Bon appetit! -氷の村と妖精のお話-  2


ようやっと開けた場所に来て、ゾロは大きく伸びをした。
今まで鬱蒼とした森の中ばかりうろついていたのだ。
広い空の下に出られたのがよほど嬉しいのだろう。
仰向いて首を傾け、意味もなく両腕を広げ振り回す。
「なんっか、久しぶりに青空を見た気分だな」
「気の毒になあ」
サンジはゾロが歩くテンポでいい具合に揺られていたから、半分寝ぼけて欠伸まじりに相槌を打った。
いかん、このままでは運動不足になってしまう。
しかしなんて快適な乗り物なんだ。
従者の上に輿の役割も果たすとは、物臭迷子の癖に中々使える男だ。
サンジがしみじみとそう思っているとも知らず、ゾロは大股で丘を下りどんどんと人里の方へ下りていった。
それと同時に、サンジの顔がどんどん腹巻の中に埋もれて行く。
「どうした」
緑の腹巻とシャツの隙間にちょこんと金色の旋毛だけが覗く状態になっていて、ゾロはふと足を止め俯いた。


「人、いるか?」
「ん?」
改めて周囲を見渡すと、ちょうど昼時だからか往来にあまり人気はない。
けれど家々からは食欲をそそるいい匂いが漂ってきていて、賑やかな子どもの声も聞こえる。
今はまだ民家ばかりだが、もう少し先に進めば店もある街に辿り着けるだろう。
「あんまり人通りはねえな、田舎の村だ」
「でも、人がいるだろう」
サンジの不安が声に出て、ゾロはああと今さらながら気付いた。
「お前小さいからな、見付かるとまずいか?」
「まずいっつうか、どうかなあ」
サンジにもよくわからない。
なにせ生まれてついて小さかったから、家族も家臣たちもサンジはこういうものだとわかっていた。
けれど初めて城の外に出て、まったく見知らぬ人間に自分を見られたら果たしてどう思われるのか。
どう扱われるのか、不安でならない。

「まあ、珍しいから掴まえて売り飛ばされるかもな」
さらっと怖いことをいうゾロを、見上げて睨み付けた。
「ざけんな、俺が大人しく掴まると思うなよ」
「意気込みは立派だが、どんだけてめえの蹴りが強かろうが人間の、しかも大人の男の力にゃあ敵わねえだろ」
ひょいっと掌で攫われて握りこまれたら、それで終いだ。
ゾロがそう言うと、悔しげに歯噛みしている。
けれど事実だ。
あまりにもサンジは小さく、姿形が珍しすぎる。

「心配ならそこに潜ってろ、とりあえず俺は飯が食えそうなところを探す」
「ちっ、しょうがねえな。いいとこ見付かったら目立たずに入れよ。でも、道が逸れないかどうか腹巻ン中から見てるからな」
「任せた」
サンジはスポっと腹巻の中にもぐりこんでしまうと、編目を広げて外を見た。
明るい景色は中からよく見える。
これは実に便利な居場所だ。
ゾロが間違って道を逸れてしまわないように気を付けながら、両サイドに民家が立ち並ぶ街道を物珍しげに眺めた。

国どころか、城から出るのも初めてなサンジだ。
国民にも直視されるほど近い場所で会ったこともない。
もしかしたらサンジ王子は小さいと知られているかもしれないけれど、それはそれで見付かったら厄介だ。
用心深く周囲を見回すと、なるほど家々からは白い煙が立ち上りどことなく団欒の声が聞こえてきた。
時折路地から小さな子どもが走り出て、ゾロの足にぶつかり掛けたりしている。
それを叱る母親の声。
物売りが前を横切り、用事を終えた商人らしき男が宿から出てきた。
「どんどん賑やかになってくな」
人の動きに気を取られている内に、ゾロの足はいつの間にか狭い路地を抜けて砂利道へと向かっていた。
慌てて硬い腹をドンと蹴り付ける。
「ぐふっ」
「なんでその角で2回右に曲がるんだ、やり直し!」
「っげほ、口で言え!」
腹を押さえて悪態を吐きながら、ゾロはサンジの言うとおりに軌道修正した。
安全な腹巻の中に身を潜めながら、ゾロの様子は端から見たら独り言にしか見えないだろうと思うと、なんだかおかしかった。


