B.B.Bは本日定休日です。
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報告書を提出し終え、ゾロは廊下に出て大きく伸びをした。
事件が解決したのはいいが、その後の書類作成がいつも面倒だ。
一日中歩き回って聞き込みに励むのはまったく苦ではないのに、人に理解してもらえる文章を頭からひねり出すのは苦痛でしかない。

ぐるぐると肩を回しながら、ふと窓に映った自分の姿を見る。
最近、やけにめかし込んでるなと同僚から冷やかされたばかりだ。
ゾロ自身は特に何かを変えたつもりはないが、美容院で髪を切るようになってから少し印象が変わったようだ。
そもそもそこの美容師はズケズケとした物言いで口が悪く、足癖も悪い。
やれマメに風呂に入れだの、ワイシャツのサイズが合ってないだの、たまには違う色の服を着ろだの、ゾロにとってどうでもいいことでしょっちゅう小言を並べ立てる。
反論するのも面倒なので言う通りに従っていたら、周囲からの誘いが増えた。
どうやら、見た目がいい感じに変ったらしい。
ゾロにはまったく、自覚がないのだけれど。

「そういや、ちと伸びたな」
そろそろ切りに行こうかと思っていたところで事件が起き、帳場が立った。
それからろくに自宅にも帰らない日々が続いていたから、髪は伸び放題だし無精髭も浮いている。
ここらで、さっぱりするのがいいだろう。
思い立ったが吉とばかりに、ゾロはそのまま直帰した。


時刻は夜八時を過ぎた頃だ。何時まで営業か知らないが、もう閉店しているだろうか。
遠目から見て灯りを落としていたなら諦めると、ダメ元で足を運んだ。
ブラインドは降ろされているが、店内に灯りはまだ点いている。
未練がましく近寄ると、不意にドアが開いた。

「ご無沙汰じゃねえか」
咥え煙草で顔を出したのは、件の美容師・サンジだ。
どうやら、ゾロの様子を中から見ていたらしい。
「おう、もう店仕舞いか?」
「この、COLSEってえ文字が目に入らねえか」
ドアノブに提げた看板を指し示しつつも、扉を押さえて道を空ける。
ゾロは遠慮なく店内に入った。

一歩足を踏み入れると、何とも言えぬいい匂いが鼻孔を擽る。
ゾロがこの店に来るのは大抵店じまいした後が多いが、暖色系の灯りは室内を柔らかく照らし、匂いと相まってくつろげる雰囲気を形作っている。
香水や人工的な香りは苦手なゾロだが、この店の匂いは好きだった。
それにサンジからは、かすかに煙草の匂いもする。
「店は禁煙じゃねえのか?」
「だから、火を点けてねえよ。これは禁煙用」
煙草を指で挟んで、ゾロに挑むように顔を近づけた。
うっと声を出して鼻先を手で覆い、眉を顰める。
「おい、まさか風呂入ってねえんじゃねえだろうな」
「入ったぞ、先週」
「風呂は毎日入るもんだ!」
臭えんだよと文句を言いつつ、ゾロが脱いだ上着をすかさず受け取りハンガーに吊ってから消臭スプレーを掛ける。
ついでにゾロ本体にも遠慮なく吹き掛けて、椅子に座るよう促した。
「もう、店は終わってんだろ?」
「お前が営業時間内に来たことあったか?いつだって休日やら駆け込みやらで、まともに客としてきたことないくせに」
ゾロの髪を乱暴に掻き混ぜて、「伸びたなー」と呟いた。
その目つきがもうプロのものになっているので、ゾロはそのまま背もたれに体を預ける。
「じゃあ、任せた」
「言っとくが、寝るなよ?」
サンジはそう念押ししつつ、ケープを被せてくるりと椅子を回転させた。
そのまま背もたれを倒されて仰向けになる。
適度に温かいシャワーで髪を洗い流され、地肌をマッサージされては堪らない。
心地よさに抗えるはずもなく、コンマ数秒で眠りに落ちた。

