雨の降る日は屋上で -8-


「おはようございます」
口元にうっすらと笑みを浮かべて、棒読みで挨拶された。
だが明らかに、目が笑ってない。
これは相当怒らせたなと、ゾロは肩を聳やかしつつ「おはよう」と返す。

職員室で顔を合わせたら朝の挨拶を交わすのは大人の常識で、昨日までなら「おう」とか「うっす」とか、およそ挨拶言葉とは呼べないぞんざいさだった。
それがこうも他人行儀な態度を取られると、ゾロとてさすがにマズイと思わずにはいられない。
がしかし、他の教師達の目もあるから今ここで即釈明をするわけにもいかず、そもそも釈明をせねばならないようなことをしでかした自覚もないから、ゾロは「ま、いいか」とさくっと流した。
また、屋上でちゃんと話を付ければいいことだろう。



そう思っていたのに、その日はなぜか一度もサンジに出くわさなかった。
何度か昼休み以外にも屋上に足を運んだが、煙草の残り香もない。
もしや、いきなり思い立って禁煙でも始めただろうか。
禁煙のせいで訳もなくイラついて、それでゾロへの態度が硬化しているのだろうか。
やや見当はずれなことを考えながら、ゾロは仕方なく放課後は剣道部に顔を出した。

いつもながら、部員たちは真面目で熱心な鍛錬っぷりだ。
ミホーク理事は本人が破天荒で奇天烈な人格だが、礼儀には厳しい指導をしていたんだろうと推測しつつ、ざっと眺めてそこにサガの姿がないことに気付く。
「主将はどうした?」
「今日は課外で、2年は全員欠席です」
そうだったかと、遅まきながらサガだけじゃなく他の2年生がいないことにも気付く。
言われて初めて人数が少ないことにも気付くあたり、サンジに知られたら顧問失格だと怒られるかもしれない。
いや、なぜここでサンジが出てくるのか。

「あのー…先生、剣聖祭のこと、聞いてます?」
1年の柔軟を手伝っている3年生が、遠慮がちに聞いてきた。
大半の3年生はすでに引退しているが、自主的に部活を続けている者も多い。
「けんせーさいって、なんだ?」
「校内だけの公開試合です。ミホーク理事が主催で、毎年新人大会の後に体育館でやってます。サガから聞いてませんか?」
「ああ」
「あ、ならいいです。主将が言ってないことを俺から伝えてすみません」
理事が主催と言うことは、臨時顧問のゾロには話す必要はないと判断したのだろうか。
だがゾロは、3年生の態度に引っ掛かりを覚えた。

「別に、なにもかもサガを通さなきゃならんことはないぞ。そう言われると、俺はほとんどサガとばかり話しているな」
こんなことにも今頃気付くあたり、サンジに知られたら…(以下略)
「そりゃ主将ですから」
「しかしそれでは、今みたいにサガが言わなければ俺には何も伝わらんことになる。いい機会だから、いまなんか言いたいことないか?」
唐突に訪ねてくるゾロに、部員たちは一様に戸惑いを見せた。
そんなこと、急に話を振られてもなにも言いたいことなど出てこない。

「その剣聖祭とやら、準備は大変なのか?」
「いえ、そうでもないです。日にちが決まったら体育館押さえるだけですし、ただ身内で試合するだけのことですし」
「主催が理事ってことは、賞状なんかも理事から渡されたのか?」
「いやそれが…」
また、3年部員同士が顔を見合わせる。
1年部員たちは、まだ経験していないから知らないのだろう。
「理事長が主催なんですが、理事長も参加するんです。それで毎年理事長が優勝してます」
「…はあ?」
ゾロは目と口を開いて、顎を落とした。
「理事が主催で、優勝も理事?」
「はい」
なにその、完全独り相撲。

