Albireo 12



真夜中の喧騒が嘘のように、朝の港は静まり返っている。
波間を行き交うカモメと猫の鳴き声が時折響くだけの波止場に、GM号は接岸した。

上陸する船員達を出迎える為、入港管理局から男たちが出てくる。
欠伸混じりで陽気に言葉を交わしながら近づいた一人が、はっとした表情で目を凝らした。
朝靄の中でも目立つ金髪。
黒いスーツに身を包んだ痩身の男の左眼は、長い前髪で隠されていて確認できない。

「おはようございます。こちらは入港管理局です。」
男はやや緊張した面持ちで声を掛けた。
羊頭の海賊船の乗組員は総勢7人。
うち1人はトナカイの為、正確には1頭。
悪魔の実の能力者は3名。
内手配されているのは2名。

「お二人の身柄は当島で保護させていただきます。」
担当者はせかせかと書類を捲りながら説明した。
「勝手ながら当島の決まりで金髪の男性に特別に検査をお願いしております。直ぐに済む簡単なものですので、ご協力いただけますか。」
「どうぞ。」
海賊船の乗組員だと言うのに、件の男はえらく大人しく紳士的だ。
他の乗組員達もこれといって抗議するでなく穏やかに見守っている。

「では失礼します。」
あまりに反応がないのを訝しいく思いながらも担当者はそっと手を翳してサンジの前髪を掻き上げた。
閉じられた左眼に指をあてる。
その感触を確認して、さっと手を引いた。
「ご協力ありがとうございます。これから島の管理責任者の所までご同行願います。」
丁寧だが有無を言わせぬ強い口調で担当者は電伝虫に手を伸ばした。


「麦藁海賊団コックサンジ。ノースブルー出身。金髪蒼眼、年齢は19歳。」

やや掠れ気味の声が淡々と特徴を読み上げる。
手元の資料を感慨深げに眺めてから男は顔を上げた。
愛嬌を感じさせる、全体に丸作りの顔だ。
大きな体躯に突き出た腹を引っ込めるように前で手を合わせて男は溜息のような息を吐いた。

「資料を見るまでもなく、私が探していたのはあなたです。よくぞ還ってきてくださいました。」
祈るように頭を垂れて、目を閉じる。

案内された屋敷の奥の広間で、太っちょ領主さんこと、セルジア・ペデスは待っていた。
本来は陽気で大らかな気質なのだろうが、今は緊張しているのか固い表情のままで落ち着きがない。
それでもサンジを目の当たりにすると腹を括ったのか、やや余裕を見せて全員に席につくよう促した。

「突然に呼びつけて申し訳ない。お仲間の皆さんには部屋を用意させていただくのでログが溜まるまでこちらで過ごしていただけますか。」
どこから説明したらいいのかと手を揉む領主にナミが手を上げた。
「領主さん、実は私達は10日ほど前からこの島に上陸していました。裏手の漁港から入島して島の人々から大方の話を聞いています。」
明確な言葉にぺデスははっと細い目を見開く。
「それでは、既に事情はご存知で?」
「事情と言っても、あなたの昔の悪行しか聞いていませんがね。」
ナミの言葉に太い首をちぢこませる。
「・・・おっしゃるとおりです。島の人の話は何一つ間違いはありません。私は昔大罪を犯しました。」
「大罪って・・・このサンジの母親を殺したことか?」
領主の消極的な姿勢に勇気付けられたのか、ウソップが口を挟んだ。
領主は益々身を竦める。
「はい。あれから15年経ちますが、私の罪が消える訳ではありません。そちらの・・・サンジさんに責められ、糾弾され、死を望まれるなら私は甘んじて受けます。」
悄然とうな垂れる領主の姿に演技や胡散臭さは感じられない。
ナミはロビンと目を合わし、それからサンジを見た。
サンジは椅子に腰掛けたままただ戸惑った表情で領主を見ている。
時折すがるようにゾロを見て、それでもなんと言っていいか考えあぐねているようだ。

