愛し愛されて生きるのさ 3




山門を潜り抜け、墓石の間の狭い通路をゾロの後について歩く。
物心がつく前に事故で亡くなってしまったから、ゾロ自身両親の顔も覚えていない。
それでもきっと、父親はゾロによく似た面差しの、頑固で厳しい、でも筋の通った男だったのだろう。
母親はおおらかで慈愛に満ちた、お師匠さんの奥さんみたいな人だったに違いない。

サンジはゾロの広い背中を見ながら、ゼフの言葉を思い出していた。


――――血の繋がりを、絶つことはできない。

自由奔放な性格で、親元を飛び出して異国で一人子を産んで、殺されたも同然で死んだ母。
裏で悪事を重ねて権力を手に入れ、愛しているからと実の息子でさえ抱くような父親。
そんな二人の血を自分は確かに受け継いでいる。
そんな俺がゾロの戸籍に入って、ゾロの親族としての権利を得て、親戚や家族の温もりまで得てしまっていいんだろうか。
いつかゾロが本当の家族を得たいと思った時に、なんの足跡も残さず消え去ることができなくなる。


サンジの足がぴたりと止まった。
気配に気付いてゾロが振り返った。
サンジはそれ以上進めなくなって、ただ情けない顔でゾロを見つめ返すしかできない。

「どうした?」
少し先まで進んでいたゾロが戻ってきた。
優しい眼差しで見つめられて、サンジは言いよどんだ。

「・・・あのよ、俺・・・やっぱ、いいのかな。」
何がと聞かず、ゾロは黙って先を待っている。
「なあゾロ、俺お前のご両親のお墓に参る資格ねえかも。ってえか、さっきくいなちゃんの仏前に手を合わしたときもそう思ったんだ。お師匠さんたちは凄く優しいし祝福してくれたし、すげえ嬉しいけど…そんなんでいいのかな。」

一度話し出すと、堰を切ったように想いが溢れてくる。
「だってよ、俺を籍に入れるってじじいの言うとおりお前の戸籍、汚れるんだ。俺はいいよ。あちこち行き慣れてっから。けどお前は―――」
「俺に『ゾロ・ナンデヤネン』になれってのか?」
「違う、そういうことじゃなくて・・・」
言葉を切って、唾を飲み込んだ。

「お前が、これから本当に家庭を持ちたいと思った時に・・・俺の痕跡が残っちまうだろうが。」
瞬間、ゾロが少し怖い顔になった。
それでも黙ってサンジを見ている。
「今は確かに、俺らずっと二人でいてえって思ってても。いつか年を取る。…子供を欲しいって思うだろう?ぜってー思う。それに俺は、お前はいい父親になるって思う。」
ゾロが小さな子供をあやす姿は容易に想像できた。
目が眩みそうなほど幸福な光景。
「俺はいいんだ。もうこの血筋は残したくねえ。けど、お前は違う。だから――――」
「確かに、俺は子供は好きだな。」
思いの外穏やかな声でゾロが言った。
「もし縁があったら、行く行くは養子を迎えることも考えないでもねえ。そん時はお前と二人で育ててえ。」
突っ立ったまま動けないサンジの腕を取って手を握る。
「愛する資格とか、愛される資格とか、そんなもんねえだろ。ただ俺に言えることは…」
その手を取って甲に口付けた。
「お前と共に生きることが俺の幸福だ。それだけは、忘れないでくれ。」
「ゾ…」
今日はちゃんと指に嵌めた銀の指輪に、ゾロが白い歯を立てた。
目だけ寄越して笑いかける。

「…いいのかよ、俺で。」
「てめえじゃなきゃだめだ。何度も言わせんな。」
少し怒った風に乱暴に引き寄せて抱きしめた。広い肩に顔を埋めて、サンジはくぐもった声を出す。
「・・・俺、今日泣きすぎかも・・・」
「頼むから、区役所では泣いてくれるなよ。」
揶揄めいた台詞に、サンジは黙って頷いて、盛大に鼻をかんだ。








「よお、遅かったな。」
役所の窓口には、ちょっとゾロに似た面差しの男が待っていた。
「大学ん時の連れで、コーザってんだ。役所の市民課にいるんで色々聞いてもらった。」
ゾロに紹介されて、コーザはカウンター越しに軽く会釈してくる。
「書類さえ揃ってれば記念すべき誕生日入籍ができるぞ。」
「揃えられるものは揃えた。後は頼む。」
サンジはすべてゾロに任せてソファに腰掛けた。
そう言えば今朝から煙草を吸ってないことを思い出す。
けど役所内は禁煙で喫煙スペースもない。
通り過ぎる職員や来客者までが自分達を見ているようでなんとも落ち着かない気分だ。

