雨の降る日は屋上で -3-


二次会は馴染みの店に行くらしく、誰かの先導なしでも先生方は談笑しながら適当に歩いていく。
ゾロはしんがりにつきつつ、無意識にサンジの姿を探していた。
先ほど一次会の店で会計をしていたと思ったら、いつの間にか車道に出てタクシーを停めていた。
マキノを後部座席に乗せて、運転手に行く先を告げている。
「それじゃあマキノ先生、がんばって」
「元気な赤ちゃん、産んでくださいね」
ほろ酔い加減の先生方に見送られ、マキノを乗せたタクシーは走り去っていた。
さて、とみなが踵を返して二次会の店に向かう中、サンジだけが横を向いて路地に消える。
「――――?」
放っとけばいいと思いつつ、つい気になって後を追った。
サンジは路地を入ったすぐ横にある扉を半開きにして、中を覗き込んでいた。
「イシリーちゃん、見っーけ」
ふざけてるのかと近寄ったら、中から慌てた感じで少女が出てきた。
「サンジ君っ、ちょ…なんで?」
「先生方の飲み会だよ」
「えーまっずい、超ヤバいっ」
この慌てぶりからすると、もしかしてグラ学の生徒なのか。
「ああん、ロロノア先生まで」
「お?」
言われて振り返るサンジと目が合ってしまった。
別にお前を気にして追いかけて来たんじゃねよと、言い訳したい気分ではあるがしない。
それより、なぜこの少女は自分を知っているのか。
「時間が時間だからね、先生と一緒に帰ろうか」
「えー、うー…」
イシリーは煮え切らない態度でいたが、地下からの階段を上ってきた友人と思われる男にぼそぼそとなにか囁き、観念したように扉から出てきた。
「ごめんねー、イシリーちゃんは俺が責任持って家に送り届けるからね」
満面の笑顔のサンジに、少々柄の悪そうな男達がお互いに顔を見合わせている。
攻撃的な雰囲気ではないが、友好的にも見えない。
「行くぞ」
サンジとイシリーの背後から声を掛けると、男達の目がゾロに向いてそれから仕方ないとばかりに首を竦められてしまった。
「じゃあねー」
振り向かないイシリーの代わりに、なぜかサンジがニコニコしながら男達に手を振りその場を立ち去る。

「イシリーちゃん、蛤通りだよね」
サンジの問いかけに、イシリーはこくんと頷いた。
「でもなんで、サンジ君そんなことまで知ってるの?」
「可愛い子がどこに住んでるかなんて、俺が知らない訳ないじゃない」
聞きようによってはとんでもないストーカー発言だが、イシリーは「そうかあ」と呟きながら前を向いた。
「いっつもじゃないのよ、今日はお姉ちゃんお泊りで帰ってこないっていうから」
「じゃあ、イシリーちゃん一人で留守番だったのかな」
「そう、お母さんはいつも帰り遅いもの」
察するに母子家庭なのかもしれない。
帰りの遅い娘に雷を落とす父親がいないのか。
ぽつぽつと、家庭の事情を話すイシリーと静かに相槌を打つサンジの後を、ゾロは黙ってついていった。
途中でロビンからメールが入り、いま偶然行き会った生徒を自宅に送り届けている最中だと返事しておく。
ロビンからは短く「了解」とだけ返事が戻った。

「ここまででいいわ先生。家はすぐそこなの」
「そう?でもすぐそこなら玄関まで行くよ。こんな可愛い女の子を一人で家に帰らせるなんて俺にはできない」
「もう~サンジ君ったら」
自宅まで教師がぺったりと張り付くなんて鬱陶しいことこの上ないだろうが、イシリーは満更でもなさそうに頬を染めていた。
これでサンジと二人きりならそれはそれで妙な勘繰りをされそうなシチュエーションでもあるが、ゾロも一緒だから問題はない。
「それに、一人で帰るには少々遅い時間ではあるしね」
「え?」
嬉しそうにサンジと並んで歩いていたイシリーは、サンジの視線を追いかけるようにして前を向いた。
そうして固まる。
一戸建ての家の前で、怖い顔をした女性が腕を組んで仁王立ちしていたからだ。
「ママ?!」
「今日はお姉ちゃんがお泊りだからって早く帰ってきてみれば!こんな時間まで、なにしてたの!」
サンジが、イシリーを庇うように前に進み出た。
「遅くなって申し訳ありません」
きちっと頭を下げるサンジの丁寧な仕種に、母親は戸惑って腕組みを解く。
「グランドライン学園の教師をしていますサンジです。こちらはロロノア先生。街で偶然イシリーちゃんと会ったので、お宅までお送りしました」
「…まあ、それはそれは、どうも娘がご迷惑をおかけして」
「ね、先生と一緒だから大丈夫だって」
「あんたは黙ってなさい!」
一喝されてビビるイシリーに、サンジが柔らかく笑いかける。
「お母さんが待っててくれて、よかったね」
そう言われて、イシリーは困ったような恥ずかしいような複雑な顔をしたが、最後は嬉しそうに笑って頷き返した。
「うん、お母さんが早く帰ってきてくれて、嬉しい」
「まったく、この子は!」
母親はゴツンと一発げんこつを落としてから、イシリーの肩を抱いてサンジに向き直る。
「どうもお手数をおかけしました、ありがとうございます」
「いえいえ。じゃあまたイシリーちゃん、学校でね」
「うん、サンジ君もロロノア先生もありがとう」
「おやすみ」
「おやすみなさい」

