雨の降る日は屋上で -2-


渋々引き受けた高校教師の立場だったが、案外と性分に合った。
高校にしては機材が充実していて実験がやり易いし、生徒達は好奇心旺盛でリアクションがいい。
辛気臭い顔付きの同僚達と研究に明け暮れ、各自自分の研究対象にのみマニアックに没頭する生活をしていたゾロにとって、実に新鮮な毎日だ。

「水曜日の夜、開けとけよ」
職員室でプログラムを作成していると、チャラい現国教師が横柄な態度で命令してきた。
条件反射でむっとしつつ、声には出さないで視線だけ上げる。
「一応歓送迎会だ。つか、主役はあくまでマキノさんだからな。ゆっくり休んで元気な赤ちゃん産んでもらいたいからな〜」
後半はどこか夢みる目つきで、ニヤけながらその場でくるくる回っている。
やっぱこいつ、一本ネジでも緩んでんのかと呆れて見ていたら、ロビンが通りかかった。
「サンジ先生、お福分けありがとうございました」
「あ、ロビンちゃんのお口にあった?」
「ええ、甘くて瑞々しくてとても美味しかったわ」
それはよかった〜と再びクネクネし出したサンジ先生を、ゾロは驚きを隠さずに凝視する。
「ちょっと待て、梨くれたのあんたか?」
「おうよ、親戚が一箱送って来たんだ」
「じゃあ、あの便箋書いたのは誰だ」
言いながら、自然と視線がロビンに移る。
が、ロビンは苦笑しながら首を振った。
「あれは、サンジ先生からのメッセージよ」
「まさか」
「おい待てコラ “まさか”とか、ロビンちゃんを疑ってかかるんじゃねえ」
斜め方向から絡み出したサンジの顔を、じっと見つめ返す。
「あの便箋の字、こいつか?」
「なんで嫌そうな面すんだこの野郎」
「そうよ、サンジ先生はとても綺麗な字を書かれるの」
改めて褒められて、サンジはデヘデヘと締まりのない顔で笑いながら腰に手を当ててふんぞり返った。
「お前俺を誰だと思ってんだ、現国の先生だぞ」
「―――― …」
そうは言われても俄かに信じがたく、呆然としているゾロの前をひらりと蝶が舞うように通り過ぎた。
「あ、ヒナせんせ〜い!水曜日の夜、俺のために開けておいてください〜い」
「…アホじゃねえのか?」
思わず呟いたゾロの言葉に、ロビンは片方だけ眉を上げて見せる。
「そう見えるかもしれないけれど、素晴らしい先生よ」
頭から否定せず、けれど若干の非難を込めた眼差しにゾロは辟易して肩を竦めた。

派手な外見と態度で軽そうに印象付けて、その実真面目な教師だとでも言うのだろうか。
物事には意外性があった方が面白いが、職場でそんな演出など不要だ。
むしろ女相手にヘラヘラして見せている方が本性に近そうで、綺麗な文字やさり気ない心遣いの方が演技に思える。
――――俺は、そんなもんに騙されないぞ。
一筆箋の印象がよかったからと、単純に絆されたりするものか。
少し意固地になりながらも、生真面目なゾロは卓上カレンダーの水曜日に赤ペンで丸を付けた。



それにしても、この校舎は本当にわかり辛い。
今朝は1時間早く出勤して、時間通りに職員室にたどり着けたので問題なかった。
だが今は、間もなく部活動が始まる時間だと言うのに、一向に体育館が見えてこない。
自分が剣道部に所属していた時と、構造が変わってしまったのか。
注意深く周囲を観察しながら廊下を歩いていたゾロは、1年5組の教室の前で足を止めた。
窓を開け放ち心地よい秋の風が吹き抜ける教室で、二人の生徒を前にしてサンジが原稿用紙に目を落としている。
「うん、書かれている内容は理解できるけど、こことここは重複してるね」
「けどサンジ君、章立てて説明すると別々のことになるのよ」
ああ、また“サンジ君”だ。
ゾロはなんとなくむっとして、呼ばれたサンジ先生ではなく生意気そうな口調の女子生徒へと目をやった。
担当のクラスではないのか、見覚えのない明るいオレンジ色の髪の少女だ。
もう一人は黒い縮れ毛で、随分と長い鼻をした男子。