コーザは時折ちらりとサンジをみて、ゾロに何か囁いている。その度ゾロは笑ったり、小突く真似をした。
―――人をエサにしてじゃれてやがるな。
どうにも手持ち無沙汰で貧乏揺すりまで始めてしまった。




コーザがひょいと首を伸ばしてゾロの肩越しにサンジに声を掛けた。
「ロロノア・サンジさん。」
「は、はい?」
裏帰った声を出して立ち上がる。
一気に体温が上がって掌まで赤くなってしまった。
「本日付けで受理されました。おめでとうございます。」
「は・・・ありがとう、ございます。」
ゾロの隣で、消え入りそうな声で礼を言う。
みんな本当にめでたいと思ってるんだろうか。
誰か一人くらい、良識を持って止めてくれる奴がいてもいいんじゃないかと思うんだけど…

「パーティは6時からだろ。是非ビビと参加させてもらうよ。」
「ああ待ってるぜ。」
「パーティ?」
またしても素っ頓狂な声を上げてしまった。
だってそんな話、聞いてない。
「披露パーティはいるだろう。」
しれっとした顔でゾロが答えるから、サンジは思わず握り拳を作ってしまった。
「お前、もうちょっと恥とか外聞とか世間体とか――――」
「そうか、お前の口からそんな単語が聞けるようになったか。成長したなあ。」
しみじみ呟くゾロの頭をぽかりとはたく。
カウンターの向こうでコーザが楽しそうに笑っている。







まさか純白のウェディングドレスまで用意されてないだろうなと戦々恐々としていたサンジだが、内輪だけのアットホームなパーティでほっとした。
なんせ会場はバラティエだ。
なにからなにまでしてやられた感じで、悔しいことこの上ない。

「大体今日はてめえの誕生日だろうが。俺がサプライズさせられてどうすんだ。」
「てめえの驚いた顔を見んのが、俺の最大の楽しみだったんだ。多めに見ろよ。」
ゼフは厨房に引っ込んで調理に専念している。
パティを始めとした店の連中も定休日だというのに全員出勤してくれていた。
店内は花やモールで飾り付けられ、まるで一足早いクリスマスのような装いだ。

「あいつら、派手にするなっつったのに・・・」
呟くゾロの視線の先にはナミとルフィ、それにウソップとカヤが手を振っている。
「おめでとう、サンジ君。」
「ナミさ〜んv俺の隣にいるのが貴女ならよかったのに〜v」
むっとするゾロの横からルフィが顔を出す。
「ししし、漏れなく俺もついてくるぞ。」
「てめえはいらねえ。」
本気で嫌そうに肩を竦めるサンジの襟首を掴んで、ゾロはさっさと席に着いた。

ひな壇から改めて店内を見渡すと、知らない顔もちらほら見える。
サンジはゾロにこそっと訪ねた。
「あの、隅っこにたくさんいらっしゃるレディ達はお前の知り合いか?」
「ああ会社の先輩達だ。なんでだか違う課の人もいるんだが・・・」
そう言えば見覚えのある受付のお姉さんもいる。
サンジがにっこり笑って会釈したらきゃあvと密やかな歓声が上がった。

「お前こそなんだありゃ。なんかむさ苦しいぞ。」
見れば、反対側の端っこに体格のいい男たちが一塊になってなぜだか泣いている。
「ありゃ店の常連達だ。なんであんなとこでシケた面してやがんだ?つうか、誰だあいつらまで声かけたの。」
ぼそぼそ言い合っているうちに、店にはどんどん招待客がやってきた。

見事な花束を抱えて何故か半裸の格好で現れたルフィの兄。
ゾロの予備校で臨時講師を勤めていた美貌の考古学者。
かかりつけの医師・くれはと助手のチョッパー、コウシロウ夫妻にたしぎとおまけのスモーカー。
「遅れてすまん。」
慌てて飛び込んできたのはコーザにビビだ。
行きつけのバーのマスター、シャンクスやベンの姿も見える。

「お前、どんだけ呼んだんだよ。」
「いやー、ウソップに全部任せてた。」
大方集まったと見たウソップが、マイクを片手に壇上に上がった。

「えー本日はお日柄も良く・・・」
ざわついていた店内がぴたりと静まり、皆一斉にゾロとサンジをに注目する。
「皆様、本日はお忙しい中、二人のために多数ご列席くださいまして、まことにありがとうございます。本日、ロロノア・ゾロさんとサンジ・ナンデヤネンさんの入籍が、無事整いましたこと、まずもって皆様にご報告申し上げます。」
おおう、と歓声の元、万雷の拍手が送られた。
ゾロは珍しく相好を崩し、サンジは真っ赤になって顔を伏せてしまった。
「本日はほんとうにおめでとうございます。」
ウソップに恭しく礼をされて、サンジは益々顔を上げられなくなった。

