Miracle baby 1




サンジは、腕を組んだまま、もう長いこと同じ姿勢で固まっていた。

視線の先は膝に置いた小さな白い棒。
中ほどに丸窓が開いていて1本縦に赤い筋が入っている。
それはもうくっきりと。
説明書どおりならば、これはビンゴのサインだ。

――――まさか、な。
サンジは馬鹿馬鹿しさにうすら笑いを浮かべ、それでもはっと目を見開き、眉間に皺を寄せてむうと考え込むと言った動作を、さっきから繰り返している。









最近バラティエから届く手紙の大半をパティが占めるようになった。
なんと恐ろしいことに、パティは新婚さんなのだ。
しかもできちゃった婚だというから、犯罪である。
サンジが側にいたらぼこぼこに蹴り倒して海に沈めるところだが、同封された写真の中でいかつい男の隣に立つあまりに不釣合いな美女は幸福そうに笑っている。
サンジは罵詈雑言の限りを尽くした返事を書いたものだ。

ともかく、それからずっとパティから定期的に便りが届く。
内容はまるで妊娠日記のようにあったことをそのまま忠実に書き綴ってある。
量はあるけど中身のない文章ばかりだ。
それでも喜びを隠し切れないパティにサンジからも心からの祝福をもって、つわりの時の食事とか、栄養バランスとか、ぜフがいるから必要ないだろう情報をこと細かくしたためては律儀に返事を出していた。

そのうちふと、サンジは気付いてしまった。
パティから送られて来る妊婦日記のその中身。
例えば、それまで朝は強い方だったのに急に寝起きが悪くなったとか。
起き抜けは気分が悪いとか。
やたらと眠いとか。
今までそう好きでなかったものを無性に食べたくなるとか。
炊き上がったご飯の湯気と匂いで吐き気を催すとか・・・

あれ?

サンジはひょいと首を傾げて、あらためて残してあった手紙の束を開く。
なんだか身体がだるくて微熱が続く。
空腹時に気持ち悪くなる。
好きだったものが、そう好きでなくなったりする。

サンジは口元を抑えた。
あれほどヘビースモーカーだったのに、最近煙草の本数が減ってきている。
それほど吸いたいとも思わないのだ。
それよりともかくナミのみかんの木が気になって仕方がない。
勝手に手を出しちゃダメだとわかっているがどうにも我慢できなくなると、みかんの木の下に座ってその香りを嗅ぐと妙に落ち着いたりして―――――

それよりなにより、サンジには切実な悩みがあった。
なんだか最近下腹が出てきた気がする――――

思い当たるフシがないこともない。
と言うか、もし自分がレディだったらもう確実に妊娠してるだろうと推測されるほど中出しされている。
誰って、緑頭のクソ腹巻に。



でもだからと言って正真正銘男な自分が妊娠するとは考えられない。
ありえない話だが、どうも身体がだるいというか不調と言うか・・・
なによりその気に全然ならなくて、最近はゾロの誘いも邪険にあしらっているのだ。

・・・これって防衛本能?
まさかなと自嘲しつつ、サンジは真顔で手紙を読み返した。




そして久しぶりの上陸と共にゾロから逃れるように街の中に消え、薬局に飛び込んだ。
確か尿をかけるだけで検査できるキットがあったはずだ。
誰も聞いてないのに「いや〜彼女がねえ」なんて独り言を言いながら素早く代金を払う。
早々にチェックインしたホテルの部屋に戻りトイレで済ませて、さて僅か1分の睨めっこ。
見る見るうちにくっきりと赤い線を浮かび上がらせた。

「う、そ―――――」
後はただ声もなく現在に至る。














「マジ、かよ。」
何度目かの溜息をついてサンジは検査試薬を手に取った。
さっきから何度見てもひっくり返しても逆さに振ってみても、ビンゴはビンゴだ。
ただし、100%妊娠を確定するものではありません。
それに、男性にも有効とは書いてないよな。
冗談半分で試してみただけなのに、こうクリアに表示されるとシャレにならない。
そもそも男の俺が妊娠ってどうよ。
どこにできんだよ。
どっから産むんだよ。
どこに入って誰と授精したんだよ!
ありえない可能性を次々と打ち消してその度一人ではははと笑う。
さっきからまるっきり怪しい人だ。

ともかくこのままじゃ埒が明かない。
本来は病院に行って白黒はっきりつけたいところだが、男の自分が産婦人科に行くのもどうかと思う。
もっと順当に考えるなら、まず船医であるチョッパーに相談すべきだが、仲間内で実は妊娠したかも。
しかも・・・相手はゾロかも。
なんて言える訳がない。
そもそも男に妊娠があり得るか。
もしかして、想像妊娠ってやつじゃないのか?
パンダでもするっていうし、それなら男の俺がしたっておかしくはない。
おかしくはないが、想像妊娠してしまうほど妊娠を望んでいた訳ではない。
そーだよ、まさか妊娠するなんてこれっぽっちも思ってなかった。
それがどーしてこんな症状が出るんだよ。

