愛についてかたること -4-


着信したメールを開いた途端、ゾロの額にくっきりと深い皺が刻まれた。

ビッグニュースだゾロ!\(^O^)/
ロビンちゃんが帰って来るぞ!
今週の土曜日、お前の誕生日に合わせて帰国するってo(^∇^o)ひゃっほ〜い(o^∇^)o
だから週末合宿はなしな、絶対断れよ!


―――やっぱりな…

ゾロは軽い頭痛を覚えて、額を押さえながら携帯を閉じた。
「なんだなんだ、物騒な顔して」
「別れ話?」
前の席から友人が興味深そうに、背中を反らして逆覗きして来る。
「…親父」
「なんだサンちゃんかあ」
「またゾロんち遊びに行きてーっつか、食いに行きてえ。ゾロいなくていいから」
「却下!」

中高一貫校だから、友人のほとんどサンジを知っていて、それぞれなにがしかの理由でその料理の恩恵を受けている。
料理上手な若い父親は幼い頃には自慢だったが、最近はなるべく友人達から遠ざけたいと思う。
不用意に人目に曝したくもない。
サンジの飯を腹いっぱい食べられるのは自分だけの特権だ。

「ゾロ、週末合宿行くだろ」
「行くよ」
携帯を懐に仕舞いながら、ゾロは当たり前のように答えた。




またロビンが帰国するなら、多分自分の誕生日付近だろうと想定はしていた。
誕生月が来る度に、そろそろかとなんとなく気構えることに慣れて疲れて、いっそ誕生日なんか来なければいいと思うようになって久しい。
ゾロの表面的な変化なんて微々たるもので、11月になると実はソワソワしてるなんて誰も気付きはしないのだけれど、やはりサンジだけは気遣って神経質すぎるほど優しく穏やかに接してくれていた。
誕生日には二人だけで精一杯にお祝いをして、奮発してプレゼントを買って。
無理しなくていいと何度も言った。
サンジの作る料理はご馳走じゃなくてもいつでも美味いし、誕生日だからって別に欲しいものなどない。
そうでなくとも、サンジはゾロの面倒を見ることばかりに情熱を傾けていて、自分のものは最低限必要なものしか買わない。
いつだってゾロが帰宅するまでに家に戻っているし、ゾロが中学に入って土日も部活に明け暮れるようになるとバイトの日を休日にまで当てるようになった。
そうして働いて稼いだ金を生活費に充てている。
ロビンからの仕送りは、ゾロの貯金に回されていた。

サンジは、テレビに出てくるアイドルなんかでも目をハートマークにして可愛いと叫ぶミーハーだ。
ロビンに対する態度だけかと思ったら、たまに出かけるとその辺を歩いている女の殆どすべてに目をやってにやけたり軽口を叩いたりしている。
誰が見たって、天性の女好きとしか思えないような表情なのに、実際には決して女の影を見せず匂いも纏わない。
それが妻であるロビンへの貞節なのか単に意気地がないだけなのか。
ゾロは折りを見て「どっかでナンパでもしてこい」とけし掛けるのに、サンジは目を剥いて否定してキッチンに飾ってあるロビンの写真立てを抱いて踊りだすのだ。

「ロビンちゃん、僕の可愛い奥さんはロビンちゃんだけだよ〜」
アホかと突っ込むことにも疲れて、ゾロは結局サンジに何もいえなくなってしまう。
なんだか、途中からサンジを責めているような気分になるからだ。
赤の他人の子どもの面倒を見て、仕事と家事に明け暮れる毎日なんて、ほんとはつまらないだろう。
名目上だけの妻に義理立てしているのか、ゾロの知らない約束事で縛られているのかもしれないが、ゾロとしては20代のサンジの人生が、ほとんどすべて自分のためだけに費やされているようで嫌だった。



―――5年か
最後に母親に会ってから、5回目の誕生日。
どの面下げてノコノコと帰ってくるんだろう。
また飄々と「ありがとうサンジ君」とか言うんだろう。
そうするとサンジは、「なんてことないよ〜ロビンちゃ〜ん」とか言って無闇に身体をくねらせるのだ。
想像するだけで頭痛がしてくる。

サンジのアホさ加減は相変わらずだが、ゾロはそれなりに成長してしまった。
もう高校1年生。
サンジと殆ど変わらない背丈になったし、力は多分サンジより強い。
中学から始めた剣道でめきめきと頭角を現し、1年でありながら副将を務めている。
ロビンと再会したなら、その成長ぶりにきっと目を丸くして驚くだろう。
その時が楽しみだと、ちらっとでも考えてしまった自分に腹が立って、ゾロはますます仏頂面のまま家路に着いた。