「・・・これじゃあ、さらし者じゃねえか。」
「まあ披露宴ってえのはそんなもんだろ。」

「思い起こせば5年前・・・」
名調子のスピーチが始まった頃から、乾杯を待たずに銘々動き出した。
お互いに談笑し、ゾロやサンジに酒を注ぎに来る。
いちいち杯を受けてお互いを紹介し合った。

「はじめましてvいつもロロノア君からお噂は聞いてます〜v」
「もう堂々と惚気るんですよ、私たち妬けちゃって。」
「でもこんな素敵な人なら仕方ないわよね。この間のお弁当、凄く美味しかったですv」
OLたちにちやほやされて、縮こまっていたサンジも満更でもない様子で浮上してきた。
ついでに酒を進められて調子に乗って飲んでいる。

「畜生、こんなことなら俺が先にプロポーズしとくんだったぜ!」
「ばーかてめえなんか犯罪じゃねえか。」
「サンジ、思い直すなら今だぞ。ほんとにいいのかこんな男でっ」

「…また、こんなこともありました…」
「ほんとにねえ。世の中には星の数ほど男が居るのよ。別に好き好んでこいつ選ばなくてもいいでしょうに。」
「バカだなー、ゾロだからいいんじゃんか。」
「どうでもいいが、なんでお前ら俺を無視してこいつにばっかり注ぐんだ!ああもう、止めろ。悪酔いするっ」

「…またこんなこともありました…」
「君の手弁当はうちのフロアでも話題になってるんだよ。あー、俺らもこんな嫁さん貰ったらよかったなあーなんて…」
「やっぱり出世する男はまず身体第一だ。その点ゾロ君は健康管理からして違うねえ。」
「でも時々画面見つめたまま爆睡してることがあるから、夜はちゃんと寝かせてやってよ。」
「ええっ寝てんのわかんですか?」
「だって鼻息が違うもんよ。こう、規則正しくて・・・」

「…これも偏に皆々様のご指導の賜物と…」
「この度はご縁をいただきましてありがとうございます。」
「こちらこそ、ふつつかな孫ですが、どうかよろしくお願いします。」
「ゾロの従姉妹のたしぎと申します。従姉妹と言ってもほとんど姉のようなものですので、サンジさんも弟だと思ってお付き合いさせてください。」
「ありがたいです。聊か常軌を逸したところのあるバカ孫ですので、よろしくお願いします。」

「…の末永い幸せとご両家並びにご臨席の皆様のご多幸とご繁栄をお祈りいたしまして、乾杯をいたしたいと思います。皆様ご唱和をお願い致します!」
ようやくウソップの右手が上がると、皆一斉にグラスを掲げた。
なみなみと注がれたもの、既に空になっているもの、もう出来上がっている者など色々なスタイルで笑みを
浮かべる。

「乾杯!」

「かんぱ〜い!!!」




笑いさざめく声、大声で歌う者、泣き上戸で涙を流す者、踊る者、処構わず突っ込みを入れる者―――――
様々な祝福を受けて、ゾロもサンジもネジが緩んだように笑いっぱなしだった。
これからどんな人生が待ち受けていようとも、今日この日の思い出があればそれだけで生きていけると思うくらい幸福な夜だった。









サンジはふらつく足取りで厨房に入った。

「ちょっと借りるよ。」
コック達も大方料理を出し終えて、テーブルで同じように盛り上がっている。
ゼフはコウシロウ一家とずっと話し込んでいた。
鼻歌交じりで冷蔵庫を開け、適当に食材を取り出す。
いつでも詰められるようにストックにおいて置いた弁当箱を取り出して綺麗に洗った。

あり合わせの材料だけど最高に美味い弁当を作ってやる。
酔いが回ってふらつく頭で、鼻歌を歌いながらサンジは手際よく詰めていく。
出来上がったばかりの暖かいそれを、風呂敷に包んで皆に気付かれないようにとっと裏口から外に出た。

とうに日が暮れてまばらなネオンの光に負けず、空には星が瞬いている。
吐く息さえ白い、乾いた空気の中でサンジは辺りを見回した。
電柱の影、光を吸い込んだかのような暗い場所に双眸が白く浮かんで見える。

「――――先生。」
恐れずに近づき、目の前に風呂敷包みを差し出した。
「多分、最後の弁当だ。俺…幸せになったよ。」
頬を上気させて、潤んだ瞳で見つめるサンジに、影は少し揺らいでそっと手を伸ばしてきた。
弁当を持つ白い手に触れないように、慎重に受け取る。
こちらを向いたまま後退る気配がする。

「…ありがとう。」
完全に闇に紛れる前に、低い声だけがサンジに届いた。
「さようなら、先生。」
別れを告げる声に答える者はない。
それでも、サンジは冷たい夜風に身をさらして、しばらくそこから動かなかった。

――――それきり、ギンの姿を見た者はない。





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