Albireo 8




いつの間にか、夜が明けていた。
誰もいなくなった崖の上でサンジはゾロの腹巻を握ったまま呟いた。

「なんだったんだ、あれ。」
「なにもクソもあるか、このボケ!」
サンジの身体を押しやって腕だけ掴んだ。
「うわ、痛えっ、てて・・・」
よく見れば二の腕がざっくり切られている。
さっきの鎌だ。
「手はコックの命だろうが、この馬鹿野郎!!」
怒鳴りながら乱暴に黒い手拭いで傷口を縛った。

余計痛い。
痛いのに、サンジはなんだかわかってしまった。

どうしてゾロが怒ってばかりなのか。
どうしてサンジの誘いに乗ったのか。

でかい手で案外要領よく結ぶゾロの手つきを眺めながら、サンジはくん、と鼻を鳴らした。
「・・・ゾロ。」
「なんだ。」
苛々した声だ。
「いい匂いが、する。」
花だか石鹸だかわからないが、そんな匂いだ。
朝までお姉さんと一緒だったんだろうか。
そう考えただけで胸の奥に冷たい塊を抱えたような気分になって、気持ちが沈む。
なんでだろう。

「安っぽい匂いだ。」
そう言って顔を上げたゾロはぎょっとした。
その表情はすぐにしかめっ面に変わる。
「・・・そんな面すんな。張っ倒すぞ。」
そう言われても、サンジは自分がどんな表情をしているかなんてわからない。

「宿に戻るぞ。さっきの連中がまたやってくるかもしれねえ。」
そう言って先に丘を下りていってしまうから、サンジは黙ってその後を追いかけるしかできなかった。


ゾロは丘を降りて草原を横切ってずんずん歩く。
小走りで追いかけながらサンジは首を傾げていた。
ゾロは、どこに行く気なんだろう。
大股で歩む背中に黙ってついていって、景色を眺めた。
やはりこの辺りも見覚えがある。
ここから庭になっていて、屋敷があったはずだ。
記憶どおりそこに屋敷があった。
だが記憶より遥かに立派な館になっている。

「でかい屋敷になったなあ。」
サンジは立ち止まって声を出した。
ゾロは足を止めて振り返り、大股で戻ってきた。
「お前、この島を知ってるのか?」
「知らない。けどなんか見覚えがある。」
来た方を振り返り指をさした。
「さっきの丘の上に小屋があった。それからあの切り立った崖。俺多分、あそこから落ちた。」
「落ちた?」
指を指しながらサンジは景色を辿った。
「確か冷たい風が吹いてて、大きな楠の下で凍えて震えてたんだ。だけどすぐにあったかくなって、助けられた。」
誰に。
「木の下からあの屋敷が見えてた。でもあんなに大きな家じゃなかった。村だって、もっと荒れ果てて人も少なかった。綺麗で大きな村になったな。」
目を細めて歌うように言葉を紡ぐサンジをゾロは黙って見ている。
「でもゾロ、どうしてこっちに来たんだ?」
「あ?」
「宿に帰るんじゃなかったのか。」
言われてゾロは苦虫を噛み潰したような顔をする。
真っ直ぐ帰るつもりだったのだ。

「道を、間違えたんだ。」
「へ・・・」
サンジは間の抜けた声を出して、それから爆笑した。
「ま、間違えたって・・・まさか、方向音痴?」
うひゃひゃと下品に笑う。
「嘘、こっちのゾロまで方向音痴なんて・・・お、おかしすぎるっ」
一本道なのに・・・
「うっせーな、とっとと宿に帰れ!」
ゾロに急かされて、サンジは腕を押さえながら先に立って歩いた。


途中思い出し笑いしながらも林の中を抜ける。
遠目に村の中心辺りに人が集まっているのが見えた。
咄嗟に身体を伏せて繁みの中に身を隠す。
「先にこっちへ来やがったか。」
「大変だ、ナミさんがっ」
「ちょっと待て。」
飛び出そうとするサンジを捕まえて、ゾロは顔を寄せた。
「よく見ろ。別に武器は持ってねえぞ。」
そう言われてみれば鍬やら鋤やら持ってない。
でもあれだけの人数に取り囲まれたら、無事じゃいられないんじゃないだろうか。
「どうしよう。」
「ナミならなんとかするだろう。仕方ねえ街へ下りるぞ。」
そう言ってまた丘を登ろうとするからサンジは慌ててその後を追った。


