雨の降る日は屋上で -11-


ゾロは子どもの気持ちに戻ってその場を想像してみて、竦み上がる思いがした。
ただでさえ上背があり恰幅もあり、強面で炯々とした目力なのだ。
あの目で見下ろされて怒鳴られた日には、小学生ぐらいなら軽く泣きが入る。
「俺は怒鳴られ慣れてるからそうでもなかったけど、その場にいた友達がみんな飛び上がって怯えてさ、ろくに話もしないで我先に逃げ出した。それ見てジジイは余計機嫌を損ねて『ろくなもんじゃねえな』っつったんだ」
気持ちはわかる。
ゾロだって、そのクソガキどもの行動には眉を潜めるし、付き合うのは考えろと言いたくなるかもしれない。
だが、当時はサンジも同じ小学生だったのだ。
彼にとっては初めてできた、友達だった。

「それ以来、うちに友達が来ることはなくなった。うちに来てた子だけじゃなく、学校で噂になってさ。サンジんちのじーさん、めちゃくちゃ怖いぞ〜って。まあ事実だからいいけど」
サンジは、ははっと力なく笑う。
「なあ、昔『お誕生会』とかなかったか?」
唐突な単語に、ゾロははてと首を傾げた。
懐かしい響きのような、馴染みのないような。
よくよく考えてみれば、道場で同じ世代の子どもたちと遊んでばかりいた自分だ。
そう言えば師匠夫婦が月ごとに、その月の誕生日の子を集めてお祝いをしていたっけか。
祝うと言っても特別なことをするわけでもなく、休憩時間にみんなで「おめでとう」と言ってジュースを飲むぐらいだったが。
「ちゃんとしたものは知らねえが、女子とかはお互いの家に呼んだりしてた…な」
ゾロ君も〜と誘われたこともあったが、道場行くからと断った覚えがある。
「うん、俺のとこは男子も結構やってた。自分ちに仲の良い子呼んで、お母さんがケーキとか準備しててくれるから、それでお祝いするんだ。消しゴムとかメモ帳とか、可愛いプレゼント持ってってさ」
お誕生会に呼ばれるかどうかで、友達の枠が分かれる。
サンジも最初はよく呼ばれていたけど、その内誰からも呼ばれなくなった。
「俺んちが、お誕生会をしなかったからだ」
―――サンジ君はお呼ばればかりで、おうちに呼んでくれないものね。
おしゃまな女の子にズバリと言われ、サンジは泣きそうになりながら「そうだね」と笑って見せた。
ジジイに「俺のお誕生会をしてくれ」なんて口が裂けても言えないし、そんなこと気付かないだろう。
別にお誕生会に呼ばれないからと言って仲間外れになることはなかったが、ふとした折にその時の話が出ると出席していないサンジは疎外感を覚えた。
中学年になるとお誕生会なるものもいつの間にか廃れたが、「サンジのじいさんは怖い」が定着していて、放課後一緒に遊ぶ友達はできなかった。
その代わりサンジは、ゼフが戻ってくるまでの長い時間を図書館から借りた本を読んで過ごした。

「物語ってのはいいぞ、読んでく内にその世界に引き込まれて、主人公と同じ経験をした気分になるんだ。本の中でなら、俺はどんな勇者でも悲劇のヒロインでも、殺人事件に巻き込まれた純朴な青年でも宇宙に放り出された孤独な飛行士にだってなれる」
「ふうん」
サンジとまったく対極にあるゾロには、読書欲がなかった。
論文系はすらすら読めるが、創作された物語というものに入り込めない。
かろうじて、主役が動物や人間以外の物であればなんとか読み進めることができるが、人間模様を描かれると字面だけが脳内で上滑りしてしまう。
ゾロがそう説明すると、サンジは「???」と言う顔をした。
「人間が主役じゃないのって、むしろ少なくね?」
「だろ?だから俺が読める小説ってのは中々見つからねえ」
「や、だって人間が主役だから感情移入ができるんじゃあ・・・」
こめかみに指を当てて少し考えるそぶりをしてから、サンジは肩を揺らして笑った。
「ほんっとうに、お前とはまったく違うんだな。正反対だ」
「だな、まあ俺はよく変わり者って言われるけどよ」
「自覚はあんのかマリモン」
「マリモ言うな」
くっくと喉の奥で笑い、サンジは眩しそうに目を細めながらゾロの顔を見た。