「角度を変えて見てるけどね、結果は同じことだよ。そもそも、どうしてAだと結論付けたのかな」
「だって勿体無いじゃない。もう半分まで作っちゃったものはいまさら戻しようがないしお金かかるし、だったら今あるものを活用する方が得でしょ」
「そう、それ。言葉でいうと“勿体無い”って理由になるけど、それを文章にして理論立てていくのが必要なんだ」
「勿体無いのは勿体無いのよ」
難しいなあと口元を尖らせる女子生徒から、今度は男子生徒の原稿へと手を伸ばす。
「ウソップは、結論をBとしたんだよな」
「俺の場合は経費の問題じゃなく、将来性を重視したから」
「うん、でも展望ははっきりとしてない。そこんとこ、具体的に数字を用いたり事例を加えたりするといいよ」
「サンジ君、そりゃ無理だよ」
まるで友達みたいな呼びかけで、ウソップと呼ばれた生徒は降参するように両手を上げた。
「一介の高校生が解決できる問題じゃねえんじゃね?あくまで俺らはAとBに分かれて、それぞれに論じてみてるだけで―――」
「そこでいかに、言葉で理論付けられるかが勝負だろ」
「勿体無いから、って一言で終わっちゃダメ?」
「ダメ」
女子生徒には蕩けそうな笑顔を向けて柔らかく返し、サンジはふと視線を上げた。
廊下にゾロが立っているのに、小さく会釈してみせる。
「すみませんロロノア先生、ちょっとそこで待ってていただけますか」
「…あ、ああ」
なにか用事があったのかと思いつつ、こっちを向いた生徒二人に目礼するようにして窓枠の横に立つ。
「ナミさんはメリット、デメリット双方から順序立てて、明確な理由を考えて。ウソップは具体的なビジョンを提示してみよう。言葉で説得するんじゃなく、文章で納得させるようにね」
ちょっと出てくるから、と言い置いて教室を出る。
当たり前のように先に立って歩くから、ゾロはその後ろをついていった。

「いいのか、生徒置いて」
「迷子の処理のが先だろ」
振り返りもせずそう言うサンジに、ゾロは「ん?」と足を止めた。
「迷子って、俺のことか」
「ほかに誰がいるってんだ」
気障な仕種で首だけ傾け、サンジはからかうように言った。
「体育館行くんだろ」
「…なんでわかった」
「化学講師より、剣道部顧問の方が先に依頼されたんだよねえ確か」
いちいち言うことがもっともで、ゾロはつい黙ってしまった。
そうしている内に、いつの間にか体育館の入り口まで来ていた。
どうやら教室から体育館まで、近かったらしい

「じゃあな、お迎えまでは来られねえぜ」
「いらねえよ」
つっけんどんに言い返すゾロに背を向け、サンジはさっさとその場を立ち去ろうとする。
「おい」
「ん?」
思わず声を掛けてしまってから、ゾロは舌打ちを飲み込んでまっすぐにサンジを見た。
「世話んなった」
「…どういたしまして」
澄ました顔で一礼して、サンジは教室に戻っていく。
その後ろ姿を見送っていたら、背後から部員達の声が聞こえた。
「あ、先生。よろしくお願いしまーす」
「よろしくお願いしますっ!」
「…おう」
人懐っこい生徒達の声に促され、体育館に向かう。
そうしながら、頭の中ではずっとサンジのことを考えていた。

