愛についてかたること -6-


トレイに夕食を載せて、サンジはドアを叩いた。
応えはない。
多分ダメだろうと予想しながらドアノブを回すと、予想に反して軽く回る。
カギは掛かっていなかった。

「ゾロ、入るよ」
前もってそう声を掛けてから、そっとドアを押す。
机に向かっていたゾロは、ゆっくりと振り返った。
「…飯」
「ありがとう」
ゾロは鉛筆を置くと、座ったまま大きく伸びをしてイスを回した。
「腹減った」
屈託ない言い方にサンジは思わず笑みを漏らして、それから哀しげに眉を下げた。
ゾロは、幼い頃からあまり感情を表に出さない子どもだったけれど、だからといって甘えや怒りがなかった訳じゃない。
ただ、それをぶつける相手が傍にいなかったのだ。
母は海外に出、代わりに面倒を見てくれたのは赤の他人の若い男。
子ども心にも遠慮があっただろうし、警戒心もあったはずだ。
その結果、ゾロは益々自分の感情をストレートに表現できなくなってしまった。
おそらくは無意識に、自分でも感覚を麻痺させて考えること自体を抑えこんでしまっている。
今だって本当は、一晩だけでも部屋に籠城したり夕食を拒否したりしてもおかしくはないのに。
そんな“甘え方”すら、ゾロは知らない。
何事もなかったように、日常にたやすく戻れる術ばかり覚えて。
そうやって自分を誤魔化して――――

サンジから受け取ったトレイに手を合わせて、ゾロは猛烈な勢いで食べ始めた。
その様子を眺めながら、サンジはベッドに腰を下ろしてタバコを咥える。
部屋がタバコ臭くなるからゾロには嫌がられるが、今日は勘弁してもらおう。

「来週には、この家を出ようと思う」
サンジの言葉にゾロは一瞬箸を止めたが、何も言わなかった。
「ロビンちゃんはこのまましばらく家にいて、仕事は来年からだそうだ。これから荷物も届くって」
「ふん」
ゾロは茶碗に顔を突っ込んで勢いよく掻き込んでしまうと、空になった皿と茶碗を重ねて手を合わせた。
「ご馳走さん」
「ゆっくり食えよ」
サンジは持ってきた急須から熱い茶を注いでやる。

「出てくって、どこに行くんだ?」
ゾロから話を振られたことにホッとして、サンジも自分の湯呑みに茶を注いだ。
「店の近くでアパート探すつもりだ。今ちょうど、パートから正社員にならないかって話貰ってて…」
「そうか、よかったな」
サンジが、今までにも何度も正社員に誘われていたのはゾロも知っていたけど、サンジはその度に丁重に断っていたのだ。
正社員になれば時間の制限が生まれて、ゾロ中心の生活ができなくなる。
だからパートのままで頑張っていた。
だが、この家から出るならもうそんな気兼ねはいらない。
元々好きで遣り甲斐のある、コックという仕事に打ち込めるだろう。

「金はあんのか?」
サンジはロビンからの仕送りをゾロ名義の貯金に回して、自分の稼ぎを生活費に充てていたはずだ。
サンジ名義の口座があるかも怪しい。
「うん、一応給料振り込み用の口座はあるし、ロビンちゃんが慰謝料をくれるって。そんなのいらないって言ったけど、これから引っ越す費用分はちょっと貸して貰うことにした」
「慰謝料は当たり前だ。そんなのガッポリ貰っとけ。返す必要なんかねえ」
「でも、慰謝料って普通俺からロビンちゃんに渡すんじゃねえの?」
「アホか」
黄色くて軽い頭を叩きたくなる。

