雨の降る日は屋上で -16-


生徒との関わりが増えると、自ずと自由時間が削られていく。
昼休みに飯を食うのもままならず、ここ最近は屋上にも足を向けていない。
今日こそはと意気込んで早めに購買で総菜パンを買って帰ったら、廊下で女生徒に呼び止められた。

「ロロノア先生、少しお時間いいですか?」
ダメだとも言えず、いささか憮然としながら振り向く。
見たことがあるような顔だ。
サンジが見たら即○○ちゃ〜んとハート付きで呼んでクネクネしそうな美少女だが、名札を見てもさっぱり思い出せない。
「来月の県大会のことなんですけど・・・」
話す内容が剣道のことで、ここでようやく思い出した。
剣道部のマネージャーだ。
さすがにマネージャーを忘れるか?と脳内でセルフ突っ込みしつつ、制服と体操服では印象も違うしなと言い訳がましく考える。

「・・・では、ここでちょっと予算を使わせていただきます」
それで終わりかと思いきや、ゾロの顔をちらりと見上げた。
なにか言いたそうなそぶりに、ゾロの方から水を向ける。
「ほかに、気がかりなことでもあるか?」
「はい、あ、いえ・・・」
少し言いよどみながらも、辺りを窺うように廊下を見た。
昼休みだから教師は職員室にいて、生徒達も教室や購買部が混み合う時間だ。
廊下には人影はない。
「サガ君のことなんですけど」
「ああ」
ゾロも気に掛けてはいたが、あれからサガに変わった様子もなく生徒達も自然に接しているように見えた。
マネージャーからは違った側面が見えるだろうか。
「今度の大会を最後に、退部するかもしれません」
「・・・そうなのか?」
ほんとか?と聞きそうになったが、敢えて表現を変える。
せっかく相談しようとしてくれる子の言葉を、疑うような言い回しは避けたい。
「サガが、そんな風に言ってたのか」
「一緒に勉強してる時にチラッと。決めたというより、迷ってる感じでしたが」
「年間のスケジュールはよくわかってないんだが、早い奴でもせめて3月の選抜大会を終えてから引退するもんじゃないのか」
「受験を控えてる2年生はそうなんですけど、サガ君はできれば来年7月の選手権までいたいと思ってたはずです」
「なら、辞めなきゃいいじゃねえか」
「でも、志望する大学はかなりレベルが高くて今から本腰入れたいと…そう言いながら、多分サガ君自身が迷ってるんですよね」
サガの迷いが伝染したかのように、マネージャーの言葉も要領を得ない。
ただ、自分の心の中だけに留めて置けなくてゾロに相談したのだろう。

「大体わかった。だが、サガが部を辞めると言い出したのは受験だけが原因じゃないだろう?やはりこないだの、剣聖祭のことか」
「多分、そうだと思います」
ゾロはガリガリと頭を掻いた。
「そんなもん、元々サガとコーザの実力には差があんだから県大会でコテンパンにやっつけてやりゃいいんじゃねえか。サガは、それができる男だぞ。実力がある」
「私もそう、言ったんですけど・・・」
マネージャーは頬にかかった髪を耳に掛けて、悩ましげに眉を潜めた。
「サガ君、剣聖祭のことは関係ないんだって言い張るんですよ。でも多分・・・多分だけど、学校の生徒の前で負けてしまったことを、ずっと引き摺ってるんでしょうね。この先いくら県大会で勝っても、全国大会に出場したとしても、学校の行事で後輩に負けたって事実は消せないって」
「アホか」
うっかり言ってしまってから、慌てて片手を振る。
「えーいや・・・馬鹿らしいっちゃあ馬鹿らしいが、気持ちはわからんでもない。ぶっちゃけカッコ悪いとか思ってるんだろうし思われてもいるんだろう。だがな、サガは一体なにと戦ってんだ。自分の実力不足で負けたんなら、その事実を受けとめて次に繋げりゃいいのに」
「私もそう思うんですけど、サガ君、頭ではわかってるみたいなのに気持ちが追いつかないみたいで・・・」
「ガキだなあ・・・」
ゾロはまた、いやいやと顔の前で手を振った。
「ともかく、大体わかった。俺からもなんか言っとく」
「ありがとうございます。でも、先生の方からは特になにも、切り出さないでいただけますか?こういう状況だと、わかっていただけていればそれで充分かと」
先ほどからの失言の連発で、この教師には下手に関わらせない方がいいかもと思ったのかもしれない。
マネージャーに釘を刺され、ゾロは神妙な面持ちで頷いた。

