雨の降る日は屋上で -15-


湿気を孕んだ風が、サンジの頬を撫でた。
静かな雨音と共に濡れたアスファルトの匂いを嗅いで、サンジはゆっくりと覚醒する。
ゾロの広い背中が窓辺にあった。
窓を開けたのかカーテンの端が揺れ、外の光が差し込んでいる。
時計を見れば、もう8時だった。
とっくに夜は開けているのに、どこか薄暗い。
雨の朝だ。

むくっと頭だけ起こすと、気配を感じたのかゾロが振り向いた。
「悪い、起こしたか?」
「・・・ん、や」
起こされたと言えば、起こされた。
けど別に、悪くなんかはない。
「今日休みだろ、もうちょっと寝てろ」
「んー」
昨夜は深酒して、そのままゾロの部屋に泊まった。
いまは寝転んでいるから怠いだけで済んでいるが、起き上がったら頭痛がするかもしれない。
「昨夜はちっと、無理させたからな」
「・・・おいおい、誤解を招くような言い方は止せ」
別に無理して深酒した訳ではない。
むしろキレたゾロの愚痴を聞いていたから、あまり量は飲んでないはずだ。
「誤解って、なんの」
そう言いながら、ゾロはサンジの横に腰を下ろした。
重みでベッドが深く沈む。
横向きで丸くなるサンジの顔の前に、ゾロが手を着いた。
そのまま屈みこんで、こめかみにキスを落とす。
サンジがそうっと顔を向けたら、首を傾けて唇を重ねてきた。

起き抜けだからか、匂いも味も気配も、何もかもが濃い。
全身をゾロに包まれているようで、サンジは布団の中できゅっと身を縮こませた。
自分で吐いた、息が熱い。
「誤解じゃ、ねえかもよ」
低い声で囁きながら、ゾロが顎の下を舐める。
サンジは毛布を引き上げて、布団の中に潜り込んだ。
「いやいや、もう朝だし」
「ゆっくりしろって。雨も降ってるし」
ゾロの言葉に応えるように、さーっと雨が流れる音がした。
風の涼しさが、火照った頬に心地よい。
「――――ん・・・」
ちゅ、ちゅっとキスを交わす音が、雨音に混じる。
昨夜は何にもしなかったくせに、明るくなってから盛るなんてと文句の一つも言いたいが、人のことなど言えないほどに自分の身体も高まっていた。
朝ってのは、結構ヤバい。
「・・・おい」
サンジの横に潜り込んで本格的に身体を弄り出したゾロの髪を、ツンと引っ張った。
「せめて、窓閉めろよ・・・」
「涼しいのに」
ゾロは不満そうだったが、それでもサンジに言われた通り窓を閉めカーテンもきっちりと引き直した。
そして改めて、濃密な時間を過ごした。



「腹減った」
一服するサンジの隣で寝息を立てていたゾロが、唐突に口を開いた。
それから手を伸ばして大きく伸びをし、あくびもする。
「どっか、飯食いに行くか」
「そーだな」
なにか作ろうか、という気にはならない。
もう昼間近のこの時間まで、あれこれと無体なことをされていたのだ。
サンジは全然、腹など減ってない。
むしろまだ、お腹いっぱい。

「爛れてるなぁ」
鍛えられたゾロの生尻がパンツを履く姿を、サンジは煙草を吹かしながらぼうっと眺めていた。
「ん?」
「俺ら、仮にも教師だってのに」
そう言ってから、痛そうに顔を顰めて灰皿に揉み消す。
「教師だからなんだってんだ。恋愛は別だろ」
「そうだけどさ」
教師だって、職場恋愛は多い。
と言うか、同職同士の恋愛率は多分他に類を見ないくらい高い。
同じ立場だから理解し会えるのか、単に世界が狭いのか。
そこまで考えて、それ以前の問題だろうとサンジは一人で頭を抱えた。
なんせ自分たちは、同性同士だ。
「どうした、頭痛ぇのか?」
ゾロの気遣いに、サンジは弱々しく頭を振った。
「ああ痛ぇよ、いろんな意味で」
「んじゃあ、貝のみそ汁でも出してくれる店にすっかー」
ゾロは呑気にそう言って、行きつけの定食屋に連れて行ってくれた。



