愛についてかたること -3-


珍しくゾロが自主的に目を覚ましたら、もうベッドにロビンの姿はなかった。
まだその温もりが残っているのを肌で確認してから、もぞもぞと首を擡げる。
ベッドサイドの時計をぼんやりと眺めて、急に起き上がった。
「10時!?」

布団を跳ね除けてベッドから飛び降り、段飛ばしで一気に階段を駆け下りる。
キッチンは既に、コーヒーの香りと食欲をそそる匂いに満ちていた。

「あら、おはようゾロ」
「珍しい、早起きだな」
ピンクのエプロン姿で振り返るサンジに、新聞を広げてゆったりとコーヒーを飲むロビン。
ゾロは一瞬曜日を間違えたかと、壁に掛けられたカレンダーに目をやった。
金曜日、平日に間違いない。
「ああ、学校ならもう電話入れておいたぞ。今日は休みだ」
「はあ?」
がぼーんと口を開けるゾロに、サンジはなぜか得意そうに胸を張った。
「当然だろう。母親が2年ぶりに帰って来てるのに暢気に学校に行けるかっての。幸い明日は土曜日だし、先生も快諾してくれたぞ」
「・・・いいのかよ、それで」
「いいのよ、私も嬉しいわ」
ロビンが頬杖をついて微笑んでいる。
こんな風に柔らかく笑う女だったろうかと、ゾロは今更ながらまじまじと母親の顔を眺めた。

「とにかく今日はのんびりして、午後からでも一緒に買い物にでも行こう。ロビンちゃんだって、出発の準備があるだろうし」
サンジの言葉で、ゾロは唐突に気がついた。
ロビンの帰国は3日だけ。
昨日帰ってきたのに、明日にはもう旅立ってしまうのだ。
実質2泊、そのうち1泊は昨日、ゾロと一緒に寝てしまっているのだから・・・
―――今夜しかチャンスがないぞ、ぐる眉
ハッパをかけるつもりで強い視線を投げ掛けたのに、サンジは暢気に鼻歌を歌いながら小皿に取ったスープの味見をしていた。

普段2人しかいない家の中にもう1人増えたぐらいでも、結構賑やかに感じるものだ。
サンジが掃除と洗濯を済ませる間、ゾロはロビンとオセロやカードゲームに興じていた。
ロビンは子ども相手でも手を抜くと言うことをしない。
さくさくと決着をつけてしまうが、ゾロは負けず嫌いなのでその度悔しくてリベンジを繰り返し、基本根気強い似たもの親子の勝負は永遠に続くかと思われた。

「お昼ご飯だよ〜」
遅い朝食を済ませたばかりなのに、サンジの一声でぴたりと動作を止めた二人は、揃って元気に返事した。
そんな親子を、サンジは何故だか嬉しそうに目を細め、眺めている。


食事を済ませて、家族揃って買い物の為に街へと出掛けた。
誕生日なのだから、プレゼントにはなんでも好きなものを買うとロビンは張り切っているが、ゾロは特別欲しいと思うものがない。
子どもの癖に昔から物欲が希薄で、駄々を捏ねたりモノを強請るということがなかった。
その反面、何かに感動したりはしゃいだりといった、子どもらしいリアクションもなかったから、手が掛からない代わりに可愛げもない、一般的には扱いにくい子どもでもある。
けれどロビンは最初からゾロを子ども扱いしなかったし、サンジもその点では常にゾロの意思を尊重し、過度の感謝も反応も求めてこなかったから家族としてうまくやっていけたのだろう。
だから、ゾロが特にプレゼントを喜ばないことを2人とも知っていたし、プレゼントを買うことでロビンがささやかな自己満足に浸れることも、ゾロは許していた。

マフラーと帽子を買ってもらってプレゼントとし、喫茶店で休んだりゲームセンターで遊んだりして3人でべったりと過ごした。
ゾロから見れば、サンジやロビンの方が余程はしゃいで見える。
ロビンは久しぶりにゾロと過ごせるのが単純に嬉しいのだろうし、サンジはそんなロビンの様子を見ているのが楽しいらしい。
夫としての自覚があるのか、サンジがロビンに向ける憧憬にも似た眼差しに気付くにつけ、ゾロはいらない心配をしてしまう。