「ッたく、寝るなっての。はい、はい終了―。起きて―」
乱暴に頭から引き上げられ、軽く頬を叩かれる。
いつの間にか洗髪は終わったようで、目の前の鏡にはタオルを巻いて寝惚け眼の間抜けな自分が映っていた。
ガシガシと強めに髪を拭われ、それもまた気持ち良くてつい舟を漕ぐ。
「カットの間でだけでも起きてろって。・・・ったく、しょうがねえなあ」
ショキショキショキと、軽やかなリズムで心地よい音が耳元を過ぎる。
頭皮をなぞる冷たい指、居眠りをたしなめる声、鼻孔を擽るサンジの匂い。
「疲れてんだなァ」
独り言が、甘く耳を打った。
徹夜や寝不足に慣れてはいるが、この空間の心地よさには到底勝てる気がしなかった。
自分でもこれほど無防備に他人の前で寝落ちすることが信じがたい。
が、なぜか抗えないのだ。

一度深く眠り、ぱちりと目を覚ました。
サンジがケープを取り去り、肩を払っているところだった。
「んァ?寝てたか?」
「寝てたよ、ずっと」
笑いながら、後ろからゾロの頬を両手で挟んで引き上げる。
「どうだ?」
「…ああ、いいんじゃねえか?」
目の前の鏡には、まだ半眼ながら、すっきりとした顔が映っている。
単純に髪を切っただけではない、どこがどうとかは言えないがとにかく全体的に〝いい感じ〟だ。

「ちゃんとしてりゃ、見てくれだけはそこそこなんだぜお前」
「見てくれだけか?」
「俺の次に、だがな」
サンジは再び火が点いていない煙草を咥えて、床に散らかった髪をモップで?き寄せた。
「金曜だったかに、犯人逮捕されたんだろ?土曜日も仕事か?」
「よく知ってるな」
「俺だって一応、ニュースとか見るし…」
手を止めて、睨むようにねめつける。
「別に、気にしてた訳じゃねえからな」
「お、おう」
何も言ってねえのにと思いつつ、そこは突っ込まないことにする。
「書類が溜まってた」
「へえ、聞き込みとか、犯人追っかけるだけじゃねえの」
「どっちかってえと、事務仕事のが多いぞ。そして俺はそれが不得手だ」
「なんかわかるー」
明らかにバカにされた感でヘラヘラ笑われたが、不思議と腹は立たなかった。

「それで土曜日も休日出勤か、ご苦労さん」
「明日は久しぶりに休みだ」
ゾロは大きく伸びをして、「さて」と立ち上がった。
「どっかで飯食って寝る」
「まだ食ってねえのか?」
サンジはモップを片付けながら、振り返る。
「今までずっと書類と格闘してたんだよ」
すっきりと刈り上げられた襟足をガシガシとかいた。
「まあ、面倒臭エから酒だけかっくらってもいいが」
「ダメだぞ!」
いきなり強い口調で言われ、面食らった。
「すきっ腹に酒流し込むとか、どうせ今までだって忙しいからってろくに飯食ってなかったんだろ?」
「お、おう」
剣幕に押され、素直に頷く。

「仕出し弁当とか麺類とか、五分で掻き込んでた」
「そんなんで、そのガタイが持つかっての!」
サンジはなぜか腹立たし気に吐き捨て、「よし!」と勝手に頷いた。
「余りモンしかねえが、俺も今から飯食うんだ。うちで食ってけ!」
「ああ?てめえ料理もすんのか」
「趣味の範囲だがな、玄人はだしだと言われてんだぜ」
得意げに鼻を膨らませるサンジに、ゾロは頷き返す。
「確かに、器用そうではある」
「だろ?俺に任せとけっての」
時間外に髪を切ってもらった上、飯まで作ってもらう流れになってしまった。

本来なら厚かましい展開だと遠慮するところだが、サンジの表情が嬉しそうなので無下に断る気にもなれない。
「じゃあ、食う」
「じゃあってなんだよじゃあって。そもそもお前臭エんだよ、ついでにシャワーして来い」
成り行きで、風呂まで借りることになってしまった。