「俺の奢りだ、なんでも食え」
「んじゃ今度、ルフィも連れて来ようぜ」
「止めろ、俺が破産する」
A定とB定・・・と種類を変えて注文し、ゾロはビールも頼んだ。
「昼間っから・・・ってえか、昨夜あんだけ飲んで、まだ飲むのかよ」
「休みの日くらいいいだろ」
グラスを二つ持ってきてくれたが、サンジは遠慮した。
「酔いどれ教師もどうかと思うぞ」
「プライベートは分けて考えろよ。てえか、教師なんて聖人君子じゃねえぞ」
すばやく出されたA定食を前にして、サンジは箸を止めた。
「そりゃそうだけどさ。目指すべきじゃね?」
「聖人君子をか?冗談じゃねえ」
昨夜あんなにクダを巻いて、教師たるものの心得を説いていたのにもう忘れたのだろうか。
それとも切り替えが早いのか。
「お前、引き受けたからにはやり遂げるって、昨日もやる気出してたじゃねえか」
「そりゃあ、俺だってやるからにはちゃんと教師やりてえよ。けど、教師は聖職じゃねえからな」
ゾロはビールを飲みながら、B定食をバクバク食べた。
相変わらず気持ちがいいくらいの食べっぷりだ。
「聖職の意気込みでいた方がいいだろ」
「周りの目は厳しいし新聞沙汰になるとかなら大問題だが、他の職業でも大概同じだろ。自分に恥じねえように生きてたら、充分だ」
「そりゃまあ、そうだけどよ」
サンジの皿から、アジのフライをひょいと奪う。
「先生なんて、先に生まれただけの意味だろ。みっともないことも失敗も、悪いことは反面教師にして後進に学ばせりゃいいんだ」
「・・・大雑把すぎる」
サンジはお返しに、ゾロの皿からシューマイを一個奪った。





授業には慣れてきたが、生徒とのコミュニケーションが難解になった。
以前のゾロなら「面倒臭え」と放っておいただろう小競り合いも、積極的に関わってみる。
「んで、何が原因で言い争ってたんだって?」
化学準備室の前で言い合いになっていたから、器具を片付けるのを手伝わせるついでに聞いてみた。
5組と6組の生徒だ。
どちらも、ゾロが授業を担当している。
ゾロに尋ねられても、生徒はお互いに顔を窺うようにして躊躇っていた。
根気よく待っていると、一番気の強そうな女子がおずおずと口を開く。
「マキノ先生のことです」
「マキノ先生?化学のか?」
産休に入ったからと、ゾロが交替した化学教師だ。
穏やかな性格で生徒達に慕われ、授業もわかりやすかったと聞いている。
「まあ、マキノ先生には早く帰って来てもらいたいって思ってんだろうが・・・」
「いえ、逆です」
「逆?」
あっさりと否定され、ゾロは片付ける手を止めて振り返った。
「私達はマキノ先生に帰ってきてほしいんだけど、こいつが暴言吐いてー」
「いや、俺らだってマキノ先生のがいいんですけどね」
男子が取り繕うようにそう言ってから、自分の失言に気付いたか慌てた。
「いや、もちろんロロノア先生が一番いいんですが」
「無理するな。ってえか、そこは誤魔化さなくていい」
苦笑しつつ、先を促す。
「俺よりマキノ先生のがわかりやすいし親しみやすいってのは知ってんだ。だったら、マキノ先生が帰ってくるのを待ちわびるのもわかる」
「それがー」
「だって、ねえ?」
生徒同士お互いに目配せし合い、それに最初に口を開いた女生徒が憤然と抗議した。
「だからなによ。マキノ先生はおめでたで休んでらっしゃるんだから、お祝いすべきでしょ」
「いやーおめでたって、つまり中田氏」
「不潔よね」
ゾロの頭の中で疑問符が???と湧いた。
こいつら、なに言ってんだ?

