B.B.Bは本日定休日です。
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静かに稼働する洗濯機の手前、脱衣籠にバスタオルと共に新品の下着とシャツが置いてあった。
着替えなんて着古しでいいのに、細かい奴だと呆れながら遠慮なく封を開ける。
ボクサータイプのパンツは伸びるからまだいいが、シャツは肩周りがきつい。
「おい」
羽織った状態で脱衣所から出ると、振り返ったサンジが「ぎゃっ」と嫌そうに声を上げた。
「お前、なんて格好してんだ、目が腐る!」
「うっせえな、風呂上りだからこんなもんだろ」
なぜか顔を真っ赤にしてうろたえるサンジに、片袖だけ通したシャツを翳した。
「着ようとして着れねえことはねえが、きつい」
「えー、お前って着やせするタイプ?」
コンロの火を小さくしてから、歩み寄る。
店にいた時と同じシンプルなシャツの上にピンク色のエプロンを身に付けた姿は、さっきと少し印象が違って見えた。
「なんだよ、パツンパツンじゃねえか」
「無理に着ると破けるぞ」
「無理して着なくていいよ、つうか、なんか着ろ、見苦しい!」
着ろとか着るなとか支離滅裂な物言いで、しかも目が泳いでいて挙動不審だ。
なぜ直視しない。

「なんだよもう、無駄にブキブキしやがって。おれ、レディなら服の上からでもスリーサイズはバッチリわかんのに」
「犯罪予備軍かお前は」
サンジは隣の部屋に引っ込んで、別の服を持ってきた。
「これはジ・・・着古しで、悪ィんだけど」
「なんでもいい」
先ほどの新品のシャツよりはサイズが大きく、着古して伸びた分楽だった。
「なんだよ、俺と同じくらいのタッパのくせに」
まだグチグチ言いながら、背を向ける。

テーブルには、すでに食器が並べてあった。
なんとなくむず痒い感じがして、ゾロはそのままサンジの背後を通り過ぎて冷蔵庫を開ける。
「なんだ、ビールはねえのか」
「おれ、あんまり好きじゃねえんだよ。買ってまで飲まねえ」
「なんか、甘そうなワインだな」
「フルーティなんだよ、てか、勝手に人の冷蔵庫漁るんじゃねえ」
しゃがんでいたら、背中をがしがしと足で蹴られた。
本当に足癖の悪い奴だ。

「ちゃんと席に着いて待ってろ、すぐできる」
足で追い立てられ、素直に着席する。
ゾロに背中を向け、サンジは散髪している時と同じように滑らかな仕種で調理に没頭していた。
いつまでも眺めていたいような、見事な手さばきだ。
それに、キュッと締まった小ぶりな尻がなんともいえず形が良くて、目が吸い寄せられる。
こちらも、いつまででも見ていたい。
というか見ているだけでは飽き足らず、触りたい。
「ほい、お待たせ」
不埒な妄想に陥りかけたら、目の前にどんと皿が置かれた。
山盛りの唐揚げが湯気を立てていて、なんとも食欲をそそる匂いに生唾が湧いてくる。
いつの間にか、和え物や味噌汁・煮物などがテーブルに所狭しと並べられていた。
これに気付かないほど、一体自分は何を考えていたのかと今さらながら我に返る。
「すげえな」
「ありあわせだけどな。1人だとこんだけ作らねえけど」
照れ隠しか、片方だけ頬を緩めた感じで笑う。
「こっから家まで、電車か徒歩で帰るのか?車じゃねえなら飲めるんだな」
「ああ」
「甘ったるいワインですけど」
「上等だ、いただきます」
先ほど言った文句を横に置いて、ゾロはグラスを受けた。
注いでもらってから、瓶を受け取ってサンジにも注ぎ返す。
「えーと、お疲れ様」
「お疲れ」
軽くグラスをかち合わせ、口に含む。
予想よりすっきりとしていて、後口は少し甘い。
「いただきます」
改めて両手を合わせたゾロに、サンジは目元を和ませた。

「ずっと捜査本部?ってとこに詰めてたのか?」
「ああ」
「家に帰らず?」
先ほどまでの汚れようから察したのか、サンジは嫌そうに顔を顰めている。
ゾロは頬袋を膨らませて、黙々と咀嚼していた。
正直返事をするのも惜しいぐらいに、箸が止まらない。
どれもこれも、美味すぎる。
「まあ、家っつっても寮だがな」
「へえ」
「独身寮」
「ってことは、野郎ばっかりの寮か」
「当たり前だろ」
ゾロの言葉に、サンジは両手で自分の腕を抱いて肩を竦ませた。
「男しかいねえ空間とか、耐えられねえ」
大袈裟な、と鼻で笑いながら新たに飯を掻き込む。
職業上早飯の癖がついているし、酒と飯を同時に摂取することにも頓着しない。
結果、恐ろしい速さで皿が空になっていく。

