雨の降る日は屋上で -9-


無駄にただっ広くて目的地には中々たどり着けない校舎内だが、会いたい人間には偶然行き会った。
「お」
渡り廊下でばったりと顔を合わせ、破顔したゾロとは対照的にサンジは無表情で身体だけ横にずらす。
そのまま行き過ぎようとしたから、遠慮なく肘を掴んだ。
が、その掌をするりと掠めてサンジは猫のようにしなやかに距離を取る。
「待てよ、話がある」
「生憎ですが、急いでますんで」
「じゃあ歩きながら話そう」
足を速めるサンジにピッタリとくっ付いて、ゾロも大股で歩いた。
身長はほぼ同じだが足の長さに若干差がある。
が、ゾロの気合はその幅をも縮め、まるで示し合わせたように同じ動作でずんずんと廊下を歩いた。
すれ違う生徒たちが、何事かと目を瞠る迫力だ。

「こないだの話な、おかげで助かった」
「何の話でしたっけ?」
まっすぐ前を向いたまま、返す言葉も抑揚がなく冷淡だ。
だがゾロはめげない、と言うか気にしない。
「剣道部の部員達のこと、あんたに助言されて見えてきた部分がある。俺はやっぱり、今までダメだったな」
殊勝な言葉に、サンジはちらりと横を歩くゾロに視線を投げた。
白い横顔に青い瞳だけが向けられる流し目が、随分色っぽいなとゾロは場違いな感想を抱く。
眉尻はくるりと巻いているのに、この男はふとした動作がやけに艶めかしい。
そう見えるのは、自分が常に邪な想いを胸に抱いているからだろうか。

「俺は、自分で進んで教師になった訳でもねえし、この学校に赴任したのも半ば嫌々…とまでは言わなくとも、しょうがなくやらされてた感が確かにあった。生徒達に中途半端に接するつもりはなかったが、どこか腰掛け気分だったんだろう」
「―――― …」
「文化祭でも、主役は生徒だってんで積極的に関わることもしなかった。だから、お前が率先して客寄せやってんのもバカじゃねえのかって思ってた」
「んだとお?」
思わず立ち止まって目を剥くサンジを、ゾロは真剣な眼差しで見つめ返す。
「けど、違ったんだな。生徒は、俺が無関心だと思って寂しかったみてえだ」
「・・・」
黙って見つめるサンジに、ゾロはふっと自嘲した。
「実際、関心がなかったのは事実だ。毎年の恒例行事なら生徒だけで適当にやってればいいと、ろくに見にも行かなかった。熱くなれとは言わねえだろうが、真剣味が足りなかった。俺は教師失格だ」
「それは…」
「そのことに、お前が気付かせてくれたんだ」
ゾロが、囁くように声を落とす。
「ありがとうな」
「――――っ!」
さっきまで取り澄ましていたサンジの頬に、さっと朱が走った。
色が白いからよく目立つなあと、感心して眺めているゾロを睨み返し、再び歩を踏み出す。

「そりゃどうも、それじゃあ」
「ああ、またな!」
言うだけ言ってさっさと立ち去ろうとするかのようなゾロに、思わず振り向いてしまった。
ら、意外なほど近くにゾロの顔があって反射的に仰け反る。
「…んなっ?」
「でよ、せっかくだから礼がしてえ」
一歩下がったサンジを追うように、ゾロが大股で踏み出す。
あっという間に壁際まで追い詰められ、サンジは手にしたファイルを抱きしめて身を竦めた。
「礼なんて、いま言っただろうが」
「それは生徒への対応のことだ。それ以外にも、お前にゃあずいぶん美味いもん食わせてもらってるじゃねえか」
言葉にするとなんだか卑猥に響くなと、ゾロ自身思わないでもないがスル―しておく。
「いつも食わせてもらってるばかりじゃ申し訳ねえ、なんか奢る」
「結構です、お気持ちだけで」
「それじゃ俺の気がおさまらねえ」
「知るかそんなの」
なるべく声を落として、小声で言い合った。
なんせここは校舎内、開放的な廊下の片隅だ。
そうでなくとも、まるでサンジが壁ドンされてるみたいな構図なので、背後を行き来する生徒たちが何事かと横目で眺め、或いはものすごく嬉しそうな顔で囁き合っている。
「今度の日曜、昼前に俺んち来いよ。予約しとく」
「はあ?なんで俺が、てめえんち行かなきゃなんねえんだ」
「連れてきたい店はあるが、俺がその場所よくわかんねえんだよ。それともお前んちに誘いに行けばいいか」
「来なくていい、つか、なんで行く前提になってんだよ!」
つい声を上げて怒鳴ったら、教室から覗いていた女子生徒がきゃーと小さく声を上げた。
まずい、すっかり注目を浴びてしまっている。
「とにかく、俺は行かないからな」
「お前が来ないと、俺が飯を食いっぱぐれるんだ」
「知るか」
ゾロの手を押しのけて、サンジはするりと壁際から抜け出した。
「腹空かせて待ってる」
「知らねえっつの」
「予約入れとくからなー」
「知らねえよ、ばーか」
そのまま振り向きもせず、ずんずんと歩み去る。
ゾロも追いかけてはこなかったが、声が届く範囲で「来いよ」「行かない」の言葉を繰り返していた。
そうしながらも、サンジは前を向いたままつい、口元が緩んでしまうのを止められなかった。




