Bon appetit!  -小さな王子と大きな迷子のお話-  2



「―――!」
サンジはリュックを抱えたまま、その場で飛び上がりそうになった。
真正面に、金色に光る猛獣の瞳がある。
瞳孔はまるで点のように収縮し、筋状の光彩は夕日を受けてギラギラと輝いて見えた。
いくぶん寄り目気味に焦点を当て、決して大きくはないサンジの頭から足先までをじっくりと眺めた。
―――獣、じゃね?
よくみれば瞳孔は丸い。
縦長でも横長でもない。
けど、なんでだか獣のように見える。
真正面から射竦められて身動きもできなかったが、サンジはようやく冷静に瞳以外も視界に入れることができた。
獣ではなく、人間だ。
人間の男だ。

「なんだ、人形か?」
ぬっと出てきた巨大な指を、サンジは身を翻して避けた。
お、と動きを止めるのに、しゃがんだ状態からすかさず回し蹴りを食らわす。
「お、お?」
指を弾かれ、男は目を丸くした。
そうすると獣染みた雰囲気は消え、より人間臭くなる。
「動いてんな、おいお前卵か?」
「どこに目え付けてんだこのスットコドッコイ!俺のどこが卵に見える」
男は一旦頭を下げて、どうやら地上を見下ろしたらしい。
再び顔を上げ、肩を怒らせているサンジをためつ眇めつ見た。
「鳥の巣かと、思ったんだが」
「巣だろうがよ、卵はねえぞ」
サンジが降ろされた時から無人(無卵?)だ。
「そうか」
しょうがねえなと呟いて、男は頭を下げた。
「おいちょっと待て!」
降りようとするのを、まだ掛けたままの指に縋り付いて止める。
「なんだ」
「なんだはねえだろ、俺を助けろ」
「ああ?」
男は面倒臭そうに再度頭を擡げる。
「お前、そこに住んでんじゃねえのか」
「誰が住むかボケっ、連れて来られたんだ」
ふ〜んと珍しそうに眺めて、ははあと一人頷いた。
「烏だな、あれはピカピカしたもん好きだからなあ」
そう言いながら、ちょいちょいとサンジの金髪を指先で撫でた。
まるで子どもにするような仕種で、それがサンジの癪に触る。
「馴れ馴れしく触んなっ、無礼者!」
再び指を蹴り上げる。

小さいながらも、サンジの蹴りはかなり強い。
妹をからかった弟に教育的指導のつもりで思い切りその指を蹴ったら、骨折して大事になったことがあった。
以来、サンジは一応相手を選んで蹴ることにしている。
「お、すげえな。いっぱし痛えじゃねえか」
「うるせえ、馬鹿にすんな」
立ち上がり抗議したところで、相手の顔半分も背丈がないのだから迫力に欠ける。
それでもサンジは怯まなかった。
なにせ由緒正しく気高き王子なのだから。

「俺をここから下ろせ」
「随分偉そうだが」
「うるさい、俺を誰だと・・・」
言い掛けて、止めた。
一応、サンジは小国と言えども王室の人間、しかも曲がりなりにも王位継承者だ。
迂闊なことを口走って身元が知られ、人質にでもとられては家族に・・・いや、国中に迷惑が掛かる。
家出した身でそんなことになっては目も当てられない。

「ああ、誰だ」
「おおお、俺は旅のコックだ」
「はあ?コック?」
男の声には馬鹿にした響きがあって、サンジは地団太を踏む勢いで声を荒げた。
「このリュックにはなあ、ちゃんと調理器具も揃って入ってんだよ。てめえの腹だっていっぱいにしてみせらあ」
「へえ、そりゃあすごい」
男はまるきり信用していないようだが、それでもサンジに興味が湧いたようだった。
「お前を下まで下ろしたら、なんか食わせてくれんのか」
「おう、なんだって腹いっぱい食わせてやる」
「そりゃどうも」
男は目を眇めて笑うと、横から攫うようにサンジの身体を掴んだ。
「おま、ちょっ・・・」
潰すな!と声を荒げようとして止める。
男の動きは荒く乱雑だが、サンジの身体を潰すほどの力は加えられなかった。
ガッシリとした指で囲いながらも、サンジが落ちない程度の隙間を空けて掴むと言うより手の中に乗せる形で持ち上げる。
そのまま目の高さまで持って言って、もう一度ジロジロとサンジの身体を眺めた後、ふうんと気のない声を出して腹の前に落とした。
「ぷはっ?」
ぽわんと優しく受け止められたが、頭から突っ込まれたからなにも見えない。
もがきながらもなんとか体勢をひっくり返し頭を外に出した頃には、男はもう地上に降りていた。
「なんだあ?」
「そこいいだろ、腹巻ん中だ」
「腹巻、だあ?」
なるほど、男の胴回りをぐるりと取り囲んでいる毛糸の織物は腹巻と言うのか。
確かに、腹を巻いている。
がしかし―――