「…んで、名前のことなんだけど…」
おずおずと言い出し難そうに切り出すサンジに、ゾロはぶっきらぼうに答えた。
「お前が変わりたくなきゃ変えなきゃいいよ。俺みたいな息子がいてもいいなら」
ゾロの言葉に、サンジはあからさまにホッとしてみせる。
確かに、考えてみれば通帳の名前でもなんでも、今更名字を変えるのは面倒だろう。
サンジが嫌でないなら、ロロノアの姓を名乗ったままでいることはゾロにはなんの支障もない。
ただ、サンジが“父親”でいることに抵抗感があるだけだ。

「なあ、俺の親父のこと知ってるのか?」
面倒臭いことは考え込まない性質だが、気になっていることを有耶無耶にするほど
大人でもないゾロは、単刀直入に聞いてみた。
純粋に、自分の父親がどんなのだったか知りたいと思う気持ちもある。
サンジは少し首を傾けて考える仕種を見せたが、諦めたように首を振った。
「ごめん。正直な話、ロロノアさんは俺の命の恩人だけど、ちゃんと覚えていないんだ」
「はあ?」
湯飲みに注ぎ足してくれた熱い茶を啜りながら、ゾロは胡散臭そうに顔を顰める。
「そん時の俺の意識もあやふやでな、まともに記憶が残ってねえ。抱きかかえられた時の力強さとか、腹の底に響くような声とか、そんな部分的なものならなんとなく覚えてんだけど・・・」
そう言って、煙草を挟んだ指でこめかみを押さえる。
命の恩人と言うからには、サンジは相当な危機に直面していたのだろう。
酷い怪我も負っていたのかもしれない。
恩人だから覚えていろというのは酷な話だ。

「お前、その時幾つだったんだ?」
「多分10歳くらい、かなあ」
ゾロの問いに、サンジは他人事のように答える。
「ああでも、その後ロロノアさんの写真とか見せてもらったから、生ロロノアさんじゃなければ顔とかは覚えてんだぜ」
フォローするように明るく言い足したが、生ロロノアってなんだよとゾロがすかさず突っ込んだ。
「写真見ただけだけど、ゾロによく似てるよ。目つきとかそっくりだ。多分ゾロよりちょっとエラが張ってて顎の辺りがごつくて・・・ゾロももうちょい大きくなっておっさんになったら、ああなるのかな」
そう言ってみてから、ならないかなと自分で訂正している。
ゾロにはロビンの端正な顔立ちもしっかりと受け継がれているから、シャープな面立ちは変わらないだろう。
「ロロノアさんはすごくカッコいい人だったけど、お前もすごくいい男になりそうだな。ロロノアさんの男気とロビンちゃんの明晰さがミックスしてて、それでゾロはゾロなんだよな」
繁々と見つめられて、ゾロは口をへの字に曲げた。
「俺のことはいいんだよ。命の恩人って言うのはわかったけど、顔も知らねえのに随分義理堅いんだな」
不貞腐れた表情のゾロに目を眇め、サンジは新しい煙草に火を点けて軽くふかす。
「そうだな・・・後からだけど人伝に、ロロノアさんが俺を養子に迎えたいって言ってくれたって聞いたからかなあ」
「・・・養子?」
そうか、サンジは当時子どもだったのだ。
場合によっては、ゾロの“兄”であったこともあり得る。

「あくまでも、後から聞いたことだけどな。なんかすげえ縁を感じちまってよ、勝手にだけどよ。それに、例え一時の気の迷いででも、俺なんかを養子にしてくれようって考えて貰えたことがすげえ・・・嬉しかった」
煙が目に染みるのか、瞬かせた睫毛にうっすらと涙が滲んでいる。
「ほんとに・・・嬉しかったんだ。初めて俺の存在を認めてもらえたようで、俺なんかでも、生きててもいいのかなってそう思えて」
「―――おい」
大袈裟な方向に話が行ったと、軽口を叩きかけたゾロは、サンジの顔を見てぎょっとした。
白い頬の上に一筋、涙が流れている。
冗談でも芝居でもなく、サンジは本当に泣いている。