小さく手を振るイシリーに、ゾロもちょっと頭を下げてからサンジと並んで歩く。
結局、ここまでついてきたがゾロは一言もしゃべっていない。
その間に、サンジは携帯を弄ってメール確認していた。
「あ、ヒナちゃんからだ。なにお前、ロビンちゃんに連絡してくれたの?」
「ロビン先生からメールがあったんだ、状況だけ説明しといた」
「サンキュ」
サンジは懐に携帯を仕舞うと、代わりに煙草を取り出した。
「いまの子、お前の生徒か?」
ゾロがそう聞けば、サンジは咥えた煙草を吹き出しそうになっている。
「おま…なに言ってんだ」
「ん?」
「あれは、お前が担当してる2年6組のイシリーちゃんだよ。化学、水曜に授業してるだろうが」
そうだったろうか。
どちらにしろ、ゾロの担当クラスも結構数が多い。
そんなのいちいち、覚えちゃいない。
「ちなみに、俺はイシリーちゃんのクラス担当してねえ」
「なのになんで、知ってんだ?」
これはゾロの素朴な疑問だった。
グランドライン学園は、生徒数が2000人以上いる。
自分の担当クラスでもない生徒の顔などなかなか覚えられないだろうし(ゾロは担当クラスでも覚えていなかった)ましてや名前までするりと出るなんて至難の業だ。
「なに言ってんだ、あんな可愛い子を覚えてなくてどうする」
「女だけか?!」
「当たり前だろ」
呆れてものも言えなくて、ゾロはポカンと口を開けた。
だが、それでも正直すごいと思う。
「可愛い子」限定なんて、セクハラというか男女差別というかいろいろ問題はありそうだが、通りすがりに生徒だと気付いて保護したのだからお手柄だ。
これが単なる偶然なのか、ゾロにはわからない。
だがもしかしたら、サンジは街に出かける度に周囲に目を配り、これと思えば積極的に声掛けをしているのではないかと思った。
自分の可愛い生徒達が(たとえそれが担当クラスでなくとも)危ない目に遭わないように、教師としてできる範囲の努力をしているのではないか。
ゾロは何の根拠もないが、漠然とそう思った。

「さてどうする?今から二次会のカラオケに合流するって手もあるけど」
サンジは横を向いて煙を吐き出しながら聞いてきた。
「幹事はもういいのか?」
「ああ、どうせカラオケもスナックもいつも行くとこだし」
「なら飲み直さねえか?」
幸い、いま歩いている通りはゾロのアパートの近くだ。
多分ゾロでもここから徒歩30分以内で、自宅に帰れるだろう。
半径で考えても、近くなのは間違いない。
「俺の行きつけの飲み屋がある。小汚くて狭いが、酒は美味い」
「へえ、んじゃ行ってみっか」
野郎同士で飲んでられるかと拒否られるかと思っていたら、拍子抜けだった。
思わぬ形でサンジを自分のテリトリー内に引き込むことになってしまったが、ゾロの心は柄にもなく浮き立っていた。
一度こいつとゆっくり、飲んでみたいと思っていたのだと後付けみたいに考える。



「いらっしゃい、あらお久しぶり」
色っぽい美人ママに出迎えられ、サンジのテンションは一気に上がった。
「なっんと、マリモの分際でこんな美しい人の店の常連だなんて!この!この!!」
「ふふふ、可愛らしい方ね。っていうか、マリモ?」
「なんでもねえ」
ゾロは構わず、カウンターに腰を下ろした。
サンジもその隣に並んで腰掛ける。
店内は縦に細長く確かに狭いが、シックな雰囲気でそこそこ客も入っていた。
「なにする?黒板に書いてあっぞ」
「ん、カクテルの種類多いんだな。マリモにちなんで緑っぽいカクテルとか…」
「アラウンド・ザ・ワールドは、どう?」
「お、んじゃそれお願い」
「なんだ緑っぽいって、俺はいつもの」
「せっかくだからグリーン・アラスカにしましょうか?」
「なんでもいい」
美人ママは腰をくいっくいと捻りながら、カウンターの中に戻った。
サンジは鼻の下をにへら~と伸ばし、上機嫌で煙草を取り出す。
ママ自体が咥え煙草だからか、客の喫煙率が高いのも気に入ったようだ。

「いい店知ってんな、あとで名刺もらっとこ」
「この店は食うもんもそこそこイけるぞ。なんか食え、さっきの店でほとんど食ってねえだろ」
「おう、ありがと」
散々口喧嘩した後だが、こうして二人で差し向かいになるとさほど憎まれ口は出てこなかった。
それよりむしろ、新密度がぐっと増している。
まるで昔から親しかった友人のようだ。
「お前も食う?」
「おう」
「じゃあ、これとこれと」
「これも美味い、俺は来る度に食ってる」
二人でメニューを覗き込んで、あれもこれもと注文した。
他愛もないことを喋りながら、美人ママが作ってくれたカクテルを傾ける。
口当たりが良くて、すいすいと酒が進んだ。
「せっかくだから、緑色のカクテルを片っ端から作ってあげましょうか」
「そりゃ面白い、ぜひ!」
美人ママでテンションが上がったか酒で勢いが付いたのかは知らないが、サンジはそのあと調子よく飲み続け、途中からの記憶が途切れた。





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