実際賑やかな街だった。
飲食店や武器屋が軒を連ね、一歩路地に入れば色街が続いている。
市場はあまり立っておらず、民家もない。
宿屋ばかりだ。
「へー、ほんとに観光地みたいだ。なんかさっきの村と全然違う。」
「きょろきょろしてんな。宿入るぞ。」
朝からでもチェックインできるらしい。
適当に宿を選んで部屋に入った。
「うわー上から見るとばっちり街が見下ろせる。たくさん人がいるなあ。」
「そのキンキン頭を覗かせるな。引っ込んでろ。」
ゾロはどかりとベッドに腰を下ろすと刀を壁に立てかけた。
サンジも渋々窓から離れる。
「色んな格好した奴らが通るな。でかい刀持ってたり、猟銃みたいなの担いでたり・・・野郎ばっかりだ。」
「賞金稼ぎが集まる街だ。野郎が多いだろうよ。」
なるほど、だから飲食店やテイクアウトの店が多いんだな。
それにしても、この部屋キッチンがついてんだな。
長期滞在用か。

シンク下を開けて包丁の在り処や排水を確かめる。
冷蔵庫に戸棚、皿も一応揃っている。
「食材買って来たら料理が作れるな。」
「作るのか。」
ゾロが意外そうな声で聞いた。
「だって、それぐらいしかできることねえだろ。丁度いいし練習するよ。なんか買ってきてくれ、朝ご飯まだだろ。」
本当はサンジ自ら買い物に行きたいが、持ち合わせがない。
大体こっちの流通通貨も知らないのだ。
ゾロは鼻の頭に皺を寄せると、刀を携えて黙って出て行った。


「ゾロとサンジが帰ってこねえぞ。どこ行っちまったのかなあ。」
「大方この人数を見てここを離れちゃったんでしょ。目立つもの、これじゃあ。」
ナミは長い足を組んで、サンダルをパタパタと揺らした。
その前で男たちが肩を落として正座している。

「本当に申し訳ない。若いもんらが先走って。」
長老と思しき老人が深々と頭を下げた。
「それで、サンジ君が復讐に帰ってきたと思って皆で襲い掛かったって訳ね。」
ナミの言葉に益々頭を垂れる。
「復讐に来たと思うってことは、復讐されるようなことを過去にあなた方がしたんでしょうが。生憎だけどサンジ君は今、頭がぱーになっていてなんにも覚えてないわよ。まあぱーじゃなくても彼は復讐なんてしたりしないけど。」
「大体ほんとにサンジなのか。その、あんたらが恐れてる子供ってのは。」
後ろに座った男が顔を上げた。
「多分間違いないです。あの顔もあの髪も、15年前海へ落ちた、あの子供がそっくりそのまま大きくなった姿だ。」
「落ちたって・・・」
ウソップはナミの顔を見た。
ナミはじっと長老の顔を睨んでいる。


食堂には多くの村人が座り込んで、その誰もが頭を垂れている。
宿の夫婦は心配そうに手を揉みながら見ているだけだ。
重々しい沈黙の後、長老が口を開いた。
「恥を忍んでお話しましょう。あれは15年ほど前のことです。」


当時この島は、これといった産業もない辺鄙な島だった。
土地も痩せて作物も多く取れず、人々は海に出て漁を続けながら細々と暮らしていた。
週に1度大陸から来る定期便に乗って子供連れの女が降り立ったのは、秋風が吹く頃だった。

この辺りでは珍しい白い肌を持つ女だった。
連れの子どもも抜けるような白い肌に金色の髪。
目立つ外見を隠すように頭からフードを被り、いつの間にか丘の上の朽ち掛けた小屋に住むようになった。
島の人々は貧しくはあったが排他的ではない。
どこからか流れてきた親子連れらしい二人に同情し、住み着くことも黙認した。
女は多くは語らなかったが受け入れてくれた村人に感謝して慎ましく暮らし始めた。

どこで工面していたのかわからないが、時折小銭を持って食料を買い求めた。
春になったら畑を貸して欲しいとも言って、笑顔を見せるようにもなった。
ノースブルーから兵士の一団がやって来たのはそれから間もなくだった。

