愛についてかたること -2-


愛するロビンが帰って来ると、浮かれたサンジは翌日仕事を休んだ。
家の掃除を念入りにし、布団を干しご馳走を作るのだという。
「別に、いつも通りでいいじゃねえか」
何を今更とゾロは思う。
いつも家は綺麗にしてるし、特別なご馳走じゃなくても充分に美味い。
そう言うとサンジは顔を赤くしながら不機嫌な表情になり(これは照れているのだ)、ゾロの頭を軽く小づいた。
「馬鹿モノ、数年ぶりに大切な家族が帰って来るんだ。これが特別じゃなくてなんだってんだ」
そう言って、今度はゾロをむぎゅっと抱き締める。
「ゾロ、よかったな。久しぶりにお母さんに会えるな。ロビンちゃんもきっときっと喜ぶぞ」
今いち実感が湧かなくてサンジほど手放しで喜べないが、確かにゾロだって嬉しくない訳がない。
いくら無責任で常識ハズレの親とは言え実の母だ。
「今日は塾なんていいから、まっすぐ帰って来いよ」なんてサンジに見送られて、学校でもぼんやりしている間にじわじわと嬉しさが込み上げてきた。
ロビンと別れてもう2年。
3年生だった自分は5年生になり、サンジと二人きりのクリスマスや正月を2回過ごした。
寂しくなかったと言えば嘘になるが、サンジがいてくれたから楽しかった思い出しかない。
放課後のチャイムが待ち遠しくて、終業の挨拶もそこそこに学校を飛び出した。
塾に行かないでまっすぐ家に帰る日は必ず他の友達と一緒でないと辿り着けないのだが、今日は町内を2周しただけで比較的早く家に着いた。

ドアを開けると、甘い匂いが迎えてくれた。
玄関先に女物の華奢なヒール、そして大きなスーツケース。
「ただいま」
そう大きくない声を出したのに、リビングからロビンが弾むような笑顔で飛び出して来た。
「おかえりなさい、ゾロ」
両手を広げて、まだ靴を引っ掛けたままのゾロをぎゅっと抱き締める。
ただでさえ背が高いのに上がりかまちの分だけ余計に高くなって、ゾロの頭はヘソの辺りに押しつけられた。
懐かしいロビンの匂いがする。
ランドセルを背負ったまま腕を巻き付けた。
体型は変わってない。
むしろちょっと痩せたみたいだ。

「おかえりゾロ」
サンジが遠慮がちに顔を覗かせて手招きした。
「とりあえず手を洗って嗽して、おやつにしようぜ」
ゾロとロビンは同時に振り返り、「はい」と元気に返事した。




キッチンには薫り高いコーヒーとシックなチョコレートケーキ、それに華やかなフルーツタルトが並んでいる。
ケーキが一種多いだけで普段となんら変わりないと思うのだが、サンジには特別仕様なのだろう。
「はい、ロビンちゃんはこっち、ゾロもどうぞ」
テーブルの周りを給仕に飛び回るサンジは、とてもこの一家の長には見えない。
ロビンはゾロを愛しげに眺めた後、サンジに振り向いた。
「コックさんも座って、みんなでゆっくりしましょう」
「あ、そうだね。バタついてゴメン」
そう言いながらカトラリーを揃えて、サンジはゾロの隣に腰掛けた。
「コックさん?」
ゾロが、先ほどのロビンの言葉を聞き咎めて訝しそうに目を細める。
「2年振りに会ったんだろうが、あなたーとかサンジさんとか、他に言いようがあんだろ」
ロビンはゾロの隣で肘を着いて、困ったように髪を梳いた。
「そう言われればそうね。コックさんとしか呼んでなかったし、考えたこともなかったわ」
「入籍する前に考えろよ」
つっけんどんなゾロの物言いをフォローするように、サンジがコーヒーカップ片手に割って入る。
「だって入籍した翌日にはもう、日本を旅立ってたんだから仕方ないよねえ」
まったくフォローになってない。