それではこれで・・・と踵を返すマネージャーを労うつもりで、声を掛ける。
「マネージャーも大変だな、部員のことをこんな風に細かく心配してくれて」
「・・・いえ」
少し逡巡したそぶりを見せて、マネージャーは挑むような目でゾロを見た。
「マネージャーだから、じゃないです。個人的なことで恥ずかしいんですけど、サガ君とは交際してるので」
「・・・あ、そう」
間抜けな返答をしたゾロに、ふふっと花が綻ぶように笑って見せた。
「好きな人のことだから、ことさら心配してるだけです。でも怒らないんですか?生徒同士の恋愛とか言語道断だって」
「え?ああ、校則で禁止されてたっけか」
「いいえ特には。でも、運動部の先生って厳しいから・・・ミホーク先生はそんなことなかったんですけど、そもそもあの先生の方が特別だし」
確かにそうかもしれない。
ゾロも、以前だったら恋だのなんだのにうつつを抜かして・・・とか思っただろう。
だがいまは違う。
愛だの恋だのはいま一つピンと来ないが、人との関わりでよい方向に物事が進むことがあるし、またそうやって関わり合う人が存在するということ自体が喜ばしいと、そんな目で見られるようになった。
自分にとってサンジの存在がそうであるように。
「恋愛だのなんだのにうつつを抜かして、勉強も部活も疎かにするようなら怒るぞ」
「はい、わかりました。サガ君と一緒に文武両道目指して、がんばります」
普段は生真面目な印象のあるマネージャーが、お茶目な仕種で片手を挙げる。
ぺこりと小さく会釈してスカートの裾を翻し、小走りに立ち去って行った。
ゾロはぼうっとその姿を見送ってから、もう一度後ろ頭をがしがしと掻く。
「こりゃ、サガは尻に敷かれてんな」
最終的な感想がそれだった。





生徒と関わるようになって、自分以外の人間もあれこれと色々考え立ち回り、思い悩んで行動していることを改めて知った。
当然のことなのに、他人の動向にさほど気を向けることなく過ごしてきたゾロにとっては、気付く機会が増えた分だけ驚きの連続だ。
「面倒臭いな」と思うこともあるが、その数倍「面白いな」とも感じる。
青臭いプライドを抱えてウジウジしているサガも、ゾロが助言をしなくともマネージャーの支えか、はたまた部員達の気遣いのお蔭かで変わりなく過ごすようになった。
退部云々は、彼から言い出して来ない限り聞かなかったことにしよう。

「剣道部員の成績って、どんなもんっすかね」
「今頃気にしてんのか?まあ剣道部は赤点とるような生徒はいねえけどよ」
フランキー先生の机に手を掛けて話していたら、廊下をバタバタと走る音がする。
2年の生徒だ。
「先生ー!廊下に号外が、貼られてます」
「はあ?」
「あれです、例の突撃グランドラインFlash!」
「なんだその、パチモンの塊みたいなタイトル」
ゾロの突っ込みに苦笑しながら、ロビンが号外を受け取った。
「まあ、久しぶりね」
「今度はなんだ」
どれどれと顔を寄せ合って、号外を覗き込んだ。
モノクロの誌面には2枚の写真が大きく引き伸ばされ、センセーショナルな見出しが添えられていた。
―――――禁じられた恋“教師×生徒”“教師(男)×教師(男)”
「・・・は?」
そこには、ルフィとナミ、それにゾロとサンジの写真が載っていた。