『行かねえよ』
メールでもそう伝えたのに、当日また着信があった。
『もう起きたぞ』
一文だけでも、随分とドヤ顔なのが見て取れる。
時刻は10時で、サンジにしたら朝の時間帯でもないのに、ゾロ的にはとても早起きの部類に入るのだろう。
サンジはさくっと無視するつもりでいながら、ついクローゼットを開けてあれこれと服を選び、洗面所で髭と髪を整えて外見チェックまでしてしまった。
いや、行きませんよ。
全然行く気、ありませんから。
行く義理もありませんし。

心中ではそう言い訳しているのに、昼時間が近付くにつれ、そわそわとして落ち着かなくなってきた。
これはあれだ。
特に用事もないのに部屋でぶらぶらしてるから行けないのだ。
ちょっと、出かけてこよう。

誰に言い訳する必要もないのに、サンジはそう理論付けて部屋を出た。
まず街に出てブラブラしようか。
久しぶりに映画でも見るか、馴染の店で冬物でも買おうか。
バーゲンにはまだ、早いかな。

一人の休日を満喫すべく脳内で計画を立てていたはずなのに、なぜか降り立った駅はゾロのアパートの最寄駅だった。
いや、行く気はないんだが、本気で待ってるとちょっとあれかなーと思って。
なんか、あいつ忠犬ハチ公っぽとこあるから。
待ってるっつったら、本気で夜まででも待ってそうだから。
別にあいつが腹を空かせて待ってるのは全然構わないんだけど、あいつの独り善がりで予約取られちゃった店が気の毒じゃないか。
連絡なしにキャンセルとか、最悪じゃね?
だったら、俺が直接キャンセルの連絡だけでもしてやらないと。
それが社会人ってもんだろ。

やはり誰かに言い訳しつつ、ゾロのアパートまでやってきた。
ドア前まで来て、インターフォンを押すべきかと迷っていたら勝手に鍵の開く音がする。
「おう、来たな」
「べ・・・別に、来た訳じゃねえぞ」
慌てて言い返すサンジに、ゾロは勝手に「んじゃ行くか」と鍵を掛けて歩き出す。
「おい、だから俺は別にお前と出かけるために来たんじゃねえって・・・」
「じゃあ何しに来たんだ」
ゾロのもっともな問いかけに、うっと詰まる。
「それはあれだ。お前、店に予約したっつったろ。だったらちゃんとキャンセルしねえと」
「しなくていいだろ、お前が一緒なのに」
「だから俺は行かねえって」