「野郎ばっかりどころか、二人部屋だぞ」
「ひえっ?」
「しかも、風呂も交替だ」
「ひえええ?」
「食堂もあるが、なかなか食える時間に戻れねえな」
そんなん、毎日が地獄じゃねえかと悲愴な顔で叫んでいる。
「そもそも一人部屋じゃないって?そんなん、自由ねえじゃん。おちおち過ごしてられねえじゃん」
「しかも、ちょくちょく抜き打ち検査がある」
「マジで?じゃ、じゃあエッチな雑誌とか置いとけなくね?」
「そもそも、そんなもん持込禁止だ」
「じゃあDVDは?」
「アホか」
「じゃあネットは?」
「お前、刑事になれねえぞ」
「ならねえよ、なりたくねえよそんなもん!」
争点はそこかと思いながら、ずずっとみそ汁を啜った。
うん、これも美味い。

「ええーもう想像だけで耐えられねえ。じゃあ、彼女とかどうすんだよ」
「いねえよ」
「あ、そう、なの?」
あ、そう・・・と一人で呟いてから、途端にニヤニヤし出した。
「そうかあ、そりゃまあそんだけ自由がねえとなかなか無理だよね。うん、そりゃ大変だなー」
「なんだその棒読み」
「いやあ、気の毒だなあと思って」
サンジはワインで喉を湿らせると、そう言えばと口を開く。
「あの、可愛い先輩ちゃんいたじゃないか。あの人ととか、いい感じじゃね?」
「てめえが知ってるモン同士、安直にくっつけようとかするな。近所のおばはんか」
ゾロの突っ込みに、ですよねーと顔を赤くして笑う。
どうやら、すでに酒に酔っているらしい。
ゾロにとっては水みたいなワインだが、サンジはいい具合に目元が赤らんで来ていた。

「てめえこそ、こんな風に誰でもホイホイ家に上げちゃあ、飯食わせてんじゃねえのか」
ゾロ的懸念事項を問い質せば、サンジはきょとんとした顔をした。
「ああ?ンな訳ねえだろ。大体、ここは男の一人住まいなんだから、気軽にレディをお誘いできるわけねえだろうが」
「そうじゃねえ」
そっちじゃねえ、ともう一度言う。
「現に、いま俺を風呂に入れて飯食わせてるじゃねえか。俺以外の野郎でも、腹空かせた奴やら行き場のない奴を泊めたりなんざ、してねえだろうな」
「してねえって、なんで俺がンなことするんだよ」
サンジはハッと軽く笑い声を立て、グラスを呷る。
「だから、ここは俺が一人暮らししてんだっての。そりゃあ、よんどころない事情で行くとこなかったり、腹減ったりしてる奴に飯くらいは食わせたこともあるぜ」
「あんのか!」
食いついたゾロに、サンジは大げさに首を竦めて見せる。
「飯ぐらいいいだろうが。けど、食ったらちゃんと追い出したし。なかなか出ていこうとしなかった奴は、蹴りだしたし」
「やっぱり、ガードが甘いんじゃねえか」
ゾロは射殺しそうな目つきで、何処の誰とも知らぬ男の顔を勝手に脳裏に思い浮かべて殺気を放った。
「だから、野郎なら別に問題ねえだろ。ほんとはレディをお誘いしたいとこだけど慎重に行動しないと、あらぬ噂が立って万が一にも傷が付いちゃいけないからな」
「お前、女専門の髪切りやってんだよな」
ゾロがワインを注ぐと、サンジはグラスを持ったままふうと息を吐いた。
「お前のそのセリフ、どっから突っ込めばいいのかわからねえ」
「俺ァいいんだ。それより、そんなに女女言ってる割になんつーか、遊んだ感じがねえな」
サンジの第一印象からして、そうだった。
やたらと女好きな言動を見せていたが、その実、行動が伴っているとは思えない。
むしろ、普通の男より奥手なんじゃないだろうか。