「理事は、グランドライン学園一の猛者を決めるのが目的だから、教師も生徒もないと…」
「ものすごく大人げないな」
「はい」
苦笑しつつ、3年は細めた。
「でも、俺らもいい経験でした。なんせ理事と真剣に試合できるなんてこんな機会でもないとありませんから」
「理事、マジで真剣に相手してくれるんっすよ」
「俺は第一試合でいきなり気絶させられて、目が覚めたら理事が自分で自分を表彰してんの見て、まだ夢見てんのかと思いましたもん」
事情を知っている3年生がどっと笑う。
1年生も、それを聞いて目を輝かせていた。
「それ、面白そうですね」
「でも今年はミホ先いないし、無理だろう?」
「ふつうの剣聖祭ならできるんじゃね?体育館押さえるだけだし」
「けど、主将からその話、出ないじゃないか」
生徒達の様子を見て、ゾロはふむと頷いた。
「毎年の恒例行事と違ってくるかもしれんが、今年もそれをやりたいか?お前ら」
また部員同士で顔を見合わせ、なんとなく複雑な表情を作る。

「真剣勝負のミホ先を見るのが楽しみな試合だったから、理事がいないとなると…」
「それに、一本勝負のトーナメントなんで強いやつが即優勝なんっすよ。今年だとサガ一人勝ちだろう…」
「今年はミホ先がいらっしゃらないから、優勝となるとやっぱサガだよなあ」
そりゃ主将なんだからサガは強いだろうが、それにしてもみんな随分とつまらなそうな態度だ。
ゾロは腕を組んで、部員たちの顔を見渡した。
「じゃあ、俺が出るっつったらどうだ」
「え…」
少ない人数なのに、体育館の一角がどよめいた。
「マジで?マジで先生、相手してくれるんっすか?」
「え、俺たちと試合してくれるの」
「おう。ただし、俺も勝負となると大人げなく熱くなるタイプだ。手加減など、一切しねえぞ」
「それがいいです、お願いします!」
3年生が、ゾロの前に土下座する勢いで手を着いた。
「去年ミホ先にコテンパンにやられて、悔しかったけどすっごいいい体験させてもらえました。今年ロロノア先生にお手合わせいただけるなら、俺すっげえ嬉しいです」
「ミホーク先生だけじゃなくロロノア先生ともだなんて、すっげえ贅沢っす」
「俺も!俺も、先生が参加してくれるならやりたいです!」
比較的大人しい生徒ばかりだと思っていたのに、俄然勢いが良くなった様子を見て、ゾロも自然と心が浮き立つ。
「うし、じゃあ俺も久しぶりに本気出して挑むか」
やったあ!と歓声が上がった。
「あ、じゃあ俺体育館押さえてきます。いつにします?」
「おいおい、それこそサガがいないと決めちゃダメなんじゃね?」
「あ、俺いま連絡しますね…ってか先生、スマホ使っていいっすか?」
「おういいぞ、ロッカー行って取って来い」
善は急げとばかりに走り出した計画に、ゾロはふむと顎に手を当てた。

「あのな、俺は常々部活動は生徒が主役だと考えてるんだ」
「あ、ええ、はい」
いきなり語り出したゾロに、部員たちは正座して向き直る。
「そうでなくとも俺は俄か顧問だし、剣道部はそもそも副顧問がいねえじゃねえか」
「あーそれは…」
「ミホ先のせいですね。俺以外に任せられんとかなんとか、言ってましたもん」
「そう言いながら、勝手に顧問離れたんだよな。いきなりロロノアさんに押し付けて」
「ロロノアさん、うちの部のために休職してまで学校に来てくれたんですよね」
驚いた。
生徒達の方がよほど、ゾロの事情をよく知っている。

「まあ俺のことはいい。成り行きとは言え、顧問を引き受けたからにはちゃんと任期を全うしたい」
「ありがとうございます」
神妙に頭を下げられ、どうも部員たちが最初から遠慮がちだったのはこれかと遅まきながら気付いた。
部員にとって、ゾロは最初から“お客さん”だったのだ。
ゾロ自身は、厄介なことを引き受けた…と一旦は思いこそすれ、面倒だと感じてはいなかった。
だが、生来感情に乏しく、ただ黙っているだけで「怒ってるの?」と問われる表情のせいで、部員たちは少々怖がっていたらしい。
生徒が主役だと思い、ゾロの方から踏み込んでいかなかったのも要因だろう。