ゾロは足を止めて、追いかけてきたサンジをまじまじと見つめた。
「なんだよ」
「いや、なんか違うなーと思って」
今日のサンジは、明るい色のパーカーカーディガンにジーンズの出で立ちだった。
確かに、普段学校ではスーツ姿ばかりだから、印象は変わるだろう。
「んだよ、ガキっぽいとか言うなよ」
「なんでわかった」
「そう思ってたのかよ!」
ムキーっと怒るサンジに、ゾロは声を立てて笑う。
「いや、いつものスーツもめっちゃ似合ってっけど、今のかっこもいいな。前の服も可愛かったし」
「可愛いとか言うな、鳥肌もんだ」
両腕で肘を抱くようにしながら、サンジもちらちらとゾロを見ている。
学校でも、体育教師かと突っ込みたくなるくらいジャージ姿ばかりだし、こないだは上下スウェットだった。
けど今日はグレーのジャケットに黒のカーゴパンツと、ちょっとはマシな格好をしている。
これはこれでなかなか・・・いや、なんでもない。

「どうした?」
黙ってしまったサンジを気遣うように、ゾロが歩く速度を落とした。
それにむっとして、追い越すように早足で歩く。
「別に。それより、今日はどこに行くって?」
「ああ、歩いて行ける距離だ」
「だったら一人で行けよ!」
いちいち突っ込まずにはいられない。
けど、突っ込むたびになんだか負けた気分になる。
「それが、一人で行こうとするとどっか別の場所に行くんだよなその店」
「店のせいじゃねえよ」
「こないだは朝一で出たから一人でも辿りつけたんだろうが、この時間だとさっぱりだ」
「時間帯のせいでもねえ。で、どこだって?」
「バラティエ」

サンジはその場で立ち止まり、一拍置いてから「げ」と呟いた。




「いらっしゃいやせー!」
ここは魚市場かと突っ込みたくなるような、だみ声の歓待を受け店に入る。
「予約したロロノアです」
「お待ちしておりやした!」
カウンターの中から声だけ響かせ振り向いたスタッフが、一瞬だけ動きを止める。
が、すぐに笑顔で会釈した。
「いらっしゃいやせ、イカ野郎!」
「ここ、面白い店だろう?」
歩きながら囁くゾロに、サンジは「そうだな」と小声で返す。
「スタッフはみんな、どこの組のもんかって面相だがこれがまた美味いんだ」
「・・・ふーん」
「あ、この店お前も知ってるつってたな」
今頃になって、ゾロはそう聞いてきた。
「ここでよかったか?」
「そりゃまあ、いいんじゃねえの」
素っ気なく答え、サンジはスタッフが引いてくれた椅子に腰かけた。
仕種の一つ一つが実にさりげなく、スマートで様になっている。

「お前こそ、よくこんな店知ってるよな」
「前に付き合ってた女に、連れてこられたんだ」
臆面もなくそう言うゾロを、サンジはじっと見つめた。
テーブル越しに見つめ合う形になって、二人して微妙に視線をずらす。
「や、お前って…バイ?」
「あ?」
質問の意味が分からず、ゾロは心持ち顔を近づけた。
「え、や・・・お前、だってこないだ俺に・・・」
「あ、ああ。そういう意味では、俺は今まで女としか付き合ったことねえ」
あっさりと了解して、ゾロは堂々と言い放つ。
「男なのに惚れたと思ったのは、お前が初めてだ」
ばっと、ゾロの目の前にサンジの掌が翳される。
「ストップ、ここではその話は・・・」
「ああ」

スタッフが水を持ってきて、二人の前に置いた。
静かに立ち去って行くのを待って、ゾロは声を低める。
「悪かったな、その話は家に帰ってからしよう」
「や、だから俺はお前んちに行かないっての」
「じゃあ食ってから、どっか行くか?映画とか観るか」
「いやだから、そうじゃなくてだなあ」
「ご注文はお決まりですか?」
小山のようなゴツイ男が音もなく近づいたので、サンジはびくっとしてからメニュー表を持ち上げた。
「あ、じゃあAコース二つ」
「お飲み物は?」
「いらねえ」
「酒」
「昼間っから?」
「食事するのに必要だろ、車じゃねえし」
ゾロの反論に、サンジはしぶしぶメニュー表を捲った。
「じゃあ、俺もこれ・・・お前、これでいいだろ」
「なんでもいい」
「ったく、人を誘っておいて丸投げすんな」
ぶちぶち言いながらメニュー表を返すと、スタッフは口端を歪めながらも恭しく受け取って一礼した。
さらりと流れる金髪の間から覗く耳が赤く染まっていることに、ゾロは気付いていた。



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