「ごめん、ロロノアさんのことを思い出すと、なんか俺涙脆くなんだよなあ。一度もちゃんと会ったことないのに、話したこともないのに。おかしいだろ?」
そう言ってごしごしと目元を擦る仕種が場違いなほどに幼く見えて、ゾロの胸がの奥がつきんと痛んだ。
「・・・そんだけ、思い入れが強いんだろ」
わざと素っ気無く言えば、サンジはウンウンと一人頷いている。
「そうだと思う。あくまで俺の一方的な思慕っつうか・・・やっぱり、なんてえの?心の父?」
「意味わかんねー」
平坦な声で突っ込んだら、サンジはケラケラと笑った。
「いいよ、そうだよそん通り。だから、俺は一方的にロロノアさんに思い入れてんの」

はあと深く溜め息をついて、サンジは携帯灰皿に灰を落とした。
「一度会って、ちゃんとお礼言いたかったのにさ。俺が挨拶できるようになった頃には、とっくに亡くなってたって後から聞いて。・・・俺を助けてくれてから2年と経たない内に殉職されてた」
そこまで言って、またサンジは涙ぐむ。
幼い頃から、サンジが涙脆いことは知っていた。
枕元で絵本を読んでは声を詰まらせ、一緒にドラマを見てても号泣する男だ。
けれど今のサンジの涙はちょっと違う気がして、ゾロの胸の奥の痛みはちりちりと熱を伴って広がっていく。

「それで、なんでお袋と結婚する流れになったんだ」
亡き父を慕って泣くサンジを見ているのが嫌で、ゾロは先を促した。
ああ、うんとまた表情を変えてサンジは目元を拭う。
「ロビンちゃんとは、俺がお墓参りに行った時に出会ったんだよ。あーんな綺麗な奥さんだなんて俺知らなかったんだけど、ロビンちゃんは一目で俺のことがわかったみたいで声をかけてくれたんだ」
ロビンのことを語るとき、先ほどまでの泣きベソはどこへやら・・・の〜んと鼻の下が伸びて実にだらしない表情になる。
「立ち話もなんだからって、一緒に茶店入ってさ。俺はお礼が言えたし、今までのこととかもきちんと報告できた。料理が得意で家事全般もこなせるし、将来はコックになりたいって夢を語ったら、ロビンちゃんがそれはいいわねえと手を打ってくれて・・・」
「それで?」
「それで、結婚しましょうと」
「・・・はあ?」
その論法が、理解できない。

サンジは灰皿に煙草を揉み消すと、バツが悪そうに後ろ頭を掻いている。
「まあ、ロビンちゃん曰く、一度は養子縁組の話まで出て少なからず縁を感じている間柄なのだから、今度は親子じゃなくて夫婦になりましょうと、そう言ってくれたんだ」
「なんでそうなる」
「そりゃあ、俺が料理も家事全般も得意だって言ったからじゃね?」
ゾロは思わず、その場で頭を抱えた。
なんてこった、最初っから。
この男、思い切り利用されてやがる!

「丁度その頃、ロビンちゃんには発掘の話が持ちかけられてたみたいなんだ。ええと、袖擦り合うも他生の縁?」
「渡りに船だろ」
「あ、そうか。まあいいや、そういう訳でタイミングばっちりだったみたいだな。んで、めでたく籍を入れて俺はお前の父親になれたってことだ」
めでたしめでたし―――と言いそうな雰囲気で、サンジはベッドに胡座を掻いてにこにことゾロを見上げた。
なんと言うか・・・なんでこいつは、そんな幸せそうな顔をして話しているんだろう。

