Albireo 11




「名前は、セルジア・ペデス。出身は恐らくノースブルー。約15年前から島に移り住み、村長の後を継いで街を構築。自らも宿や酒場を経営して私服を肥やしているわね。ただし性格は温厚で寛容。島民からも慕われて『太っちょ領主さん』なんて呼ばれてるわ。」
「街での評判も上々だったぞ。入港管理局に道を尋ねに入ったけど観光案内なみに親切に対応してくれた。丁度上陸した船員の中から金髪を選んで検査してたけど、えらく扱いが丁寧だったぜ。」
「調べる限りマイナスイメージがないわね。あのおじいさんもそうは言ってたけど・・・」
「けど昔、女を殺したんだろ。なら悪い奴だ。」
4人は顔を突き合わせてう〜んと唸った。

共に上陸したロビン達と状況を調べはじめてもう3日経つ。
だが耳にする噂はどれも好ましいものばかりだ。

「街には海軍の出張所もあるし、俺としてはログが溜まるまで穏便に過ごしてとっとと出港した方がいいと思う。」
「えー、でもそれじゃあ何のためにサンジ君がこの島に帰ってきたのかわからないじゃない。」
「そうね真実を知るためにはコックさんが名乗り出るより他にないわ。」
「それもいいけど、俺腹が減ったぞ。」
ルフィの意見は無視して、ウソップは顎に手を当てて首を捻った。

「なんのためにサンジが帰ってきたって、帰ってきたのは今のサンジだぞ。俺らと一緒にいたサンジじゃねえ。
 これはどういうことだ?しかも、今のサンジはこの島を知ってる。」
「女の人が今わの際にかけた呪詛、『元に戻れ』がそれじゃあないのかしら。この島に近づいたら記憶が後退したのよ。」
「コックさんが倒れたのと私達の力が失われたのが同時だったのは、その呪詛の影響だとすると説明がつくわ。私達は本来の姿、ただの人間に戻ったというそれだけのこと。」
ロビンは薄く笑って自分の掌を目の前に翳した。
二つしかないしなかやな指がひらりと踊る。
「ログが溜まり、この島から離れればまた力は戻る。その時、コックさんは果たして元に戻るのかしら。」

そうなのだ。
それが一番、不安なのだ。
今いるサンジが邪魔だとか、役不足だからとか言うのでは決してない。
だが、やはり彼はサンジではない。
バラティエからやってきた、女好きで生意気で、口が悪くて足癖も悪い心優しいコックではない。

「今のサンジも好きだ。けど前のサンジに戻ってきて欲しい!」
きっぱりとルフィが言った。ナミも静かに頷く。

「・・・行くしかねえかな。」
「気を付けるのは賞金稼ぎ達だけね。」
やれやれとウソップは腰掛けたベッドの上で胡座をかいた。

階下から女将さんの明るい声が響く。
「お客さーん、お食事の用意ができましたよ―――」
「やっほう、飯だあ!」
「はーい。」
返事して立ち上がり、ナミはウソップに振り返った。

「みんなで行けば、なんとかなるわよ。」
「そだな。」

取り返すしかないのだ。
俺たちのコックを。



「ねーねーおじさん。今の時期、煮付けにするならどの魚がいい?」
「これなんか美味いぜ。今朝獲れたばかりだ。」
「土生姜とかある?」
「そりゃあ隣の店にあるぜ。後で覗いてみ。」
「うん、あんがと。」
それほど広くない市場の中をサンジはうろちょろと動き回っている。
「ありゃ、こっちは2束で50ベリーだ。しまった、さっき1束30ベリーで買っちゃったよ。」
「2束も一度に買って、どうすんだよ。」
「あ、そうか。」
誰にでも屈託なく話し掛けるサンジから目を離さず、ゾロはまるで用心棒の如く付き従っている。

「今夜は魚か?」
「うん煮付け、お前好きだろ。ゾロの好物ページに書いてあった。」
「なんだそりゃ。」
二人で食べる分にはそれほどの量にはならない。
紙袋を片手にぶらぶらと宿までの道を歩く。

「残金あとどれくらい?まだ金あるかなあ。」
「足らなくなったら稼げばいいだけだ。」
「え、どうやって?土方?」
「?なんだそりゃ。賞金首見つけて狩るんだよ。」
サンジは一瞬きょとんとした顔でゾロを見て、それからうんうんと一人頷いた。
「そうだよな。もと海賊狩りの魔獣だもんな。」
「納得すんなよ。」
「いや、ただなんとなく・・・」

部屋に上がり、灯りをつけて荷物を置いた。
ゾロはベッドの上にごろりと横になり、数秒も経たない内に寝息を立てる。
サンジはカツラを外して腕まくりをし、キッチンに立った。


ここ数日、こうして日々を過ごしている。
知らない街。
知らない人々。
一時の借りの部屋で二人だけで暮らす。
思いもかけない穏やかな毎日。

サンジはノートを捲り、ゾロの好物を探し出す。
レシピに沿って食料を買い求め、試行錯誤を繰り返しながら調理してみる。
ゲームや宿題があるわけではない。
最初は退屈しのぎに始めた料理の練習も、回を重ねるごとにどんどん面白くなってきてしまった。
何より、自分の手が信じられないほど器用に動く。
書いてあるとおりの分量で作れば驚くほど美味しい。
そして、ゾロが満足そうに食べてくれる。
そのことが、なにより嬉しい。


