B.B.Bは本日定休日です。
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「今夜決めなきゃ、いけねえような気がするんです」
切羽詰まった感を滲ませた声で静かに訴えれば、先輩はただ一言「わかった」と答えて通話を切ってくれた。
多くを語らずとも、了解してくれたらしい。

スマホを片手に軽くガッツポーズをしてから、何食わぬ顔で居間へと戻る。
先ほど赤い顔をしてふらふらしていたサンジは、こちらに背を向けて洗いものに勤しんでいた。
仕事中でもそうだが、どんなにおちゃらけていても何かに向かう時は真摯に、ピンと背筋を伸ばして臨んでいる気がする。
ゾロが惹かれるのは、そんな部分もあるのかもしれない。

「代わろう」
ゾロはそう言いながら、サンジの肩先を掠めるように身を乗り出した。
と、サンジが反射的に肩を竦め一歩下がる。
「え、や、いいよ」
「洗うぐらいできる、官舎でいつもやってるからな」
皿は割らないぞと念を押すと、サンジはやはりほのかに頬を赤らめながら「そんな心配してねえけど」とぼそぼそと呟いた。
「いいから、お前も風呂入って来い。オーバーワークで疲れてるだろうが」
単に気遣っただけだが、サンジの頬が目に見えて赤く染まった。
「そ、うだな」
あまりのぎこちなさに、ゾロの動きも自然とぎくしゃくしてしまう。
他意はない。
他意はないのだ。

「洗い籠に、伏せといてくれればいいから」
そう言い残し、サンジはふらつく足取りで風呂場へと向かった。




ゾロ基準でとても丁寧に皿を洗い、シンク周りも綺麗に掃除して風呂から上がるサンジを待った。
が、一向に上がってくる気配がない。
随分な長風呂だなと訝りつつ、もしかすると念入りに洗っているのかもしれないと勝手に想像して脳みそが沸騰しそうになって、無闇矢鱈と冷蔵庫ドアの開け閉めを繰り返した。
何度開けてもビールが入っていないので、仕方なく甘いワイン瓶をもう一本開ける。
飲んででもいないと、大人しく待っていられない。

ちびちびと飲んでいたつもりが、あっという間に空になってしまった。
これはいくらなんでも時間がかかりすぎだと、ゾロは思い切って席を立った。

「おい」
声を掛けると同時に風呂場の引き戸を開けると、「ふぎゃっ?!」と声を上げて、サンジが浴槽の中でしゃがんだ。
ぱしゃんと、水飛沫が跳ねる。
「な、なんだよいきなり!」
「悪い。つか、大丈夫か?」
あんまり長風呂だから心配になったのだと正直に告げれば、サンジは顔だけ湯船から出して上目遣いに睨む。
「別に、長くねえよ。お前が烏の行水過ぎんだよ。俺ァいっつも、こんくらいだ」
「そうか」
ずっと扉を開けたまま話しているので、立ち込めた湯気が居間の方へと流れ出て行った。
「顔、赤ェぞ」
「いいから、とっととドア閉めろ」
サンジは膝立ちになって浴槽から身を乗り出したが、ふらつきでもしたか湯船に付けていた肘が滑ってバランスを崩す。
「危ねえ」
ゾロは咄嗟に手を伸ばし、腕を掴んで引き上げた。
飛沫と共に、薄桃に色付いた濡れた乳首が目に飛び込んできた。
なんの変哲もないただの男の乳首のはずなのに、なんとも眩しく見てはいけないものを目にした背徳感に襲われる。
「だいじょう・・・ぶ」
ゾロが乳首に気を取られている間に、サンジの頭がゆっくりとゾロの腕の中へと倒れ込んできた。



どうやら、湯中たりしたらしい。
顔を真っ赤にして浅い呼吸を繰り返すサンジを抱き上げ、風呂場から連れ出した。
脱衣所の床が水浸しになったのに気づき、掛けてあったバスタオルでサンジの身体を包む。
そのまま肩に担ぎ上げ、居間のソファにそっとおろした。

「大丈夫か?」
意識までは飛ばしていないようで、薄目を開いてふうふうと息を継いでいる。
冷蔵庫のミネラルウォーターを口元に当ててやると、啄むみたいに口をつけてこくんと飲んだ。
「頭、ガンガンする」
「ようく、水分摂れ」
濡れた髪を、タオルでゴシゴシと拭ってやった。
「やめ、ろ…髪が傷む」
「どうすりゃいいんだ」
側にしゃがんで困り顔をするゾロに、サンジは甘えるように頬を寄せた。
「擦すらねえで、こう、タオルで挟んで、ポンポンと軽く、叩くように」
サンジに言われたとおり、髪の一房一房を律儀にタオルで挟んで大きな手でポンポンと叩く。
確かに、ゾロの髪と違って絹糸のように滑らかだ。
商売道具でもあるのだから、大切に扱わないといけない。

生来、生真面目なゾロは言われた通りに丁寧にサンジの髪を拭った。
頭皮を軽く擦ってやれば、気持ちよさそうの目を閉じている。
「悪いな、せっかく泊まってくってのに」
「気にすんな、こっちが勝手に押し掛けてるだけだ」
それにしても長風呂だぞと、こめかみを拭って巻いた眉尻をなぞった。
どこかうっとりとした表情で、サンジが瞼を開く。