「ほんとに本音でさ、短い間だったけど俺はお前の父親になれて本当に楽しかった。嬉しかった。どうもありがとう、ゾロ」
「うっせえ」
爽やかに握手でも求められそうな雰囲気に、ゾロは思わず声を荒げる。
「そんで結局、てめえの20代は俺の世話だけで終わっちまうんじゃねえか。ロビンと 籍入れて戸籍上の夫婦になったからって、実質的な夫婦生活はなんもねえんだろ。んで、俺の世話だけに明け暮れて、お前の人生どうなるんだよ」
「ふ・・・夫婦生活って・・・」
「そこで引っ掛かるな、いい年こいて赤くなってんじゃねえっ」
いきなり正座して赤面するサンジを、いっそこのまま押し倒してしまおうかと、一瞬だけだがゾロは本気でそう思った。

「あのなあ、あんたが俺の親父を父親のように慕ってるってのはわかった。それから、 ロビンに対しても、多分妻というより憧れの女かなんか、そんな風に思ってんだろ。お前、ほんとにそんなんでよかったのか?」
憤りながらも、心の隅でなぜかほっとしているゾロがいる。
サンジは嫌々ゾロの世話をしていた訳でも浮気を我慢していたわけでもなく、ただ純粋にゾロとの生活を楽しんでいたのかもしれない。
もしかしたら、根本的に性的な欲求のない、特殊な人間なのかもしれない。
思春期真っ盛りのゾロには、とても理解できない人種だけれど。

サンジは正座したまま背筋を伸ばし、口元を舌で湿らせてまたモジモジし始めた。
どうやら照れているらしい。
「うん、まあな・・・正直なところ、いつかロビンちゃんが帰ってきて、んで俺と本当の夫婦になれたらいいなあとか・・・夢見たことはあるんだ。夢くらいみるさ俺でも。でも、ロビンちゃんが望まない限り、俺からは何もできなかった。だって、主導権はロビンちゃんにあるんだから。俺はロビンちゃんが望まないことをしたくないし、ちょっとでも役に立てればそれが嬉しかったんだ」
じと目で見つめるゾロに気付いて、慌てて両手を振る。
「だからって、ほんとに恩返しのつもりだけでお前の側にいたんじゃねえぞ。俺、元々家族ってものに凄く憧れてたし、実際にお前と暮らしてどんどんお前のことを好きになった。ほんとだぞ。お前を通して学校ってものにも触れられたし楽しかった。最初は、俺なんかでちゃんと生活していけるかなと思ってたけど、案外お前と気が合ったって言うか・・・なんか、俺たち合うよなあ?」
いきなり振られて、今度はゾロの方が少し頬を赤らめる。
「ロビンちゃんと夫婦になれたお陰で、俺はゾロの父親になれたんだ。そのことが一番嬉しい、そして俺の誇りだよゾロ」

サンジは手を伸ばし、ゾロの手の甲に触れた。
そのまま力を込めて握り、ゾロの顔を見詰める。
「ロビンちゃんは好きな人ができたと言った。もしかしたら、今度はその人がゾロの父親になるかもしれない。ゾロはそれが嫌かもしれないけど、でも、やっぱりロビンちゃんも一人の人間なんだから、わかってあげて欲しい」
「・・・お前に言われるまでもねえよ」
さすがに離婚宣言には驚いたが、今更ロビンが再婚しようが本格的に男を作ろうが、駄々捏ねて嫌がるような年でもない。
「それと・・・」
サンジは言い難そうに言葉を区切って、こくりと唾を飲み込んだ。
ゾロの甲に触れている掌が、しっとりと汗ばんでいる。

「俺が、この先もずっとお前の父親でいることは・・・許してくれるか?」
掌越しにかすかな震えが伝わって、ゾロは思わず手を返してサンジの手首を掴む。
「言っとくが、俺は一度だっててめえを父親だなんて思ったことはねえ」
はっきりと言い切るゾロに、サンジは一瞬泣きそうに顔を歪めたが、口元に浮べた笑みで取り繕う。
「そっか・・・そうだよな。やっぱ俺じゃ、ロロノアさんの足元にも及ばねえよな・・・」
「そうじゃねえ」
手首を握ったまま、ゾロはぐいとサンジを引き寄せた。

