雨の降る日は屋上で -19-


翌日の土曜日は、課外授業のあと部活動があった。
ゾロは授業がなかったが、午前中から学校に来てデスクワークをこなしつつ昼休憩を待つ。
平日より生徒数は少ないし、昼休みが潰れる心配もない。
久しぶりに屋上でゆっくりと話ができると期待していたが、天気は朝から雨模様で、昼になっても止む気配はなかった。

じっとりと湿った空気が、雨に煙る校舎にまとわりついている。
コンビニで買ったお握りを携え、ゾロは傘を差して屋上へと向かう階段を登った。
雨に濡れた階段はところどころ錆びついて、足を踏み出す度に軋む。
積もった雪ではないから先に誰か来た足跡など残らないが、なぜかサンジが待っている気がした。

屋根などない、雨ざらしの屋上は水捌けが悪く、ところどころに水溜りができていた。
給水塔の影に黒い傘を見つけ、水溜りを避けながら近寄る。
足音に気付いたか、サンジは煙草を咥えたままゆっくりと振り返った。
「よう」
職員室で毎日顔を合わせているはずなのに、随分と久しぶりに顔を見たような気がする。
思わずこの場で傘を投げ捨てて抱きしめたい衝動に駆られたが、柄を握り締めることで我慢した。
自分で自覚している以上に情熱的な性格だったのかと、我ながら驚きだ。

「こんな天気なのに、よく来たな」
「ここで待ってるって、言ったのはてめえだろうが」
雨脚が強くなった。
ダバダバと傘を叩いて、跳ねた滴が思わぬ方向から飛んできて肘を濡らす。
サンジが何か呟いたが、雨音でよく聞こえない。
近付こうにも、お互いに差した傘が邪魔になって近寄れなかった。
ゾロはちっと舌打ちして傘を畳み、肩からぶつかるようにサンジの傘に入る。
驚いて避けようとした背中を抱いて、逃がさぬように腕を回した。
「…おい」
「こうしてりゃ、濡れねえだろ」
結局、傘を投げ捨てて抱きしめることになったなと、自嘲しながら足元に倒れた傘を見つめた。
ゾロの腕の中でサンジはじっと身を固くしている。
どうしていいかわらかないように、その両手は自分の傘の柄を握り締めていた。
強い雨は相変わらず傘を叩いているが、ぴったりと密着した二人の身体はさほど濡れない。
ただコンクリートの床を跳ねる飛沫で、足元だけはずぶ濡れだった。

「それに、こうしてりゃお前の声もよく聞こえる」
耳朶に唇を付け、囁いた。
小さく肩が竦められ、ついで諦めたように息を吐いた。
もそもそと片手を動かし、咥えていた煙草を壁に押し付けて揉み消す。
「もしこんな現場誰かに見られたら、噂どころじゃなくなるぞ」
「誰も見ねえよ」
こんな、土砂降りの日に屋上で会ってるなんてきっと誰も思わないだろう。
激しさを増す雨脚が二人の姿を掻き消してくれているような錯覚に陥り、ゾロはサンジの髪に鼻先を埋めて目を閉じた。
「…会いたかった」
「―――・・・」
サンジは困ったように首を傾げ、俯いた。
白いうなじを晒し、途方に暮れたような横顔は無防備で愛しさが増す。

「お前に送ったメールな、あのギャルディーノの話…」
「うん」
「酔っぱらった席で話してたけど、聞いてたのはヒナ先生だけだ。ヒナ先生も、そういう話はみだりに口にしない方がいいって窘めてたぞ」
「うん」
「だから、他の先生に広まったり、面白おかしく尾鰭が付いたりはしてねえ」
「うん」
サンジは諦めたように、ゾロの肩に額を乗せた。
「別に、俺、隠してるつもりねえから」
「…そうか」
「自分から言ったりしねえけど、噂で伝わるなら仕方ねえって覚悟してる」
「ほんとか?」
ゾロは、自分とほとんど身長が変わらないサンジの頬に自分の頬をくっ付けるようにして、その冷たさを感じ取った。
「その話、本当のことなのか?」
冷えた頬はしばらく動かなかった。
じっと黙って様子を窺うゾロに、サンジは苦笑しながら首を竦める。
「噂になったのは、本当」
「そうじゃなくて、お前が生徒と恋愛関係になったのは事実かと聞いてる」
「―――・・・」
この期に及んで何を迷うと、問いただしたくなるのをぐっと堪えた。
昼休みという限られた時間だが、サンジの声を聞き逃したくない。
「それは、事実じゃない」
我知らず、ほっと肩の力が抜けた。

「…そうか、じゃあ誤解か」
「誤解っつうか、いろいろ…」
サンジはゾロの肩に懐くように、目元を押し当てた。
ずっとこうして過ごしていたいが、時間には限りがある。
ただ抱き合って立っているだけでも、時間は刻一刻と無情に過ぎ逝く。

