Albireo 9




「痛ててて・・・」
ゾロを買い物に出させて一息吐くと、腕の傷が痛み出した。
片手でバンダナを外そうと思うが、結び目が固くて解けない。
「ったく馬鹿力め。こんなに固く結ぶんじゃねえよ。」
一人ごちて、サンジはなんとなく笑みを浮かべた。

こっちに来て当初は見知らぬゾロに戸惑ってばかりだった。
襲われた時は本当に怖かった。
今だってちょっとは怖い。
でも―――――

わかっちまったな。

俺の言うことに一々反応して苛ついて怒鳴りつけて。
それでも肝心な時には助けてくれて、やっぱり怒って。

ふふ、とサンジは一人で笑った。
すべてはこっちのサンジのためだ。
それなのに、そのことにゾロ自身が気付いていない。


サンジはポケットを探って煙草を取り出した。
すっかり癖になったらしい。
吸わないと苛々したり、すんのかな。
暫く紫煙を燻らしていると、乱暴な靴音が階下から響いてくる。
「お、もう帰ったのか。」
ノックもしないで入って来たゾロは、憮然としたままベッドに腰掛けたサンジの横に座った。
手にした紙袋をテーブルに置き、もう一つを開ける。
やはり怪我のことも覚えていたらしい、消毒剤と包帯を買って来てくれた。

「お前がきつく結ぶから、解けなかった。」
文句を言ってみるがゾロは黙ったままで、バンダナを外すと上着を脱がせた。
シャツも肌蹴させて傷を見る。
―――無愛想なのに甲斐甲斐しいよな。
いつの間にかサンジはこっちのゾロに慣れてしまって、無闇に恐れたりもしない。
ただされるがままに身を任せてみる。

濡らしたタオルで血を拭い、傷口をたどたどしい手つきで消毒し始めた。
沁みるけどちょっと我慢。
包帯を巻かれて、また結び目をきつく縛られる。
腕自体は圧迫されないから痛くないけど、また自分で外すのは無理そうだ。

「ありがと。」
ゾロの目を見て礼を言ったら、物凄く嫌そうに顔を歪めた。
それがまたおかしくてならない。
「さ、じゃ飯にしようか。」
サンジはシャツを羽織るといそいそとキッチンに立った。



「う〜ん」
街に逃げてきたものの、実際退屈だ。
仕方がないからベッドにごろつきながら今朝のことを思い出してみる。
農具を持った手が震えていたから、彼らはただの農民だろう。
それでも必死に攻撃してきた。
そうしなきゃ、自分達が危ないと思ったからだ。
「復讐しに来たのか。」
確かにあの男はそう言った。
自分のことを知っているような口ぶりだった。
そして俺も―――
この島を知っている。
気のせいかとも思ったが、確かに見覚えがある。
大きな楠。
小さな村。
中央に食堂。
岬から見た、海へと続く景色。
絶壁を落ちる映像。
ぶるりと身体を震わせる。

胸の悪くなるような浮遊感。
叩きつけられる衝撃。
闇に飲み込まれる恐怖。
けどこれは、林間学校で溺れた時の記憶かもしれない。
それに・・・
確か俺は、小さい頃の記憶がなかったんだ。
母が言うところによると、2歳くらいの時に高熱を出して一時危なかったらしい。
その後熱は下がったけれど、それまでのことをすべて忘れてしまっていたと言う。
そうだ、そっからはなんとなく覚えてる。
幼稚園の時とか・・・ゾロも一緒だった。
だから、子供の頃にここにいたなんてことはありえない。
ならこの記憶はなんなのだろう。

考えていても埒が開かない。
また窓から街でも眺めるかと身を起こしたら、ゾロの足音がした。
相変わらずノックもなしに唐突にドアを開ける。
出かけついでに夕飯の買い出しを頼んでおいたっけ。