「マセガキと笑ったっていい。俺はずっとお前のことが好きだった。今でも好きだ。この先、いつまでも・・・お前が父親であったとしても、俺はてめえが好きだ」
「・・・俺も、ゾロが好きだよ」
ゾロに手を握られても慌てることなく見詰め返し、サンジが囁く。
「そういう意味じゃねえ」
ゾロは焦れて、手首を掴む手に力を込めた。
「俺は、てめえのことが好きだ。このままちょっと押し倒しちまおうかなと思うくらい、てめえに惚れてる」
目元をうっすらと朱に染めて、ゾロはまっすぐサンジを見詰める。
その瞳に臆することなく、サンジは柔らかく瞬きをした。
「・・・うん。俺も、同じ意味だ」
思いがけない言葉に、ゾロの唇が開いたまま止まる。


サンジは手首をゾロに拘束されたまま、そっと指を伸ばしてゾロの手の甲に触れた。
「いつからかはわからないけど、お前の気持ちに気付いてた。んで、嬉しかった」
恥ずかしそうに告白するサンジの口元を、ゾロは信じられない思いで見つめていた。
これは現実か?
もしかして、途中から俺ドリーム入っちゃってんじゃねえのか?

「ゾロ・・・俺は、多分普通の人みたいに容易く恋愛できる体質じゃないんだ。そりゃあ、女の子が好きだよ。世の中のレディは全部この世の宝だ。みんな綺麗で優しくて可愛い。ロビンちゃんなんて最高の奥さんさ。でも、俺はどうやって恋をしたらいいのかわからない」
ゾロは力を入れすぎていた手を離して、改めてサンジの掌に触れる。
小さく伝わる震えは、自分のものなのかサンジのものなのかわからない。
「俺は、人を愛することがよくわからなかった。愛と欲の区別がつかない。どこまでが愛情でどこからが欲望なのか、わからないんだ。だから、どうやって愛情表現したらいいのかわからなくて、ずっと臆病なままでいた」
たどたどしく言葉を紡ぐサンジを勇気付けるように、ゾロはそっとその手を握る。
「最初は、お前の世話が楽しかった。お前はわかりにくい子どもだったけど、でも全身で俺を慕って信頼してくれた。愛してくれた。その目が、大きくなるに連れて違う色を帯びてきてても、俺はそのことすら心地良いと思えていた」
サンジの言葉は、甘い睦言となってゾロの耳を打つ。
今更なのに胸がドキドキと高鳴って、呼吸をするのも忘れそうだ。

「けど、お前は大切なロビンちゃんからの預かりモノで、命の恩人、ロロノアさんの忘れ形見で。だから、俺なんか関わっちゃいけないとちゃんとわかっているのに、やっぱり離れるのが辛かった。・・・今も、辛い」
ゾロの指に自分の指を絡めて、サンジは口元を歪める。
「俺のがうんと年上なのにさ。みっともないよな」
「んなことねえ」
ゾロは絡めた指ごと握り締めて、大きく肩をいからせた。
「俺あ、嬉しい。夢じゃねえかと思うくらい嬉しい。お前が好きだ」
きっぱりと言い切るゾロを、サンジは潤んだ瞳で見上げる。
「やっべ、すげえドキドキしてる・・・俺」
それは自分のことかと、ゾロも苦笑して頷いた。

本当に、ただ手を握っているだけなのにこんなにも胸がどきどきする。
初めて女と寝たときなんかと、比べ物にならないくらいの昂揚感。
「・・・初めてって、こんな感じだったか?」
同じコトを考えたのか、サンジがストレートに聞いてくる。
ゾロは首を振って否定した。
「こんな気持ちにはならなかった。今までで、今まで生きてきた中で一番嬉しい」
「・・・俺もだ」