「・・・くせえ」
「洗ってないからな」
なんというか、独特の匂いだ。
汗とか埃とかと一緒に雄臭いというか獣臭いというか、とにかくむさ苦しいのにどことなくお日様の匂いもする。
今まで芳しい花や香水の匂いに囲まれていたサンジにとって、未知の領域だった。
臭いと思うのに、なぜかクンクン嗅いでしまう。
しかも鼻が慣れてさほど匂いを感じなくなると、もっと強く嗅ぎ取れる場所を探して顔を近付けてしまったりして。
結局腹巻とは反対方向、男のシャツにまで顔を埋めクンカクンカした。
「くせえ」
「だったら嗅がなきゃいいだろう」
男が笑うと、それに合わせて鋼みたいに硬い腹筋が震えた。


突然、地鳴りのような音が響いた。
ビックリして顔を上げたが、どうやら鼻をくっ付けている腹から鳴っているのだと気付き、再び視線を戻す。
目の前の白いシャツがぐなんぐなん揺れている。
「腹、減ってんのか?」
仰向いて聞けば、男は自分の腹を覗くように屈んで答えた。
「おう、なんか食いもんねえかって木に登って、鳥の巣を狙ったんだ」
言って、こくんと唾を飲み込む。
「トカゲやらカエルやら食い飽きたし、てめえじゃちと、食いでがねえしな」
サンジは悪寒を感じて、思わずぶるりと身震いする。
「俺じゃあ腹の足しにもなんねえぞ、待ってろ」
言って男の腹巻の中からうんしょうんしょと這い出て、しゃがんだ膝伝いに地面に飛び降りた。

背負っていたリュックサックを下ろし、中から調理器具を取り出す。
ままごとの玩具以上に小さいが、精巧に作られかなり実用的なのだ。
男にしたら砂にしか見えない砂利石を積み、小さな火打石で火を点けた。
即席の竃を作り、再び仰向いて周囲を見渡す。
「おい、あの木の赤色と黄色の実、あれを取れ」
「ん?これか」
しゃがんでいる男が立ち上がると、まさに天を突くほどの大男に見える。
うっかり踏まれないように気を付けながら、サンジはあれこれと指図した。
「それぞれ3粒ほどでいい、それからこっちの木の葉っぱ。えっと、俺は草を取るから」
男の足元をちょこまかと走り回り、小さな具材を掻き集めているようだ。
それなりに一生懸命な様を、男は興味深げに見つめていた。
「あ、この草の根っこ、これも掘れ」
「こうか?」
「そうそう」
遠目に見たら、男が一人で土いじりをしているようにしか見えないだろう。
小さいながらも随分と偉そうなサンジの命令口調にも、男は素直に従っている。

大きな葉に水を汲んで来させ、根っこを綺麗に洗って鍋に入れ火に掛けた。
木の実には自前の調味料を振り掛け、強火にしてフライパンを揺らし手早く炒める。
小さいながらも鼻腔を擽るいい匂いが漂ってきて、男は再びサンジの目の前にしゃがみグルグルと腹を鳴らし続けた。
「こりゃ、たいしたもんだな」
サンジの手際を褒めてはいるようだが、料理ができあがることへの期待感はなさそうだ。
なにせサイズが違いすぎる。
けれどサンジは済ました顔で、次々と小さな皿に料理を盛り付けて男に手渡し、切り株の上に間隔を開けて置かせた。

「よし、できた」
サンジは男の掌に乗って自分が作った料理を確認すると、まるで指揮棒でも振るように両手を掲げて優雅に揺らす。
「Bon appetit!」
一声呪文を掛ければ、サンジの両手から金色の光の粒が弾けるように振り撒かれた。
それと同時に、切り株の上の料理がぐぐぐぐっと膨らんで行く。
「おお?!」
男が目を丸くしている間に、大きな切り株の上に湯気を立てながら美味しそうな料理が並んでいった。
「さあどうぞ、召し上がれ」
料理が大きくなった分、サンジの存在はもっと小さく感じられた。
こんな、吹けば飛ぶような小さな子どもが目の前のご馳走を作っただなんて、俄かには信じられない。

「お前、凄いな」
心からの感嘆の声に、サンジはへへへと得意そうに胸を張った。
「ほんとにこれ、食えるのか?」
「おうよ、てめえの口に合うかどうかはわからねえが、空腹は最高の調味料って言うじゃねえか。まずは食ってみろ」
横柄な物言いだが、サンジなりにかなり謙遜している。
男は切り株の横に胡坐を掻くと、顔の前で両の掌をぴちっと合わせた。
そうして「いただきます」と唱え、軽く頭を垂れる。
「召し上がれ」
男の仕種に片目を瞠って、サンジは切り株の端っこに腰掛け煙草を燻らした。


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