「おかえり!メール見たか?」
おたまを持ったまま、サンジが玄関まで迎えに来た。
「ロビンちゃん帰って来るって、実に5年ぶりだ。長かったなあ」
一人くるくると踊るサンジの脇をすり抜けて、ゾロは脱衣所にスポーツバッグを投げ込んだ。
「こら、洗濯物は自分で出せっていつも言ってるだろ。あ、汚い靴下直接入れるんじゃねえ。風呂場だ風呂場!」
相変わらずぎゃんぎゃん口うるさいサンジをじろりとねめつけて、ゾロは着替えるために部屋に上がった。
「すぐ飯にするからな、降りて来いよ」

サンジがあれこれと話しかけても、ゾロはろくに返事をしない。
一応心中では返事したり突っ込んだりしているのだが、ほとんど声に出さなくなってしまった。
話をすることが億劫と言うわけではないけれど、昔ほど気安く言葉を出すことができない。
幸い、サンジはゾロが返事しようが無視しようが、気にせず構わず話し続ける性分だから噛み合っていないようで、その実しっかりコミュニケーションは成り立っている。
ゾロの無愛想は今に始まったことではないし、どういう訳かサンジの目には、ゾロはいつまでも可愛い子どもにしか映らないようだ。


着替えを済ませて台所へ降りると、テーブルには所狭しと美味そうな料理が並べられていた。
育ち盛りの旺盛な食欲を補うべく、サンジはいつも品数の多い料理をたくさん作る。
栄養のバランスを考えて、ゾロの成長に合った献立で毎日毎日手を抜くことなく。
サンジのあまりにも献身的な愛情を、重く感じる時もあった。
むやみやたらと反抗して、傷つけるような言葉をわざと選んで投げつける時もあった。
けれどサンジは、普段抜けていて子どもっぽいとさえ思える無邪気さを持っているのに、そんな時だけはやけに大人びた表情でゾロを見つめた。
何もかもわかっているかのように。
時折垣間見せる、意外なほどの包容力がゾロの気持ちを余計波立たせた。
荒ぶるままに罵声を浴びせても、冷たい態度で接しても、いつだってサンジは鷹揚に構えてゾロを暖かく見守っている。
ゾロだってわかっているのだ。
どれだけ理不尽な怒りをサンジにぶつけようとも、決してサンジは自分を見放したりなどしないと。
血の繋がった親子なんかじゃないのに、サンジの愛情はいつだって揺るぎなく大きく深い。
そのことがゾロには苦しく、不可解でならない。
いっそサンジが、一度だって自分のことを邪魔な連れ子扱いしてさえくれたら、もっと違う接し方ができただろう。

「手え洗ったか?んじゃ食おうな」
ぼーっと突っ立っていたゾロを促し、サンジは大きな茶碗に大盛りのご飯をよそった。
艶々の飯粒がゾロの食欲をそそり、ささやかな懊悩を取り払ってしまう。
「・・・いただきます」
今までも、どれだけ臍を曲げてサンジに反抗しようとも、結局飯を前にしたらすべての意地が流れ去ってしまっていた。
躾とか教育とかそういうものよりももっと、多分直裁に、サンジはゾロの胃袋を掴んでしまっているのだ。

「土曜日の午後に帰って来るって。お前、合宿断ったよな」
ゾロが食べ始めたのを見届けてから、サンジは箸を持ち手を合わせた。
「・・・いや」
「え?」
茶碗を持とうとした手を止めてサンジは一旦瞠目し、くわっと噛み付く勢いで口を開いた。
「何言ってんだてめえ、メール見なかったのか?つか、ロビンちゃんが帰って来るんだぞ?久しぶりに、実に5年ぶりに!お前が小学生の時からずっとあってないのに、思えば今じゃ高校生じゃねえか。背ばっかりニョキニョキ伸びやがって、ガタイだけでかくなりやがって、そんなてめえを一番見たいと思ってんのがロビンちゃんじゃねえか。忙しいのに帰って来てくれんだよ、お前の誕生日に合わせてよ。最高のプレゼントだぜロビンちゃん、貴女の帰宅が!お前だって会いたいだろ会いたくねえわけがねえ、折角帰ってくるって事前に知らせて来てんのに、なんでわざわざ留守にするような真似すんだ。週末合宿なんていつでも行けっだろ?ロビンちゃんが帰国するのはまた数日だけしかないかもしんないんだぞ。次いつ帰ってくるかわかんねえってのに、なんでそんな薄情なんだ。ヘソ曲げて拗ねるようなガキじゃねえだろうに―――」