「お前は女が好きだろうが、相手を尊重してんだな」
ひたりと目を見つめてそう言えば、サンジは二、三度瞬きしてからじわじわと頬を赤らめた。
いったん視線を逸らし、顎を引いて「そうかな」と呟く。
「別に、普通だけど」
「そうか?」
「まあ確かに、レディは敬うべき存在だし、素敵な展開になったらいいなーってのはいっつも夢に見るけど、だからって俺の方からどうこうとか、全然しようと思わないし」
サンジはテーブルに肘を着いて、にひゃんとだらしなく笑う。
「俺の手でさ、レディがその輝きを増す訳よ。鏡の向こうで、そのままでも十分魅力的なレディが、さらに美しく生まれ変わる訳よ。この瞬間が最高に好きでさ。そんで、そんな風に綺麗になったレディが、自分が大好きな人の元に踊るように軽やかに足を運ぶ後姿がすっげえ好きで。切ないんだけどさ、その相手が俺とか、そういう展開未だにないんだけどさ。夢くらい見るさ、美容師だから」
ああ、完全に酔っ払いの戯言だ。
「この世のレディが等しく、可愛くて美しくて愛しいんだ俺は。だから、ナミさんやロビンちゃんとあーんなことやこーんなことになったらって、想像するだけでデヘヘ~って、もうそれだけで満足で」
「誰だそれは」
唐突に固有名詞が出てきて、むっとする。
「そりゃもう、綺麗で可愛くて賢い最高のレディ達さ。俺のお客様方はみんなそうなの。だから俺は、みーんな大好きで愛してるー!」
女の話をするとき、サンジの鼻の下はあり得ないほど伸びて普段とまったく人相が変わってしまう。
これもものすごい特異体質だなと、ゾロは常々感心していた。
もしかしたら、熟練の刑事でも面割は難しいかもしれない。

「とーもーかーく、そういう訳でレディとは、まだなーんもないの!」
ヘラヘラ~と笑う酔っ払いを前にして、ゾロはムムムと眉間に皺を寄せたままだ。
「問題はそっちじゃねえ、野郎だ。俺と同じように、野郎をホイホイ家に上げるんじゃねえぞと言ってる」
「だーかーら、野郎は知らねえっての。野郎なんてどーでもいいの」
「腹減ってたら、こうして飯食わせるんだろうが」
「そりゃ、腹減ってたら見過ごせねえ」
「そいで、風呂に入れたり」
「それはねえ」
「部屋に上がらせたり」
「それもねえって」
ほんとか?と更に追及する。
ゾロはしつこい。
さっぱりと見えて意外と粘着質で根気強い性格は、職業上大いに役に立ってはいる。

「ほんとだってば、風呂まで使わせたのてめえが初めてだ」
「シャツを貸したのも?」
それはわかっていて、わざと聞いた。
サンジは大まじめな顔でうんうんと頷いているが、酔いが回っているせいか動きが緩慢でじゃっかん傾いている。
「シャツ、じじいのー…だけど」
「大事なじいさんのシャツ、借りて悪いな」
「…いいって、ことよー」
彼シャツならぬじじシャツなら、まあいいだろう。

酔っ払いを問い詰めている間に、料理を平らげてしまった。
酒の量はゾロ的には全然足らないが、いきなり押し掛けた人の家でさらに要求するのはさすがに厚かましい。
「ご馳走さん、そろそろ失礼する」
「へ、え、もうそんな時間?」
時計を見れば、23時を過ぎている。
そもそも美容室に来た時間が遅かった。

「お前、時間内に来た試しないもんな」
文句を言うと見せかけて、サンジはニヤンと笑った。
「でも、わざとだろ?うちレディ専門店だもん。野郎のお前が客として来てるって見られたら、他にしめしつかねえもんな」
実際、ゾロは定期的に散髪する癖もないので毎回時間外だったのは偶然だった。
が、いい方に解釈してくれるなら特に訂正することもない。
「まあ、そんなもんだ」
ゾロはシャツのボタンを外し掛けて、手を止めた。
「俺の背広は?」
「洗って干してある。明日休みなんだろ、うちに置いとけば」
そこまで言って、サンジは視線を逸らしながらボソッと呟いた。
「俺も明日は定休日だし」
「そうなのか」

しばし、沈黙が流れる。
ゾロがじっと時計を見つめているので、サンジは試しに口を開いた。
「もしかして、寮だから門限とかあんの?」
「ある」
「それに遅れたら、入れてもらえねえとか」
「入れてもらえねえわけじゃねえが…無断外泊より一言連絡を入れときゃあ…」
そう言ってテーブルに置きっぱなしだったスマホを手に取り、改めてサンジの顔を見た。
相変わらず赤い顔をして、不自然なほどにそっぽを向いている。
それならこっちも、良い方向に解釈させてもらおう。
ゾロはスマホを手にして、いったん部屋の外に出た。






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