雨の降る日は屋上で -14-


剣聖祭は土曜日の午後に、部活動の一環として開催された。
よく晴れた日の体育館は、土曜日とは思えないほどの人の入りだった。
午前中に課外授業があったせいもあるだろう。
見学のためにそのまま留まった生徒や、部員の家族達、また他校から噂を聞きつけた生徒達も物見高く集まってきている。
グランドライン学園のミホーク校長はこの界隈では知らぬ者のない超有名人だが、その後任に据え置かれたロロノア・ゾロもその筋で知らぬ者はいないので、自ずと人寄せ要素になっている。
ゾロの場合は、名前は知っていても実物を見たことがない者が多く、それが今回人寄せパンダになった一因でもあった。

「サンジ君、こっちこっちー」
甲高い女生徒の声に誘われ、サンジは肩を竦めながらやれやれといった風に階段を上がって体育館の観覧席に座った。
試合場より少し距離はあるが、ここからだと全体の動きがよく見える。
「すごい人だね、いつもこれくらい人が来るの?」
「去年よりちょっと多いみたい、やっぱりロロノア先生が参加するから話題になってるよ」
「ミホちん見てるのもおもしろいけど、毎年勝ってたから飽きてたのかもね」
可愛いい声でさらりと酷いことを言う。
「先生が参加するって、ほんとはずるいよね。だって勝てる訳ないし、生徒だって勝つ訳にはいかないだろうし」
「でもロロノア先生が試合してるとこ、見たーい」
「どうせお面つけてるから、わからないよー」
サンジ君も一緒に見よう!と茶道部員に熱烈に勧誘され、サンジは「仕方なく」体育館にきた・・・ことになっている。
内心は、ちょっとウキウキだ。
ゾロはどんな戦いをするのだろう。
「あー、みんな出てきたよ」
「えー、誰が誰だかわかんないー」
「前垂れ?みたいなのに、名前書いてあるよ」
みんな目を凝らして、お目当ての生徒を探す。
剣道部に彼氏がいる子は、立ち上がって真剣に下を覗き込んでいた。
サンジも、それとなくゾロを見つけて目を細めた。
袴姿はなるほど、それなりにカッコいい。

最初はデモンストレーションとして乱取りが行われた。
敵と味方に別れず、ただひたすらに自分以外の者と打ち合う。
前後左右どこから竹刀が飛んでくるかわからないし、大人数で一斉に行うから滅茶苦茶なチャンバラみたいで、見ている方も笑いながら手を叩いた。
「めっちゃフリーダム!」
「えーあれずるい、あ、あれも〜」
「あはは、ずるいことするから集中砲火浴びてるよww」
乱取りでひとしきり笑いを取った後、いよいよ一対一のトーナメントが始まった。
ゾロと、主将クラスの上級者はシードだ。
先ほどのチャンバラとは全く違う、ぴんと張りつめた空気の中で一つ一つ試合が組まれていく。
順当に行けば、主将のサガとゾロの決勝で勝敗が決まるだろう。
その場にいた全員がそう思っていたのに、大番狂わせがあった。

勝ち進んだ一年生が、準決勝でサガを倒したのだ。
一本取られれば、それで試合は終了。
一度負けた者は、二度と勝負できない。
まさかそんなと、誰よりもサガ自身が呆気にとられ、その場の空気は意外な成り行きに凍り付いた。
「勝者、コーザ!」
審判の声が無情に響く。
ゾロも面の下で眉を顰め、勝ったコーザと負けたサガの顔を交互に見た。
サガの顔色は、紙のように白くなっている。
それでもなんとか一礼してから下がった。
握りしめた拳が強ばっているのを横目で見ながら、ゾロは自分の番だと立ち上がる。
主将でありながら一年生に負けたサガは気がかりだが、今は自分の勝負に気持ちを集中させなければならない。
たとえ相手が生徒でも、自分より遙かに年下で格下であったとしても、全力で対峙するのが礼儀だ。