人気のない農道を更に半時間ほど通り抜けたら、大きな街が見えてきた。
これならば食事の取れる店くらいあるだろうと、ゾロの足も自然速まる。
サンジは腹巻の中で、初めて訪れる庶民の街に目を輝かせていた。
さきほど通り抜けた村とは違い、道には溢れんばかりに人が行き交っている。
子ども年寄りも、年若い女性もいる。
「うは〜あのレディなんって可愛らしいんだろう。あ、あのレディも大人っぽくて素敵だ!ああ、あの二人連れはなんてキュートなんだー」
自分の腹の辺りがホコホコ温い気がして、ゾロは何事かと俯いた。
どうやら腹巻の中で盛んに身動ぎしているらしい。
街に入った途端大人しくしていられないとは、困ったもんだ。
ゾロは腹巻の上からやんわりと押さえ小声で注意した。
「あんまり動くな」
「あんだ?くすぐってえのか」
「そうじゃねえ」
「んじゃ、もうちょい潜るか」
「余計に止めろー」
ゾロは前で組んでいた腕をさり気なく下げて、腹の下辺りを抱えるように誤魔化しながら近くの食堂に駆け込んだ。




「いらっしゃい」
胡麻塩頭のマスターらしきおっさんが、無愛想に声を掛けた。
カウンターの向こうから愛想の塊みたいにニコニコ顔のおばさんが、水を持ってくる。
当然ながら、一人前だ。
「昼飯、まだいいか?」
「どうぞどうぞ、Aランチは売り切れてましてごめんなさいね」
ランチタイムも終わり、客は他にいなかった。
ゾロはわざと一番隅の席を選び、壁に向かうように椅子に腰掛けた。
「とりあえず、Bランチ2つ。あと強い酒を1本」
「あら、お腹空いてるのね」
任せといて、とおばさんは腕まくりする勢いで請け負い、厨房のおっさんに伝える。
こういう店は出てくるのも早いだろうと、ゾロはテーブルで腕を組んで屈んだ。
相変わらず、腹がモゾモゾしている。
「おい、腕どけろ」
「まだだ、もうチョイ待て」
予想通り、数分待たずしておばさんが両手にトレイを掲げてやってきた。
「はいお待ちどう」
地酒らしい無骨な瓶をドンと置き、皿に山盛りになった料理を並べる。
「お客さん、ランチは最後だからサービスしといたよう」
「ありがてえ」
ドンドンと豪快に並べた後、おばさんはまた早足に厨房の中に引っ込んでしまった。
これから掃除でもするのだろう。

そろそろいいかと、ゾロは腕をずらして腹巻を引っ張った。
すっかり蒸れて顔を赤くしたサンジが、ぷはっと息を吐きながら頭を出す。
「あっち〜」
「店ん中は火焚いてるせいか、あったかいな」
よじよじとゾロの腕をよじ登り、空の灰皿に腰掛けた。
小さいながらも長い足を組み、ふうと一息吐いている
「それにしても、実に気風のいいレディだ。やっぱりノースの女性は大らかで優しいな」
「・・・」
確かに気風がよくて大らかなのはわかる。
が、そう呟くサンジの表情はどこかうっとりとして夢見がちだ。
まるで、あの豪快なおばさんを慕っているかのような柔らかな表情で。
「アホなこと言ってねえで、食っちまえ」
「アホとはなんだ、そう言うお前が馬鹿なんだー」
小声で抗議しつつ、ゾロがスプーンによそってやった一匙を前にして、自前のカトラリーを取り出した。

「いただきます」
「いただきます」
ゾロの仕種を真似たのか、行儀よく両手を合わせて頭を下げる。
ゾロの、申し訳程度にぺこりと下げるのではなくしっかりと頭を下げるから、なんだか仰々しい。
別にまあ、悪くはない。
「熱いから気を付けろよ」
「誰に言ってんだってんだ」
先に一人で酒を呷っているゾロに悪態を吐きつつ、ナイフとフォークで肉の塊を手際よく切り分ける。
大きな料理を食べるのに慣れた、優雅ともいえる手付きをゾロはじっと盗み見ていた。
さすがコックと言うべきか。
それよりももっと気品のある、きちんとした躾が見て取れる。
よほど名のある貴族か王族にでも、飼われていたのだろうか。
あれこれ詮索してても始まらねえと、ゾロも自分の料理に箸を付けた。