「改めて、お前んちに行くか。俺んち来るか」
「ダメだ」
「なんでだ」
積もる話があるなら、語り合えばいい。
男女の中でないのだから、そう神経質に人の目を気にする必要はないはずだ。
いくら“噂”になった二人でも、誰も本気になんかしていない。
ゾロは先日、ルフィと二人きりで飲み明かした。
同僚なら珍しくもなんともない話だ。

「俺は、お前に別れを告げたはずだぞ」
「一方的にな、けど俺は了承してねえし別れるつもりもねえ」
メールで宣言されただけだから、こうして面と向かって話し合えるだけでも随分な進歩だ。
単純にそれを喜ぶゾロの前で、サンジは憂い顔を崩せないでいる。
「あのさ、この事態を招いたのが俺でも?」
「ん?」
「あの、合成写真作ったの、俺なんだ」
「―――・・・」

サンジがなにを言ってるのかわからず、ゾロは正面から顔を見つめながら目を眇めた。
「お前が、俺達の合成写真を作ったって?」
ゾロの目を見つめ返し、サンジは静かに頷く。
「なんでだ?」
「みんなの目を、ルフィ達から離したかったから」
「ルフィと、あのナミって生徒とは本気で付き合ってんだろ?」
ゾロが言うと、サンジは驚いた顔をした。
「…知ってたのか」
「ルフィ本人から聞いた。あいつ、嘘吐けねえ男だから」
サンジは苦々しげに顔を歪め、横を向く。
「だからダメなんだ。いくらバカ正直でも必要な嘘ってもんがあるだろうが、大人なら尚更だ」
吐き捨てるようにそう言って、取り縋るようにゾロの襟元を掴んだ。
「お前、そのこと誰にも言ってねえだろうな」
「俺が、んなこと他所に言い触らすか」
「…だよな」
疑ってごめんと、気が抜けたようにゾロの胸に額を押し付ける。

「ならいいんだ。なにがあっても、ナミさん達だけは守らなきゃって思ったんだ」
「俺らの写真を一緒に載せて、興味がこっちに来るように仕向けたんだな?」
「ああ」
その目論見ならば、うまく行ったというより他はない。
実際、ゾロとサンジは人目を憚らねばならないほど注目の的となり、“真実”であるはずのルフィとナミは興味も引かれなかった。
サンジの作戦は、成功と言える。

「よかったじゃねえか」
「え」
弾かれたように顔を上げるサンジに、ゾロはにかっと笑って見せた。
「てめえの作戦、功を奏したじゃねえか。俺も一役買えて、嬉しいぜ」
そう言ったら、サンジの表情が泣き出しそうに歪んだ。
握り締めていた手を解いて、そっと突き放すように後ずさる。

「おい?」
サンジは踵を返し、ゾロに傘を押し付けてそのまま走り出した。
逃がすかと、ゾロも傘を投げ捨ててその後を追い掛ける。
「待て!」
「話は終わりだ」
予鈴の鳴る音がする。
もう時間だとゾロも頭ではわかっていたが、ここでサンジを逃がしたくはなかった。
もう少し、せめてあと少しだけでも話を聞きたい。

「待てよ、一度ちゃんと話を―――」
階段を駆け下りるサンジの肘を掴もうとして、素早く身を引かれ空振りする。
濡れて色味が濃くなった金髪が、上下にブレた。
「――――あ!」
短い悲鳴が上がり、鉄の階段が激しい振動と共に派手な音を立てた。

「おいっ」
足を滑らせ転げ落ちたサンジを、ゾロは血相を変えて助け起こした。






「恐らく、軽い捻挫ね」
サンジの足首に湿布を貼り、慣れた手つきで包帯を巻く。
「腫れが引かないようなら医者に行った方がいいかもしれないけど」
「いや、たいしたことないよロビンちゃん。手間取らせてごめんね」
保険医が試合に同行して留守だったため、急きょロビンが手当てしてくれた。
「驚いたわ、ロロノア先生がサンジ先生を担いで走ってきて、しかもその後ろからスマホを掲げた女生徒達が集団で追いかけて来たんですもの」
「…ははははは」
サンジは乾いた声で笑うより他なかった。
うっかり階段から滑り落ちて足を傷めたサンジを、ゾロは血相変えて担ぎ上げ保健室に運んだ。
その姿を見た女生徒達が大騒ぎしながら追いかけて来たから、サンジは恥ずかしさと居た堪れなさと情けなさで抵抗すらできず、さかさまになったままゾロの背中に貼り付いていた。
耳に残るあの喧騒を思い出すだけでも、穴があったら入りたい。
「先生がいないから処方できないけど、私が個人的に持っている痛み止めを飲む?」
「いやいいよ、動かなきゃ痛くないし」
幸いサンジは午後、特に用事はない。
「校長先生に騒ぎのお詫びして、帰宅します」
「そうね、さっきロロノア先生はスモーカー先生にこってり絞られていたけど、部活あるからって早々に離脱していたわ」
よりによって、立ち入り禁止の屋上に向かう階段で教師が怪我をしたのだ。
生徒に対して示しが付かないと生活指導のスモーカーに怒られるとか、とんだ恥の上塗りだ。
「外は酷い雨だし、タクシーを呼ぶ?あと2時間ほど待ってくれれば、フランキー先生が車を出すけど」
「自分でタクシー呼ぶよ。ほんとになにからなにまでありがとうね、ロビンちゃん」
車いすまで用意しようとするのを全力で止めて、サンジはひょこひょこと足を引きずりながら廊下に出た。
「あまり動かすと、治りが遅くなるわよ。急がないならしばらくここで休んでなさい」
丸椅子を傍まで近づけて、ロビンは強引にサンジを座らせる。
そうして自分は、保健室から出て行った。