ゾロが体育館の場所を探しているのを見抜いて、生徒たちの前ではそれと明かさず自然に道案内をしてくれた。
口を開けばからかいや憎まれ口ばかり叩くのに、実際の行動は細やかな気遣いに溢れ親切だ。
先ほどの教室での様子も、なかなか堂に入った指導ぶりだったように思う。
「…まあ、教師なんだからな」
口の中で独り言を呟いて、待ち受ける部員を前に自分にも気合を入れた。





「そいじゃ、マキノ先生の安産を祈願して…と、ロロノア先生を歓迎して、かんぱ〜い!」
「乾杯!」
都合の付いた先生だけを集め、学校近くの居酒屋で歓送迎会が行われた。
予想通り、幹事はサンジだ。
一応主役の一人であるはずのゾロをほったらかして、もっぱらマキノと女性教師の面倒を甲斐甲斐しく見ている。
根っからの女好きらしく男女では態度の差が著しいが、ほかの男性教師達は気を悪くする風でもなく和やかに飲んでいた。

「ロロノア先生は、グラ学が母校ですか」
親しげにグラスを合わせて来たのは、物理教師。
そこに体育教師も加わって、車座になる。
「ロロノア先生のお名前は、俺も聞いてますよ。さすが理事長の秘蔵っ子だけある」
「そういう訳じゃありませんが」
「むしろずっと隠しておきたいんじゃないですか、自分が一番でいるために」
「そうそう」
さすがと言うか、ミホークの奇天烈ぶりは教師たちの間にも浸透しているらしく、自然と噂話に花が咲いた。
だが陰口というものではない。
むしろ、親愛を込めて自然と人の口に上っている。
ゾロが和やかに飲んでいる間にも、サンジはあちこちでそれとなく立ち働いていた。
見回したところ一番若そうだし、軽薄に見えるが根は真面目らしく頼りにされている。

「ところで、ロロノア先生はいくつなんですか」
いまだに「先生」と呼ばれることに慣れなくてどこかモゾモゾする。
「26です、もうすぐ7歳か」
「お若いんですね」
感心する教師の後ろで、サンジが「ええっ?!」と悲鳴のような声を上げた。
「なに、タメ?」
「あ?」
「あ、そうなんだ。サンジ先生もそのくらいですよね」
ゾロは後ろ手を着いて身体を引いた。
「同い年か?」
「ちっ、年上かと思ったじゃねえか」
年上だと思ってあの態度か?
「とてもそう思ってたようには見えねえが」
「老け…いや、落ち着いてらっしゃいますよねー」
「ガキ…いや、若々しいですね」
お互いに笑みを張り付かせて嫌味を言いながら、額がくっ付くほど間近で睨み合う。
「タメ年ってんなら、遠慮はいらねえよな」
「なに言ってやがる、最初に蹴り掛かってきたのはどいつだ」
「てめえが俺をガキ扱いしたからだろうがこのクソマリモ!」
サンジの、息継ぎもない罵倒の言葉にゾロより先に周りの先生が反応した。
ゾロと差し向かいで飲んでいた教師が、ぶっと噴き出す。
思わず負けじと声を張り上げた。
「そもそもてめえが、生徒相手に君付けで呼ばせたりするからだろうがこの素敵眉毛!」
「す…すてきまゆげぇ?!」
サンジの素っ頓狂な声で、さらに多くの教師が口元を抑えて後ろを向いた。
マキノ先生など、隠れもせずに大口を開けて笑っている。
「言うに事欠いてなんて名前で呼ぶんだこのハゲ!よりによって人の身体的特徴をだなあ」
「ハゲてねえ!つか、先に言ったのはてめえだろうが」
「この脳味噌筋肉ダルマ!」
「ダーツ!」
「天然迷子!!」

すっかり子どもの言い合いと化した二人を放置して、先生方は各々勝手に杯を進め賑やかだ。
「失礼、パンツ見せていただいてよろしいですか?」
古今東西、「先生」と名が付く職業の飲み会は荒れると、相場が決まっている。



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