「領主さん。ここにいるサンジ君は生憎今、記憶障害の状態で何も覚えてないんです。」
領主は大きく頷いた。
「そうですか。それなら尚の事、私をご存知でしょう。」
問われて、サンジは益々困って首を振る。
本気でこの男は見覚えがない。

領主はああ、と少々間の抜けた声を出して机から何かを取り出した。
「今の私じゃわからないかもしれませんね。これを見てください。」
差し出されたのは古い写真。
顎鬚を生やした人相の悪い男が写っている。
写真を受け取って眺めたサンジはあ、と声を上げた。

「・・・こいつ!」
鋭い目つき。
軍服に胸の勲章。
脳内にいくつかの血なまぐさい場面がフラッシュバックする。


「大丈夫?コックさん。」
手を伸ばしたロビンに支えられるように体を傾けて、サンジは写真から目を離した。
「こいつ、知ってます。この男を・・・」
「それが私です。」

「えええっ」
驚いて全員が写真を覗き込んだ。
面影が殆どない。
それでも目と鼻の位置とか髪の色とか、顎のラインとかに辛うじて同一人物かと思わせた。

「全然別人じゃんか。」
「・・・歳月ってこんなものなのかしら・・・」
ゾロは写真と本人を見比べて値踏みするようにジロジロと睨んだ。
「男の人の人生は顔に出るって言うものね。良い暮らし方をされてこられたんじゃないかしら。」
そう言うロビンに、領主は照れたように微笑み返した。
「この島で暮らした15年間が私を変えました。託された任務も軍人としての誇りも拘りも消え去り、ただ贖罪の想いが残るのみです。」
領主は写真を受け取ると懐かしそうに目を細め、大きな椅子に深々と腰掛けた。


「私はノースブルーにあるエルガルドと言う国の軍人でした。エルガルドの隣にはネクタイブと言う小さな国があったのです。」
「ネクタイブ?永遠の蒼。」
ロビンの呟きにおお、と簡単の声を上げる。
「ご存知ですか。エターナルブルーの唯一の産出国。小さいながらも豊かな国でした。」
「エターナルブルーって、あの幻の蒼いダイヤモンド?」
ナミが目を輝かせて割り込んでくる。
「そう、ノースブルーの永久凍土に閉ざされた秘密の場所でしか採れないと言われているわ。確かネクタイブは隣国に責め滅ぼされて採掘現場も消滅したと聞いたけれど。」
「消滅ではありません。採掘現場は今も存在します。ただそこに入るための鍵がないのです。」
「鍵?」
領主は大きく頷いた。
「ネクタイブを占拠したのは我が祖国エルガルドでした。エターナルブルーはネクタイブ王家に代々伝わる秘密の採掘現場。その場所は祭殿を模して作られ、呪術を使う巫女に守られています。そしてその奥に続く扉を開けるためにはキーワードが必要なのです。」
サンジは背もたれに凭れて柔らかなクッションに身を鎮めた。
胸がドキドキして落ち着かない。

「キーワードは代々王位に付く者しか知りえません。当時の王は病床についていたため我々は一気に攻め入り王族を捕らえました。ところが王妃や皇女たちはキーワードを知りません。そして王は、戦いの最中で命を落としていました。王の死とともにキーワードは失われ、幻の宝石は闇に葬られる。愕然とした私達に情報が寄せられたのです。キーワードは一子相伝。受け継いだのは巫女との間に生まれた王子だと。我々はすぐさま神殿に向かいました。だがすでにそこに親子の姿はなく、採掘現場への扉は固く閉ざされて火薬をもってしても破壊することは適いませんでした。そうしてエルガルドの王の命を受け、私達は親子を追って海に出たのです。」

「・・・サンジ君が、王子様・・・」
「げ、マジかよ。」
突っ込むべきところはそこではないだろうが、ともかくナミは宝石のことが気になって仕方ないらしい。
「それで、サンジ君がそのキーワードを知ってるって言うのv」
「おいおい、目の色が違うぜ。」
「どうでもいいけど、腹減ったぞ。なんか食わしてくれ。」
「あああ失礼しました!」
見事に話の腰を折られて、領主は慌てて人を呼んだ。

