Bon appetit!  -小さな王子と大きな迷子のお話-  3


持参したフォークを手に取り、男は先ず草の根っこをぱくりと食べて口を閉じたまま目を丸くした。
そのままものも言わず、ただぱくぱくと口と手を動かしていく。
木の実や草でできた料理を次々と平らげ、まるで皿を舐めたようにソースまで綺麗に拭い取ってようやく男はほっと息を吐いた。
「・・・はあ、美味え」
「んだろ?」
口端で煙草を噛みながら、サンジはにやんと笑う。
「よっぽど腹減ってたんだな、お代わりいるか?」
「あるのか?」
途端、男の顔がぱっと明るくなった。
最初の獣の印象が嘘みたいに、なんともガキ臭い表情だ。
「あっちの木の実を取ってくれたら、粉に挽いてパンを作ってやる」
「他に、なにか必要なもんあるか」
「んじゃ、こっちの木の蔓の・・・」
再びあれこれと指図し、必要な材料を揃えてからもう一度男は切り株に腰掛けた。
食べ終えて積み重ねた皿をどうするのかと尋ねる。
「あ、あ〜〜〜俺は料理を皿ごと大きくできるけど、大きくなったもんを元のサイズには戻せねえんだ」
城ではミニサイズの皿は次々と作って貰えたから、後始末のことまでは考えていなかった。
「じゃあ、俺が持ち運ぶといいんだな。これからはこの皿に料理乗っけて食いモンだけ大きくしてもらえばいいんだろ」
「あ、うん、そう」
言ってから、なんだかサンジはくすぐったい気分になる。
これからって、こいつは自分と一緒にいるつもりなんだろうか。
これからも?

「しかしすげえな。魔法か?」
「ああ」
木の実の粉を挽きながら、サンジは慌てて訂正する。
「言っとくけど、俺別に魔法使いじゃねえからな。たまたま料理を大きくできるだけだ」
「たまたま、か?」
「おう、それだけ」
ふうんと頷き、男はそれ以上追求しては来なかった。
最初に出会ったときから気付いてはいたが、どうも細かいことを気にしないおおらかな性格らしい。
というか、単なる面倒臭がりなのか?

「そういや、お前は腹減ってないのか」
今さらなことを聞いてくるから、サンジはくすっと笑ってパンを捏ねる手を休めた。
「俺は城でたらふく食ってから出てきたからな、まだ減ってねえ」
「城?」
「・・・あ、いやいやその」
「どっかの城の、料理人なのか?」
「あ、そうそう、そうなんだ」
男は膝を抱えて座り、ちょこまかと手を動かすサンジをじっと見つめている。
「小人の城か?」
「ちげーよ、小せえのは俺だけだ」
「他に、仲間はいねえのか」
「仲間?家族はいるけど、みんな普通だ」
男はまた片眉を上げて、そっとサンジに顔を近付ける。
「普通って、俺くらいの大きさでか」
「ああ、親も兄弟もみんな」
パンっと勢いよくパン生地を打ち付け、粉が付いた頬を腕で拭う。
「俺だけ、小さい」
にかっと笑ってそう呟くと、男は黙ってサンジを見つめた。
目が合うとこっ恥ずかしくなるような、穏やかで優しい眼差しだ。
さっき木の上で瞳を見たときはギラギラ光るような金色だったのに、今は落ち着いた鳶色をしている。
あれは、夕陽を照り返した光の色だったんだろうか。

「さ、即席だけどパンケーキができるぞ」
小さなフライパンで焼き上げ、花の蜜を集めたシロップを掛ける。
「Bon appetit!」
そう唱えると、大きな皿の上でパンケーキも見る見るうちに大きくなった。
「美味そうだ」
「いっぱい食えよ」
ほくほくと湯気が立つ皿の縁に手を付いて、サンジは男を仰ぎ見るように伸び上がった。
「お前も、一緒に食べねえか」
「ん、俺?」
そう言えば、そろそろ小腹が空いて来たか。
サンジはそれじゃあと、まだ大きくしていない自分サイズの皿を手に取った。