「こんな風にさ、悪態吐ける友達って、俺はいなかったんだ」
「ん?」
「小学校の時は、そう言う訳であんまり親しい友人ができないままだったけど、中学高校とは普通にクラスメイトとつるんでたんだぜ。けど、なんて言うか上辺だけって言うか。部活に入らず学校終ったら店手伝うためにとっとと帰って来たけどさあ、つまり家と学校の往復だけだったな」
「まあ、そりゃ俺も似たようなもんだが」
ゾロの言葉に、サンジはすっと視線を逸らして前を向き煙草を咥える。
「こんな風にたわいないこと、色々話せる同年代の友達っていなかったんだ」

そう言えば、ゾロがサンジにキスした時「せっかく友達ができたと思ったのに」と激高していたっけか。
これは、そういうことなのだろうか。
サンジにとって、ゾロはあくまで「友達」で。
だから、いきなりキスされたことをサンジは「裏切り」と捉えたのか。

ぶるりと身体を震わせ、サンジは口をへの字にして煙草の先を上げた。
「冷えて来たな、そろそろ帰るか」
「―――・・・」
不満そうに黙って目を向けるゾロに、なんだよと眉を潜める。
「飯食ったし色々話しただろうが。もう今日はこれでおしまい」
「晩飯、どうすんだ」
「帰ってなんか食うよ」
「俺は、なんの予定もない」
ゾロは、ずずいと真横に腰を移動させた。
拳二つ分空いていたスペースが、一気に埋まる。
サンジは慌てて腰を浮かし、ベンチの端に尻が半分はみ出た。
「なんでだよ、昼飯くって栗も食って、まだ晩飯も食うのかよ」
「今度も俺が奢る」
「二食も奢られる義理はねえよ」
「だったら折半しよう」
そう言って、すっくと立ち上がった。
ぽかんと見上げるサンジに、ゾロはにかりと笑いかけた。
「俺が材料を買うから、お前が料理しろよ。やっぱり、お前の飯が食いてえ」
「…何様だよ」

そもそも今日は、今までの借りを返すためにサンジを食事に誘ったのではないか。
結局また飯を作らせるなら、借りも貸しもないじゃないか。
いや、材料費をゾロが払うって言うんなら、サンジは労力だけなのか。
「―――なにが、食いたい」
「なんでも。ってか、買い物しながら考えようぜ」
一緒に。
そう付け足すと、サンジは赤い鼻の頭より頬の色を濃くした。





成り行きで、サンジの家に向かった。
バラティエとはさほど距離はない、アパート暮らしだ。
駅を挟んで反対方向にあるから、ゾロの住まいからは少し離れている。
「で、結局鍋か」
「やっぱ寒くなってくると、これだろ」
サンジがよく行くスーパーに寄って、二人でああでもないこうでもないと言い合いながら食材を買った。
ベースは味噌にするか鶏がらにするか、メインは肉にするか魚介にするか、〆はうどんかラーメンか。
まったく真逆な主張をしながらも、なんとか折り合いを付ける。

「鍋なら、別に俺が作らなくてもいいだろうが」
「いや、俺は水の中に適当にぶっこんでグラグラさせるだけだぞ。お前がそれで耐えられるならそれでもいいが」
「…スミマセンデシタ」
口先だけで謝りながら、サンジは手早く夕食の支度を始める。
その間、ゾロは初めて上がったサンジの部屋でどこか居心地悪そうに座っていた。
他人の部屋に上がり込むなど久しぶりだ。
自分の部屋とは違い温かい色味のファブリックで統一されていて、まだ暖房が効いていないのに眺めているだけで寒さが和らいだ気がする。
サンジの人柄をそのまま映したような、居心地のいい部屋だ。
「こら、外から帰って手え洗ったか」
「あ、ああ」
まるで子どものように諭されて、案内されるまま洗面所に向かう。
こじんまりとした洗面台に、一人分のコップと歯ブラシが置いてあってどきりとした。
サンジのプライベート空間だと意識すると、俄かに落ち着きがなくなる。

「もう腹減ったか?」
「あ、ああ」
「栗食ったのに、別腹かよ」
テーブルの真ん中に電気調理鍋を据えて、下ごしらえを済ませた食材を大皿に盛った。
ゾロも適当にキッチンをウロウロして、食器を並べたりビールを出したりする。
「んじゃ、乾杯」
「おう」
くつくつと煮えはじめた鍋の湯気を挟んで、軽くグラスを合わせる。
ああやっぱり、こいつと一緒にいるのはいいなあ。
ゾロは満足して目を細め、一息にグラスを呷った。