「後は食事をしながらお話いたしましょう。」
深刻になりすぎない面々に安心したのか、打ち解けた表情を見せる。




「そんで・・・サンジ親子はこの島に来たんだよな。」
ルフィに負けじと口一杯頬張りながら、ウソップが先を促す。
大きなテーブルを皆で囲んで、旺盛な食欲とともに打ち明け話は続けられた。

「私達は当初、キーワードさえ教えてもらえれば親子は解放するつもりでした。国が滅びた今、王子と言えども殺すまでもないと思っていたんです。けれど巫女であった母親は非常に強固な意志を持っていて・・・エターナルブルーの採掘場はネクタイブの人々にとって聖域であり命を賭けて守るべき場所でした。巫女である母親は特にその意識が強かった。どんな要求にも頑として首を振らず、少々手荒な真似をしても屈することはありませんでした。」
サンジの母を語る時、領主は苦渋に満ちた表情で顔を歪める。
心の底から悔いているのだろう。
「キーワードは一子相伝。真実を知るのは母親ではなく王子である息子です。そこで我々は母親を楯に取り、当時4歳だった子供に尋ねました。」
可哀想に、子供は目の前で陵辱される母親を見せ付けられ、ただ声もなく泣いていた。
震えながら、それでも必死で声を飲み込んで。
「決して話してはならないときつく言い含められていたのでしょう、それでも我慢できずとうとう口を開きました。その時――――」
母親が呪術をかけたのだという。
「ネクタイブの呪術は物質を移動させたり人の意識を操ったりできるものではありません。ですから私達には効力を発揮できませんが、自分の子供には有効だったようです。」
それまで声を殺し震えていた子供が、いきなりその場に崩れ落ちて声を上げて泣き出した。
まるで赤子のように声を上げてわあわあと。
「それからはなにを聞いてもただ泣き喚くばかりで・・・」
母親は声を立てて笑った。
『その子はもう王子ではない。たった今、別の世界の子供の意識と入れ替えた。なにを聞いても、もう無駄じゃ。』

「そんな馬鹿なと子供を揺さぶったり叱咤したりしましたが、全然要領を得ません。最後の手段として私は子供の左眼に手をかけました。」
サンジの身体が目に見えて強張る。
ウソップも恐ろしげに肩を竦め、ナミは両手で自分の腕を抱えた。

「ネクタイブでは代々王位継承者の左眼をくり抜いて、義眼を嵌める習慣がありました。その義眼に細工が施されていて、嵌めた当人だけがキーワードを読めるようになっていたのです。ですが当時私はそのことを知らず、義眼さえ手に入れればキーワードが判明すると思っていました。泣き喚く子供と息も絶え絶えの母親を小屋に残して我々は持ち帰った義眼を調べ尽くしました。ですがどうしても求める言葉が現れない。義眼を使う当人が見るより他ないのかと理解して、もう一度小屋に戻ってみれば親子の姿はありません。」
裏手を探すと傷付いた身体を引き摺りながら母親は子供の手を引いて岬に向かっていた。
「訳のわからない子供と言えども母親から引き離し、目に見える言葉を読ませることは可能だと思いました。しかし母親は追ってきた我々を嘲笑うと、躊躇いもなく子供を崖から突き落としました。」

ひゅ、と誰かが息を飲む音がする。
「なんだ〜、突き落としたのは母親か〜?」
咀嚼しながら呑気に呟くルフィの声が、張り詰めた空気の中で浮いて聞こえた。

「その時母親は『必ずここに還り、元に戻れ』と言いました。私は任務を遂行できなかった悔しさと、我が子を死に追いやった母親に理不尽な怒りを感じ―――」
その場で叩き殺してしまったのです。