不意にノックの音がした。
この部屋を誰かが訪ねるなんて初めてのことだ。
サンジが返事するより早くゾロは起き上がり、扉に近づいた。
「俺だ。ウソップ」
「ああ。」
ゾロが開けたドアの向こうで、笑う長っ鼻をなんだか懐かしく感じる。

「まあ前にゾロから住所だけは聞いといたからすぐにわかったけどよ、結構繁華街に住んでたんだなあ。」
ウソップは物珍しそうに部屋の中できょろきょろして窓の下を見た。
「街の中心地の方が行動しやすいからな。市場にも近い。」
ウソップは下を向いたままにやんと笑った。
「そうそう、市場って言えば、さっき店の人に聞いて見たんだ。この辺で刀3本差した緑髪の剣士見かけませんかって。そしたら、ああいつも帽子被った細い子と一緒の人だねーだってよ。」
心持ち口を尖らせて不満そうな顔のゾロの後ろで、サンジはなぜだかほんのり顔を赤らめて包丁を動かしている。

「ちょうどいいや。ウソップお前も夕飯食べていくだろ。俺、結構腕上がったと思うぜ。」
「お、いいのか。俺の分あるか?」
「今日買い出しに行ったとこだ。食ってけよ。」
そう言って笑うサンジの顔を、ウソップは複雑な思いで見つめた。

「あ、ほんとに美味え。腕上げたなサンジ。」
「へへーだろ、だろ?」
相変わらずの仏頂面で黙々と食事するゾロの隣で、サンジはあれもこれもとウソップに皿を差し出す。
「今日はなー、カラントが籠売りで売ってたんだよ。こりゃあケーキに使えるとか思ったんだけど、なんせゾロしかいねえだろ。買ってもしょうがねえし買わなかったんだ。お前が来るってわかってたら作ってナミさん達のとこに持って帰ってもらったのになあ。」
「あーそりゃ残念だ。ルフィがうるせえから、内緒だな。」
「相変わらずあいつ食うの?宿の人たち困ってねえ?」

楽しげに笑うサンジの顔をじっと見つめて、ウソップは溜息ともつかぬ息を吐いた。
「・・・料理、楽しいかサンジ。」
「うん。なんかめっちゃ楽しい。こんなに面白いもんだと思わなかった。」
そう言ってゾロを見る。
「ゾロも美味いって言ってくれっしな。あ、もちろん美味くないときもちゃんと教えてくれるぞ。」
ウソップが驚いたように目を丸くする。
だがそれ以上何も言わず、よかったなーとだけ呟いて食事を続けた。



後片付けをするサンジの背中を見ながら、ウソップはゾロの横に腰掛けた。
「明日、サンジを連れて入港管理局に行くことになった。」
ゾロは一瞬酒を飲む手を止めたが、何も言わず杯を呷る。
「俺らが迎えにくるから、それまでにチェックアウトしとけよ。金が足りなきゃ手持ちを分ける。
 それにしても――――」
少し言い淀んで、声を潜めた。

「どういうつもりだ。ゾロ」
「なにがだ。」
振り向かないゾロの横顔を睨みつける。
「今のサンジを手懐けて、どういうつもりかと聞いてるんだ。」
「・・・そんなつもりはねえ。」
そっけなく応えて、空になった瓶を足元に転がす。

「正直俺は心配してた。成り行きとは言えお前と二人で暮らすことになって、サンジが泣く目に遭ってないかと思ってな。だからほっとしたってのも確かにあるが、それにしたって・・・」
言葉を切ってキッチンを見る。サンジは鼻歌交じりに皿を濯いでいる。
「美味いと言って食べてるだって?サンジに、一度だってそんなこと言ってやったか、お前。」
苛立ちを隠せないウソップの口調に、ゾロは顔を顰めてほんの少し首を傾けた。
「お前らは寄ると触ると喧嘩ばっかりで。まあ、夜はどうだったかしらねえが、まったく反りのあわねえ犬猿の仲だったじゃねえか。ああ言えばこう言うで人の上げ足ばかりとって、しなくていい喧嘩して・・・」
「悪いかよ。」
唐突に、ゾロが口を開く。
「喧嘩しねえで、悪いかよ。」
「悪かねえ。悪かねえけどよ・・・」
「大体あれじゃ喧嘩にならねえんだ。犬っころみてえに人に尻尾振って懐いてきやがるから、無碍にもできねえ。」

ゾロの言葉に、ウソップも眉を下げる。
「そりゃあ確かに、あのサンジは可愛らしいっつうか、素直っつうか、なんせサンジと正反対だ。気持ちもわかる。けどなあ、今のサンジはいずれどっかに消えるんだぜ。」
ぎろりとゾロはウソップの顔を睨みつける。
ウソップも負けずに睨み返した。
「そうだろが。前のサンジが帰ってきたなら、そうだろ。そういうこったろ。だからあまり深入りしねえ方がいい。サンジの為にも。」
それはどちらのサンジのためなのか。
ウソップにもわからない。

