Albireo 7




レシピノートを眺めてあれこれ想像しているうちに、どうやら眠ってしまったらしい。
扉の開く音と同時に目が覚めた。
ウソップが帰ってきたのかと、突っ伏していたテーブルから顔を上げる。
入ってきたゾロとモロに目が合って、慌てて逸らした。
どうやらナミと一緒に街から帰ってきたらしい。
部屋の中にウソップの姿はない。
まだ戻ってないのだろうか。

やべ――――
一番恐れていた、ゾロと二人っきりって状態だ。
しまった、こんなことなら先にシャワーでも浴びてベッドで寝てるんだった。
後悔しても後の祭りだ。

黙って扉を閉めて中に入ってきたゾロに、仕方なく声をかけた。
「どうだった、街。」
サンジの横を通り過ぎて冷蔵庫からワインを取り出したゾロは、口でコルクを抜きながら自分のベッドに腰掛けてサンジに向き直った。
「ああ、噂に違わぬ物騒な街だったぜ。」
普通に返事されてほっとする。
けれど、そこから会話が続かない。

「物騒なって、具体的にどんななんだよ。」
間が持たなくて自然、サンジが質問する形になる。
「剣やら銃やら武器を持った奴らがウロウロしてて、縄張り争いやら情報交換やら賑やかだったな。能力者はどうしてもここでログが溜まるまで過ごさなきゃならねえ。その間に賞金稼ぎに見付からねえようにこそこそ隠れてなきゃならねえし、賞金稼ぎの方は船の特徴から粗方島に来た筈の能力者を洗い出して目星を付けてる見てえだ。俺らも、沖であの船に襲われなかったら或いは、何も知らずにのこのこ上陸して危ない目に遭ってたかも知れねえな。」
確かに、不幸中の幸いだった。
幸運だったんだろう。
「酒場は繁盛して色街もでかかったぜ。残念だな、行けなくてよ。」
そうゾロに言われても、サンジはきょとんとした顔をしている。
「…今のお前には、関係ない話か。」
ゾロは鼻の頭に皺を寄せて、横を向くとワインを煽った。
そうしていると、自分が知っているゾロより10も上にすら見える。

「色街って、その・・・プロのおねーさんとかいるとこ?」
ワンテンポ遅れてサンジは理解した。
なんだか胸がどきどきしてくる。
そうだな、なんせ実年齢よりずっとマセせてるこいつらだ。
こうして島に上陸すると、そういう専門のところに行ったりするのが常なんだろう。
大体、船の中でも男同士で処理したりするくらいだから――――
そこまで考えて、かああっと頬が熱くなった。
つい昨夜のことなのに。
今、目の前にいるゾロにあんなことをされたのは。

いきなりぴきんと固まって真っ赤になったサンジを、ゾロは珍しいものでも見るような目でしげしげと見た。
サンジは誤魔化すように、慌てて訳もなく髪を梳く。
「あ、あの・・・あれだな。そうすっと俺も、島に降りるとおねーさんのとこに行ったり・・・する訳、だ?」
最後はやっぱり疑問系になってしまう。
ちらりとゾロを見れば、呆れたような顔で見ている。
「それで、お前も行くんだよな。」
ゾロも行って、お姉さんとHするんだな。
昨夜みたいに――――
そこまで考えて、またサンジは慌てた。
思い出すな!
リアル過ぎる!!!

一人わたわた慌てるサンジに、ゾロは小さくため息をついた。
「お前は、女好きだからな。」
その言葉が、何かを含んでいるようで、サンジは赤い顔を上げた。
女好きって、もう俺も女の子大好きなんだけど。
「・・・もしかして、ゾロは―――」
その先が怖くて聞けない。
けどゾロは別に怒ったような表情もしてないから、勇気を出して続けてみた。
「女の人…だめなの?」
「ぶん殴るぞ。」
ありゃ、ハズレか。
「じゃあ、なんで俺のこと・・・って言うか!あれか、やっぱ狭い船の中で航海するし、ナミさんやロビンちゃんはだめだから・・・俺か?」
最後は消え入りそうな声で、でも聞いてみる。
ゾロはサンジをちらりと見返すと、口の片端だけ上げて見せた。
「そりゃあ、こっちが聞きてえ。無類の女好きのお前が、なんで俺なんだってな。」
「え・・・」
それって、もしかして。
「俺から・・・ってこと?」
黙ってワインを煽るゾロは、その態度で肯定していた。
つまり、こっちのサンジは自らゾロを誘ってHする仲になったらしい。
一体、どんな奴だったんだ。

