愛し愛されて生きるのさ 1




出る杭は打たれるの諺どおり、最近よく打たれる。
いや、「鉄は熱いうちに打て」か?

入社して半年が過ぎてもう新人ではないがベテランでもない。
上司から言いつけられる雑用も多いが先輩達から頼られることも多くなった。
同期で既に退社したものも少なくはない。
酷く忙しいのに、自分のしていることがこれでいいのか確証がもてない、中途半端な時期かもしれない。


ゾロは社会人1年生として、毎日忙しい日々を送っている。
係長はどこに出かけるのでもゾロを連れて行きたがる。
それくらい、一人で行けよと言ってやりたい。
お局は連絡ミスを俺のせいにしやがった。
言い忘れたのはてめえだろうが。
先輩は俺がプロジェクトに選ばれたのが気に入らないらしい。
悔しかったらてめえが頑張れ。
言いたいことは山ほどあるが、一旦留まって咀嚼して飲み込んでからもう一度口を開けば、文句はどこかに消えている。
こうやってちょっとずつ我慢するのも大人に近づいていることかもしれねえ。

ゾロにしてみれば扱き使われるのはバイトで慣れているし、理不尽な仕打ちや誤解もそう気にしない性質だ。
普通の人間より打たれ強いと自負している。
だからこそ、厳しく接してくれる上司はありがたいとも思う。





冷たいビル風が吹きすさぶ街中を、身を屈めて人々が歩く。
その間で足を止めて空を見上げた。
ケバケバしいネオンに彩られた光を反射して曇った空はどんよりと淀んで見える。
けれど、薄汚れた灰色の建物に灯る明かりの一つ一つが、暖かく感じるのは、ゾロにも待ってくれている
人がいるからだ。

人気の少ない改札を抜けて、歩いて5分の家路に急ぐ。
以前暮らしていたところより一回り大きなアパート。
月々の家賃は二人で折半するからそう高くもない。
もう少し給料が上がったらもっと広いとこに住もうぜなんて、あいつは笑って計画してる。

角を曲がれば、2階の窓の明かりが見えた。
夜の空気は頬に痛いほど冷たいのに、明かりを見ただけでほっこりと暖かくなる。
自然早足になって足音を立てないように階段を駆け上がった。





「ただいま。」
「おかえり。寒かっただろう。」

扉を開ければ美味そうな匂いと共に、奴の声が届く。
暖かな空気。
湯気の立つ台所。
振り返る奴の笑顔。
随分前から日常の風景になっているはずのそれらにまだ慣れなくて、ゾロはその度幸福を噛み締めていた。




「最近ずっと遅えだろ。まだ続くのか。」
「いんや、今週末には目処がつく。お前の方はどうよ。」
「んー、客の入りはちょっと落ち着いたかな。でも今日はバイトがやってくれちゃってよお。」
サンジは、駅前に出店したバラティエ日本支店のコックとして厨房に立っている。
まだ見習いの身で下拵えが主らしいが、楽しそうに勤めているから安心した。

あのじいさんの下で修業しただけあって料理の腕が格段に上がっているのは、普段食ってるだけのゾロにもわかった。
その辺のレストランなら一人前のコックとして十分やっていけるだろう。
そう思って口に出したら、サンジはすこし口を尖らせてじろりとゾロを見た。
これは怒っているのではなくて照れた時の顔だ。

「バカ言ってんじゃねーよ。俺あ一流のコックになるんだぜ。その為には技術だけじゃダメで、経験とかカンとか大事だから、じっくり修業は続けなきゃなんねえんだよ。」
言いながら、嬉しそうに鍋をお玉で掻き混ぜている。
「それにいつか俺あ自分の店持つんだ。俺一人ですっから席数とか少ないけど美味い料理出す店をよ。」
「今から物件探したらどうだ。」
「馬鹿言ってろ。さ、鍋下ろすぞ。」

