雨の降る日は屋上で -18-


――――いきなりなに言い出すんだ、このクソ眉毛!
一気に頭に血が上り、サンジが出るまでと延々携帯を鳴らし続けた。
だがサンジは出ない。
コール音はするから電源は切ってないのだろうが、頑として出なかった。
このままではらちが明かないと、サンジの家まで行こうと部屋を出てから、足を止める。
時刻は午前0時を回ったところだ。
ゾロにとっては宵の口だが、世間では真夜中で。
サンジの家に押しかけたところで中に入れてくれるとは到底思えないし、ガンガン戸を叩いて開けろと騒ぐ訳にもいかない。
若干の酔いも手伝って昂揚していた気分を自覚し、ゾロは冷静さを取り戻すように深く息を吐いた。
そのまま静かに部屋に戻り、水道の蛇口から直接水を飲んで一息つく。
少し酔いが、覚めた。

冷静に考えると、サンジが用心するのもよく理解できる。
なにせ、いま二人は「時の人」だ。
いくらあの写真が合成されたものだったとはいえ当分の間はなにかにつけて注目されるし、色眼鏡で見られることは間違いない。
どこで誰が見ているかわからないから、プライベートでもしばらくは二人きりで合わない方がいいかもしれない。
ゾロもそれには賛成だが、それにしたっていきなり「別れよう」はないだろう。
まさか、これを機に全部なかったことにしようって腹じゃないだろうな。

ゾロは眉を寄せて一人で「むむむ」と唸った。
あり得ないことではない。
サンジは多弁で明快で社交的だが、その実、自分の内面をおいそれとは垣間見せない用心深さがある。
ぶっちゃけ、なにを考えているかわからないし、ゾロにしてみればどうでもいいことで勝手にぐるぐる考え込む傾向もある。
まさか本当に、ゾロと別れるつもりなのか。
別に付き合ってた訳ではないとサンジは書いていたが、ゾロの中ではちゃんと「付き合って」いたことになっている。
今まで相手に愛想を尽かされ別れを切り出されることは何度かあったが、そのいずれもゾロは淡々と受け止めて好きなようにさせていた。
来る者拒まず、去る者追わずがスタンスだ。
だが、今回のこれは違う。
と言うか、サンジは違う。
一度懐に入れた身内であると同時に、ずっと抱え込んで守りたい大事な存在だ。
サンジ以外、こんな風に捉えた他人など今まで一人もいなかった。
サンジだけが特別で、恐らくは唯一無二だ。
そのことに今さら気づいて、愕然となった。

―――もしかして、のぼせ上がってたのは俺だけなのか?
サンジは、恋人としての触れ合いに関しては、想定外に初心だった。
だから遊び慣れているとはとても思えないが、生真面目で誠実な人柄であるが故に融通は利かないのかもしれない。
考えても詮無いことをクヨクヨと考え、いっそのことと見切りをつけてしまうことはあり得る。
サンジに捨てられる可能性は、ゼロとは言い難い。
元々同性愛の傾向がないなら、誰も好き好んで同性の恋人など持ちたくもないだろうし、なにかきっかけがあれば思い切って捨てる選択肢の方が自然だろう。

サンジに捨てられる。
そう思うと、もういてもたってもいられなくなった。
いますぐ部屋に押し掛けて、問答無用で襲いかかって既成事実を嫌と言うほど身体に叩き込んでしまいたい。
だがそれを実行に移したら最後だ、と言うこともまた頭では分かっていた。

生まれて初めてのジレンマに、ゾロは一人悶々と考え込んでいた。
普段、仕事以外で頭を使うことのないゾロにとって、知恵熱でも出そうなほどぐるぐる考えた。
考えても考えても答えが出なくて、相手があることだから当たり前かと諦念する頃には、空は白々と明るみ始めていた。





軽く失恋した気分を引きずったまま、それでも日々は淡々と過ぎる。
スクープ騒ぎは75日どころか、1週間も持たず話題から消えた。
とはいえ、なぜかゾロとサンジの熱愛疑惑は「飽きられた」というよりそれが「当たり前になった」感じで定着している。
特に女生徒からは特に接点がないにも関わらずセット感覚で捉えられ、何かにつけ引き合いに出してきたりする。
それをムキになって訂正したり否定したりすると逆に不自然だと思い、ゾロはいつも気のない素振りで流していた。
サンジはと言えば、こちらもゾロに輪を掛けて「普通」だった。
職員室でも軽口を交わすし、校内で偶然居合わせてそこで生徒に冷やかされると、逆にゾロにくっ付いて見せて仲良しアピールをしたりする。
それで女生徒がキャアキャア騒ぐのを楽しんでいるかのようだ。
ゾロはと言えば、内心ドキドキするのをひたすら押し隠して、いかにも嫌そうに顔を顰めて見せた。
それがまた生徒達の間では人気で、照れてて可愛いとか別の方向で勝手に盛り上がっている。
ただ、この空気の中でゾロもなんとなく察していた。
生徒達は面白がっているだけで、誰も本気で二人が「付き合っている」とは思っていない。
ゾロにとっては、あくまでも現在進行形なのだ。
別れる気など、さらさらない。