「それで、文化祭でも特に手出しをせずお前らがやることを見守るだけに留めていたが、それじゃいけなかったか?」
問われて、部員たちの方が戸惑っている。
「いや、いけなくはないです」
「えっと、ミホ先生も文化祭ではほとんどノータッチでした」
「っていうか、ミホ先は文化祭のずっと茶道部に入り浸ってました」
そっちか!
さもありなんと、納得はする。
ミホークがこの学校でどう過ごしていたかなんて知らないが、容易に想像はついた。
多分、サンジのことは大のお気に入りだっただろう。

「それだ」
「え、どれっすか?」
膝を打つゾロに、部員達は心持身を乗り出した。
「あの茶道部じゃ、顧問の先生が率先して色々してただろうが。お点前とかなんとか」
「あ、ロロノア先生も行かれたんですか?」
「行ってねえよ。呼び込みしてんのを見ただけだ」
若干むっとして言い返す。
「茶道部はサンジ君が主役だから」
「でも、文化祭の花形なんすよ。女子とかキャーキャー言って騒いでるし、保護者からの評判もいいし」
「あの時間になると、先生たちも一時的にいなくなるよな」
「俺、今年行った」
「え、マジ?どうだった?」
「勇気あるなあ、整理券もらったのかよ」
「彼女だろ、どうせ彼女と一緒だったんだろ。で、どうだった」
「足痺れたけど、菓子美味かった。けど茶はまずかった」
「いや、あれの美味さはやっぱ飲み慣れないと…」
雑談が始まったところで、ゾロはゴホンと軽く咳払いをする。

「つまりアレだ。茶道部は部員が主役でなきゃならんのに、顧問が一番目立ってたろうが」
「あーそう言われればそうっすね」
「でもいいんじゃないですか?部員たちも先生が一緒にやってくれると嬉しいし励みになるし」
「客寄せにもなるしな」
いいよいいよ全然OKと頷き合う部員に、そんなものか?と尋ねる。
「自分より目立つ顧問とか、鬱陶しいだろう」
「そうでもないです、むしろ先生が催し物に積極的に関わってくれるのは嬉しいっすよ」
「そうっす、関心持ってもらえてるって思うし、一緒になにかするのは先生とか顧問とか意識せず楽しいって・・・が言ってました」
「あー彼女だ、彼女が言ってたな」
「やだねー彼女持ちは」
きゃいきゃい盛り上がる部員たちに、ゾロはこれまた遅まきながら申し訳ない気持ちになった。
「・・・俺も、文化祭の時もうちょっと関わればよかったんだな」
「――――あー・・・」
さすがに凹んだ様子のゾロに、3年生が慌てる。
「いや、俺ら文化祭は展示とかしかしてないから。ぶっちゃけ特にミホ先も関わってないし」
「けど、剣聖祭は俺らが主役なんすよ。や、もちろん優勝者のミホ先が一番主役なんですけど、結構見学者も来て優勝が決まるまで大注目で。俺らの晴れ舞台です」
「だから、ロロノア先生と剣聖祭できるの嬉しいです」

そこへ、スマホを取りに行った3年が走って戻ってきた。
「先生、サガです」
「おう」
スマホを受け取り、耳に当てた。
「授業中すまん、大丈夫か?」
『いま帰りのバスの中です。メール見ました』
「剣聖祭、やりたいがいいか?」
『もちろんです、俺は聞かれる立場にないですよ。先生さえよければお願いします』
どこか、他人行儀な物言いだ。
「じゃあやるぞ」
言うだけ言って、ゾロは通話を切ってしまった。

「よし、決まりだ」
「やった!」
その場でジャンプする3年にスマホを返し、ゾロはうむ〜と眉間に皺を寄せた。

いままで、何かというとサガを通じて話をしていたからサガが一番心やすいように思っていたが、いまこうして直接部員に囲まれていると印象が違ってくる。
サンジが言っていたのはこういうことかと考え、またなんでここでサンジが出て来るよと一人ごちた。



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