「ゾロー、風呂入っちまえよ。片づかねえから。」
手を拭きながらサンジが顔を覗かせる。
「ウソップも早めに帰った方がいいぞ。繁華街でも結構物騒なんだ。」
「そうだな。」
ゾロと二人、同時に腰を上げる。

「ゾロにも話してたんだが。サンジ、明日一緒に入港管理局に行くぞ。」
サンジは少し目を見開いて、それでもこくりと頷いた。
「なあに、大丈夫だ。みんなついてる。ゾロも一緒だから。」
その言葉にくすりと笑う。
「頼りにしてるよ。怖かなんかねえ。」
「そだな。」

さっさと風呂場に入ったゾロを見送って、ウソップは帰り支度を始めた。
「サンジ。」
「うん?」
「そのよー・・・」
ぽりぽりと頭を掻く。
「ゾロと、うまくやってっか。」
「うん。」
あっさり返されて、脱力した。

「ウソップには心配かけたな。ごめん。」
「いや俺はいいんだ。俺はいいんだが・・・」
ウソップの前で微笑むサンジの顔は心なしか寂しげに見える。
「お前、大丈夫か?」
「うん。大丈夫。」
今のサンジはどこまでも素直で明るい。
背負った過去の影を微塵も感じさせない真っさらな子供のようで―――
ゾロも複雑だよなあ。

「じゃあ明日、迎えに来るよ。」
「うん、頼むな。ナミさんたちによろしく。」
にっこり笑って手まで振られては、こっちも振り返すしかないっての。
あのサンジからは想像もできねえ姿だ。
愛想がいいのは女の前でだけ。
いつも斜に構えて煙草を噛んで、ナイフみたいに尖がってばかりだったのに・・・

「あれじゃあ、ゾロも・・・困るよなあ。」
ウソップは心から同情した。



窓を開け放し、空を見上げる。
ちょうど真正面にあの星が見える。
「風呂上りだからって、夜風にあたってっと風邪引くぞ。」
まだ濡れているサンジの髪をくしゃりと拭いて、ゾロは手を伸ばして窓を閉めた。
「もうちょっと、見てたかったのに。」
「なにを」
「星」
「星?」
ゾロは片眉を上げてサンジの頭を乱暴に拭いた。

「んなもん船の上で嫌ほど見れっだろうが。」
「まあな。」
サンジはベッドに腰掛けて目を閉じた。
ゾロがわしゃわしゃと髪を掻き混ぜるのに、身を任せている。
閉じた左眼が露になって、無意識に手を翳した。
「・・・隠すなよ。」
「うー、なんかやだ。」
酷い傷がある訳ではない。
だた瞼が閉じている。
その下に眼球がないだけで。

ふとそこに、暖かなものが触れた。
「ゾロ?」
かすかに身じろぐサンジに苦笑して、ゾロは唇を離した。
「もう寝るぞ。明日、あいつら何時に来るかわからねえ。」
そう言って踵を返すゾロの後を追いかけて、サンジは押し倒すようにベッドにダイブした。
「だめだ。寝かせねー。」
「おい。」
困惑してゾロが身を起こすのを、体重をかけて押さえつける。
「まだ寝るのは早ええぞ。」
頬を染めながらもゾロに乗っかって拗ねたように見下ろすサンジに、ゾロは苦笑した。
「やべえな、癖になったのか。」
「おう、だから責任取れ。」
細い腰を引き寄せて、パジャマの下から手を這わす。
さすがに恥ずかしくなったのか、サンジはゾロの上から降りて隣に寄り添った。

啄ばむように口付けて、お互いの背中に手を回して抱き合う。
ゾロの固い髪を手で梳きながら、サンジは一人笑いを漏らした。
「・・・なんだ?」
訝しんで、ゾロが顔を上げる。
「いや、・・・うん。」
歯切れの悪い口調で、誤魔化すようにゾロの頭を抱え込んで、サンジは額をこつんとつけた。
「お前さ、ほんとはこうしてたかったろ。」
「あ?」
「こっちのサンジと。こんな風に抱き合いたかったろ。」
ゾロは一瞬眉を顰めて、それから唇を歪めて拗ねたように尖らせた。
「んなわけ、ねえだろ。」
凶悪な顔つきで子供みたいな素振りを見せるからサンジは可笑しくてたまらない。
「俺に意地張ったって仕方ねえだろ。素直に言えよ。」
「うっせ、もう黙れ。」
がぶがぶと噛み付くように吸い付いて圧し掛かった。
手早く服を脱がせて身体中隈なく弄る。
性急な愛撫に途切れ途切れに声を上げながら、サンジは愛しげにゾロの身体を撫でた。

組み敷かれ貪られても、抱き返し求め合うSEXにしたい。
サンジの身体に、ゾロの手を刻みつけたい。
いつか俺が消えて、サンジが還っても覚えているように。

この身体から、ゾロへの愛しさが消えないように。

誰よりも愛し愛された記憶が、消えないように。


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