晴れた日でも曇りでも、雨がそぼ降る日でも、とにかく昼休みの空いた時間を惜しんでゾロは毎日屋上へと足を運んだ。
けれどそこで、サンジの姿を見ることはない。
時折、煙草の残り香が漂っている時もある。
ついさっきまでここにいたのかと歯痒い思いで屋上に佇み、結局はぼうっと景色を眺めるのが常だった。
ここまで出会えないと言うのは、もはや偶然ではない。
明らかに、サンジに避けられている。
サンジは、なにがなんでもゾロと二人きりで顔を合わせないつもりだ。
そこまで頑なな態度を取るのはなぜかと恨みがましい気持ちにもなり、それでもそんなサンジを理解したいと執着する気持ちもある。
ゾロからのメールには一度も返信はないが、多分着拒もされていないだろうと信じて、ゾロは毎日サンジにメールを打っていた。
なんてことはない、一日の出来事をまるで日記のように淡々と綴って送る。

授業での1コマや、ふと疑問に思ったこと。
県大会の準備、部員達の動向、サガやマネージャー、そしてコーザのこと。
ゾロが危惧したほど、部活内は浮ついたりはしなかった。
剣聖祭などなかったように、元のとおりの規律正しくまじめな部活動が行われている。
サガからは、退部の話など出てこない。
マネージャーは部員全員に平等に気を配り、傍目から見ても主将と付き合っているようなそぶりはかけらも見せない。
実に大したものだ。
―――俺達も、見習えばいいんじゃねえか?
ゾロにしたら大真面目な気持ちでそう結んで、メールを送った。
きっと返事は来ない。
けれどサンジは読んでいるだろう。

何度も他愛ないメールを送りながら、一番伝えたい言葉はまだ一度も送ってはいなかった。
伝えてしまったら、ゾロ自身が抑えきれなくなると思うから。
―――お前に会いたい。
そう伝えたら、きっと自分はメールが届く前にサンジの元へと走ってしまう。
今は我慢だと、己を律して携帯を仕舞った。



「つまらんガネ、折角のスクープも立ち消えとは実につまらんガネ」
元々口調が厭味ったらしいギャルディーノは、いかにも憤懣やる方ないと言った風にゾロに肩をぶつけて不満をあらわにした。
「私の時は、その後もずっと着脱可能3とか呼ばれて、それが後輩にまで受け継がれ通り名としてすっかり定着し…」
今度は泣き上戸か、カウンターに手を付いてヨヨヨと嘆き始めた。
絡まれると若干鬱陶しいが、酔っ払いは面白い。
たまに職員同士で飲みに出かけている。
今日はスモーカーを中心に、酒豪が集まってパブで一杯だ。
ルフィは研修で、サンジは私用があるからと不参加だった。
私用も何も、ゾロが来るから来ないのだろう。
標的になった3人の内2人が欠席で、残る1人がゾロとなれば遠慮なく弄り倒される。
「立ち消えじゃないわよ、しっかりきっちり定着してるわよね。ヒナ満足」
「なんでヒナ先生が満足してんです、まさかネタ流したの先生じゃないでしょうね」
「あら、そう来るとは思わなかったわ、ヒナ心外」
「でも、確かにそうですね。なんでお二人だったんでしょう」
ブルックは、歯をカクカクならしながら思案気に首を傾げた。
「二人のいい雰囲気が、滲み出ていたのではなくて?」
「あー、火のないところに煙は立たない…」
「止してくださいよ、先生方まで」
ゾロはグラスを空けて、お代わりを頼んだ。
「まあ、俺らは別にいいです。お互いフリーだし噂立てられて傷が付く縁談なんかも今のところありませんし、探られて痛い腹なんてないですから。勝手にくっつけられようが一向に構いません」
「さすが、堂々として男らしくて素敵ね」
「これじゃあ逆にからかい甲斐はないわね。でも少しだけでも乙女には夢を見させてあげて」