もしかすっと妊娠の初期症状に似た別の病気かもしれない。
それなら尚の事、早めにチョッパーに相談しなければ後できっと涙目で怒られることになる。
そう、わかっているのにサンジは言い出させなかった。





もう日が暮れて薄暗い部屋の中で、サンジは灯りもつけずただうんうん悩んでいた。
考えてどうなるものでもないが、考えるよりほかに手がない。
うーとかあーとか意味不明に唸っていたら、いきなりだだだんっと乱暴にドアを叩く音がした。
驚いて飛び上がって、それから腹の子に悪いじゃねえかと内心で毒づく。
・・・って、腹に子がいるのかよ。
セルフ突っ込みしながら戸口に近づいた。



「誰だ。」
「俺だ。」
普段より一層低い声。扉の向こうに機嫌の悪い魔獣がいる。
サンジはちっと舌打ちして後退った。
「島に降りてまでくっついてくるんじゃねえよ。」
「うっせー、ここ開けろ。」
冗談じゃない。
今自分はそれどころじゃないのだ。
「うぜえのはてめえだ。あっち行け。」
やや子供じみた口調で言い返した。
なんせもう、ここのところなにかと苛ついて仕方がない。
ゾロだけじゃなくルフィやウソップにまで喧嘩を売ってしまう有様だ。

「てめえ・・・」
なんだかドア方面の空気がぴりぴりする、と思ったらどごんと一瞬ドアが撓り、心許ない動きで開いてしまった。
・・・壊すなよ。
サンジは無意識に腹を抱えてさらに後ろに下がる。
頭から湯気でも出そうなほど、見た目にわかりやすい怒りの形相をしたゾロがのっそりと入って来た。

「来るなっつったぞこのボケ!人の部屋無断で入るなっクソ野郎。」
「なにが気にいらねえんだ。」
ぐるぐると喉を鳴らすようにゾロが唸った。
歪めた口の端から犬歯が覗いていて、余計に獣っぽい。
「そっちこそ、なんだその不機嫌バリバリのオーラは。もしかして、なにか?剣豪様は溜まってらっしゃるのか?ならプロのお姉さまのところへお願いに行け!」
サンジはポケットを弄って煙草を取り出した。
別に吸いたい訳ではないが、なにかしないと落ち着かない。
「ざけてんじゃねえぞクソコック。人の顔見ちゃあこそこそ逃げ回りやがって。今更ケツ捲くってなしってことにするんじゃねえだろうな。」
ぎらぎらと三白眼を光らせて迫るゾロは凶悪面だ。
胎教に悪いんじゃないかとちらりと思ってしまう。

「なかったこと?はっ、それもいいかもな。」
煙草を咥えようとした手を掴まれて、そのままくるりと身体ごと反転させられた。
落とされるかと思わずしがみ付いたがそのままベッドに放り投げられる。
――――スプリングがきいててよかった。
シーツに埋もれてほっとしたのも束の間、ゾロが上から圧し掛かってきた。
慌てて顔を逸らせて身体を捻る。
逃げるサンジの顔を追ってゾロは足の上に膝を置いて身体を押さえつけた。
嫌がる素振りの割に抵抗がないことを訝しく思う。

「・・・どうした?」
「うっせ、どけ!」
今無理矢理やられたら流産しちまうかもしれない。
本気でそう考えて、そんな自分がおかしてくしかたなかった。
男が妊娠なんて、するはずないのに。

ゾロに組み敷かれたままサンジは軽い笑い声を立てて、それからくう、と顔を歪めた。
ぎゅっと閉じた瞼から見る見るうちに涙が盛り上がる。
「・・・なんだ、てめ・・・」
ぎょっとして絶句するゾロに押さえつけられたままサンジはう〜〜〜と唇を戦慄かせて唸った。

「やっぱてめー、俺の身体だけが目当てなんだ。やりてえだけなんだ。俺のことなんか、どーでもいーんだ。」
いきなりキレながらなくサンジに毒気を抜かれる。
「てめ、なに言って・・・」
「俺のケツ穴がいいだけだろ。突っ込めりゃなんでもいいのかこのエロマリモ。俺のことなんかちっとも・・・」
ひくっとしゃくりあげた。
後から後から流れる涙が止まらない。
「俺の都合なんかどうだっていいんだ〜〜〜」

