愛し愛されて生きるのさ 2




そんなゾロに気を取られながら恐る恐る差し出された書類に目を通す。



『養子縁組届』


「――――うぇ?」

思わず間抜けな声を出してしまった。
一体これはどういうことか。
目を上げればクソまじめな顔をしたゾロがいる。

「ゾロ・・・これは―――」
「お前に、俺の戸籍に入って貰いたい。」
「・・・?」
まだ話が掴めなくてゼフの顔をみれば、相変わらず苦虫でも噛み潰したような顔だ。
またゾロに視線を戻した。
「平たく言えば俺と養子縁組を結んでくれ。」
さっきから開きっぱなしの口がどんどん下がってしまった。
えーと…
こいつは一体何を言ってるかってえと…

「お、お前が俺の父親になるのかっ?」
「まあ、書類上は養親だ。」
サンジは書類を握り締めて落ち着きなくゾロとゼフの顔を交互に見渡す。
「なんで、だって俺ら同級生で…」
「別に、養親が年下でさえなければ養子縁組はできる。書類上何の問題もない。」
「ええ、でもでも…俺がゾロの息子?ってえかゾロが俺の父親???」
「親子関係で考えてくれるな、単純に俺の籍に入るってことで…」
そこまで言ってゾロは少し頬を赤らめる。
「…察しろよ、それくらい。」
ゾロらしくない、歯切れの悪い言い方にパニくっていたサンジもしばし動きを止める。

――――籍を入れるって・・・
それは、つまり…

「ええええ〜〜〜っ、け、け・・・」
どうしてもその単語が言えなくて真っ赤になって口を覆った。
「マジかよ〜〜・・・」
ぺたんと座り込んで呆然と畳を見る。
突然のことでどうリアクションしていいのかすらわからない。



「入籍とか結婚とか、そんな風に意識しなくてもいい。」
動転したサンジとは対照的にゾロは落ち着いた声を出した。
「ただ俺は、これからの人生を歩んでいく上で、お前と一生一緒にいられる約束を取り付けたかった。」
どきん、と心臓が鳴った。
不意に、ゾロの台詞が胸にリアルに響いてくる。
「法律上の手続きを踏めば他人じゃなくなる。父子ってのは抵抗があるが、家族になることに変わりはないし・・・」
そこでゾロは言葉を切って、口元を引き締めた。

「…最後は、同じ墓に入れるだろう。」

サンジの顔がくしゃりと歪んだ。
唇を噛み締めて、怒ったように眉間に皺を寄せる。




「お前らはまだ若い。今は惚れた腫れたで突っ走ってっが、ひと歳行って落ち着いてみろ。人の気持ちは変わる。そん時若気の至りと後悔しても遅えんだ。無駄に戸籍を汚す前に、もう一度良く考えろ。」
ゼフはひどく優しい声音でゾロにそう言って、改めてサンジを見た。
「お前もだ。良く考えてから返事しろ。少なくともこの男はちゃらんぽらんに生きてきたお前とは違う。真っ当な会社に入って嫁さん貰って子をもうけて・・・普通に生きていくことができる男だ。こいつのこれからの人生をてめえが潰す真似をするのか、良く考えろ。」

ゼフの厳しい言葉に、俯いたままぎゅっと拳を握り締める。
長い前髪に隠れた右目から探るように隣のゾロを伺い見ると、ゾロはまっすぐ前を向いてなぜかすっきりした顔でゼフを見ている。
なんの恐れも不安もない、自信に満ちた横顔。



サンジは崩していた足を整えて正座した。

ゼフに向かって手をつくと、深々と頭を下げる。










「ゾロと共に、生きてゆきます。許してください。」

改めてゾロも深く頭を下げた。
沈黙が背に重い。
けれどサンジはゼフから言葉を貰うまで頭を上げる気はなかった。
許してもらえないなら、このまま何時間でも粘るつもりだ。






深く長い、溜息のような声を出して、ゼフは手元に置いてあった何かを卓上に出して並べた。
「わかった。お前ら、頭を上げろ。」
言われて二人揃って頭を上げると、目の前にいくつかの書類が並べられている。