自分に遠慮しているからじゃなく、サンジは根本的にロビンの夫としての役割を果たせていないのではないのか。
つか、果たす気がそもそもないのではないか。
留守を預かるシッター兼家政婦として、都合のいいように使われてることで満足しちゃってるんじゃないだろうな。
昨今、優しいだけが男の魅力じゃねえんだぞ。
時には強引なくらい押して迫って自分を主張しないと、いい人止まりで終わっちまうんだから。

子ども心にもヤキモキさせられて、ゾロの胸に苛立ちのようなものが生まれた。
正直、ゾロはサンジのことが好きだ。
作る飯は美味いし心根が優しい、自分みたいな大きな子どもの父親になるには勿体ない年齢だとも思う。
サンジのことが好きだから、サンジはもっと積極的に好きなロビンと仲良くすればいい。
なのにロビンは、ゾロばかりに引っ付いてサンジをかえりみようともしない。
離れて暮らしているとは言え、一応は夫婦だろ?
子どもの手前、遠慮があるのかもしれないが。
もしかしたらうまく隠しているのかも知れないが、もっとオープンに仲良くしたって構わないとゾロは思う。
つか、そういう関係もちょっとは匂わせて欲しい。
でないと、なんだか安心できない。

ゾロ自身、理解できないモヤモヤを解消させる為にも、今夜は是非ともサンジに頑張ってもらいたいと本気でそう思っていた。
それなのに―――


「なんでてめえがこっち来るんだ」
ゾロはいつもの居間に敷かれた布団の上で、腕を組んでサンジを睨み付けた。
対するサンジはピンクのパジャマを来た状態で、ちんまりと正座して所在無く頭を掻いている。
「え、だってここはいつも俺が寝てる場所でー」
「今夜は俺がこっちで寝るから、てめえは寝室使えつってんだろうが」
「そうはいかないんだ」
何故だかゾロに申し訳なさそうな顔を返して、サンジは持ち込んだ灰皿に煙草を押し潰した。
「ロビンちゃん、明日日本を発つ前に論文1本書いておかなくちゃならないんだって。だから今夜は徹夜だそうだよ」
「あの女が論文1本ぐらいに一晩使うか」
「うん、だから終わったらぐっすり寝てもらうためにも、邪魔しちゃいけないだろう」
真顔でそう言うサンジに、ゾロはなんだかむかっ腹が立った。
「アホかお前、ロビンがここにいるのはもう今晩しかいねえんだぞ。明日またあっち行っちまってみろ、今度帰って来るのはいつんなるかわからねえぞ。お前、今夜が最後のチャンスだぞ」
「え?なんの、つか何怒ってんだよ」
ゾロの勢いに仰け反って目をぱちくりさせているサンジは、大の大人であるにもかかわらずなんだか可愛らしい。
余計ゾロはムカムカしてきた。
「いいか、お前もロビンの亭主である以上、もうちょっと夫婦の自覚って奴を持て」
「て、亭主・・・」
サンジはうっとりと目を細め、頬を赤らめた。
「亭主だなんて、それじゃあロビンちゃんは・・・女房?」
うわ〜と両腕で自分の肘を抱いて身体をくねらせている。
「なんかすっげえ、古式ゆかしい感じでぐっと来んね。言い方ひとつで随分印象が変わるもんだなあ」
「台詞だけで萌えてんな。いいか、もう俺はほんっとに寝るから。俺の寝つきのいいのはよく知ってるよな」
「そりゃあ勿論。秒速で寝入るお前ってほんっと可愛いぜ」
臆面もなく言ってくれてありがとう。
「じゃあそういう訳だから。健闘を祈る。おやすみ」
一人で捲くし立てて、乱暴に電気の紐を引っ張った。
ぱちんと明かりが消えた暗い部屋の中でサンジは暫くモゾモゾしていたが、その内ゾロの隣の布団に潜り込んで「おやすみ」と呟いた。

目を閉じて数秒で眠れるの特技だったはずなのに、その夜は何故だか3分ぐらい寝付けなかったけれど、それでも知らぬ間にゾロの意識は眠りの縁へと誘われていった。










眠ってしまえば、朝と言うのはすぐにやってくる。
「ゾロっ、朝だぞ起きろ〜!」
サンジの声と共に蹴りが入ってくるのを、目を閉じたまま布団の上を転がることで回避して身体を起こした。
いつもより素早く目が覚めた気がする。
そう思って時計を見れば、9時を過ぎたところか。
これでもいつもより寝坊した方だ。