茶碗やら取り皿やらを避けた中央に鍋敷きを置いて熱々の土鍋を下ろす。
蓋を取ると、むわんとなんとも食欲をそそる匂いと共に豪快に湯気が立った。
「俺はいいから、お前はどうなんだ。いっつも俺ばっか喋っててお前のこたあ、あんま聞かねえぞ。」
今度は本当に不満そうに口を尖らせた。
確かにゾロだって口を開けば上司の愚痴やら仕事の大変さやらいくらでも出てくる。
けど、そんなことは目の前の幸福に比べたら屁でもない事柄だから別にサンジに聞かせる気にもならない。
「お前って変にまじめで何でも全力投球するくせあるから、程々にしとけよ。なんでもパパっとやる奴は、それが当たり前だと思われるからどんどん仕事が増えるんだ。適当に手抜いとかねえと、後が続かねえぞ。」
知ったような口ぶりで話すからおかしくて仕方がない。
でもサンジの言うことも最もだから素直に頷いた。

冷えたビールのせいか、部屋に立ち込める蒸気のせいかわからないがほんのり染まった頬に手をついて、
サンジがじっとゾロを見つめる。
「・・・なんだ。」
「うん、あのよう・・・」
少し目を伏せた。
ピンクの肌に金の睫が映えるよなーとかぼうっと眺めているゾロはかなり末期だ。
「お前今月、誕生日じゃん。なんか、欲しいものあるか?」
言われて壁に掛けたカレンダーに目をやった。
これでもかというほどでかい花丸が書いてある。
「あー、誕生日だっけ。」
忘れていた訳ではないが、拘りがあるわけでもない。
思えば師匠の奥さんはイベント好きだったから、誕生日にはなにかとお祝いをしてくれた。
プレゼントも毎年くれた。今年も何か送ってくるかもしれない。
「てめえに何かやりてえとか思ったけど、思いつかねえんだよ。どうせなら喜んでくれるもんがいいし。ネクタイとか小物は普段から俺が選んでやってるから、新鮮味ねえし。」
だからなんか強請れとサンジが言う。

ゾロはその顔を見つめ返して、いい機会かもしれないと思った。
本当は春頃から、サンジが帰ってきた頃からずっと考えていたこと。
黙ってじっと見ているゾロにまた少し口を尖らせて首を傾けた。
「言っとくけど、欲しいもの『俺』ってのはナシだぞ。毎日腹いっぱい食わせてやってるんだ。なんか形に
 残るようなもんとかさ。」
サンジは、無意識にだろうけど胸元に手をあてた。
そこには銀のチェーンに通された指輪が引っ掛かっている。
職業柄指には嵌められないから、でも肌身離さず持っていたい揃いのリング。

「俺な、すっげー欲しいもんがある。」
ゾロの言葉にサンジは目を輝かせた。
「おう言え、なんだ?なにが欲しい?まあ、予算はそこそこ考えなきゃならねえがこれでも結構節約してへそくり溜めてんだから。どーんと奮発してもいいぞ。」
「モノじゃねえ。まあ多少金はいるかも知れねえがしれてる。ただ、てめえに付き合って貰いてえ。」
ゾロはもう一度カレンダーに目をやった。
木曜日か。
ちょうどいい。
「11日、1日俺に付き合ってくれ。」
「ああ、いいぜ。最初からそのつもりだ。ちょうどバラティエ休みの日だし・・・って、お前会社どうすんの。」
「休む。そん時には目処がついてるから有給は取れるぞ。」
「んじゃ、1日デートか?」
「ああ。だが行き先は俺に任せろ。お前はその日いてくれればいいからなんにもするな。いいな。」
やや強引なゾロの命令口調に少しむっとしたが、誕生日だから仕方ねえかとサンジは心中で呟いた。

明日からちょっと慌しくなるな―――
ゾロは一人であれこれと考えを巡らせて、サンジに意味ありげに笑いかけた。





誕生日は本来、自分を生んでくれた両親に感謝する日だと思っている。
親を早くに亡くしたゾロにとって、誕生日はたいした意味を持つものではなくなっていた。
だが自分にとって大切な人を得た今、誕生日を共に祝いその人からプレゼントを貰うのも悪くないんじゃないかと思う。