一気に捲くし立てても、ゾロの耳にはせいぜい「にゃーにょーにゃー」ぐらいにしか聞こえない。
大根と厚揚げの味噌汁をずずっと啜って、ゾロは目線だけサンジに返した。
サンジはうっと言葉を途切れさせて、「なんだよ」と睨む。
「生憎だが俺は最初の予定通り合宿に行く。土曜に一泊するだけだから、帰って来てまだお袋がいるようなら会えるだろ。ガタガタ言うようなことじゃねえ」
「・・・けどよう」
「てめえこそ、帰国する度に一々浮かれんな。いつも通りにしてりゃいい」
「だって、5年ぶりだぞ」
「それはあっちの都合だ。俺には俺の都合があるし、お前にだって生活がある。前みたいに帰国に合わせて仕事休んだりするんじゃねえぞ」
冷静に釘を刺されて、サンジはバツが悪そうな顔で首を竦めた。
「・・・せっかくロビンちゃんが帰ってくるのに・・・」
「まあ、お前はお前で好きにしたらいい。俺はもう、誕生日を祝って貰って嬉しいような年でもないからな、お気遣いなく」
ゾロの言葉に、サンジはちょっと傷ついたような顔をした。
それを無視して、ゾロは黙々と食べることに専念する。



去年の誕生日、ゾロは家に帰らなかった。
いつものようにご馳走を並べてプレゼントも用意して、ゾロの帰りをずっと待っているだろうサンジのことを思いながら、ゾロはバイト先で知り合った女子大生の部屋で過ごした。
愛のないセックスは愛を枯らすとロビンは言ったが、そんな大層なものでもないというのが率直な感想だ。
確かに気持ちはいいしすっきりするが、癖になったり病み付きになるほどのことでもない。
気分転換になる程度の、軽い快楽。
こんな程度なら、無理にサンジに薦めるまでもないかなと穿った考えまで頭を過ぎったりして。

彼女の家から直接学校に行って、家に戻ったのは翌日の夜。
サンジは特に咎めることも追求することもなく、普通に迎えてくれた。
その夜食卓に並んだ料理は明らかに前日のご馳走の名残があったし、一日遅れのケーキも供されたけど、お互い何の文句も出なかった。
何事もなかったように振る舞うサンジに合わせて、ゾロも何も言わなかった。
ただ、その時からなんとなく二人の関係がぎくしゃくし始めたのも事実だ。

ゾロはそれから、何度か無断外泊をしている。
その度、サンジからはメールが来るでもなく帰宅して問いただされることもない。
それどころか、まるで腫れ物にでも触るかのように気遣われて優しく迎え入れられる。
いっそ何処に行ってるのかとか、相手はどんな子なんだなんて問い詰められる方がよほど気が楽だろう。
なのにサンジは何も言わない。
見守ることが親の勤めのように、ただ黙って穏やかに、いつだって変わりなくゾロを受け入れる体勢を取ることに努めているようだ。
ゾロにとっては、そのことが余計に鬱陶しかった。
親子と言うより兄弟と言ったほうがいいくらい年が近いのに、サンジはどうしてもゾロの保護者でいようとする。
何があっても、ゾロが誰に心を移しても、切れない絆があるのだと自分自身に言い聞かせでもするようにゾロのことを鷹揚に許してくれている。

――― 一体、何様のつもりだ
そう詰ったら、きっと「お父様だ」と真顔で切り返してくるだろう。
それほどに、自分の父親としての地位を確立させようと努力するサンジの姿は、見ていて痛々しいほどだ。
ゾロが外泊を繰り返しても、サンジはきちんと家にいる。
留守を守り、ロビンが不在だからと言って決して誰かに心を移したりしない。
ゾロが外泊するのだから自分だって適当に遊べばいいのにとは、ゾロももう軽々しく言えなくなった。
サンジの頑なとさえ思える“家族”への思い入れを、寧ろ大事にしてやった方がいいのかもしれない。