「美味いな、少々大味だけどよく沁みてる」
「こっちのも食ってみろ」
「いやーさすがにもう腹いっぱいだ」
小さな身体だけに仕方ないのだろうが、サンジの食事の量は雀の涙ほどだった。
デザートにと付けられたアイスクリームも、腹が冷えるとチビチビ舐めている。
「酒、飲むか?」
「ワインなら飲んだことあんだけど」
ゾロが頼んだ地酒は相当強い。
試しに小指の先に雫を付けて、サンジの鼻先に近付けた。
「どうだ?」
「お、匂いが強えな」
舌を出してペロンと舐め、見て分かるほどにブルブルと背筋を震わせた。
「きっつ〜」
「・・・・・」
なんだ今の。
なんかこう、胸の奥だか腹の底辺りがズクンと重くなった。
なんだこいつ、なんつう小さい舌で舐めやがる。

ゾロが凝視しているのも構わず、サンジは二度三度と顔を近付け舌を差し出す。
「ん〜ダメだ、雫で顔が洗えそう」
「おい、もう顔が真っ赤だぞ」
「ふへ?」
小さな身体に度数もきつ過ぎたのか、振り仰いだサンジの顔はしょうゆさしの蓋の色と同じくらい真っ赤に染まっていた。
「ちと水を飲め」
「ふむ」
薬指に水を付けて差し出すと、また顔を近づけてンクンクと口を付ける。
なんかヤバい。
またキタ。

「大丈夫か」
「ふひ」
どうも応対が妖しくなってきた。
ゾロはくたんとテーブルに突っ伏したサンジをそっと掬い、腹巻の中に入れる。

「ごちそうさん」
「あいよ」
早々に勘定を済ませ立ち上がった。
「美味かった」
「ありがとうね、気を付けていってらっしゃい」
ニコニコ顔のおばさんの前を通り過ぎようとしたら、俄かに腹が動いた。
「あっつ〜」
ぴょっこりと、茹蛸みたいなサンジが無防備に顔を出す。
「―――!?」
「げっ」
思わずおばさんとゾロは同時に固まって、腹巻を見下ろした。
サンジもまた「ん?」とばかりに仰向いて、酔いが回った虚ろな瞳で二人の顔を見比べる。
「・・・あ」
「お―――」
おばさんが何か言いかけるのを、サンジは両手をパタパタ振って止めさせた。
「美味しかったですよマダム、これでいい旅が始められそうです」
「・・・旅?」
「はい、ちょっと旅を・・・」
しどろもどろなサンジの小さな顔をじっと見つめ、それからおばさんはゾロを振り仰いだ。
「これから旅に出るの」
「ああ、俺は途中だったがこいつを拾って」
「あらまあ」
おばさんは困ったような顔でしばらくゾロとサンジの顔を見比べていたが、ふっと表情を和らげた。
「一応、お伝えしておきましょう。二人の旅路に神のご加護がありますように」
「ありがとうマダム」
見送りにはおじさんも出てきて、サンジはゾロの腹巻伝いに後ろへ回って手を振った。
「よかったじゃねえか、おばさん驚かなくて」
「ああ、やっぱりノースのレディは大らかだな」
言いながら、サンジもまた内心で胸を撫で下ろしている。
恐らくおかみはサンジを王子と気付いただろう。
けれど黙って送り出してくれた。
一応伝えておいてくれるというのは、多分王家に自分の無事を報告してくれるつもりだ。
ちゃんと旅立って、いっぱしの従者も連れていると分かってもらえれば家族だって安心できる。
「ああ、よかった」
一人呟いて、もそもそとゾロの前の方に戻る。

「いいか、取り敢えずこのまま道なりだぞ」
「おう」
程よく酔いが回ったのと腹が満ちたのとほっとしたのとで、サンジは不覚にもそのまま寝てしまった。



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