サンジは、ゾロの迷いのない美しい所作に目を奪われた。
剣道などルールもまったくわからないし今まで興味も持たなかったけれど、ゾロの動きからは目が離せない。
華麗に鮮やかに一本を決めたゾロは、贔屓目に見ても惚れ惚れするほどかっこよかった。





その夜、サンジは食料を買い込んでゾロの部屋にいた。
一応優勝したお祝いにと豪勢な料理を作り、酒も上等なのを用意してある。
けれど、部屋の主はまだ帰ってこない。
「やっぱ、揉めてんのかなー」
早々に合鍵を渡され、何度か通っている内にすっかり馴染んだ、勝手知ったる部屋だ。
剣聖祭のあとは生徒達と軽く打ち上げをして、早めに帰ると聞いていたのにゾロからまだ連絡はない。
一人でずっと部屋で待ってるのも鬱陶しかと思いつつ、このまま帰るのはなんだか寂しくて、つい部屋の中を隅々まで掃除してしまった。
どこかに女性の気配ぐらい残ってるかと思ったが、ゾロの部屋には見事なほど女っ気がなかった。
今まで特定の女性と付き合ったこともないのかもしれないし、彼女ができたとしても部屋には一切上げなかったのかもしれない。
そもそも、男性だったら絶対一つや二つは持っているべきエログッズがまったくないのも、逆に呆れた。
サンジの部屋にだって、エロ本やDVDくらいはあるのに。