しん、とその場が静まり返った。


ぺデスは食事には手をつけずただ自分の太い指を見つめながら瞬きを繰り返している。
今は善良なこの男の心から、悔いが消えることはないのだろう。
「失意の内に沖に出た私達でしたが、仲間の一人ガあることに気付きました。彼は悪魔の実の能力者だったのに、力が失われていたのです。ですが途中の海域からまた能力が蘇り、私達はそれを確かめる為にまた島に戻りました。」
元々ログが溜まる間、ただぼんやりと過ごさなければならいような、退屈な島だった。
悪魔の実の能力者たちも力を発揮する機会もなく過ごすような島だったのだが・・・
「能力者がただの人間に戻る島になってしまっていたのです。」
その時、ペデスは気付いた。
『元に戻れ』の呪詛は、このことだったのかと。
能力者が普通の人間になるように、あの時海に落ちた子供は、この島に還り、入れ替わった精神が元に戻るのかと。

本国からの命令は絶対だ。
任務遂行のため、ペデス達はこの島に留まり子供が帰還するのを待つことにした。
ただそれがいつのことになるかはわからない。
幸い悪魔の実の能力が失われることを先に気付いた為、ペデスは村とは離れた場所に街を作り、海軍と手を組んだ。
ほどなく能力が失われる島だとの情報が口コミで広がると、あちこちから賞金稼ぎが集まってくるようになった。
それを見込んで、さらに商売の手を広げる。
島に人が溢れ、活気付いてくる。

「それでも村の人たちは無欲で純朴でした。街に出稼ぎに出る人もあれば、昔のままに漁をして細々と暮らしを続ける人もいる。そんな中で私はいつの頃からか、この島の生活に馴染んでしまったのです。」
その数年後、エルガルドが他国に攻め入られ、占領された事を知った。
「・・・遠く離れたこの小さな島で、私はとてつもない虚無感に襲われていました。祖国が滅亡した。
 カモメ便が運んで来た新聞記事の片隅に、小さくそう載せられているだけなのです。もはや我々の帰るべき場所はどこにもない。ここまで海を越えてきたのはなんのためだったのか。あの日、哀れな親子を死の淵に追いやったのは、なんのためだったのか。」

その頃、既に仲間達は軍人である身分を捨て、島の娘達と結婚し家庭を設けていた。
ペデス自身も死亡した村長に成り代わり島全体を納める立場にあった。
「それからの私は、ただあの時の子供が島に帰ってくるのを待つだけが生きがいになったのです。」
能力者が普通の人間に戻るように、あの時海に落ちた子供は必ずこの島に帰ってくる。
そうして母親が命を賭けて望んだように、エターナルブルーへの扉を開く鍵を手にし、王国の復活を叶えるのだ。


「それが・・・サンジ君、なの?」
誰もが戸惑いを隠せなかった。
ペデスの言葉をそのまま取るなら、今目の前にいるのが本来のサンジで、今まで共に暮らしたサンジは別世界のサンジだということになる。
サンジは無意識に左眼に手を当てて、誰にともなく呟いた。
「母さんに聞いたことがある。俺、2歳くらいの時高熱を出して、熱が下がったら今までのこと全部忘れたみたいになってたって。」
言葉も上手く話せなくて、夜中に何度も泣き叫んで魘されたらしい。
「当時4歳だったあなたの精神が2歳の子供に宿ったのね。」
ロビンは腕を組んで頬杖をついた。
「そして当時、恐らくは2歳だったその子は4歳のあなたの身体に入り、訳もわからないまま海に落とされた。その後どこをどう彷徨ったのかわからないけれど、オービット号に拾われ、育てられ、遭難した。」

サンジはこっちのサンジのことを思うと胸が痛んだ。
まだ幼いまま海に放り出され、親の愛を知らず、何度も死にかけた。
本来なら、そうなるべきは、自分だったのに。


「あなたの、母上の墓はこの屋敷の庭にあります。」
ペデスに促されて、サンジは立ち上がった。





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