「な、一緒に食う方がいいだろうが」
無暗に鍋をつつくゾロの手を止めて、サンジは甲斐甲斐しく小皿に盛り付けた。
ゾロの言葉にふふんと鼻で笑い、綺麗によそわれた小皿を手渡す。
「メニューが鍋だからだろ。さすがに一人鍋はつまらねえ」
「俺も、一人だったらコンビニの鍋だな」
「今はなんでも揃うから、便利だけどなあ」
サンジは手際よく灰汁を掬い、さらに具材を投入した。
「…なあ」
「ん?」
「お前が作る飯が美味いから、一緒に食いたいんじゃないぞ」
ゾロの言葉に、ん?と不審げに顔を上げた。
「いや、もちろんお前の飯が美味いのもあるんだ」
「なんだよ」
「けどな、お前の飯じゃなくて一緒にいたいし、顔を見ていたいし声も聞きたい」
「なんだ、藪から棒に」
サンジは怒ったように身を引いた。
ビールのせいか、頬はほのかに赤い。

「家に来るまで並んで歩いてて、ずっと考えてた。なんでお前に惚れたんだろうなって」
「…やめろよ」
「嫌か?」
「や、だって」
サンジは俯いて首を傾げ、テーブルに肘を着いた。
「なんか、二人きりだから気まずいだろ」
「俺はそうでもねえぞ」
「無神経過ぎんだよ」
怒って見えるのは、実は照れているだけだともうゾロは気付いている。
だからサンジの些末な抵抗など、さくっと無視した。
「今日、お前のガキん時の話とか聞いて、納得できた部分があんだ」
「なんだ、止めろよ俺の黒歴史掘り返すの」
「黒歴史じゃねえよ、それがあるから今のお前がいるんじゃねえか」
ゾロは継ぎ足したビールを飲んで、ふうと息を吐く。
「辛い想いも寂しい想いも全部自分が経験したから、人の痛みに聡いんだろうな。俺はダメだ、のほほんと生きてさして挫折もしてねえ。だから、人の痛みに鈍い」
「さらっと、自慢か」
「自慢にゃなんねえよ」
ゾロは拗ねたように唇を尖らせる。
「教師としては、欠陥だ」
「―――・・・」
サンジは顔を上げ、気遣わし気に眉を寄せた。
「んなこと、ねえだろ。関係ねえ」
「いや、やっぱ絶対的な経験値ってのはベースにねえとだめだ。教師としてと言うより人間として、だな。俺は経験値が足らねえ」
「俺だって…お前は、俺が知らないものを知ってて、俺が持ってないものを持ってる」
サンジは、グラスを口元に持って行ってちろりと舐めた。
少しの酒で酔いが回るのか、気怠い動作が色っぽい。
「お互い様か?」
「だろ?俺らは真逆なんだから」

まだ半分以上入っているグラスをテーブルに置いて、サンジは両手を組んだ。
「俺がなんでもできるスーパー教師で、生徒にも慕われてて人間的にも素晴らしくて、しかも料理上手だから惚れた・・・ってんじゃ、ねえって?」
「ああ」
「んじゃ、なにが好きなの」
「全部だ」
人に対して、こんなことを囁くのはゾロにとって初めての経験だった。
基本、来るもの拒まずだったから言い寄られることは星の数ほどあったが、自分から口説くことなど考えもしなかった。
と言うか、今までこんな気持ちに突き動かされたことなどない。
「お前は、俺を友人だと思いたかったようだが、俺はやっぱりその立場に甘んじてはいられねえ」
「なんで、俺達男同士だぞ」
「関係ねえ」
きっぱりと言い切って、新しいビールのプルトップを開ける。

「お友達からとか、そういうのはなしだ。俺は、全部ひっくるめてお前が欲しい」
「――――・・・」
サンジはゾロの視線を遮るように、掌を額に当てた。
長い前髪が表情を覆い隠し、手首の陰から覗く唇が僅かに開く。
「…困る」
「いやか?」
嫌だと言われても、ゾロはもう引く気はない。
単なる確認のつもりで問うたら、サンジは顔を赤く染めたまま睨み返した。
「嫌じゃないから、困る」

その時、ゾロは自分の中でなにかがプツリと切れる音を聞いた。
結局そのまま、ゾロは鍋そっちのけでサンジを美味しくいただいてしまった。



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