「こいつは少々ややこしいからな。鰐淵の籍にこそ入っていなかったが、住所は転々としているし今は国籍が違う。お前に相談された時から、一応揃えられる物は準備しておいた。」
ゼフの大きな手が大事そうに紙を繰る。
「国籍証明書と訳文だ。それから出生証明書、要件具備証明書と訳文・・・」

「じじい・・・」
サンジは顔を上げてゼフを見た。
相変わらずの仏頂面が、なぜだかぼやけて、霞んで見える。


「お前はもう、わしの手から離れるんだ。わしから言うことはもう何もない。ただ――――」
ゼフは居住まいを正してゾロに向き直ると、手をついて頭を下げた。


「ふつつかな孫だが、よろしく頼む。」
「ありがとうございます。」

再度、頭を下げたゾロに続いて、サンジも畳に頭を擦りつける。
それきり、なかなか顔を上げられなかった。






「ひでーよな・・・俺にひとっつの相談もなく・・・」
「悪かった。」

少しむくれてサンジはゾロの前をどすどす歩いた。
これからどこへ向かうんだかはわからないが、一応怒っていることはアピールしておきたい。

「そりゃあ、大事なことだし。ゾロがじじいを気遣って第一に考えてくれたのは嬉しいけどよ。いきなりその場で俺に言うなんて、寝耳に水もいいとこだ。」
「そうだな。」
どれだけ文句をたれてもなんだかゾロはほくほく顔で聞き流している。
そのうちバカらしくなってきて、サンジもそれ以上責めるのを止めた。

「で、次はどこに行くんだ?」
「電車に乗って2駅で降りてくれ。師匠のところに行く。」
その言葉に、サンジは顔を引き締めた。



ゾロのお師匠さんには、春に一度引越しの手伝いをして貰って会っている。
とても温厚そうな人の良さそうな人だった。
一緒に暮らすと聞いて、何故だか喜んでくれていたっけ。

「お師匠さんも・・・俺らのこと知ってるのか?」
「ああ、お前がフィンランドに行っちまった時からもう話してある。」
ゾロは最初から自分達の関係を周りに隠そうとはしなかった。
二人がそうなる前はなんだかバタついていた気がするのに、好き合ってると自覚した時からどっしり構えたようだ。
却ってサンジの方が赤面するくらい、大胆でオープンな時もある。
それでも緊張することに変わりはなくて、サンジは電車の中でもそわそわとして落ち着かない。

「あのよ、俺もスーツとか、着てきた方がよかったんじゃねえの?」
「なんで?っつうか、いらねーよ。おかしいだろ、男二人でスーツ着て家行くなんて。」
「けどよお、おかしくねえ?髪とか乱れてねえ?」
「…ちょっとおかしい。顔が真っ赤だ。」
意地悪く指摘してそっと耳元に口を寄せた。
「でも可愛いぞ。」
ガン!と盛大に脛を蹴られる。








なんとか電車を降りて玄関に着いた頃には、サンジの緊張はピークに達していた。
もう心臓が口から出そうだ。
呼び鈴も鳴らさず、ゾロは玄関の引き戸を開ける。

「こんにちは。」
はーいと快活な女性の声がして、パタパタと廊下を小走りに走る音が近づいてくる。
「いらっしゃい。待ってたのよ。」
50代くらいの上品な女の人が満面の笑みで出迎えてくれた。
「あなたがサンジさんね。はじめましてコウシロウの妻です。」
玄関先で膝をついて深々と頭を下げられて、慌てて礼をした。
「はじめまして。いつもお世話になっております。」
お世話に・・・の単語に自分で言っておいて赤面してしまった。
「まあまあ堅苦しい挨拶は抜きにして、どうぞ上がって頂戴。」
「失礼します。」
さっと靴を脱いで上がるゾロに慌てて続く。

奥の座敷まで通されたら、先生は熊みたいに窓際でウロウロしていた。
「まああなた、座ってらして下さい。ほんとにもう、この人は・・・」
奥さんはころころ笑って座敷に通してくれた。
少しお待ちくださいませねと、襖を閉める。
先生は座卓の前でコホンと咳払いして、よく来たね、とサンジに笑いかけた。
ゾロと二人並んで畏まって正座する。