「てめえは・・・いやクソコックは、俺のことが嫌いだった。」
ゾロの言葉に、サンジは息を詰めて聞き入った。
「何かってえと言い掛かりつけては喧嘩を吹っかけてきた。人が昼寝してりゃあ頭にかかと落としを食らわす。マリモだ腹巻だと妙な呼び方でしか呼ばねえし、口は悪いし足癖も悪い。女と見ればへいこらしておべんちゃら三昧でみっともねえったらありゃしねえ。そのくせ人を顎で扱き使って口うるさくて凶暴で――」
いつになく雄弁なゾロに驚いた。
サンジの評価はあんまりだが、何よりゾロがこんなにサンジのことを語ってくれることが単純に嬉しかった。
「俺を見るとむかつくとかほざきやがって、そのクセいざコトに及ぶとしがみ付いてきやがる。昨日のてめえと一緒だよ。」
言われて途端に、またカッと頬が染まった。
「そんな、そんなに嫌いなら…なんでゾロと―――ゾロを、誘ったんだろ。」
嫌いじゃない、と思う。
「嫌いだからだろ。あいつは自虐的なところがあったからな。すぐに人を庇って傷ついたりする。昔人に庇われてそいつの人生を台無しにした負い目があるから、贖罪のつもりじゃあねえのか。」
それは、ゼフとか言う人のことだろうか。
贖罪って、嫌いだからって――――

「そんなこと、ねえよ!」
知らず、サンジは叫んでいた。
「そんなことねえ。ゾロが嫌いだから、自分を追い詰めるためにだなんて、そんなことは絶対無い。」
思わぬサンジの強い口調にゾロは面食らった。
「ゾロのことは、嫌いじゃない。俺にはこっちのサンジがどんな奴だったかなんてさっぱりわからないけど、それだけはわかる。」
「なんでわかんだ。」
ゾロの言葉に怒気が含まれる。
けれどサンジは怯まなかった。
「例えば、このノートを見てればわかる。俺最初にこれ読んだ時、こっちのサンジは料理に関して本当にプロでクルーに対して分け隔てなく接してるんだってすぐにわかった。例えゾロでもえこひいきしないって…」
「えこひいき…」
思わず絶句する。
「そうだよ、ゾロが嫌いでゾロだけ除け者とかそう言う意味じゃないんだ。ゾロだけ特別扱いしないって、大好きなゾロだけひいきしないって…」
「黙れ!」
突然大きな声を出して、ゾロはテーブルに乱暴に瓶を置いた。

「お前に何が分かる。」
「分かる。」
負けずにサンジも睨み返す。
どうあっても、ここで間違えてはいけないと思った。

「大好きなって、それはてめえの話だろうが。その…なんだ、てめえんとこの俺を、お前はそう思ってんだろ。」
「違う、俺とゾロは友達でそんな関係じゃない。」
「こっちだって、寝てるだけだ。」
「違う、多分サンジは嫌いなゾロとそんなことしない。口ではどう言ってたか知らないけど、嫌いな奴と寝たりなんかするもんか!」
確信は全くないのに、サンジはそう叫んでいた。
多分半分は、そうであって欲しいと言う願望だろう。
自分がゾロを好きなように、こっちのサンジもゾロを好きでいて欲しい。
自分の罪を償うために、もっとも嫌悪する対象として選ばれたなんて思いたくない。
「何も知らないくせに、いい加減なことを言うな。」
ゾロはぎりぎりと歯を噛み締めて、立ち上がった。
拳が白くなるほど握り締められている。
またぶたれるかと目を瞑ったが、大股で歩く音が通り過ぎただけでなんの衝撃もなかった。
扉の開く音と、短い悲鳴が同時に聞こえる。
目を開けるとびっくり目で固まっているウソップに出くわしたゾロがいた。