どれほど自分が成長しようとも、ゾロにとってサンジはいつまでも「大好き」な人だ。
その「好き」の色合いが変わってしまったことを、ゾロは自覚している。
他人と身体を繋げることを知ってしまってから、ゾロが夢想するのは過去に経験した女ではない。
子どもの頃から側にいた、もっとも身近な“家族”で、しかも“父親”であるはずのサンジに、ゾロは性的な欲望を感じてしまっている。
そのことを罪深いと恥じ入るような純情はないし、さりとて想いを遂げようと躍起になるほど身勝手でもない。

大切だから、大好きだから、サンジが辛い想いをしないように、これからも“息子”であり続けようと思う。
それでいて、いつかこの関係をぶち壊し自分の欲望を叩きつけ思い知らせてしまいたい、相反する凶暴な
衝動も秘めている。
そうしてしまえばすべては終わりだと知っているから、ゾロはただ黙ってサンジと暮らし続けるのだ。
いつの日か、母ロビンが帰って来る日まで。








週末、まだ恨みがましい目で見送るサンジを置いて、ゾロは合宿に出かけた。
郊外の寺で部員一同、まるで修行のような一夜を過ごす。
仲間達はきつい練習と静かで早過ぎる夜に不満たらたらだが、ゾロは結構この合宿を気に入っていた。
この時ばかりは、サンジの元から離れて、雑念からも解き放たれる。
一夜程度の修行で抑えられる煩悩ではないけれど、なんとなく客観的に自分を見詰められる気がするからだ。

合宿で思う存分汗を流し、サッパリとした気分でゾロは帰宅した。
まだロビンがいるだろうかと思うとほんの少し足取りが重くなるが、避けるほどのことでもない。
無責任だと心の中で非難しつつ、そんな親でも顔を見れば少しは嬉しいと感じてしまうだろう自分に腹が立つ。
それだけのことだ。


玄関のドアを開けると、暖かな夕餉の匂いが迎えてくれた。
ヒールの高い女性用の靴がきちんと揃えて置かれていた。
―――まだ、いる
そう思うと、とくんと胸が高鳴った。
やはり心のどこかで悦んでいる自分が嫌になる。

「おかえりなさい」
5年前と同じように、ロビンはキッチンから顔を出して声をかけた。
あの時とまったく変わっていない。
我が親ながら、いつまでも若々しい姿だ。

「ただいま」
意地を張っても仕方がないから、ゾロはそう言って靴を脱いだ。
スポーツバッグを脱衣所に放り込んで、軽く手を洗いキッチンに入る。
食卓にはすでに夕食が並べられ、サンジもテーブルに着いていた。
湯気を立てる味噌汁が若干冷めているのがいつものサンジらしくなく、ゾロはそっと眉を顰めた。

「おかえり、一緒に食べようと待っていたんだ」
心なしか声にも元気がない。
ロビンの顔を見下ろせば、口元に笑みを湛えてはいるが少し困ったように首を傾げて見せた。
「本当に大きくなったわね、見違えたわ」
昔のように抱き締めたりはせず、ただ眩しそうにゾロを見上げている。
「あなたにも、大切な話があるから待っていたの。座って」
促されて椅子に座ると、サンジが湯飲みに熱い茶を淹れてくれた。


「ロビンちゃん、発掘の仕事が一段落着いたから、これからはずっと家に居てくれるそうだよ」
「・・・へえ」
それはよかったなとも言えず、ゾロは口篭った。
なんだか、サンジの様子がおかしいことが気に掛かってしょうがない。
「H大の客員教授として迎えられるそうだよ。H大なら通勤距離圏内だし、さすがロビンちゃんだよな」
「・・・へえ」
リアクションの薄いゾロに苦笑して、ロビンは両手で湯飲みを持ち口元に運んだ。
「ろくに連絡もしなくてごめんなさいね。勝手なことばかりする母親だったけど、これからはこの家で一緒に暮らすわ。あなたにとっては今更で、ちょっと居心地が悪いかもしれないけれど我慢してちょうだい」
久しぶりに再会した家族の会話とは思えない雰囲気だが、ゾロはやはりサンジのことが気になった。
「・・・それが、大事な話か?」
確かに大事な話だが、何故だか違和感を覚えてゾロはロビンに問い掛けた。

「ええ、それともう一つ。これはサンジ君と私の問題なのだけれど」
サンジの顔が、ほんの少し強張る。
「実は私、好きな人ができたの。だから、サンジ君とは離婚するわ」



「―――あ?」
ゾロはぽかんと口を開けて、ロビンとサンジの顔を交互に見た。






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