好き勝手に言い合っている同僚を前にして、ゾロはふと思った。
もしこの場で、あの写真は偽物だが、実は俺達は本気で付き合っているんだとぶちまけたらどうなるだろう。
ひどく驚かれるか、またまた〜と冗談と受け止められるか。
けれど真剣に実情を話したらあるいは、信じる人もいるかもしれない。
それで、そうしたらどうなる?
教師と言う立場で職場恋愛かと、眉を潜められるだろうか。
そもそも同性同士でと、嫌悪されるだろうか。
それこそが、サンジが最も恐れることだろうに。
ふと、衝動的にそんな最悪の事態を引き起こしたくなる。

「しかしルフィ先生にはもっと気を付けてもらわんといかんガネ、隙があるからあんな写真を撮られるガネ」
「あれも、どっからか適当に引っ張ってきた捏造でしょ」
「事実としたら実にうらやま…いやけしからんことですヨホホ〜はい」
ギャルディーノは酔いが回った赤い頬を、カウンターにぺたりとくっ付けた。
「そんなの、もし事実だとしたらそれこそサンジ先生に指導を仰ぐといいガネ。あ、サンジ先生は失敗した口だったガネ」
「なあに?ヒナ初耳」
“サンジ”の名が出て、ゾロはひそかに聞き耳を立てた。
同僚達の話題は他に移っており、ギャルディーノの愚痴みたいな呟きはヒナしか聞いていない。
「そもそもサンジ先生がグラ学来たのも、公立を辞職したからだガネ。女生徒と深い仲になって」
「ほんと?ヒナぷちショック」
ゾロの方は大ショックだ。
いやもちろん、サンジだって一介の男だから今まで恋愛経験があったなんてけしからんとかそんな風に思ったりはしない。
ただ、その相手が生徒だったとしたら話は違ってくる。
ゾロから見て実に清廉潔白で、教師の鑑とも言いたくなるサンジが実は、問題を起こして他校を追われていたとは。
「それに懲りて女生徒相手は止めて、同僚の同性教師に標的変えたかなと私は勘ぐったガネ」
「まさに下衆の勘繰りね、ヒナ嫌悪」
根拠もなく噂だけでいい加減なことを口にするのはよくないと、ヒナがきっちりとギャルディーノを締めてくれた。
その口調からも、ヒナはサンジのそれこそスキャンダラスな過去を鵜呑みにしていないと知れる。
ゾロは感謝しつつも、一瞬でもサンジを疑った自分を恥じた。


ゾロが、戸惑いながらも少しずつ教師というものを理解し、より“らしく”なれるように努力し始めたように。
サンジだってきっと、最初から“理想の教師”ではなかったはずだ。
今のゾロのように、いやそれ以上に躓いたり壁にぶち当たったりしながら、成長を続けていたのだろう。
その過程で“過ち”があったとしても、決して珍しい話ではない。
すべての経験を経て今のサンジがいるのなら、なんら恥じることはない。
直接会ったなら、前置きもなにもなくいきなりそう言って抱きしめてしまいそうなので、ゾロは気持ちを整理しつつメールを打った。
いつものように「今日あった出来事」を日記のように綴り、その流れでギャルディーノの言葉を打つ。
告げ口だとか論うとか、そういう意図はない。
あれこれ考えを巡らしてもどれもが徒労に終わるだろうから、ただ自分の気持ちに正直にこのもやもやを直接サンジに投げるだけだ。
―――お前が、前の学校で生徒と噂になったと聞いた。俺は、お前に限ってそんなことはないと思うが、もし真実ならなんらかの理由があったとも思う。
ここまで打って、やっぱダメだなと頭を掻く。
口下手ながらも、直接顔を合わせて喋った方がもっとダイレクトに自分の気持ちが伝えられるだろう。
けれど文字にするとどうしても詰問っぽくなり、打ち直そうとしてもどう直していいかわからない。
問い詰めたくも、責めたいわけでもないのだ。
ただ、今回のスクープ騒動から明らかに態度がおかしいサンジの心配をして…
いや、違うな。
ただ単に自分は、サンジに会いたいだけなのだ。
以前のように気軽に会って、バカみたいなことを話して同じ時間を過ごして。
そうして、キスをして抱き合いたい。
恋人に戻りたい。
あれが「付き合っていた訳ではない」のなら、きちんと最初からやり直して付き合いたい。

「…未練がましい、か」
ゾロは一人呟いて、迷走した挙句文章をそのまま手直しせずに送った。
最後に「お前に会いたい」と付け足して。

返事はないものと諦めていたが、一時間後に返信が届いた。
――――明日の昼休み、屋上で会おう。




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