サンジにしかできないこと。
サンジからしか貰えないプレゼント。






「ゾロは何もすんなっつうんだけど、それじゃ俺がつまんねえんだよな。」
「いやー、主役がそう言うんならちゃんと聞いとかないと、ゾロの計画が台無しになるぞ。」

少々遅めのランチを取りにやってきたウソップは、なんだか知った風な口で釘を刺してくる。
「ほら、いくら客が減ったからっていつまでも油売ってないで、いい加減仕事に戻れ。」
邪魔だと手を振るウソップの隣で可憐な美少女が笑っている。
ウソップの彼女らしいが、まさに美女と野獣、豚に真珠だ。
「ちっ、久しぶりに会ったってのに冷てえなあ。」
「そのうちまたゆっくり話す機会があるさ。」
「そのうち?」
聞き返すサンジから顔を背けて、ウソップは彼女に話しかけている。
あからさまに話題を逸らされた気がして怪しいが、サンジはそれ以上邪魔をせず厨房に引っ込んだ。

ゾロの誕生日に自分から何かできないのは残念だけど、ウソップも何か知っててゾロが計画してるなら、それに乗ってやろう。
本当は誕生日なんて関係ないくらい毎日毎日、ゾロに何かをしてやりたい。

離れて暮らした日々はそれなりに楽しかったけど、胸にぽっかり穴が開いたようだった。
時々無性にゾロの声が聞きたくなったり、その手のぬくもりが恋しくなったりして、その度に電話やメールで
なんとか誤魔化して来たっけ。
それが今、手を伸ばせばいつでも届く距離にいる。
同じ部屋に住んで同じ飯を食べて同じ時を生きている。
笑って、話して、抱き合って、SEXして、愛して、愛して――――
まるで夢のような幸福な日々。
今でも半分夢じゃないかと疑う自分がいて、眠るのが怖いくらいだ。

湯を張ったシンクに溜まった皿を荒いながら、サンジは一人で赤面して微笑んだ。










「おい、起きろ。朝だぞ〜v」
サンジが軽快にカーテンを開けると一気に光が飛び込んで充満する。
「ほーらいい天気だ。光合成日和だなおい。」
布団を引っ被って潜るゾロの隣に膝をついて引っぺがしにかかった。
今日という日を心無く休む為に、ゾロは昨夜かなり遅くまで働いていたから眠いのだ。
正確には、今朝までだったし。
けれどサンジは容赦なくその脇腹に蹴りを入れる。
普段二人とも休みの日はごろごろ寝じゃれて過ごすが、今日はなんせ特別な日だ。
「目、覚ませクソダーリン。誕生日おめでとう。やったな23歳v」
うつ伏せてシーツに顔を埋めるゾロの耳元でそっと囁いた。
大サービスで頬にキスまでくれてやる。
それでも無反応なのに焦れて首元に手を差し込んだら、がっちり捉まれて引き倒された。

「・・・てめえ狸かよ!ずりー・・・」
寝ぼけているのか目を閉じたまま、ゾロはサンジの痩躯を身体の下に抱き込んだ。
「ああ起きる。ひと触りしてからなv」
「あほかい!」






朝食を取って顔を洗って身支度を整える。
ゾロはなぜかスーツ姿だ。
「・・・なんで朝からスーツなんだ。本格的なのか?」
サンジは自分も着るものを合わせなきゃいけないのかと聞いてくる。
「まあこれは俺の気持ちっつうか、気構えだ。てめえはなんでもいいぞ。」
そう言われて遠慮なくセーターにする。
今日はなんだか肌寒い。

エースから車を借りた形跡もないからドライブという訳でもなさそうだ。
戸締りをして小春日和の歩道を歩く。
行き先のわからないミステリーデートってのも面白いな、なんて楽しみながらゾロの後をついていくと、その足は駅に向かい、見慣れた店の前で止まった。

サンジの職場、レストランバラティエだ。
今日は定休日で店は閉まっている。
ゾロは勝手知ったる感じで裏口に回り、ゼフの住む二階へとへと上がった。

「なんだ、じじいに用があったのか。」
ゼフは月単位でフィンランドと日本を行ったり来たりしている。
バラティエが軌道に乗ったらフィンランドに帰るつもりだ。
ゾロは扉の前でこほん、と咳払いをして呼び鈴を鳴らした。
暫く間を置いて鍵を開ける音がする。

