Bon appetit!  -小さな王子と大きな迷子のお話-  1



誰が見ても不憫な王子に、紫の魔女は一つだけ魔法を授けた。
「王子を大きくすることはできないけれど、王子が唱える呪文で王子が望むものを大きくすることができる魔法を授けましょう」
賢明な国王夫妻でも、俄かに意味はわからなかった。
「この魔法をどう使うのかは、王子次第」
魔女は杖を一振りして、輝く光を王子の手に纏わせる。
「小さく生まれついたのは、王子の宿命。それを変える力は私にはない。ただ、この子の幸せな人生を祈っているわ」
魔女の祝福を受け、小さな王子サンジはすくすくと育っていった。

魔女が授けた魔法の意味を、さほど時を置かずして国王夫妻は知ることになった。
サンジは物心ついてより、何かを作ることに夢中になっていた。
誰の目にも止まらないような小さな花々を束ね、王妃の手のひらに差し出す。
王子が呪文を唱えれば、それはムクムクと大きくなり誰も見たことないような珍しい花のブーケになった。
妹達のドールハウスに住み、おままごとセットをいじっているうちに料理の真似事を覚え、名うての職人に小さい調理セットを作らせた。
最初は卵のひとしずくで見事な卵焼きを作り、呪文を唱えて妹達に振る舞って好評を得、やがてレパートリーの幅を広げて作っては家族に食べさせるけとに喜びを見いだしていく。
やがて、王子が一言唱えれば、宮殿の豪奢な食卓に溢れんばかりの料理が並べられるようになった。
妹達のお茶会にはいつも王子が同席して、お菓子を作っては貴婦人達に振る舞いもてなしをする。
王子が唱える呪文はいつしか「Bon appetit!(召し上がれ)」に定着し、サンジはまさしく魔法使いの王子となったのだ。

そんな王子の、19歳の誕生日は目前に迫っていた。
普通、第一王位継承者たる王子は20歳までに結婚相手を決める。
毎夜のごとく開かれる晩餐会はそんな王子の花嫁選びの場所でもあるのだが、サンジにとっては違っていた。
誤って踏まれないよう、テーブルの中央のトレイの上に、特別にしつらえられた玉座で寛ぐサンジ。
美しく着飾った淑女達が入れ替わり立ち替わりそんな王子に挨拶していく。
それでいて、彼女達のお目当ては弟王子達なのだ。
サンジはそれがわかっている。
よくわかっているから、いつも笑顔を絶やさないし、もてなしの心も失わない。
人々がこんな優しい王子を心から愛しているのはわかっているのだ。
けれど王子は王妃をめとることはできない。
仮初めの結婚はできても結婚生活は送れないし、子をなすこともできない。
物理的に多分無理。
もちろん、王子を慕ってくれる心優しい姫もたくさんいた。
お嫁にもらってくださいと、目に涙をためながら囁いてくれる姫もいた。
その誰もが「覚悟」の上でそう申し出てくれていることをサンジは知っているから、笑って首を振ることしかできないのだ。
「美しく優しい君を毎夜夜泣きさせる訳にはいかないからね」
王子は小さいのに耳年増だった。

ある晴れた日の朝、サンジは柔らかなベッドからサイドテーブルによじ登り、苦労して窓の桟に渡った。
いつもは危ないから近寄ってはいけないと諭されている窓から外を眺める。
サンジは長い長い間、ずっと待っていた。
窓辺の木々がその枝を長く延ばすのを。
サンジの腕でも伸ばしたら届くほど茂った枝葉を見て、決心したのだ。
この城を出よう。
この国も出て、広い世界を一人で旅しよう。

第一王子として生まれついてしまったけれど、自分にはこの国は治められない。
それどころか、一人の女性すら幸せにはできない。
そんな自分が、愛する民を守ることができようか。
幸い、弟王子達はみな心優しく頭も良い。
誰に王位を譲っても、憂いはなかった。