「なんだ、なにやってんだゾロ!」
どうやら帰って来たウソップと鉢合わせしたらしい。
「なんでもねえ、街に行く。」
そう言い捨てて、ゾロは足早に階下に降りて行った。
ウソップはその後ろ姿と部屋の中を交互に見比べて、首を揺らしながら部屋に入ってきた。
「悪かったな遅くなって。・・・その、大丈夫か?」
「え、あ・・・うん。なんもねえ。ありがと。」
そう言ってから、サンジはまた一人で赤くなった。




長年の習性からか、決まった時間に目が覚める。
一度目覚めてしまうと頭が冴えてしまって二度寝することもできやしない。
―――起きるか。
サンジはのろのろと身体を起こした。

向かいの壁側のベッドからウソップの寝息が聞こえてくる。
エキストラベッドは無人のままだ。
結局ゾロは街へ下りたっきり帰ってこなかった。
また、怒らせたかな。
どうしてあんなにすぐ怒るんだろう。
相当仲が悪いんだろうか。
それにしちゃ、することはしてたみたいだし。

それに――――
ゾロが言うことが本当なら、サンジ自ら誘ったらしい。
その真意はわからないが、それよりその誘いに乗ったゾロの方がサンジには不可解だ。
普通、男に誘われたからって、やるかよ。
いくらなんでもありの世界でも、そういうのは違うと思う。

ゾロは昨夜、どういうつもりで誘いやがったのかと詰ったが、それを言うなら真に受けて手を出してきたゾロの方はどうなのだろう。
しかもあの様子じゃ、相当回数をこなしている・・・
そこまで考えて赤面した。

爽やかな朝っぱらからナニ考えてんだ俺。
着替えを済ませて部屋を出た。
足音を立てないように階段を下りる。
宿の主人夫婦もまだ眠っているようだ。
内側から鍵を開けて玄関を出た。


まだ夜も明けきらず、薄紫の空が東から広がっていく。
いー眺めだな。
丘の上から見る景色は絶景だった。
遠く水平線まで見渡せる。
どこまでも続く灰色の海。
日が昇れば輝く青になるんだろう。

この風景を確かに見たと、唐突に思い出した。
こうして丘の上に立って、少し冷たい風が吹いていて、でも背中に添えられた手は暖かくて――――
手?
誰かが側に、ずっと側にいてくれた?

海から吹く風がサンジの前髪を揺らした。
左眼の奥がずくずくと痛む。
どうしたんだろう。
なぜか胸がどきどきする。


風に誘われるようにサンジは森に入り、木立を抜けた。
またなだらかな坂が続いている。
この先には小さな小屋があったはずだ。
そしてその後ろには断崖絶壁―――

途中、鍬を持った村人が道端で煙草を吹かしていた。
早起きな人だ。
「おはようございます。」
「おはよう。早いね。」
にこやかに応えられて少し嬉しくなる。
あっちでは知らない人と挨拶なんてできなかったけど、こんなのどかな島なら何の抵抗も無く自然に言葉が出てくる。
サンジはゆっくりと坂を登った。
だがそこに目当ての小屋はない。

――――ない。
何も無い草原の向こうは、記憶どおりの断崖絶壁だった。

どうかしてるな、俺は。
サンジは遥か下で揺れる海面を覗き込みながら首を振った。
初めて来た場所なのに、木があるとか小屋があるとか、なんでそんな風に思ったんだろう。
でもこの景色は見覚えがあるような――――

ふと人の気配を感じて振り返った。
さっきのおじさんが鍬を持って歩いてくる。
その後ろから、手に色んな農具を持った人たちが何人も続いていた。
集団耕作?
それにしては異様だ。
鋤や鎌、鉈なんかをまるで武器みたいに手にしている。
それに、向かう先はサンジの方、断崖しかない筈だ。

異常を感じてサンジは一歩後退った。
男たちは無言で横一列に並ぶように登ってくる。
まるでサンジを周囲から追い込んでいるようだ。
先頭を歩いていた男が立ち止まり、それに続く男が口を開いた。

