雨の降る日は屋上で -1-


私立、聖グランドライン学園高等部。
自由な校風だが偏差値も高く、この地域では一番人気の進学校だ。
母校でもある懐かしの校舎の中で、ロロノア・ゾロは迷子になっていた。

夏休み明け、9月から新学期が始まる中途半端な時期に化学講師として採用になった。
なぜかというと、この学園の理事長でもあり道楽で剣道部の顧問を務めていたジェラキュール・ミホークが、ちょっと気が向いたからとふらりと南米に武者修行に出かけてしまったからだ。
その後の代理顧問として、愛弟子(ミホーク談)であるロロノア・ゾロに白羽の矢が立ち、教員免許を持っているのをいいことに勝手に手続きされてしまった。
東西海大学大学院の研究室に勤めていたはずのゾロは、本人があずかり知らぬ内に聖グランドライン学園に出勤する羽目になっていた。

「ったく、ミホ先のやることは相変わらず強引にもほどがあるぜ」
授業は来週からと言われているが、実際どこまで進んでいるのか知りたいし、現在の教科書も確認しておきたい。
自分の担当クラスも把握したいからと新学期早々学園に足を運んだはいいが、なかなか職員室にたどり着けなかった。
中高合わせて6年間、確かにこの学校に通っていたはずなのに、本当にわかりにくい校舎だ。

何度か同じ景色を横目で見ながら似たような廊下を通り過ぎたゾロは、そこが先ほども通った場所だと気が付いた。
女子生徒達が、目立つ金髪の男子を囲んできゃっきゃと賑やかに話している光景を、さっきも見たからだ。
「えーサンジ君、お料理も得意なの?」
「すごーい、サンジ君ってなんでもできるんだあ」
女子達に誉めそやされ、「サンジ君」と呼ばれた男子は、情けない表情でニヤけながら上半身をくねらせていた。
白いシャツにグレーのパンツ。
グランドライン学園の制服ではないが、確かゾロが在籍していた時も夏期は私服がOKだったかと懐かしく思い出す。
顔立ちやスタイルからして、あの金髪も染めているのではないのだろう。
昔からインターナショナルな学校だったしなと思いつつ、ゾロはその場を通り過ぎた。

それから階段を昇り、廊下を渡って階段を降り、また廊下を渡ったら中庭に出た。
さっきみた庭とよく似ているなと周囲を見渡すと、噴水の先をひょろりと長いシルエットが少し猫背気味の姿勢で歩いていくのが見える。
さっき見た金髪だ。
予鈴が鳴っていたから今は授業中のはずだが、一人でどこに行く気だろうか。

ゾロは、まだ着任していないのに教師の責任感を意識し、金髪の後をつけた。
金髪は中庭から校舎裏へ行き、サッカー部の倉庫を通り抜けて非常階段の柵を開けた。
そう言えば、この柵の鍵はゾロが学生の頃から壊れていたっけか。
ここから昇れば、見晴らしのいい屋上に出るはずだ。
そこの給水塔の影は不良(さして性質の悪い輩はいなかったが)の溜まり場になっていたし、絶好の昼寝スポットでもあった。
懐かしく思いながら、自分も非常階段を昇ってみる。
こっそりと金髪の後をつけているつもりはないから、気配も消さず足音を立てながら堂々と階段を昇った。

先に屋上に立った金髪は、よく晴れた景色に目を細めながら給水塔に凭れていた。
そうして懐に手を入れ、煙草を取り出して口に咥える。
両手で風を避けながらライターで火を点けたところで、ゾロは「こら」と声を掛けた。

「堂々と喫煙は、感心しねえな」
金髪は口端に煙草を咥え、慣れた仕草で軽く吹かしてからゾロを睥睨するように目を細めた。
「あんた、誰?」
「今月からこの学校に着任するロロノア・ゾロだ。お前は何年何組だ?」
「―――――・・・」
金髪は、片方だけ覗く目を大きく見開いた後、顔をくしゃりと歪めた。
腰を折って身を屈め、俯き片手で顔を覆ってから肩を震わせる。
「…おい?」
叱られてビビったかと思いきや、弾かれるように顔を上げて足を踏み出した。
「誰が何年何組だ、てめえの目は節穴か?!」
いきなり大声で怒鳴られ、次いで片足がゾロの脛を掠った。
寸でのところで避けて飛び退り、なにしやがると言い返す。
「ガキがタバコ吸ってんのを注意するのは、大人の義務だろうが!」
「誰がガキだ、俺を誰だと思ってやがる!」
金髪は憤懣やる方ないといった風に肩を怒らせ、ポケットから取り出した携帯灰皿に煙草を押し潰した。
「知らねえよ、誰だ」
「高等部の教師だボケ」
「…はあ?」
これには、ゾロの方が愕然とした。
まじまじと顔に見入るゾロの目の前に、シャツの中から取り出したネームプレートが翳される。
残念な映りの写真の横には、『現国:サンジ』の名前があった。