「いただきます」
「いただきます」
男の真似をして、目の前で手を合わせて頭を下げる。
そうして二人で一緒に、甘い甘いパンケーキを食べた。


赤々と燃える焚き火に頬を照らされながら、サンジは男の腹の上を定位置にして腰を降ろした。
ここでないと、お互いの声が聞こえないからだ。
「お前、イーストの者か?」
仰向いて問えば、よくわかったなと男は片眉を上げてみせる。
「食べる前に両手を合わせただろう。あれはイーストの、更に極東の風習だと習ったことがある」
「そうだ、習慣ってのはどうしても出ちまうもんだな」
一応サンジは王子だから、諸外国の文化や風習を一通り勉強している。
特に食に精通した自国では、イーストの食文化が独特だということも聞き及んでいた。
「イーストの者が、なんでこんなとこにいるんだ?」
烏に攫われたから正確な距離は分からないけれど、ノースから出てはいない筈だ。
少なくともイーストまで飛んで連れて行かれたとは思えない。
「狩りに出掛けてな、それきりだ」
「いつ?」
「んーもうかれこれ10年くらいになるかな」
「・・・はあ?!」
それはもう狩りとか言うレベルではなかろう。
「10年も、なにしてんだ?」
「獲物を狩ったら戻るつもりだったんだが、どういう訳か通る度に道が変わってな」
それは、呪いかなんかじゃないのか。
「そうこうしてる内に、部族間同士で争ってるとこに出たり、砂漠に出たり、海に行き当たって成り行きで乗せてもらったりして、この森に着いたのは半年くらい前のことか」
それで、やっぱり半年もこの森の中にいると、そういう訳か?
「・・・お前、どこかでなにか悪いことでもしたんじゃないのか?」
サンジが問えば、男は心外そうに唇をへの字に曲げた。
「特に心当たりはねえが、一度女を怒らせたことがある」
「はあ?そりゃあ重罪じゃねえか」
サンジの価値基準に頓着しないのか、男はさして突っ込みもせず先を続けた。
「獲物担いで家に帰ろうとしたら、どっかの村に行き当たってな。俺が担いでたイノシシが山を荒らしてたからとかなんとか、村のもんにありがたがられてそこで飯を食わせてもらった。そのままイノシシは領主への貢ぎ物にするとかでそいつらにやって、新しく狩りに出ようとしたら領主の新しい嫁とやらがやってきた。一宿一飯の恩義と礼を言ったらえらい剣幕で怒り出した」
男の話は要領を得ない。
サンジは腹巻の上で首を捻り、てめえ何を言ったんだと問い掛ける。
「おばさんご馳走さん、と言っただけだが」
あちゃ〜〜〜
「お前なあ、いかにお年を召したレディでもすべからくレディなんだ、おばさんとか口が裂けても言うな」
だが、そんなことで領主の妻たるものがいちいち怒り出すだろうか。
つか、領主の新しいお嫁さんとなったらそれほどお年を召したレディでもあるまいに。
「ちなみに、お前そん時でいくつぐらいだったんだ?」
「ん、10にはなってなかったかな」
―――そりゃあ、いくらなんでも大人気ないよレディ。
実に大人気ない理由で両親を小さくされたサンジは、自分の境遇を棚に上げて男に同情した。
「んで、怒った女が『お前など、未来永劫故郷には帰れなくなると思え』とかなんとか、言った」
「・・・・・・」
サンジは額に手を当ててしばし考え、恐る恐ると言う風に口を開く。
「ちなみに、そのレディは長い巻き毛の黒髪に赤い唇、ナイスバディで実に魅惑的な美女じゃなかったか」
「俺の好みじゃねえが、そんな感じでみんな絶世の美女とか何とか、言ってたな」
ビンゴでしたか。
サンジは話しにだけ聞いている東の果ての魔女に思いを馳せた。
絶世の美女にして希代の悪女。
ただその性格は、邪悪というより幼いほどに短慮で浅薄。
そこがまあ、可愛いと言えないこともないとか。
さすがレディ・アルビダ―――いろんな意味で最強の魔女と呼ばれることはある。

「まあ、呪いなら仕方ねえよなあ」
サンジは心の底から同情して、男との浅からぬ縁を感じた。
同じ魔女に呪いを掛けられた者同士(サンジは直接受けてはいないけれど)、これも何かの導きかもしれない。
「この森で半年も迷い続けて、それでお前はどうする気だ」
ぷかっと煙を吐きながら、サンジは男の顎を伺い見た。
「どうするもなにも、俺はずっと家に帰るつもりでいるが」
至極真面目な顔で答えるのが、妙におかしい。
「お前は家に帰るんだろう?送ってやる」
「や、俺は―――」
折角旅立つために城を出たのだから、この道行きは都合がいいと言えるだろう。
「旅の途中だ、なんだったらこの森を出る方向へ案内するぜ」
「そんなちっこいのにわかるのか?」
男の素直な驚嘆に、むっとした。
「地図読むのにでけえも小せえもねえだろう、てめえこそそんな図体してなに半年もウロウロさまよってやがるんだ」
「この森が動くんだ」
「動くかボケっ」
サウスの方には動く森の伝説があるが、少なくともサンジの庭とも言えるこの界隈にそんな妖しげな森などありはしない。
「仕方ねえ、しばらくてめえに付き合ってやる」
「なんで上から目線なんだ」
「黙れ迷子、これから俺様のナビで動けば間違いねえ」
サンジはリュックから地図を取り出し、目の前に広げた。
生憎、男には小さすぎて読むことすらできない。
「お前は、どこか行くあてがあるのか?」
「ああ」
男に仰向いて答えるのが面倒で、サンジは俯いたままじっと地図を見つめた。
「バラティエっつってな、イーストに食材の宝庫みたいな街があるんだ。そこに行くつもりだ」
「へえ」
同じイースト出身でも聞いたことがないのだろう、男の反応は薄かった。
「とりあえず、目的はイーストってことで合致するだろ」
「そうだな」
男は腹に手を回し、サンジの身体をそっと抱き上げた。
男の手の動きは外見に似合わず丁寧で優しい。
サンジは安心してその指に腕を掛けた。
「俺はロロノア・ゾロってんだ、てめえは」
「俺は―――」
一瞬名乗り掛け、止める。
小国とは言え、オールブルー王国は美食の国として名高い。
そこの第一王子と身分が知られれば、なにかと面倒だ。
「俺はコックだ」
「は?そりゃ職業じゃねえのか」
「ああ、生まれながらのコックになれるよう、コックって名前なんだ」
「へえ」
男・・・ロロノア・ゾロは元から頓着しない性格のようで、あっさりと信じた。
「それじゃあよろしくな、コック」
こうして、思いがけず知り合った二人の旅が始まった。


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