一人取り残され、サンジはハア・・・と深く溜め息を吐きながら項垂れた。
思いも掛けずとんだ騒ぎになってしまって、挙句の果てに怪我までしてしまった。
ゾロに担がれて廊下を全力疾走された時は顔から火が噴きそうだったし、肉食獣のように瞳をきらめかせた女生徒達の視線もちょっと怖かった。
もう、なにもかも後戻りできない状況に追い込まれてそうで、いっそこのまま保健室に閉じこもってしまいたい。
「・・・うう、あのクソゾロめ」
元はと言えば、あの無神経無頓着無鉄砲な唐変木が天然タラシなのがいけない。
あいつがすべての元凶だ。
そうだ全部、ゾロが悪い。

「大丈夫か?!」
いきなりガラッと引き戸が開いて、脳内で罵っていた相手が顔を出したからサンジはその場で飛び上がった。
床で踵を打って、うごぅあっ!と悲鳴を上げる。
「おい、なにやってんだ」
「うっせ、ノックもなしにいきなり来んな!」
ゾロは大股で近寄って、サンジの足元に膝を着いて包帯を巻かれた足首に手を掛けた。
「ああ、ちと腫れてんな。動かすんじゃねえよ」
「誰のせいだ」
「俺のせいだな」
ゾロはそう言って、両手でサンジの足首をそっと掴み顔を上げる。
「俺の不注意だ、怪我させて悪かった」
「――――・・・」
そんなに真剣な表情で正面から謝られると、サンジだってこれ以上悪態も吐けなくなる。
仕方なくふいっと横を向いて、悔しげに奥歯を噛んだ。

「いいから、てめえは部活だってんだろが。とっとと行けよ」
「ああ、後は部長に任せて帰って来た」
「アホか!」
「いや、さっきの騒ぎをなんでかマネージャー達も知っててな。サンジ先生が大変なんだろうから、部活してる場合じゃないでしょって叱られた」
「なんで?!」
恐らく、あの担がれた状態の写メが生徒達の間で瞬く間に広がってしまったのだろう。
もはや取り返しがつかない。
というか、嘘から出た真・・・でもない、元々真だったんだから嘘じゃないんだけど。
ともかく、多分ゾロとサンジはもはや自他ともに認める公認のカッポー・・・

「…えーと」
うっかり白目を剥いて呆然としてしまったサンジの手を、ゾロは強引に引き上げた。
「なに・・・」
「とりあえず帰んぞ」
「ばか、歩けるって」
ゾロの手を振り払おうとして、痛みに顔を顰めた。
どう考えても、松葉杖の一本くらいないと歩くのは困難だ。
だがそんな大げさな真似、したくない。
「俺の肩に掴まったら、ゆっくりで歩けるだろ。それともちゃんと抱き上げようか」
「止めてくれ」
肩に担がれる前は姫抱きされそうになったのだ。
それだけは勘弁してもらった手前、肩に担がれるのは甘んじて受け入れた。
「ったく、めんどくせえな」
ゾロはそう言うと、一旦屈んでからサンジの腰を抱いて尻を肘に乗せた。
「てめえがジタバタすっからカッコ悪いんだよ。堂々と背中伸ばしてろ」
「・・・お、ま・・・」
サンジは顔を真っ赤にして身を捩ったが、確かにどう支えられてもカッコ悪いことには間違いない。
だがこの担ぎ方は、まんま幼児を抱くお父さんみたいじゃないか。
でも、担がれるサンジが堂々としていたら下僕乗りこなしてる風に見えなくも・・・ない?
「重いだろうが」
「なんてことねえ。だがてめえ足長ぇから、引き摺らねえようにだけ気を付けねえとな」
ゾロはサンジの腰と膝を抱えてまるで観葉植物の鉢植えを運ぶみたいに歩き出した。
サンジも、開き直って堂々と前を向く。
その状態で校長室に向かい、二人できっちりとお詫びをした。





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