「おかえり。」
意外にもゾロは自分達の荷物も持って帰ってきた。
「え、どうしたの。宿に一旦帰ってきたのか。」
「ああ。一応ナミとも話をつけてきた。」
着替えやらレシピやら置きっぱなしだったから助かる。
中を確認して整理し、夕食を作るためにキッチンに向かった。

「ナミさん、無事だったか。」
「無事も何も、村の連中を手なずけてやがったぜ。もうお前を襲う心配はなくなったらしいが、お前は村にいるより街の中に紛れていた方がいいって話だ。」
「って、どういうこと?」
振り向いたサンジに、ぽいと毛の塊が投げられたた。
「わ、なにこれ。」
「カツラだとよ。いくらなんでも2週間部屋の中に缶詰じゃあきついだろ。ナミが買ったらしい。」
栗色の長めのウィッグだ。
これなら髪がすっぽり隠れるだろう。
「それと帽子か。完璧だな。」
一応被ってみて鏡の前で確かめる。
帽子を目深に被れば、不自然じゃない。

「船は漁港に置いといて貰える事になったから、ルフィとロビン達もあの宿に合流するとよ。このまま隠れてログを溜まるのを待つか、入港管理局に名乗り出るか皆で考えるらしい。」
「・・・そう。」
多分自分が渦中にいるのに、全部人任せで悪いなとは思う。
けれど今の自分では恐らく判断すらできないだろうなと思った。
クルーのみんなが凄く頼もしい。

「じゃあ、俺は取りあえずここで連絡待ってればいいんだな。」
そう言ってから、あれ?と思った。
「・・・じゃあゾロは?」
「・・・お目付け役だとよ。」
苦虫を噛み潰したような渋い顔をしている。
大方ナミにでも言い渡されたのだろう。
隣でウソップはオロオロしてたんじゃないのかな。

だけど結局、これから暫くゾロと二人きりか――――
ちょっと考えてしまったが、まあ仕方がないと夕食を作り始めた。



部屋で二人だけでいてもゾロは基本的にむっつりと黙っている。

サンジは街の様子やらナミ達の話を聞いて会話を引き出そうと努力した。
だが答えはいつも簡潔で、なかなか話が続かない。



食事を終え、シャワーも浴び終えて脱衣所から出て行くと、ゾロは身仕度をしていた。
「どっか、行くのか。」
髪を拭きながらサンジはどこか拗ねた声を出した。
「お目付け役なんだろ。俺から離れていいのかよ。」
「てめーが大人しく寝てたら問題ないだろうが。」
刀は置いていくつもりなのか。
上着だけ羽織ってドアを開けようとする。
「待てよ、俺も連れて行けよ。」
「なにい?」
いきなり何を言い出すのかと、やや険悪な顔で振り返った。
「カツラつけてったら大丈夫だろ。俺も行ってみてえ。」
「アホか。素人がウロつくとこじゃねえ。」
「お前が一緒なら大丈夫だろ。」
出て行かれてたまるかと、サンジはゾロのシャツを掴んだ。
その手を邪険に払い除ける。
「一緒にって、どこまで引っ付いてくる気だ。てめえは大人しく寝てろ。」
「自分だけ浮気するなんて、ずりーぞ。」
サンジの言葉に、ゾロはなにか言おうとした口の形のまま固まった。


「俺がこっちのサンジじゃねえなら、浮気になんねーだろ。それとも身体だけでもやっぱ嫌か?」
まだ固まっている。
首がかくっと心持ち前に倒れた。

「・・・なに、言ってやがんだ?」
「この浮気者。」
「だからなにをっ!!」
ゾロは呆れ半分怒り半分の変な声音で怒鳴った。

「大体てめーは訳わかんねーことばっか言いやがって、そのくせ懲りてねえのか、へらへら笑って寄ってくんじゃねーっ」
怒るって言うより逆ギレっぽいな。
サンジはなんとなくそんな風に思いながら、ゾロを戸口に追い詰める形でぴったりと身体をくっ付けた。

