雨の降る日は屋上で -12-


思い返せば、ゾロは幼い頃より落ち着きのない子どもだった。
後先考えずに行動し、危ない目にも結構遭っていて、毎日生傷が絶えなかったか。
あんまり考えなしなので、心配した母が有り余る元気と体力を発散させるべく剣道道場に通わせた。
それが功を奏したか、以来ゾロは次第に礼儀正しくなり、いつの間にか自然な落ち着きを手に入れた。
今では、いついかなる時でも冷静過ぎて老たけて見え、若いのに年寄り臭いとまで言われている。

そんなことをつらつらと思い出し、頬杖を着いて傍らに横たわるサンジを流し見た。
枕に顔を押し付けて、先ほどから「あー」とか「うー」とか、意味不明な呻き声を上げている。
剥き出しの白い肩が強ばるように尖っていて、痛々しい。
「あー…大丈夫か」
なんと言っていいかわからず、ゾロは適当に声を掛けてみた。
サンジは一時黙り、ゆっくりと首を巡らせて枕から顔をずらす。
赤く充血した目が、実に恨めしげだ。
「…なにが、大丈夫かだこの野郎」
言い返す声が擦れていて、ついでケホリと空咳が出た。
そのまま再び枕に突っ伏してケホケホ噎せるサンジの、裸の背中を擦ってやる。
「水、汲んでこようか」
「…冷蔵庫にペットボトル、あっから」
水道水は却下かと、ゾロはベッドから降りてそのままキッチンに入る。
全裸なのでブラブラさせながら寝室に戻ったら、枕から顔を上げたサンジが「ぎゃっ」と叫んだ。
「なんて格好でいやがる!」
「…なにを今さら」
さっきまで、この裸の胸に顔をすり付けてアンアン喘いでいただろうが。
とはさすがに言えず、サンジの顔の横に腰を下ろした。
スプリングが弾み、その勢いでサンジは肘を立てて身体を起こした。
「…くっ」
痛そうに顔を歪めるから、ゾロは罪悪感に駆られその背中を抱いた。
「大丈夫か」
「うるさい、誰のせいだ」
邪険に振り払おうとする、腕の動きも弱々しい。
やはり、本来使うべきではない箇所を酷使したのはまずかったかと、ゾロはちょっぴり反省した。
「痛えのか、なんか薬塗るか」
「…っざけんな、なに塗る気だ」
「なんかねえのか、赤チンとかオキシドールとか」
「死ぬわ!」
飲み干した空のペットボトルをゾロの額に投げつけ、サンジは再びベッドにうつ伏した。
「傷は、付いてねえと思うんだが」
「うっせえバカ、別に傷っぽい痛みとかじゃねえよ」
「じゃあなんだ」
「ちょっとは想像してみろこの脳タリン、あんなとこに、あんなもんが入ったんだぞ」
「――――・・・」
確かに、わが身に置き換えて想像してみるとちょびっとだけ玉が縮み上がる。
普通は、入らない。
「よく入ったなあ」
「しみじみ言うな、無理やり入れたくせに」
これにはカチンと来た。
「人聞きの悪い、強姦じゃねえぞ」
「うっせえバカ、いきなり襲いかかってきたのはてめえだろうが」
「んなこと言ってやがって、途中でもういいからつったのは、てめえの方だろ」
ゾロがそう言うと、サンジはうぎゃあと叫んだ。
「言うな、んなこと言うか俺が!」
「言った、確かにこの耳で聞いた」
顔を真っ赤にさせて枕を掴むサンジの手を引いて、胸の中に無理やり抱き込む。
シーツごと包まれ、しばらく往生際悪くもがいていたが、その内大人しくなった。
そんなサンジの、乱れた髪の間に鼻を突っ込んでかすかな汗の匂いを嗅いだ。
「好きだぞ」
「…うっせえ」
「すっげえ好きだ」
「黙れ馬鹿」
ゾロの顎にゴンゴンと自分の頭を打ち付けて、痛さで顔を顰めながら固い胸板に目元を擦りつける。
「…俺だって、好きだばか」
ほとんど口の中で呟いただけの小さな囁きは、ちゃんとゾロの耳に届いた。





それから、ゾロは毎日弁当を持参するようになった。
持参と言うか、先に出勤したサンジがゾロのロッカーにそっと弁当を入れておいてくれるのだ。
綺麗に食べ終えた弁当箱は、ゾロがサンジのロッカーに返しておく。
サンジは人目を気にするから、二人の弁当のおかずが同じ種類になることは絶対にない。
まったく別の弁当を二人分作ってるようなものじゃないかと、ゾロは何度かサンジに「同じもの」を所望したが、サンジは頑として受け付けなかった。
なにがどうあっても、二人の仲がバレるのは嫌らしい。