「いろいろ、考えちまって」
「そうか?」
ゾロの顔が近い場所にあるので、サンジは少し臆したように瞬きをした。
睫毛も淡い、金色だ。

「いろいろ、お前は考えなかったか?」
逆に問われ、ゾロはいったん黙ってから口を開いた。
「考えた」
それはもう、いろいろと考えた。

「お前が風呂に入っている間、ずっと考えてて。考えてても仕方ねえから、押し入った」
「押し入ったんだ…」
サンジは仰向きで寝そべったまま、軽く笑った。
「押し入られちゃった」
「嫌か?」
ひったりと、サンジの目を見つめながら問う。
サンジはいったん目を逸らし、しばらく視線を彷徨わせてからゾロを見返した。
「そういうこと、聞くな」

それならばと、ゾロは黙ってサンジの唇に顔を寄せた。








目が覚めた時、ホテルにでもいるのかなと思った。
清潔で柔らかなシーツと、馨しい匂いのせいだ。
ゾロの日常には縁がなく店に足を踏み入れた時にだけ香るそれは、なんとはなしに特別感を与えてくれる。
そんな匂いを漂わせる室内で、柔らかな絹糸を思わせる金髪が肩を覆うように流れている。
「…お」
ゾロの腕枕で首を傾け、じっと見つめているサンジと目が合ってしまった。
「起きてたのか」
「ようやく、起きたか」
ゾロの胸の上には、所在なさげにぎゅっと握りしめた拳があった。
どうやら、とっくに目覚めていたのに起きるに起きられなかったらしい。
「飯の支度とかしたかったのに、てめえの腕、重いし。抜け出ようとすっと逆に力入れてくんだぜ。ほんとに寝てたのか?わざとか?」
ゾロ的にはまったく覚えがないので、ふるふると首を振る。
「いやー、よく寝てた」
「人を抱き枕みてえに。ああもう、首痛ぇ」
どうやらガッチリとホールドされた状態だったらしく、緩めたゾロの腕の中からするりと抜け出し肘を回す。
白い肌が目に眩しい。

床に転がっていたスマホに手を伸ばした。
恐る恐る開けば、特に連絡は入っていなくてホッとする。
時間は九時を少し、回ったぐらいだ。
「今日は店、休みだろうが」
もうちょっとゆっくりしようぜと、手を伸ばす。
手首を掴まれ、サンジはたやすく引き戻された。
床に落とされていたバスタオルを拾い、湿気てると文句を言いつつ身体に巻き付ける。
「でも、朝飯くらい」
「腹減ってんのか?」
「そうでも、ないけど」
なにかを思い出したように、両手で腹を抑えて眉尻を下げた。
「…まだなんか、腹いっぱい」
その仕種にキュンと来て、思わず乱暴に抱き寄せてしまう。

「ばかばかばか、待て」
「お前が待てよ、ちょっと落ち着け」
「お前がな」
引き寄せるゾロの手に抗ってしばらくジタバタしていたが、諦めたのかサンジの方からハグしてきた。
そうするとゾロも無駄に力を籠めないので、自然と動きが緩む。
大の男が二人して、ベッドの上で裸で抱き合ってじっとしているのはシュールな光景だろう。
「じゃあ、もうちょっと」
「うむ」
このうえ、さらに不埒なことをしようと思っているわけではないのだ。
だが離れがたく、せめてもう少しサンジの体温を感じて、この匂いに満たされていたかった。
平和で幸せに満ちた、二人だけの時間を―――――


チャララーン、チャララー♪

往年の刑事もののBGMに静寂が打ち破られる。
ゾロはサンジを抱き締めたまま「ああああああー」と声に出して嘆息した。
サンジも事態を察して、こちらは軽く笑い声を立てる。
「ほら電話だ、出ろ早く」
追い立てるサンジを恨めしそうに見やり、ゾロはスマホに手を伸ばした。

「はいロロノア、はい、はい」
肩口に挟んで応答しながら、床に散らばっていた下着を拾う。
履きながら洗面所へ行き、乾燥機に入れっぱなしだったシャツとスラックスを身に着けた。
「はい、了解しました」
通話を終えた頃には、身支度は済んでいた。

「悪い」
皺くちゃのスーツで振り返るゾロに、サンジはベッドに寝そべったまま苦笑した。
「せっかく男前に仕上げてやったのに、台無しだ」
「また今度な」
「朝飯も、まだなのに」
玄関で靴を履いて、立ち上がってから「あ」と腰に手を当てる。
「パンツ、じいさんのだ」
「それかよ、そこかよ」
サンジはシーツを巻き付けて、ミノムシみたいな恰好で見送りに来た。
シーツの中で、長い前髪は丸まってぼさぼさだ。
「いつでも返しに来いよ、今日は俺休みだし」
「今日中に、片が付かなかったら?」
「別に、いつでも」
明日でも明後日でも、昼でも夜でも。

「とりあえず今日は、定休日だからな」
念押ししたサンジの、シーツに包まれた頭を掴んで顔を寄せた。
乱暴に口付けてから、離れる。
「できるだけ今日中に、片を付ける!」
一方的に宣言して、家を飛び出した。

振り返れば、サンジは窓辺で煙草を吹かしながら気だるげに見送っている。
――――やっぱりあいつは、一人で放っておいちゃなんねえ。
ゾロは決意を新たにし、まずは仕事を片付けるべく全速力で駆け出した。




End