とうとう絶叫して泣き出した。
わあわあ声を上げて泣くサンジの姿に、ゾロは呆気にとられて声も掛けられない。
仕方なく押さえつけていた手を離して身体を起こした。
「なんだってんだ。てめえ。」
向かい合わせに腰を下ろして胡座をかいた。
それでもサンジは泣きやまない。
ベッドに突っ伏して駄々をこねる子供のようにただ泣き喚く。
「てめーなんか、大嫌いだ〜っ、馬鹿野郎、クソ野郎、エロ剣士、精力魔獣〜〜っ」
えぐえぐとシーツに顔を擦り付け、髪を振り乱してまた突っ伏す。
かと思うと真っ赤になった顔をきっと上げて、手元の時計をゾロに向かって投げつけた。
「うわ、なにすんだ。」
「うっせ、出てけ!出てけったら、出てけ―――――っ」
完璧にヒステリー状態である。
仰天したゾロはそれでも暴れるサンジの手を取って身体ごと抱きかかえた。
宥めるように背中をさする。
「う、うわっ、放せ」
「わかった。わかったから落ち着け!」
「乱暴するなっ、痛いことするなあ」
抱きしめた途端、今度はしがみ付くみたいに見を身をちぢこませている。
一体これは、なんなんだ。
当惑するゾロに、サンジは顔だけ上げて睨み付ける。
けれどその眼からまた新たな涙が盛り上がって。
「で、出てってくれ。頼む。頼む、ゾロ。」
ぽろぽろと泣きながら、今度は懇願する。
その様がなんだか愛しくて胸にきて、抱きしめる腕に力を込めるのに、サンジはただ魘されるように「出て行け」と繰り返すばかりだ。
ゾロは観念してサンジから身体を離した。
その胸を軽く突き飛ばしてサンジはベッドに倒れ付すとまたわあわあと身も世もなく泣いた。

「一体どうしちまったんだ、てめえ。」
とにかく今のサンジの状態は尋常ではない。
なにか悪いものでも食べたのかもしれない。
ゾロは部屋を見回して、テーブルの上に見慣れないモノを見つけた。
――――なんだこりゃ。
サンジはうつ伏せに泣くばかりで気付かない。
さっと腹巻にそれを仕舞って踵を返した。

「今日のところは、帰る。けど俺は、てめえを諦めたわけじゃねえからな。」
そう言って壊れた扉を開けて、思い出したように立ち止まった。
「言っとくけど、てめえの身体をじゃねえぞ。てめえ丸ごと、だぞ。間違えんな。」
聞いているのかいないのか。
シーツの間に見える金色の頭に噛んで含めるようにゆっくりと言い聞かせて扉を閉めた。





次第に遠退いていく足音を聞きながら、サンジは一人ひく、ひく、としゃっくりを繰り返している。
なんて醜態だ。
まるで子供のように泣き喚いてしまった。
途中から冷静に見ている自分がいたのに、実際には感情を抑えきれなかった。
どうかしてる。こんなの、いつもの俺じゃない。
情緒不安定ってやつかもしれないが、こんなことははじめてだ。

――――みっともねえ。
これから益々、ゾロの前で、どんな顔をしていいかわからなくなってしまった。
情けなくてまた涙が溢れる。
ごしごしと目を擦り、鼻を噛んで顔を洗った。
泣き喚きすぎて気持ちが悪い。

トイレに駆け込んでまた吐いた。
そうでなくても食欲がわかなくて殆ど何も食べられないのに、それ以上に吐いてしまう。
食べ物を粗末にするようで嘔吐自体が許せないのだが、出てしまうものは仕方がない。
それもこれも妊娠のせいならば・・・
どうしよう。
少し落ち着いて、サンジの思考はまた堂々巡りをはじめた。




もしも、もしも妊娠していたら――――
サンジはほんの少しぽっこりとした腹を撫でた。
堕ろすんなら、早いうちのがいいんだよな。
あんまり育ちすぎると堕胎もできないと聞いたことがある。
けれど・・・
堕ろしたくねえ。

せっかく宿った命だ。
男の身で子供を授かるなんて、こんな奇跡めったにあるもんじゃない。
もしも本当に妊娠したのなら、産みたい。
ゾロの子を、殺す訳にはいかねえもんよ。

ゾロの子、と思うだけでサンジの胸はじわりと暖かくなった。
ゾロの子。
ゾロに似て、緑頭かもしれない。
腹の中でも寝てばっかりかもしれない。
揃いで腹巻なんかも、させるのかな。
そう考えると今度は嬉しくて堪らなくなった。
経験したことのない、身悶えしたくなるような幸福感。
だがすぐにそれも次に浮かんだイメージで覆される。

けれど、ゾロは子供なんて望んでねえ。
ゾロが望むのは世界一の剣豪の座だ。
強さを求めるのに、愛や家族は不用だ。
それどころか足手まといになる。
ゾロに世俗の情なんて必要ねえ。
あいつの枷にはなりたくねえ。

けれど、なかったことになんかできない。
ゾロの子なら、欲しい。




ゾロに、言う訳にはいかねえ。
このままGM号で旅を続けるのも無理だろう。
みんなに迷惑を掛けたくはない。

サンジは涙を拭いて立ち上がった。
荷物をまとめて所持金を確かめる。

――――このまま消えちまおう。



一人でだって産めるだろう。
広いグランドラインの中には男の出産に立ち会ったことのある医者だっているかもしれない。
大丈夫、なんとかなるさ。
善は急げとサンジは慌しく部屋を後にした。



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