「別にバレたって構わねえだろうが、お互いいい年した大人なんだから」
そろそろ、日中でも風が冷たさを孕む季節だ。
屋上のフェンスに凭れ、サンジは高い空を仰ぎ見た。
「お前、成人年齢に達しているってこと以外に俺たちの間には大問題があるだろうが」
「…なにかあったか?」
ゾロはフェンスに背中を預け、軽く首を鳴らしながら上向く。
サンジが何を言わんとしているか、本気でわからない。
特に、敵同士の家に生まれた訳でもない。
お互い恋人がいる訳でも結婚している訳でもないのだから、浮気も不倫もないだろう。
「俺もお前も、男だろうが」
「何を今さら…」
ゾロは素でとぼけてから、「あ」と声を出した。
「…そういや、そうか?」
「気付くの遅すぎ。つか、お前もしかしてわざとなのか?それともマジ天然なのか」
同性同士の恋愛は大問題だろうと思うのに、ゾロはその辺まったく頓着せずにとっととサンジに手を出していたから、今さら躊躇する部分ではなかった。
一方サンジは、ずっとそこで足踏みを続けている。
「あのな、世間一般がお前みたいに無神経で無頓着な訳じゃねえから。むしろ、男同士ってマイノリティで、大きな声で言える関係でもねえから」
「別に、俺は逃げも隠れもしねえ」
無駄に堂々と胸を張るゾロの後頭部を、掌ではたいた。
「お前はそれでいいだろうよ。だがな、俺は絶対にバレるのは御免だ。大体、俺達は教師だ。多感な時期の子どもたちを正しく教え導く、聖職者だ」
言われて初めて自分の立場を認識するのもどうかと、ゾロは黙って反省した。
サンジに指摘されるまで、その懸念はまーったく脳裏を掠めもしなかった。
「教師同士の恋愛も憚られるのに、まさか野郎同士で…なんて、教育上大問題だろうが。いや、そもそも教師じゃなくたって、異端視されるもんなんだ」
「そういうもんかね」
確かに、ゾロの周りで同性愛者だと公言している者はいないが、公言していないだけで実はそんな性癖を持つ者も存在するのかもしれない。
けれどそれは、わからない。
自分から告白しない限り、人の嗜好や性癖なんて他人が暴くものじゃないからだ。
もし噂話として耳に入ってもゾロならばそれがどうしたと聞き流す程度だが、悪意を持って広まれば誰の立場も危うくなるだろう。
それだけデリケートでプライベートな問題だからこそ、なにを置いても「恋愛」と言うのは重視される。
「お前が嫌がるようなことは、しねえ」
サンジを仰ぎ見れば、その声に誘われるようにサンジは顔を俯けた。
青い空の下で逆光になって、その表情がよく見えない。
けれど、引き結ばれた口端は困ったように下がっていた。
「…なら、内緒にできるか」
「隠し事は嫌いだが、お前のためなら我慢できる」
「してくれ」
「わかった」
本音を言えば、スクランブル交差点のど真ん中で「お前が好きだ」と叫びたいくらい、ゾロはサンジのことが好きだった。
けれど、この想いは人に知られてはいけないのだ。
だったら当人にだけ、ありったけの想いをこめていつでも伝えよう。
「好きだぞ」
「…だから、学校でそういうことを言うなってんだ」
乱暴に蹴り付けてきたサンジの顔が真っ赤に染まっていたことは、逆光でもすぐにわかった。