「おはようございます。」
少々硬い感じで頭を下げるゾロに、ゼフは黙って顎をしゃくり中に入るよう促した。


ゼフとゾロが対峙するとき、サンジはいつも必要以上に気を遣った。
どちらも愛想があるほうでないし無口だから、主に間に入ったサンジが喋り捲る。
だがサンジが中座して帰ってくると、二人黙って睨み合っていることがあって…。
単に話す事もなくて間が持たないだけなのだろうが、まるで無言で闘っているような雰囲気で、そこに口を
挟むのが躊躇われるような緊張感なのだ。
そんな、どう見ても相性がいいとは言えなさそうな二人が、一体どうした訳なのか。
なんだか自分だけ蚊帳の外のようで、少々気分を害しながらサンジは一番最後に家に入った。



リビングの隣に設えた4畳半ほどの畳の部屋に通される。
来日して以来すっかり日本びいきになったゼフは、絵に描いたような日本かぶれの外人になっていた。
部屋の奥の壁には掛け軸が掛けられ、招き猫やら中国風の壷が置かれた床の間らしき場所の前にゼフが座る。
座卓を隔ててゾロがその正面に正座した。
訳もわからぬままサンジはその傍らに腰を下ろし、胡座をかいた。


「・・・」


しばし、沈黙が流れた。

「えーと、茶でも入れようか。」
座ったまま睨みあい一向に埒のあかない二人に、サンジは恐る恐る声をかける。
「いや・・・」
ゾロは前を向いたまま頭を振って、両手の拳を膝頭から畳に下ろした。
そのまま手をついて、背筋を伸ばしたまま頭を下げる。
ぴしりと筋の通った姿勢が綺麗だな、とサンジはぼうと眺めていた。



「今日は、お願いがあって来ました。」
珍しい、ゾロの硬い声。

「サンジを、俺にください。」


とんでもない台詞がゾロの口から飛び出したから、中腰のまま動きを止めた。
ゾロの横顔を見れば、真剣な表情でどこか挑むような目つきでゼフを見上げている。
ゼフはといえば、唇を真一文字に結んで睨み返していた。

「ち・・・ちょっと待てよ、おい・・・」
サンジの声だけが二人の間で空回りするみたいで言葉が続かない。
ゼフの目だけがちらりとサンジを見て、またゾロへと戻った。

「これは、お前も知っていると思うがかなりの粗忽ものだぞ。」
「はい。」
かくんとサンジの肩が傾く。
「ろくな育ち方もしておらん。」
「今のこいつがいいんです。」
「考え方が甘いし、常識から少々ずれておる。」
「俺がフォローします。」
「いつまでも若くて可愛いわけじゃねえぞ。」
「俺も同じです。」
ゼフは腕組みをして背を反らせた。

「・・・血の繋がりは、断つことはできんぞ。」
「すべてひっくるめて背負うつもりです。」

ゼフの目が眇められる。
ゾロは瞬きもせず見返したままだ。

「・・・ちょっと待てよお前ら!」
居たたまれず、サンジは座卓を叩いて立ち上がった。
「く、くれだのやるだの、俺はモノじゃねえっつうんだ。なに人のことシカトして話進めてくれてんだよ!」
その時はじめて、ゾロはサンジの方を向いた。
まるで怒っているかのように険しく固い表情だ。
「お前に事前になんの相談もしなかったことは悪かったと思う。だがこんな大切なことは俺たちだけで決めたくはなかった。」

言いながら背広の胸ポケットから茶封筒を取り出した。
畳まれた書類を取り出して広げて見せる。
「おっさんの・・・ゼフの前で、話し合いたいと思った。もちろん、お前の希望も聞いてはやるが、最優先は俺の希望だ。なんせ今日は俺の誕生日だからな。」
そう言い切ってはじめて、固いながらも笑顔を作った。



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