関係ないことに思考が逸れていたら、ガチャガチャと乱暴に鍵を開ける音がした。
「おかえり、開いてっぞ」
サンジの声に、ガチャリと扉が開く。
「ただいま、遅くなって悪い」
「いや、どっかで迷ってたのか」
「んな訳あるか」
サンジの台詞に苦笑しながら、ゾロは靴を脱いで揃え部屋に上がった。
それと入れ替わるように立ち上がり、煙草を揉み消して料理を温めるために台所に向かう。
「腹減ってるか」
「腹ペコだ」
「え、食ってねえの?」
打ち上げがあったんだろうと聞くと、ゾロは口をへの字に曲げてしかめっ面をして見せた。
「なに、サガ?」
「ああ」
やっぱりかーとゾロの代わりに溜め息を吐いて、冷蔵庫からビールを取り出す。
「主将なのに一年生に負けるとか、カッコ悪いよな」
「まあな」
そのまんまズバリと言うサンジに、ゾロは苦虫でも噛み潰したような顔で頷く。
「なんで負けちゃったの、俺よくわかんなかったんだけど油断してた?」
「そうでもねえ、気が逸れてた訳でもねえしどちらも真剣勝負だった」
「じゃあ、一年生がめっちゃ強かったってことか」
「そうでもねえんだよなあ」
手早く温め直して料理を並べると、サンジはゾロの向かいに腰掛けた。
二人して「いただきます」と手を合わせ、缶ビールのプルトップを開ける。
「確かにコーザは筋がいい、一年の中では次期主将はあいつだろう」
「けど、サガが負けるような要素はなかったんだろ」
「ああ、だからこそサガ自身が一番びっくりしただろうな」
ミホークのように自分で自分を表彰することはなかったが、一応優勝宣言をした後、部員を引き連れて近くの焼き肉屋で打ち上げをした。
サガも参加していたがさすがに元気がなく、周りもまるで腫物でも触るように接していた。
「本来なら、勝っても負けてもあっけらかんとしてるような奴らだが、さすがにめちゃくちゃ空気重かったぞ」
「だろうなあ」
普段接していないサンジですら、容易に想像できる。
「俺の奢りだっつって食わせたが、予想の半分も食いやしねえ。俺もちったあ箸を付けたが、酒も飲めねえのに食えるもんじゃねえし」
「いや、それは違うだろ」
サンジに突っ込まれつつ、ゾロはぐびりと缶ビールを呷った。
「お前が前に指摘した通り、サガってのは他の奴らから見たら一段高いところにいる主将だったんだな。それが一年生に負けて、メンツは丸潰れだ。かといって誰も、そのことを馬鹿にしたりからかったりなんざしねえ。むしろ気の毒がって、下手なフォローしようとしてよ。余計空気悪くなって」
「ああ〜〜〜」
なんとなく、わかる気がする。
「挙句に、コーザがサガに謝ったんだ」
「ひえっ?!」
それはさすがにまずいだろうと、サンジの方が蒼褪めた。
「それ、やばくね?」
「おう、そこでサガが切れた」
とは言え、さすがに生真面目で冷静なサガだ。
声を荒げたりせず、ただ悔しげに口元を歪ませて淡々と喋る。
『勝って謝るような真似はするな。俺は、謝られる覚えはない』
それだけ言って席を立ち、ゾロに一礼して店を出た。
サガを追いかける部員はいない。
主将として慕われているが親しい友人がいないと言うのはこういう状態かと、ゾロは改めて気付いたが、その場を離れることはできなかった。
「あいつらだけ放っておく訳にもいかねえしよ、とにかく食わせるだけ食わせてさっさと解散した」
そして改めてサガに連絡を取ったが、もう自宅に帰っていると無辺もない。
「このままじゃなんかやべえと思って家に行こうとしたが、辿り着けなかった」
「ああ〜〜〜〜〜」
最後のそれは、不可抗力だな。
サンジも珍しく早いピッチで缶ビールを空け、もう一缶手を伸ばした。
「なんか、誰も悪くねえのになあ。そのコーザって奴も気の毒に・・・」
サンジは、サガとコーザの試合を脳裏で思い出してみた。
思いがけない勝利に湧く応援席で、ひときわ嬉しそうに跳ねていたのは他校の制服を着た髪の長い少女だったか。
とても可愛らしかったから、なんだこいつ羨ましいとか咄嗟に思った気がする。
これは完全に、私怨だ。
「茶道部の子達も言ってたけど、先生と生徒が戦ったら先生に勝てる訳ないしずるいって」
「ああ?んなことねえぞ、俺だって真剣にやってる」
「そらまあわかるけどよ。万が一にも生徒に負けたら、お前だって面白くねえだろうが」
「生徒に負けるようなら、俺はそれまでの男だってことだ」
「てめえの潔さはいま問題じゃねえんだよ。よしんば生徒が勝ったとしたら、勝った生徒だってバツ悪いだろ」
「なんでだよ。目上の者に勝ったなら、誇ればいいんだ」
「だから、そういう風に割り切れねえっての」
この体育会系めと、毒づきながら肘を着いた。
サンジも、少々酔いが回って来たらしい。