「――――・・・」
目と口を開きっぱなしにして唖然とするゾロの前に、すっと手が差しだされる。
横から号外を抜き取ったサンジが、紙面をじっと見てから噴き出した。
「・・・やっべ、なにこれ」
「いやー直球来たな。っつうか、変化球か?カーブか?」
「お二人はいいとして、ルフィ先生は問題よねえ」
「お二人はいいんだ」
号外を囲んで次々と教師が集まってきたが、みな呑気なものだった。
「なんですか、これ」
思いも掛けずスクープの主役になったゾロは、当惑気味に尋ねる。
「時々、思い出したように学園内に貼られるスクープ号外だ。以前だと、ギャルディーノ先生のチャームポイント脱着可能疑惑とか、ワポル先生の器物損壊容疑とか・・・」
「これは自毛ダガネ!」
「あまりに美味いのでうっかり皿まで食ってしまっただけだ!」
抗議する二人の教師を置いておいて、カリファ先生が眼鏡をかけ直す。
「スキャンダラスなのは久しぶりね、しかもお二人はいいとしてルフィ先生のはさすがに・・・」
「お二人はいいんだ」
ゾロが乾いた声で突っ込むのに、サンジがいやいやいやと手を振って割り込む。
「こっちのが要かもしれませんよ。だってこれ・・・」
そう言って、自分たちが移った写真を指差した。

珍しくゾロが笑顔を浮かべ、サンジの肩を抱いている。
サンジも嬉しそうに目を閉じて寄り添った、どこか微笑ましい構図だ。
だがゾロは、これにまったく心当たりがない。
「これ、多分合成です」
「まあ」
「作りものですか」
「なんだつまらん」
スモーカー君!と、ヒナ先生から注意が入った。
「なんで合成だってわかるかってえと、このゾロの顔撮ったの俺なんですよ」
「え?」
サンジが話している間、ゾロは少し冷や冷やしていた。
写真に撮られたような場面に心当たりがないとはいえ、じゃあスクープ内容はまったくのでたらめかと問われれば答えられない。
下手に突っ込まない方がいいのではないかと大人しく成り行きを見ているゾロとは対照的に、サンジはいつもより積極的に参加しているように見えた。
「なんかこの構図、見覚えあるんですよね。画像で見たんじゃなく、ファインダーを通して写した気がする。もちろん、ゾロが肩組んでるのは俺じゃないです。多分部員の誰か」
「ってことはこれは・・・」
「こないだの剣聖祭の一コマですよ。俺、剣道部のデジカメ借りて写してたから、そっちに画像残ってるはずです」
「剣道部か」
「いや、こないだ学校のHPにイベント情報で画像写してたからファイルサーバーに入ってないか?」
フランキーがパソコンを立ち上げると、画像ファイルを検索して「これか」とクリックした。
ゾロと部員がアップで映った画像が映し出される。
なるほど確かに、号外の写真と同じだ。
「なんだ、ちゃちい捏造かよ」
「よく探すと、このルフィ先生の写真も同じようなの見つかるかもしれませんね」
「これは言語道断です、お二人はともかくルフィ先生のは一生徒が巻き込まれてます。いくら話題作りでも、これは許されません」
「犯人・・・ってえか、発行した者はわかってんですか?」
「薄々は見当が付いてる。新聞部OBだが今まで面白いから野放しにしてたんだよなあ」
「こりゃあ見過ごせねえぞ、なんせ一人の女生徒の名誉に関わる」
そう言って飛び出そうとした先生を、サンジが引き止めた。
「待ってください。犯人探しは後にして、まずはこの写真がねつ造だってことを検証して広めましょう」
「そうね、被害の拡大を防ぐためにもその方が賢明だわ」
ロビンの後押しを受け、サンジはてきぱきと指示を出した。
「証拠は、このロロノア先生の写真で充分だと思います。元になったこの写真と号外に載せられた写真を比較検討して、明らかな合成と結論付けてください。ルフィ先生のもどうせ合成でしょうし、そっちの証拠を探すのは無駄です」
「そうだな、証拠画像の編集は任せてくれ」
「では私は、号外の回収に参ります」
「生徒達が面白がって広めないよう、私達は見回りに行くわ」

教師たちが一斉に動き出すのを尻目に、ゾロはじっと問題の号外を見つめていた。
自分とサンジの写真は、決定的なショットを撮ったといわんばかりに鮮明で綺麗過ぎだ。
だが、ルフィとナミの写真はピントもぼけてブレている。
知っている者なら見ればわかる程度の映りだ。
誰もいない教室の片隅で、椅子に腰かけたルフィの胸にナミが顔を埋めていた。
ルフィの右手はナミの背中をしっかりと抱き、気付かうように俯いている。
これが教師と生徒という立場でなければ、微笑ましい恋人達のように見えただろう。
視線を感じて、ゾロはふと顔を上げた。
慌ただしく動く教師達に交じって、サンジはすっと目を逸らした。





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