好きな人の手を握る。
そのことが、こんなにドキドキするだなんてゾロは初めて知った。
サンジと手を繋ぐなんて、幼い頃からしてきたことなのに。
今は意味合いが違う。
もう、容易く押し倒したいなんて思うことすらできない。
それ以上に、とても大切で掛け替えのない存在になってしまった。
誰も代わりになんてなれない、特別な存在。
父親でなく、一人の人間として。

「でも・・・今はダメだ」
両手を握り締めたままそうっと体重をかけようとしたら、やんわりと止められた。
やっぱりダメか。
内心で舌打ちしつつ、ゾロは大人しく重心を元に戻す。
「ロビンが家にいるからか?」
拗ねて口を尖らせるゾロに、サンジは苦笑して今度は子どもにするみたいに弾みをつけて繋いだ手を揺らした。
「勿論それもあるけど、やっぱりお前はまだ子どもだ」
「・・・子どもじゃねえよ」

少なくとも、経験済みではある。
サンジは初めてかもしれないけれど、ちゃんとリードしてやれる自信はあるのだ。
「違うんだ、そういう意味じゃなくて」
ゾロの指の節を撫でながら、サンジは俯いて声を落とした。
「お前に・・・俺の過去のことを話すには、まだお前は幼すぎる。そして、俺のことを全部知ってくれてからじゃないと、俺はお前に全部を委ねられない」

サンジの過去が、とてつもなく重いものであろうことはゾロも薄々感じていた。
それでも、例え何があっても、何を知ってもサンジに対する気持ちは変わらない自信がある。
それだけじゃ、ダメなのだろうか。
そんな青臭さでは、サンジの心の中の懊悩は取り払えないのだろうか。

「俺が・・・ガキだからダメなのか」
サンジはこくんと頷いた。
絡めた指の熱さはそのままに、俯くサンジの口元は穏やかに微笑んでいる。
「いい年してとか、言わないでくれよ。俺にとっても初めての気持ちなんだ。どうしていいかわからないし、離れて暮らせばいつか消えるものなのか、お前が俺を忘れたら俺も忘れられるのか、さっぱりわからねえ」
「先のことなんか、誰にもわかんねえよ」
離れて暮らすとか忘れたらとか、不吉な言葉ばかり並べるサンジに焦れて、ゾロは合わせた手を引っ張り抱き寄せた。
ゾロの腕に治まりきれなかった骨ばった肩に顎を乗せ、金色の髪に顔を埋める。
鼻先を掠める煙草の匂い。
どこか甘い、サンジの匂い。
「わかんねえけど、俺は急いで大人になるから―――」
いくら勉強ができても剣道が強くても、後輩に慕われても教師に一目置かれていても、まだまだ自分は高校生でしかない。
せめてもう少し年を取ってもっと多くのことを知って、自分一人ででも、誰か他の人とも支えあって生きていけるほどに大人になった時、サンジはゾロを受け入れてくれるだろうか。
今でさえ、充分なほどの愛情を注いでくれる愛しい父親は、その時本当の家族になってくれるだろうか。

「待ってる」
ゾロの想いに応えるように、サンジはゆっくりとしたテンポでゾロの背中を叩いた。
ぐずる子どもをあやすような、不安な気持ちを溶かすような、優しく暖かなリズム。
「ゾロが大人になるのを、俺はずっと待ってる。なあ・・・俺は待つのは、慣れてんだ」

ゾロは少し身体を離して、サンジの顔を見た。
白い肌に朱を差したまま、どこか吹っ切れた表情で穏やかに笑っている。
この笑顔をずっと守りたいと、願わずにはいられない。
うんと年上でしかも同性の、男なのに。
この想いは多分、ゾロにもサンジにも、例えサンジの過去であっても、消すことはできないだろう。

「約束だ」
ゾロは真剣な面持ちでサンジにそう告げると、誓うようにその唇にキスをした。






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