「勝負なんだから、負けたら悔しい、勝ったら嬉しい。そう単純になればいいんだろうけどな」
「俺はそうだぞ」
「お前の単純さは知ってるよ」
くくっと笑うサンジの前で、ゾロはああーといきなり大声を出して両手を挙げた。
びっくりして、片方だけ覗く目を丸くする。
「なんだよいきなり」
「ああーもう、めんどくせえ!」
サンジだけでなく、どうやらゾロも酔いが回ったようだ。
いつもと随分と様子が違い、どこか自棄になったように振り上げた腕をぐるぐる回した。
「負けたら負けたで、もっと強くなりゃいいじゃねえか。主将だからって、他の奴らも必要以上に気ぃ遣うんじゃねえよ」
「それを、みんなに言ってやりゃいいだろ」
「言ったぞ、だがなんか煮え切らねえんだよみんな。俺が一番腹立ったのはな、サガが店を出てからあいつらの表情が明るくなったことだ。まるで、厄介者がいなくなったと言わんばかりにな」
ゾロはふんと鼻息を荒くし、三つ目のビール缶を開けた。
「サガもサガだ、表面上は平静を装ってんのにバレバレだ。あれ絶対拗ねてんだぞ、うじうじしやがってあの野郎」
「まあ、ショックだった訳だし」
「勝者に謝らせんなよって言いたいとこだが、あいつはあいつでいっぱいいっぱいだろうしなあ。あれで周囲のモンにも気ぃ遣ってたら、それはそれで怒るぞ俺は」
言ってることが支離滅裂だ。
サンジはまあまあと、サラダを取り分けてゾロに手渡した。
「ほんとめんどくせえ。ただ剣道の世界だけだってんなら、負けた理由を突き詰めて次の試合に生かすのがいいんだが、今回のこれは親睦も兼ねてるから中途半端だ。それに、サガも部員達もこれから剣道で飯食ってく訳じゃねえからな。あと半年もすれば、サガだって退部する」
「…そうだな」
あくまで、本業は勉学であって部活動は二の次だ。
県大会に出場し勝ち続けることも大きな目標だが、やはり3年生ともなると受験に重きを置く。
「大会じゃないんだから、校内のイベントの一種としてちょっとしたハプニングってことで・・・」
「それで済ませられるほど、サガのプライドも安くはねえだろうし」
ああもうとゾロが髪をバリバリと掻き毟り、サンジは慌てて大皿を持ち上げた。
「食卓で頭を掻くな、この馬鹿!」
「ううう〜〜〜」
ゾロはまるで癇癪を起こした子どもみたいな顔をした。
思わず、サンジの方がぶっと吹き出してしまう。
「なんだよお前、拗ねてんのはお前の方だろうが」
「どうしていいか、わからねえんだよ」
ぶすくれて横を向いたゾロは、まるっきり駄々を捏ねる子どもそのものだ。
「どいつもこいつも未熟なガキのくせにプライドだけは一人前で、手間がかかる」
「てめえも十分、ガキだなあ」
サンジは煙草に火を点けて、目を細めながら口端から煙を吐いた。
「俺がか?」
「おうよ、なんのかんの言ってサガのこと心配なんだろうが。それでそう、ヤキモキしてやがる」
「ヤキモキ・・・」
ゾロはサンジの顔を見て目を瞬かせ、そうだなと呟いた。
「そういう表現が一番しっくりくんな。今まで、こういう気持ちになったことがあまりねえ」
「てか、お前って他人と関わり合うの苦手だろう」
サンジにズバリと指摘され、素直に頷く。
「剣道の指導くらいなら正直容易いんだ、だが強ェとか弱ェとかそういう範疇外にこう、人間関係とかが拗れてるとめんどくせえ」
「お前が言う“めんどくせえ”だらけだぞ、教師ってのは」
サンジの言葉に、がっくりと肩を落とす。
「俺ぁつくづく、向いてねえ」
「今頃言うかお前がそれを。乗りかかった船だ、諦めろ」
サンジはふうと煙を吐いて、ゾロを眺め見た。
「教師ってのは深くて怖ェぞ。なんせ、生徒一人の人生も左右することがあんだ。俺らにとってはたくさんいる生徒の一人でも、生徒にとっては唯一の恩師になることもある」
「――――・・・」
「教師たるもの聖人君子であれとは言わねえが、立場を自覚するのは今からでも遅くねえぞ」
ゾロは腕を組んでしばらく何かを考えていたようだが、掠れた声で「そうだな」となんとか相槌を打った。
「いま俺が“ヤキモキ”して、サガとなんとか話をしてえと思ってんのも、俺の都合だな」
「ん?」
「どうにも落ち着かねえんだが、これは俺の気持ちが落ち着かねえだけで、サガのことを想っての行動じゃねえってことだ。だから、いま俺が動くのはサガのためにはならねえかもしんねえ」
「―――・・・」
「サガはサガで、一人で考える時間が必要だな」
サンジは一旦目を丸くしてから、微笑んだ。
「自分でちゃんと気付いたな、よくできました」
茶化されたかと一瞬目を吊り上げたが、ゾロは素直に頭を下げた。
「これからもご教示ください、サンジ先生」
「やめろ馬鹿」
ほら飲めよと、冷えた缶ビールを取り出して渡す。
今夜は深酒になりそうだ。



next