「結婚してるんだから、当たり前でしょう?」
「でもーお腹の大きい女の人って、なんか生々しくってさあ」
「ああ、生でやったんだなって」
「子どもなんて、結局生でやった快楽の産物じゃん。そう思うと妊婦って恥ずかしくね?」
馬鹿すぎて眩暈がした。
自分が高校の時どうだったかなんてまったく覚えてはいないが、このくらいの年齢の子ってこんなに幼かったっけか?
つか、生でどうのって言ってることは親父以上に下衆いじゃねえか。
指先でこめかみを抑えて黙ったゾロを、女子生徒が気遣わし気に見上げる。
「ね、先生。変なこと言うでしょみんな」
「・・・そうだな」
「ほらー」
「えー、だってー」
「うちの親も言ってたよ。仮にも教師なんだから、妊娠するなんて多感な時期の生徒を前にして信じられないって」
おいおいおい、親までかよ。

「妊娠するのはめでたいことだが、特別視しなくていいだろうが。それに生だのなんだのつまんねえ言い方するが、お前らだって自分の親が生でやった結果だろうが」
うっかりいつものノリでさらっと言ったら、生徒達が目に見えてドン引きした。
しまった、と思う。
「えーサイテー」
「先生、それはないわ」
「気持ち悪っ」
「事実だろうが!」
思わず声を荒げたら、廊下からサンジがひょっこり顔を出した。
「ミクちゃん、部活始まってるよー…って、なにしてんのみんな」
「あ」
ゾロは、地獄に仏とばかりに両手を挙げた。
「おい、こいつら変だ」
「ロロノア先生のが変」
「サンジ君、ロロノア先生がヤバいよ」
最初に同意を求めてきたはずの女子生徒までがゾロを遠巻きにしていて、一気に孤立無援になっていた。

「なにモメてんの」
女子生徒がおおまかに経緯を説明する。
サンジは、はあ、ほおと頷きながら聞いて、最後に憐れみに満ちた眼差しでゾロを見つめた。
「…まあ、ロロノア先生は置いておこう」
「放置かよ!」
ゾロの訴えを無視し、サンジは生徒たちに笑顔を向ける。
「根本的に誤解が生じてると思うから、はっきり言おう。SEXは気持ちいいだけのもんじゃない」
「えー」
「ええー」
女子が顔を赤らめ、男子は愕然とした表情で声を上げた。
ああもう、これだからDTは・・・とゾロは声に出さずにこっそりと嘆息する。
「特に男子、中田氏で気持ちいいとかあり得ねえから。中で出されても気持ちよくもなんともないから。そういうのはエロの世界だけ」
「先生、詳しいんですね」
「俺はこう見えても、学生時代“エロ仙人”と呼ばれてたから」
取り澄ました顔で何を言うのか、ゾロは呆れてまじまじと端正な横顔を見やる。
と言うか、そうか、中で出されても気持ちよくはないのか。
むしろ男の征服欲が満たされるだけか。

ゾロの方が考え込んでしまった。
我が身を振り返っている間にも、サンジは丁寧に生徒達に説明する。
「保健の授業で詳しく習ってるだろうけど、気の持ちようによってはSEXが苦痛なこともあんだよ。身体だけ気持ちいいとか、まずあり得ないから。気持ちが伴って初めて本当の快楽を得られると思う。だから俺は、みんなには気持ちを優先してほしいって思うんだ」
「えーでも、めっちゃ気持ちよくって病み付きになるって・・・」
そこまで言って、男子生徒はやっべと口を閉じた。
こちらも耳年増なタイプか。
「確かに気持ちいいのは認めるがな。自分だけ気持ちよくてもつまんねえんだよ。相手も気持ちよくなりゃ、良さは倍だぞ」
ゾロが口を挟むと、女子生徒が頬を赤らめて小さく「ひゃああ」と言った。
心なしか、サンジの耳も赤くなっている。
「なんの話だったか・・・ともかく、妊婦が生々しいとか、そういうのは自分たちが邪な目でモノを見てるだけだ。快楽だけを優先させて妊娠したんじゃなく、愛し合って子どもを授かっただけのことだ。それも、当たり前のことじゃあねえんだぜ」
サンジが、後を続ける。
「むしろ、奇蹟に近い素晴らしい出来事だ。“愛の結晶”なんて臭い言い方だけど、その表現が一番適切だと、俺は思うよ」
女子生徒が、我が意を得たりとばかりに大きく頷いた。
他の生徒達も、複雑な表情ながらもそれぞれに頷いている。
「だから、マキノ先生が元気な赤ちゃんを産んで帰ってきたら、心からおめでとうって言ってあげてほしいなあ」
サンジはそう言い終えて、それじゃ先にと外に出て行った。
「部活行かなきゃ」
「俺も―」
「じゃあロロノア先生、さよーなら」
「さよーならー」
勝手に盛り上がって勝手に去って行った生徒達を見送り、ゾロは片付けを再開させる。
生徒との関わりは、なかなかに難しい。





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