「今年も、剣聖祭するんですって?」
どこで聞きつけたか、教師たちが興味深そうに話しかけてくる。
「理事長がいらっしゃらないから、今年は取り止めかと思いました」
「俺もどのような催しかはっきり知らないんですがね、生徒たちの希望もありまして」
剣聖祭を行うと決めたはいいが、相変わらず準備は生徒に任せきりだった。
ミホークが出奔(?)したのは突然のことだったから、予算はちゃんと確保されている。
ポスターも製作中らしく、もう少し時期が迫れば慌ただしい雰囲気になるのだろう。
ゾロが職員室で弁当を食べていたら、背後からいきなり腕が伸びてきた。
肉巻ポテトを奪われそうになるのを、間一髪で死守する。
ちぇっと子どもみたいに舌打ちするのは、ルフィ先生だ。
「一つくらいいいじゃないか、ゾロのけちー」
「一体どこの生徒だ」
言動が、高校生よりガキっぽい。
「これは俺の弁当なんだから、米ひと粒でもやりません」
「えーそんな美味そうなのにー」
「そうですよね、ロロノア先生のお弁当とても美味しそうですヨホホ〜」
音楽教師のブルックが覗き込み、反対方向からフランキーも顔を覗かせた。
「前はコンビニ弁当だったのに、こりゃまたえらい豪勢な」
「これか?」
スモーカーが小指を立てて見せたので、ベタ過ぎるわとロビンが冷たい視線を送っている。
「そうです、俺の大事な大事な弁当なので見ないでください」
「見るぐらいいいじゃないか、けち」
「お前に見られると、減る気がするんだよ」
悪態を吐いている間に、ルフィの手がすかさず伸びてから揚げを一つ取られた。
「あ!」
「へへへ、もーらい」
にっかり笑って口の中に放り込み、ルフィは「んまーっ」と叫び声を上げた。
ゾロが弁当箱を持って立ち上がると、フランキーが笑いながら踊るルフィを羽交い絞めする。
「まあまあ。それより去年の剣聖祭のビデオ、見るか?」
「あるんですか?」
「視聴覚室にDVDで保存してある。年別にラベル貼ってあるからすぐわかると思うぞ」
フランキーの腕を押しのけ、ルフィは口をモグモグさせながら伸びあがった。
「よかったら俺が見せてやろうか、次授業ねえし」
「そうね、でもルフィは機材を壊さないかしら」
「俺はDVDの在り処を教えるだけだ、操作はゾロがするだろ」
「別にルフィに来てもらわなくてもいいような気がするんだが」
ゾロがもっともなことを言うと、他の教師たちは妙な顔をした。
「なんだ?」
きょとんとしたゾロに、フランキーが大げさなそぶりで首を振る。
「そもそもロロノア先生一人で、視聴覚室に辿り着けねえだろ」
「―――・・・」
確かにそうだ。
なんせこの学校は本当に、わかり辛いのだから。



「んーとな、ここにずらっと並んでんのがそうだから」
ルフィに連れられ視聴覚室の機材置き場に入り、「剣聖祭」のラベルを選んで手に取る。
「ここで見るならこのデッキ使えるぞ、持って帰るなら貸出簿がここにあるし」
「借りられるか」
折角だから、家でゆっくり見てみたい。
そう思って何本か選別していると、ルフィは右足のつま先で左足の脛をカイカイと掻いた。
「なあ」
「ん?」
「さっきの弁当、あれサンジが作ったのか?」
驚いて、つい無言で振り返ってしまった。
答えなくとも、これで「正解」と伝えてしまったようなもんだ。
「え、やっぱビンゴか。前に調理室で作ってたのつまみ食いしたのと、同じ味がしたんだ」
「お前すごいな」
「ししし、だろ?俺は美味いものも不味いものも何でも食うけど、結構味わってんだ」
得意気に肩を揺らして笑い、それから目を見開いて首を傾げた。
「けど、なんでサンジに弁当作ってもらってんだよ。ずりいぞ」
「ああそりゃ…まあ」
恋人だからだと言いたいところだが、ここはぐっと我慢した。
サンジは、人に知られるのを嫌がっている。
ならばここは自分がだんまりを決め込んで、悟られないように努力しないといけない。
そうでなくともルフィは自分と同じ匂いがして、物事の常識に囚われない自由人だ。
タブーを知らない人間は、タブーを意識して恐れる者に比べて気遣いがなく、秘め事も平気で口にしてしまう。
それを「よくないこと」だと思っていないから罪悪感もない。
ゾロだって、サンジに釘を刺されなければ早々に尻尾を出してしまっていただろう。

黙ってしまったゾロをじっと見つめ、ルフィはふうんと気のない声を出した。
「ずりいとか、そんなんじゃねえのか。サンジは好きでゾロに弁当作ってんだな」
「…そうだ」
これくらいは答えてもいいだろうか。
嘘じゃないから。
「ってか、サンジはゾロが好きなのか。あいつなら好きな奴の弁当は、作りたいって思うよな」
「…いっ」
まずい、いきなり真相にヒットしてしまった。
何か言いたげに口を開き、けれど言葉を継げずに焦るゾロを、ルフィは真面目な顔付きで見つめた。
「ゾロもサンジのこと、好きなんだろ」
「―――・・・」
黙秘権を行使できない。
と言うか、黙っていても無駄な気がする。
「そうだ、けど他の奴に言うなよ」
「おう、わかった」
思いのほか物わかりがいいのに逆に驚いて、ゾロは目を瞠った。
「なんだ、わかってくれんのか」
「おう。別にゾロは構わないんだろ、サンジとのこと他の奴に知られても」
「ああ」
「けど、サンジが嫌がるんだろ」
「すごいな、なんでわかるんだ」
素直に感心したら、ルフィは困ったように鼻の下を指で擦った。
「俺も、こないだまでそういうのよくわかんなかったんだけど、わかるようになったんだ」
「―――?」
「俺も、同じだからな」
そう言って、悪戯っぽく笑った。




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