「今日は挨拶に参りました。」
ゾロの声が静かな座敷に響いた。
「今日、お陰さまで俺も23歳を迎えることが出来ました。先生や奥さん、それに道場のみんなや・・・くいなが見守ってくれたからだと思っています。」
サンジは頭を下げたまま、ちらりと仏壇の方に視線を向けた。
上体を低くしているせいで写真を見ることは叶わない。
「これを機に、サンジと籍を入れたいと思います。そして先生には、保証人の欄に署名していただきたい。」
ゾロは顔を上げて胸ポケットから封筒を取り出した。
座卓の上に広げて見せる。
「先に署名してあるのはサンジの祖父です。先生には、俺の親として、お願いします。」

丸いメガネの奥で、先生は数度細い目を瞬かせた。
そして静かに書類を手に取る。
「喜んで署名させてもらうよ。ゾロ、サンジ君。おめでとう。」
静かなコウシロウの声を聞いて、サンジの胸に何か熱いものがせり上がった。




ゾロは紛れもなく、この人たちが育てた大切な息子だ。
赤の他人とは言え、幼かったゾロを引き取って実の娘と分け隔てなく育てて慈しんだ、自慢の息子。
くいなが成長していたなら、きっと二人が夫婦になることを誰よりも望んだだろうに。


「ありがとう・・・ございます・・・」
鼻声になって礼を言うと、ぽたりと握った拳の上に涙が落ちた。
それでも唇を噛み締めて顔を上げる。
先生の後ろに備えられた小さな仏壇の中に、いつか写真で見た少女が笑っていた。

「ゾロ、俺―――くいなちゃんに、挨拶してねえ。」
ああ、とゾロが頷いて身体を起こす。
先生に断って仏壇に手を合わせた。
かすかに漂う線香の香りと飾られた白い花。
小さな額縁の中の少女は、勝気な瞳をそのままに笑っている。


「失礼します。」
お茶をもって奥さんが襖を開けた。
「よかったらお昼一緒に食べてらっしゃいな。今たしぎと用意してるのよ。」
そう言って、振り向いたサンジを見て目を丸くする。
「まあまあ、どうしたの。ま、ほんとに――――」
涙と鼻水でぐしゃぐしゃの顔に、ゾロが苦笑してハンカチをあてた。
その時初めて、サンジは真っ赤になって自分が泣いていることに気付いた。








「サンジ君の腕前にはとても敵わないけど、よかったらたくさん食べてね。」
エプロンをつけたたしぎがくるくると立ち働く横で、でかい図体の男も一緒になってウロウロしている。
「こちらは?」
ゾロが戸惑って先生に尋ねた。
「ああ、たしぎのアメリカでのボーイフレンドだそうだ。先週からうちにいるんだよ。」
先生にしては珍しく、少し拗ねたみたいな口調だ。
「スモーカーさんっておっしゃって、格闘技をされてるんですって。主人と結構話が合うみたいで…もうずっとうちにいらしたらいいのにねえ。」
奥さんはそう言って悪戯っぽく片目を瞑って見せる。
たしぎは少し顔を赤らめて台所に引っ込み、スモーカーという男は所在無さ気に暫くうろついていたが仕方なくサンジの隣に腰を下ろした。
「あー・・・オメデトウ、ゴザイマス。」
「あ、ありがとうございます。」
サンジも畏まって頭を下げる。
初対面の人からも祝福されるなんて、なんだか変な感じだ。



師匠夫婦とたしぎ達の心尽くしの料理を味わって、賑やかな食卓を囲んだ。
サンジにはこんなふうにアットホームな雰囲気で食事をした経験がない。
なんかホームドラマみてえなんて素直な感想を述べて無邪気にはしゃいでいる。
「ここはゾロの実家であなたの実家にもなるんですから、いつでも帰ってらっしゃい。」
「そうよ、ゾロと喧嘩したら『実家に帰らせてもらいます』ってうちにいらっしゃいな。大歓迎よ。」
女性陣を味方につけて、サンジはいたくご満悦だ。
ゾロとスモーカーは「尻に敷かれてんじゃねえのか。」「ソッチコソ。」なんて言い合っている。


「これから区役所に届けに行くのかい?」
先生はお茶を啜りながら窓の外に目をやった。
すかんと晴れた秋晴れの空が広がっている。
「天気もいいですし、墓参りしてから行こうと思ってます。」
「そうだね、それがいい。」
サンジもつられるように窓を見る。
お天道様まで祝福してくれてるような、そんな空だった。



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