「教師?」
確かに、上背はゾロとそう変わらぬほどだ。
よく見れば顎にはショボショボと髭も生えているし、男子高校生にしてはひねた顔つきではある。
がしかし―――――
「お前、生徒に君付けで呼ばれてたじゃねえか!」
「うるさい!俺はみんなから愛をこめて“サンジ君”って呼ばれてる、人気教師なんだ!」
自分で“人気教師”とか言い放つ時点で胡散臭い。
というか、嘆かわしい。
「アホか、ガキどもに舐められてどうする」
「うちの可愛い生徒達を“ガキ”とか呼ぶな、この野蛮人!」
ゾロが間合いを測った距離を飛び越え、強烈な蹴りが腹に入った。
それを腹筋で受け止めて、懐に飛び込んだ形の相手の胸ぐらを掴み上げる。
「離せこの野郎」
「てめえが蹴りかかってきたんだろうが」
至近距離で睨み合っていたが、はっと我に返った。
着任早々、教師相手に喧嘩を吹っかけてどうする。

「まあいい」
ゾロはぱっと、相手のシャツを離した。
「なにがまあいいだ」
舌打ちしつつ、サンジも乱れた襟を直し飛び出た裾をズボンの中に突っ込んで整えた。
「わざわざこんなとこまで、素行不良っぽい俺を追っかけて注意しに来てくださったんですねー。実にやる気溢れた、教師の鑑ですねー」
「うるせえな、ついでだから職員室まで案内しろ」
「それが人にものを頼む態度か」
「・・・案内シテクダサイ」
「お願いします、だろ」
サンジはけっと毒づきながらも、まあいいからついて来いと非常階段を降り始めた。

「言っとくが、この屋上は絶好の休憩スポットなんだから、勝手に居座るなよ」
「はあ?なに言ってんだ。この屋上は俺が在籍してっ時から俺の昼寝場所だ。勝手に決めるな」
「はあぁ?」
サンジは足を止めて、後ろから降りてくるゾロを見上げた。
そうして見ると、やはりどこか幼いというか実に若々しく見える。
動きが滑らかで表情が豊かなせいか、男子学生に見間違えたって無理がないと思えるほどに。
「俺が在籍って、もしかしてここが母校か?」
「そうだ、中・高とここに通ってた」
「それでなんで、職員室の場所がわかんねえんだよ!」
もっともな突っ込みに、ゾロはむむむと眉間に皺を寄せた。
そんなの、ゾロの方が聞きたい。
「知るか、この学校は昔から造りがわかり辛えんだ」
そう言いながらも、グランドライン学園だけでなく東西海大学も似たようなもんだと思ったが、それは口に出さなかった。
「いくらわかり辛えって、お前少なくとも中庭の渡り廊下3回は歩いてたぞ。俺、いったいあいつなにしてんだろーってずっと見てたのに」
「気付いてんなら案内しろよ」
「うるせえ、厚かましいんだよ不審者」
ぎゃいぎゃい言い合いしながらも、結局サンジは職員室まで連れて行ってくれた。
途中、教室移動の途中らしい生徒達とすれ違ったが男女を問わず殆どの生徒たちに声を掛けられていた。
「サンジ君、その人誰?」
「迷子」
「うっそー」
「サンジ君、後で質問あるんだけどー」
「おう、今日は職員会議中止になったから、放課後いつでも時間あるぞ」
「あ、サンジ君、調理室の予約取れたよー」
「ありがとうねえ」
頭一つ分高いとはいえ、生徒達に交じってキャラキャラと会話しているとしっくり場に馴染んでいる。