「聞いてねーのかお前は、離れろ!」
顔を真っ赤にしながら片手でサンジの首根っこを掴む。
猫みたいに引き剥がされて、それでもサンジはゾロの上着にしがみ付いた。
「てめーこそ、言いたいことがあるならはっきり言えばいいじゃねえか。言えよ。てめえなんか消えろ、出て行けって。」
「なにをっ」
「俺のコック返せって!」

ゾロの手が止まった。
信じられないものを見るような目で、サンジを見ている。
その顔をサンジは睨み返した。

「ゾロがわからないなら、俺が言ってやる。ほんとは俺に消えて欲しくて溜まらないんだろ。自分のサンジの顔をして、サンジじゃないことをする俺を見るのが耐えられないんだろ。そのくせこの身体だけは大切だから、無碍にすることもできなくて・・」
「黙れ。」
「だからいつも腹立ててるんだ。早くサンジに会いたいのに。」
「黙れ」
「サンジがちゃんと帰ってくるかどうかもわからなくて、不安なんだ!」
「黙れ!!」

パン、と平手で殴られた。
襟元を掴み上げられて息が詰まる。

「わかった風な口きいてんじゃねえ。誰が大事なだ、誰が俺のだ、勘違いしてんじゃねーぞ。」
「勘違い・・・じゃ、ね・・・」
息苦しさに顔を真っ赤にしながらも、サンジはへへ、と口を歪めて笑って見せた。
「勿論、出てけって言われたって、どうしていいかわかんないんだけどよ。」
上気した頬の上で睨みつけていた右目が薄い膜を張ったようにかすかに潤んだ。
ゾロは締め上げる力を緩めて、息を吐く。
「元に戻れっつったって、戻れるかどうかわかんねえし・・・」

そうだ、一方的にこいつを責めても、どうなるものでもない。
自分の怒りがいかに不条理なものか、ゾロは一番わかっているのに・・・

腕を離して背を向けようとしたゾロの手首をサンジが掴んだ。
必死で引きとめようとする。
「俺はなんにもできねえ。サンジみたいに美味い飯は作れねえ。サンジみたいに強くねえ。食べ物のありがたみもそれほどわかってねえ。プライドだって持ち合わせてねえし、信念も夢もねえし・・・」
平和な世界で呑気に生きてきただけの、なんの価値もねえ俺だ。
だから――――
「だからゾロ、せめて俺の身体をやるよ。」


「何、を・・・」
瞠目して動かないゾロに薄く微笑んで、サンジはその腕を取った。

「こっちのサンジの代わりなんかできねえけど、身体は全部あげるよゾロ。何したっていい。」
「馬鹿な。」
「そうだな、俺馬鹿だから、ほかに思いつかねえもん。」
サンジは腕を広げてゾロの背中に腕を回した。
正面から抱きついてゾロの肩に顔を埋める。
「ゾロが嫌なら声も出さない。サンジがこうしたっていうことなら、なんでもする。だから・・・」
「なんでだ。」
ゾロはサンジに抱きしめられたまま棒のように突っ立っている。
困惑した声がすぐ耳元で響く。
「なんでてめえ、馬鹿だろ。なんでそこまでする。」
「確かめたいんだ。」
サンジはゾロの背に回した手に力を込めた。
ぎゅっとしがみ付く。
「サンジがゾロを好きだったって、好きでHしてたって確かめたい。絶対身体が覚えてる。」
「確かめて、どうするってんだ。」
サンジは顔だけ離してゾロを正面から見た。
「確かめて、お前に教えてやるんだよ。サンジはこんなにお前のことが好きだって。」
そう言って、おずおずとゾロの唇に自分の口をくっつける。
「アホか、お前はっ」
後頭部を捕まえて引き剥がし、背骨が軋むほど強く抱きこんでゾロから唇に噛み付いた。


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