この日のためにと密かに用意した書き置きをベッドの上に残し(虫眼鏡を使わなければ読めないのだけれど)サンジは意を決して窓から外に、枝伝いに降りようとしていた。
と、その時―――

黒い影が頭上をよぎったと思った刹那、サンジの身体はふわりと浮き上がり、みるみる内に見慣れた部屋が遠退き、初めて目にする城全体の姿が見渡せる場所にまで上昇した。
「なにいっ」
見上げれば巨大な黒い鳥が、サンジを咥えて悠々と羽ばたいている。
「は、離せーっ」
呼べど叫べど誰にもその声は届かず、哀れサンジは自分が望む以上に遠い旅路につくことになった。


「ふわぁ・・・」
巨大な嘴に咥えられながらも、サンジは眼下に広がる壮大な景色に目を奪われていた。
城壁の周りを取り囲むように色とりどりの屋根がひしめき合っている。
さらにその周囲は緑や黄色の農地がまるでパッチワークみたいに整然と並んで広がり、その間を縫うように道が枝分かれしてどこまでも伸びていた。
時折こんもりと緑が生い茂る森があり、離れた場所に点在する水車小屋はおもちゃのように小さくて可愛らしい。
「すっげー」
こんなことでもなければ、決して目にすることなどできなかった風景だ。
なにせサンジ自身、城の全体像どころか自分の部屋を見渡すことも難儀するサイズで。
家族で出かけても馬車の中から遠くを眺めることしかできなかった。
なのに今、雄大な景色はサンジの目の前に広がっている。

恐ろしいほどの高さにいる恐怖も忘れ、サンジは風に吹き飛ばされそうになりながら目を輝かし見入っていた。
森から山へと連なる稜線の向こう、白く輝くのは話に聞く海だろうか。
不意にぶわっと周囲に木の葉が舞い、烏が森の中に降りたのがわかった。
暢気に景色を楽しんでいる場合ではない。
とっさに服を大きくさせて逃れようかとも思ったが、それだと全裸で落下することになるからと思いとどまった。

烏は急に速度を弱めると、翼の向きを逆にして大きく羽ばたき一瞬中空で停止してから巣に降り立った。
小さな木や草、藁で作られた巣だが、サンジにすれば雑木の間に落とされたような衝撃だ。
「わぷっ」
頭から突っ込んで、さらに翼が羽ばたく風圧でひっくり返される。
頭を上げたときには、烏は再び飛び立っていくところだった。
「くそ、ここはどこだ」
立ち上がって見下ろすにも、サンジには高さも足りない。
恐る恐る巣の端に手を掛けて落っこちないよう身を乗り出した。
木の上のようだが、葉が生い茂っていてどのくらいの高さなのかはわからなかった。
「枝伝いに・・・降りれっかな」
幹にへばりつけばできないこともないだろうが、どの程度枝が繁っているのか見当が付かないから途中で足止めを喰らう可能性もある。
にっちもさっちもいかなくなって、結果落っこちるという危険性は充分にあった。
―――どうしよう。

元から、小さい身体で城を出ようなんて無謀な計画を立てた辺り、なにごとも行き当たりバッタリだったことは否めない。
むしろ烏に攫われるというアクシデントがあったから城から出ることに成功したようなものだが、この先の展開なんて予想していなかった。
と言うか、今の状況がすでに想定外だ。
城から出られてラッキーとか、暢気に喜べるほど楽天家でも阿呆でもない。

―――参ったな。
自前のリュックを抱え途方に暮れていたら、周囲の樹々がざわめき始めた。
と、急に巣が大きく揺れる。
「ふわわっ」
振り落とされないようにと慌てて木の枝にしがみつくが、巣ごと枝からずり落ちそうだ。
ガサリと木の葉が散ったと思ったら、樹木より緑色のものが眼前にぬっと突き出た。



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