「本当だ、間違いない。」
「この子だ。本当に帰ってきた。」
その目は皆サンジに注がれている。
薄気味悪くなって、サンジはまた一歩下がった。
「なんだよ、あんたら。」
「帰ってきたのか、本当に。」
男たちがまた一歩近づく。
「何しに帰ってきた。復讐か?」
よく見れば、男たちの目には怯えた色が見える。
「呪いに導かれただけか。それとも俺たちに・・・復讐するつもりで・・・」
手にした鎌も震えている。
明らかに攻撃することに慣れていない。
「ちょっと待てよ。なんの話?」
サンジは両手を翳して丸腰であることを示した。
「俺は昨日、この島に着いたばかりの旅行者だ。人違いじゃないのか。」
「いいや、俺は覚えている。その金髪、その顔、そして左眼。あんた、左眼がないだろう。」
怯えているくせに、脅すような強い口調だ。
サンジは困惑した。
「眼を取り返しに来たか。そうして俺らを皆殺しにするつもりなのか。」
おいおいおい。
「ちょっと待て、俺ほんとに意味がわかんねえんだ。なにか、ぜってー誤解してるっあんたら。」
「殺られる前に、殺るんだっ」
男が鍬を振り上げた。
それを合図にしたかのように一斉に襲い掛かってくる。

サンジは咄嗟に身体を交わし、足を振り上げた。
バキッ!
鍬を蹴り飛ばすつもりで放った蹴りは思わぬ威力を発揮して持ち手を叩き折ってしまった。
蹴ったサンジが呆然とする。
え、ちょっと待てよ。
そんなに手応え・・・つうか、足応えなかったぞ。
随分軽々と折れるものだ。
今度は鋤が殴りかかる。
それも蹴り倒すと容易に折れた。

サンジの背を冷や汗が伝う。
鍬や鋤の持ち手がこんなに簡単に折れちまうなんて、もしこいつらの手や足を蹴ったら骨折させちまうんじゃないのか。
そう考えている間にも鎌やら鉈やらが容赦なく振り下ろされた。
それらを全部薙ぎ払うつもりで蹴りを繰り出すと、鎌と一緒に蹴られた男が腕を抑えて悲鳴を上げた。
「うあああっ、痛えっ、痛・・・」
見ればおかしな方向に腕が曲がっている。
――――やべえ、折った!
さーっと血の気が下がった。
自分で思っている以上にこの蹴りには威力があるらしい。
訳もわからず人を傷つけたくは無いのに、手加減がわからない。

「くそっ」
投げられる石礫は蹴り落とせるが、不用意に接近されると思うように動けない。
あんな痛そうなもので殴られるのはゴメンだが、痛い目にあわせたくも無かった。
どうしよう。
一歩下がれば後は切り立った崖だ。

「もう一度落ちろ!あの時みたいに!!」
男が叫んだ。
あの時?
落ちる?

瞬間、サンジの脳内に逆さまの海が映った。
流れる岩肌。
波飛沫。
暗い水面。
息が止まるほどの衝撃。

落ちる
落ちる
落ちる
ママ!!


「ぎゃあっ」
誰かの悲鳴が聞こえた。
続いてどさりと倒れる音。
何人かの男の怒号、鈍い打撃音。
眩暈を覚え蹲ったサンジは顔を上げた。
村人達の数が減っている。
坂の下からゾロが刀を振り回しながら上がってくるのが見えた。

「ゾロ!」
ゾロが来る。
刀を振り翳し、人を斬って。
人を、また殺して?
「ダメだゾロ!!」
サンジは駆け出した。


村人が阻むように翳した鎌で腕を切ったが構わなかった。
「ダメだ、殺しちゃダメだぁ!」
止めなきゃ、またゾロが血に塗れる。
殆ど体当たりで飛び込んだサンジを抱きすくめて、ゾロは男たちに向かって吠えた。

「立ち去れ。今度は抜くぞ。」
よく見ればゾロは刀を鞘から抜いてない。
斬られたはずの男たちは地面に蹲って腹やら腕やらを押さえて呻いている。
―――斬ったわけじゃ、なかったんだ。
ほっとして顔を上げた。
ゾロはそれこそ射殺しそうな目つきで村人達を睨みつけている。

「に、逃げろ。」
じりじりと後退りしたかと思うと、男たちは一斉に逃げ出した。
動けない者は引き摺るように連れ去っていく。
サンジはゾロにしがみ付いたまま呆然とそれを見ていた。




next