見慣れない男たちは貧しい村を荒らすこともなく、紳士的な態度でまず村長の元に挨拶に来た。
この島に若い親子連れが来なかったかと尋ねる。
ノースブルーの特徴をもつ色素の薄い、華奢な女と3.4歳くらいの男の子供。
当時の村長は、『ご覧のとおりここは小さな島で余所者が来たらすぐにわかるが、そんな親子連れは見たことがない』と応えた。
村人達は、皆事情は知らないまでも二人に同情していたし、美しい女に好意を寄せるものもいた。
いくら紳士的な振る舞いをするとは言え、兵士に親子を引き渡す気にはなれなかった。
言葉を尽くしても無駄と気付いた兵士達は、今度は村人個々に尋ねて廻った。
金銀をちらつかせ、情報を求める。
その内、欲に目が眩んだ誰かが親子の居所を教えてしまった。

そしてその翌日――――
慎ましくも平穏に暮らしていた小屋には、拷問の果てに殺された、惨たらしい女の死体だけが打ち捨てられていた。
子供の姿はどこにもない。
欲に目が眩み、親子を売った村の男は涙ながらに村長に懺悔した。

「子供は海に落とされたんだ。到底生きてるとは思えねえが、女は死ぬ前にこう言ったんでさ。『必ずここに還り、元に戻れ』と。」
その村人は女が責め苦を受けている間にも怪しげな術を使ったのを目撃している。
だから、最期の言葉は呪詛だったと言い張った。
「間違いねえ、いつかあの子はこの島に帰ってくる。きっと俺に復讐する為に・・・」
良心の呵責からか、恐怖に耐えられなくなったのか、それから程なく男は死んでしまった。


「大罪を犯した者が懺悔して死んだとは言え、私達の罪は消えるものではない。路頭に迷い、救いを求めた親子を結局は悲惨な目に遭わせてしまった。そしてその言葉を信じたのか、その時の兵士のリーダーは今もこの島に居座りつづけている。」
そう言って長老は窓から見える丘の上の館を指差した。
「村長が亡くなってから、そやつはその館を買い取り領主のように治め始めた。最初に来た時と変わらぬ、紳士的な態度で。寛大に、平穏に。だから今の若い者たちは良い領主だと信じて疑わぬ。悪魔の実の能力者がこの島では能力を失うと気付いたのも奴じゃ。それを利用していつの間にかこの島は賞金稼ぎが集まる島になってしまった。街を作り人を集め、この島はこんなに豊かになった。元の住人だった我々もよくしてくれている。」
そう言って、老人はゆっくりと首を振った。
「だがわしらは忘れん。美しかった女の哀れな最期を。捨てられた小さな子供を。それから、わしらにとってその話はタブーになった。罪を悔いて詫びたい者もいれば、すべてを忘れ去りたい者もいる。復讐を恐れて先に手を打とうとする者もいる。」
長老の後ろで、男が大きな身体を竦めた。
「あんた方のお仲間を急に襲ったのはそう言う訳じゃった。本当に申し訳ない。」
そう言って、再び深々と頭を下げた。


聞き終えて、ナミとウソップは顔を見合わせた。
こくんと頷いてナミが口を開く。
「事情は大体わかりました。その女の人の最期の言葉が呪詛ならば、私達が…サンジ君がこの島に来たのも必然と言うことになるわね。入港管理局が金髪の男を探しているのは、その領主の差し金ね。」
長老が頷くのを横目で見ながら、ナミはとんとんと、人差指で顎を叩いた。

「注意すべきはそっちの方ね。あなた方に関しては、私からはっきりと言わせてもらいます。その、海に落とされた金髪の男の子がサンジ君とは限らないけれど、もしそれがサンジ君であっても絶対に復讐なんかしたりしません。事実、この島のことも断片的にしか覚えていないの。丘の上に木があったとか、この辺りに村があるとかその程度しか覚えてないみたい。それに――――」
ナミはそれまで難しい顔つきだった表情をふわりと緩めた。
「サンジ君はとても優しい人よ。多分最初からすべてを許している。恨みや憎しみから最も遠いところにいる人だわ。」
ウソップも隣で大きく頷いた。
「ナミの言うとおりだ。サンジは口が悪くて乱暴だが、馬鹿がつくほどお人好しで気のいい奴だ。あんたらが恐れることはこれっぽっちもない。」
その言葉に、村人達からほっと安堵の溜息が漏れた。




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