような地鳴りに身を竦め恐る恐る外を見ると、辺りは真っ白だ。
霧散した氷がキラキラ輝きながら中空に消え、雲が晴れたように視界が開けた。

「あ」
「村だな」
一面雪に覆われながらも、いくつかの家が寄り集まった村落が眼下に見える。
どうやらここは峠で、巨大な氷が道を塞いでいただけだったらしい。
白の中に点々と散らばる黒にしか見えない小さな家だが、あちこち白い煙が上がっていた。
人が住む、村だ。
「行ってみよう」
「おう」
未だ止まない吹雪の中、二人は(と言うかゾロは)意気揚々と足を踏み出した。



   * * * 



村落を目指してザックザックと歩いて行く内に、いつの間にか吹雪が止んでいた。
どんよりと垂れ込むように真っ黒だった雪雲も心なしか色が薄れて来ている。
それでも冷えた空気はキンと張り詰めているようで、新雪の上に足を踏み出せば硬く凍った表面にワンテンポ遅れてざっくりと沈んだ。
歩き難いこと、この上ない。
「・・・荒れてるな」
サンジは腹巻の中から伸び上がるようにして、外の様子を窺った。
元は数十軒も家があったのだろうに、あちこちに壊された廃屋の残骸が見える。
「夜盗にでも襲われたのか?」
ここはノースの国内かどうかわからないが、それでも王家の人間としては気に掛かる。
地方の村にこんな被害が出ているとは知らなかった。
「静かだが、屋根からは生活の煙が出てる。滅んだ訳じゃねえだろう」
「あ、そうだ」
サンジは思い出して振り仰いだ。
「さっき、あのでっけえ氷の壁をどうしたんだ?俺を腹巻に押し込んでよ」
「斬った」
「は?」
カチンと、今さらみたいにゾロの腰に提げられた鞘が鳴る。
「この刀で斬った。邪魔だったからな」
「・・・へえ」
斬れるんだ、と一旦は納得したがいまいちピンと来ない。
あんなに巨大な氷壁を、どうやって刀で斬るのだろう。
「三本も提げて、大層だなと思ったんだが」
「俺は三本とも使う」
「どうやって?」
「両手に一本ずつと、口で」
「どうやって?!」


突っ込んでいる間に、民家の前に着いた。
気配を探ると、家の中から伺い見るような視線を感じる。
けれど警告を発したり威嚇したりする様子はない。
「取り敢えず、お前引っ込んでろ」
「偉そうに指図すんな」
言い返しつつ、渋々頭を下げた。
確かに自分が表立って出ると話がややこしくなる可能性はある。
ゾロは一軒の家の前に立ち、軽く戸口を叩いた。
「頼もう!」
「どんな挨拶だよ」
黙っていられず腹巻の中から突っ込んだ。
「おい、誰かいるか?」
戸口を叩いても応えはなく、ドアを引いたらガタつきながら開いた。
凍り付いて引っ掛かっていただけらしい。
「邪魔するぜ」
家の中は火が焚かれていて、温かい。
湿った空気に饐えたような異臭が立ち込めている。
家具はほとんどない荒れ果てた部屋の中、尋常でない数の人間が寄り集まって蹲っていた。
「へ?」
異様な光景に、サンジも腹巻の編み目を広げ凝視する。
「なんなんだ、こりゃあ」
「おい」
ゾロが一歩足を踏み入れ声を掛けると、固まった人達が一斉にびくりと身体を震わせた。
けれど立ち上がって逃げようとはしない。
薄暗がりの中で、落ち窪んだ瞳だけが白く浮いて見えた。

「俺らは旅のモンだが、ちと聞きてえことがある」
一体誰に話しかければいいものか。
逡巡しながら見渡すと、男の一人がヨロヨロと立ち上がった。
「旅のお人か、どこから来たのか・・・この村に人が来るなんてえ何か月ぶりか・・・」
ふらりと倒れかけ、ゾロが咄嗟に手を差し伸べた。
支えるために掴んだ腕は枯れ木のように細い。
「どうした、盗賊にでも襲われたのか?」
「いや、吹雪だ。吹雪が止まないんだよ」
ゾロの穏やかな口調に緊張が解けたのか、男はがっくりとその場で膝を着く。
「大きな地震があって、峠の山道が崩れた。折悪しくそのまま冬が来て、風の流れが変わったんだな。大岩で塞がった山道を直す間もなく、そこに吹き付けた吹雪がどんどん辺りを凍らせて行って、とうとうこの村は孤立してしまった。行商人は村に来ないし、吹雪に閉じ込められて作物は育てられず、雪雲が頭上から立ち去らない。季節が止まってしまった」
「んなことって、あんのかよ」
堪らずサンジが声を上げれば、男は頷いて首を振る。
「俺らだって、最初の内は長い冬だなとしか思ってなかったんだ。ところがいつまでたっても吹雪は止まない、どこにも行けない。このままじゃいけねえって助けを呼びに吹雪の中に出て行った若いモン達は結局帰ってこなかった・・・」
そこまで言って、ふと顔を上げる。
腹巻から顔を覗かせるサンジと目が合って、「ややや」と叫んだ。
「ああ、とうとう幻覚が見えるように・・・」
「や、俺ホンモノ。驚かしてごめん」
慌ててブンブンと手を振れば、部屋の隅っこに固まっていた小さな人影がモゾモゾと這い出てきた。
「・・・妖精、さん?」
「妖精さんだ」
やせ細った子どもが目を輝かせて近付いてくる。

妖精さんだあと瞳をキラキラと煌めかせる子ども達を前に、サンジは絶句していた。
削げた頬、皮膚の色はどす黒く細かい皺が寄っている。
折れそうなほど細い手足に、腹だけがぽっこりと膨れていた。
「妖精さん?」
そこだけ子どもらしさが残るあどけない瞳を見返し、サンジはにっこりと笑って見せた。
「こんにちは、すこしお邪魔していいかな?」
「どうぞ、ようこそ妖精さん」
あまりに面やつれしているから、目の前の子どもの性別すらわからなかった。
レディだったら丁重に挨拶したいけれど、もし違ったら失礼に当たる。
この期に及んでサンジの気遣いは無意味だけれど、それくらい彼は動転していた。
今まで城にだけ暮らしていて、こんな光景は目にした事がなかったから。

「吹雪のせいってことは、表の家が何軒か壊されてるあれはなんだ?」
腹巻の中のサンジを注視された状態で、ゾロは代表者らしき男に尋ねた。
「あれは、寒さを凌ぐための薪として家を壊したんだ。少しずつ壊していって、結局こうして一所に寄り集まってね。残された家の中はもう、いっぱいいっぱいさ」
ほうと息を吐き声を途切らせる。
話をするのも辛いのだろう。
「話はわかった、この家の中にはもう本当に食料はないのか?」
小さいなりをして、しかも腹巻の中に入ったままでありながら、サンジは凛とした口調で尋ねた。
子どもたちは妖精だと思っているから、大人も自然と敬うような眼差しで見つめる。
「ええ、もう後は僅かな干し肉と果物と、それに木の実くらいで・・・」
「上等だ」
サンジは腹巻から勢いよく飛び出すと、ゾロの腕にぴょんと乗り移った。
「マリモ、ちょっと手を貸せ」
「誰がマリモだ。ってかマリモってなんだ」
横柄な物言いにむっとしつつも、ゾロはサンジが言うとおりに動き始めた。



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