店舗の二階が住居スペースになっていて、サンジはそこに一人で住んでいた。
きちんと片付けられてはいるが、ごちゃごちゃと物が多い部屋だ。
「ほんとに一人で暮らしてんのか?」
「ああ?なんだよ、人の部屋じろじろ見んなよ」
家に上げておいて、サンジはゾロの視線から守るようにキッチンを背にして手を広げたりする。
「いや、食器とかフライパン?とか、なんか調理器具多いじゃねえか」
「だから、俺は料理が趣味だっての。作るのが好きだし、食わせるのも好きなんだ」
美容師として立ち働いている以外にも、飯を作って食わせるのが趣味だというのか。
なんとも勤勉なことこの上ない。
ゾロだって刑事として一般の企業よりはプライベートな部分を削って働いているが、サンジのそれとはまた質が違う気がする。
なんというか、こいつはとても甲斐甲斐しい。
「ほら、こっちが風呂だ。湯を張ってもいいけど、お前の後の風呂には俺は入りたくないからな」
「ばい菌扱いするな」
「もう一度聞くぞ」
サンジは顔の前で人差し指を立てて、じっとゾロを見つめる。
身長が同じくらいだから、目線も同じだ。
「お前が、最後に風呂に入った…いや、シャワー浴びたのは、いつだ?」
「先週の金曜」
「今日は土曜日です、昨日じゃなくて先週の金曜日…ね」
はいアウトー!とひときわ大きな声を上げ、脱衣所に向かってゾロを蹴り飛ばした。

「あっぶねえなあ」
危うく風呂場の引き戸にぶつかりそうになるのを踏みとどまる。
乱暴に音を立てて締められたドアに背を向け、いそいそと服を脱いだ。
シャワーを浴びた後またこの服を着るのだから同じことだろうと思いつつ、脱衣籠に入れる。
洗面所の棚にも、なにやらわからない瓶が並んでいた。
職業柄か、こじゃれた雰囲気の鏡面の脇にはあひるの玩具まである。
「子どもか」
一人暮らしだと言っていたが、いろいろと物が置いてある様を見るとなんだか賑やかだ。
ゾロも一人暮らしだが、極力物を置かないので部屋の中も殺風景だった。
置いてあるものが多くても掃除は行き届いていて、浴室も綺麗だった。
他人の家に上がってあれこれと詮索するのは行儀が良いとは言えないが、刑事の職業病のようなものだ。
環境や状況からつい、人物像や背景を推察してしまう。

――――仕事ぶりから見るに、職人肌だな。
なんでも突き詰めるととことんまで極めるタイプか…
シャワーを浴びながら、ざっと身体を洗い流す。

硝子戸の向こうで、ドアが開く音がした。
「よしよし、ちゃんと洗ってるか」
サンジのシルエットが見えた。
手に何か持っているようだ。
「この臭エ服は洗濯しろ、俺の服を貸してやる」
「サイズ、合うか?」
「身長同じくらいだろ」
身長は同じでも体格が違うだろうが…と言いかけたがやめた。
確かに、ここまでさっぱりしてまたあの汗みずくな服を着る気にはなれない。
「これ洗えるスーツじゃねえか」
「洗えるのか?」
「ああ、安もんだから大丈夫だろ」
事実なので、言い返さない。
――――甲斐甲斐しい、世話焼きタイプだ。

そもそも、サンジと出会ったのもある事件がきっかけだったが、その時すでに度を越したお人好しであることは分かった。
口も足癖も悪いが、性格は悪くない。
むしろ良すぎて心配になるぐらいだ。
さっきだって、料理を作るのも食わせるのも好きだと言っていた。
ということは、こんな風に他人を家に上げて飯を食わせることが結構あるんじゃないだろうか。
自分のように何度か客として利用してある程度気心の知れた相手ならともかく、ろくに親しくもない野郎だって、もしかしたら腹が減ってるなら…とかなんとか理由があれば家に上げて飯を食わせるかもしれない。
そんなことを考えていたら、落ち着かなくなった。
なんというか、危なっかしくて目が離せない。
「こりゃ、いけねえ」
ゾロは石鹸をシャワーで洗い流すと、浴室から出ていった。


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