「お前、ほんとに教師か?」
「なにマジ疑って掛かってんだよ。さっきネームプレート見せただろうが」
生徒達をやり過ごしてから囁けば、サンジはむっとしたように上唇を尖らせて言い返した。
「生徒に君付けで呼ばれるなんざ、教師として威厳が保てねえだろうが」
「なに、あんた体面重視するタイプ?」
サンジはハハッと嘲るように笑って、あからさまにバカにした。
「頭固くて古臭いな、いくら威張って取り繕ったって威厳なんてものは格好で身に付けるもんじゃねえだろ」
「だからって、自分から率先して軽んじられてどうする」
「大きなお世話だ。せいぜいあんたは生徒達に威張ってればいいさ、熱血教師さん」
サンジはせせら笑いながら、職員室の扉を開けた。



「理事長から話は聞いてるぜ、あんたもいきなりで災難だったな」
ゾロが受け持つ1年の学年主任・フランキーが妙なポージングを決めながら自己紹介してきた。
なんと言うか、実に個性的だ。
先ほどのチャラ教師サンジもそうだが、ゾロが想像する“教師”の基準から外れたタイプが多いように思う。
在籍していた時から確かに自由な校風ではあったが、ここまで奇天烈な人材でもなかったように思うのだが。
「理事長がああだと教師もこうなるのか」
「あん?なんか言ったか」
「いや、授業の進み具合などを知りたいんだが」
「前任のマキノ先生が産休に入られるからな。今日は生憎休みで、引き継ぎは来週っつってたが、明日でもいいか?」
「構いませんよ」
どちらにしろ、大学には年度末まで休暇を届け出てある。
引き受けたからにはきっちり仕事をしたいゾロは、来週からと言わず今日からでも取り掛かりたかった。
「マキノ先生には私から連絡しておくわ」
1年の副担任だというニコ・ロビンは、数学が担当らしい。
先ほどゾロとひと悶着起こしたサンジは、名札に書かれていた通り現国教師だ
「あいつが現国、ですか」
思ったことをあからさまに口に出したゾロに、ロビンはくすりと笑みを零した。
「意外かしら。彼の外見とは合わない?」
「そうですね、英語なら納得できます」
悪びれずに認めるゾロに、ロビンは悪戯っぽく瞳を煌めかした。
「彼、ああ見えて日本生まれの日本育ちだから英語は得意ではないそうよ。辛うじて、お祖父さんの母国であるフランス語は会話程度…と聞いたことがあるわ」
「そうなんですか」
まあ、そう言うこともあるだろう。
ゾロだって、多分外見だけなら体育教師と思われるのが自然かもしれない。



職員室に荷物だけ置かせてもらって、放課後は早速剣道部に足を運んだ。
部員達になんの説明もないままミホークはすでに旅立っていたが、顧問の自由奔放な精神はすでに浸透しているようで、ゾロを前にしてもさほど動揺していない。
むしろ、ゾロを見知っている主将などは軽く興奮していた。
「ロロノアさんにご指導いただけるなんて、感激です!」
ミホークはすでに伝説と化しているが、ゾロは現役で剣道界に名を轟かせている名剣士だ。
剣の道を志す者なら、大概知っている。
キラキラと輝くような眼差しで見上げられ、仕方なく引き受けた顧問ではあったが悪い気はしなかった。

結局最後まで部活動に付き合い、適度に指導しながら見守った。
今日出会った教師はおかしなタイプばかりだったが、生徒達はみな素直で活発だ。
指導し甲斐があると、上機嫌で職員室に戻る。
途中、なぜかまた中庭に迷い込み、購買室から和室を通り抜けて戸締りがされた給食室の前で途方に暮れてからようやく職員室に辿り着いた。
すでに日は沈み、数人の教師以外は帰宅してしまっている。

割り当てられた机の上に置かれた資料を手にし、椅子を引いたら買い物袋が置いてあった。
中には梨が3つ入っている。
梨と梨の間に差し込まれた便箋に気付き、抜き取った。
萩が描かれた雅な一筆箋に、流麗な文字が書き記されている。

『いただきものの有の実です、お福分けにどうぞ』

「へえ・・・」
思わず声に出して感心し、折り曲げないようにそっと梨の実の間に戻した。
誰かは知らないが、随分と風流なことをしてくれる。
文字はその人を現すと言うが、バランスが取れて美しく芸術的ですらあった。
ゾロも下手くそではないが、一文字一文字が大きくて限られたスペース内に収めるのが苦手だ。
その点、この文字はすべてを計算し尽くしているように絶妙の配置で、それでいて印刷物のような無機質さがない。
いつまでも眺めていたいような、温かく味のある美文字だった。

「この学校にも、まともな先生がいるんじゃねえか」
ゾロは小さくそう呟いて、ありがたく梨を貰って帰った。


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