「なんだ、早起きだな」
サンジは若干残念そうにそう言って、さっさと部屋から出ていってしまう。
それを駆け足で追い掛けて、後ろから抱きついた。
「おはよう」
「おう、どうした珍しく甘えただな」
笑いながらポンとゾロの頭を軽く叩くサンジからは、ロビン特有の花のような甘い匂いが漂ってこない。
―――ちっ、この腰抜けめ
内心で舌打ちして、ゾロは身体を離した。
そのままサンジを追い抜いて先にキッチンへと飛び込む。

「おはようゾロ」
テーブルに着いてコーヒーを傾けながら新聞を読むロビンは、いつもと変わりない。
「おはよう、昨夜は徹夜だったのか?」
「いいえ、明け方には眠れたわ。ありがと」
―――やっぱりか
再びちっと舌打ちしてから、ゾロは擦れ違うサンジをぎろりとねめつけて、洗面所に向かった。

旅立つロビンのためか、食卓には和風の料理が並べられていた。
「今日でサンジ君のお料理と暫くお別れなんて、悲しいわ」
「俺もだよ、ロビンちゃん食べるものには気をつけてね。梅干は一瓶入れておいたけど、無くなったらすぐに送るから言ってくれよ」
―――別れを惜しむのは料理だけかよ
ゾロは内心で突っ込みながら、黙って朝食を口に運んでいる。
一応、夫婦間の会話の邪魔をしないで置こうと気を遣っているのだ。
「午後のフライトだけど、早めに送ろうなゾロ」
「そう言えば、昨日お友達が宿題を届けてくださってたわね。午前中に一緒にやってしまいましょうか」
―――なんですぐ、俺に話を振るんだよ。
お椀に口をつけながら、ゾロはじろりと二人の顔を睨んだ。
ご機嫌な夫婦はまったく意に介さない。



来た時と同じように、スーツケース一つの身軽な出で立ちでロビンは出発した。
人通りの多い空港で、誰しもがそれぞれに別れを惜しんでいる。
ゾロ達も、その中の一つの家族の形としてそこにあった。

「元気でね」
ゾロの顔を見詰め、ほんの少し瞳を潤ませてロビンはしっかりと抱き締めてきた。
豊満な胸に顔を埋めながら、ゾロも一応背中に手を回してぽんぽんと細い背中を叩いてやる。
それに勇気付けられるように、ロビンは背筋を伸ばしてゾロから身体を離した。
「元気でな」
ゾロの言葉に子どものように生真面目な顔付きでこっくりと頷き、サンジに視線を移した。
「ゾロをお願いね」
「任せてロビンちゃん」
差し出された手をサンジは両手でしっかりと握った。

―――なんで握手?
夫婦の別れと言えば熱い抱擁か、逆に肌の接触はなくともしっとりと見詰め合ってアイコンタクトとかが相場じゃないのか。
なんで握手?
何故にそんなにフランクなんだ?
ゾロの戸惑いをよそに、ロビンは別れの挨拶を終えると颯爽とゲートを潜り、振り返ることなく旅立っていった。


「ロビンちゃん、元気でね〜」
サンジはぐしぐしと鼻を慣らしながらハンカチで目元を押さえ、いつまでも手を振っている。
「もう乗ったみたいだぞ」
見かねてゾロが声を掛けると、サンジはくるりと振り返り赤い眼でゾロを見つめ、がしっと抱きついてきた。
「ゾロ、大丈夫だ、俺がいるから。寂しくなんかないからな」
―――お前のが、よっぽどダメージでかいんじゃねえの大丈夫だぞ〜と繰り返し呟きながら、ゾロの服でぐいぐい目元を擦っている。
その大きくて薄い身体を両手で抱き返して、今度はその背中を宥めるようにぽんぽんと軽く叩いてやった。
―――どいつもこいつも手間がかかる
やっぱり自分がしっかりしなきゃあなと、ゾロが決意を新たにしたことなんてサンジは知る由もない。





それから更に、5年の月日が流れた。






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