「ゾロったら、コーヒー飲むの?」
専用のマグカップに目を止めて、ロビンが微笑む。
「あ、もちろんコーヒーはちょっぴりだよ、4分の3はミルク。ノンシュガーだけどね」
「まあ、生意気ね」
ゾロはふんと鼻で笑ってカップを啜った。
「サンジのケーキはバッチリ甘いから、砂糖なしのが合うんだ」
「まあ、ますます生意気」
ロビンはとても嬉しそうだ。
久しぶりに会えた愛し子と話すのが楽しくてたまらないらしい。
「コックさんのケーキは確かにしっかり甘いけど、市販のものよりは甘味少なめよ。それに、世界にはもっと甘くてボリュームもインパクトもあるケーキがたくさんあるわ」
ゾロは口いっぱい頬張ったまま顔を顰めた。
「それって美味い?」
「いいえ」
ロビンは真顔で即答する。
「私にとって、世界一美味しいお料理はコックさんのお料理よ」
「俺もだ!」
ゾロは驚いたように目を瞠りフォークを握った。
「そう?気が合うわね」
「そうだな」
二人頷き合って、また黙々とケーキを食べ始める。
サンジは顔を赤くしながら、照れたような呆れたような複雑な表情でこまめにケーキを切り分けた。
「とにかく、たっくさん食べてね。あ、だけど夕食は夕食でちゃんとあるから」
似た者親子は同時に振り向いて答える。
「別腹だ」
「別腹よ」
「…はあ…」
もう、苦笑するしかない。



おやつを食べた後、ロビンは洗濯機を回しながら居間で土産物を広げ出す。
「これは伝統の織物なの」
「えらい派手な柄だな」
「この文様と色の配置には意味があるのよ」
「ふうん」
「ゾロはこういったものに興味ないのね」
残念そうなロビンに、片付けを終えたサンジが手を拭きながらリビングにやってきた。
「わあ、綺麗な布だね。シンプルな食器が似合いそうだな」
「コックさん、使ってくださる?」
「喜んで」
ゾロはロビンが広げた荷物には早々に興味をなくして、ソファーに寝転がりマンガを読んでいる。
「興味や嗜好は遺伝しないのかしら」
不満そうなロビンの隣で、サンジはまあまあと苦笑しながら片付ける。
「ゾロはあんまり何かに興味持ったりしないけど、さすがロビンちゃんに似て頭はいいよ。全然勉強してねえのに、ちゃんと授業についてってる」
「適当にしているんでしょ」
ロビンがちろりと視線を流せば、ゾロはマンガを眺めながら「まあな」と答えた。
「宿題はロビンちゃんが見てやってくれよ、こいつ塾行っても寝てばっかみたいで…」
「学校の成績は?」
ロビンはサンジに聞いた。
そんなことを真顔で聞く母親がどこにいる。
ゾロは突っ込みたいのをこらえて、聞き耳を立てた。
「中の上ってとこかな。応用問題には強いのに、単純ミスで点数を失ってる」
「確かにロビンに習った方がいい。だってよ、サンジは過分数も仮分数も知らないんだぜ」
途端にサッとサンジの頬が蒼褪めた。
だがゾロはマンガを眺めていて気付かない。
「そうねゾロ。あなたも再来年は中学だし、そろそろ点数の取り方を覚えた方がいいわ。成績を上げるにはコツがあるし、知識を広げたければ本を読みなさい」
「面倒くせえな」
「勘だけで勉強ができた気になってはダメ。自分で説明できないものは身につかないわ。お夕食までにちょっとやりましょうか」
ロビンが立ち上がると、ゾロはちぇっと舌打ちしながらもマンガを置いて身体を起こした。
―――俺が何度勉強しろって言ったって、知らんぷりなのにな
ゾロなりに嬉しいのだと微笑ましく思いながら、サンジ食事の支度を始めた。




ゾロの部屋と言うのは特別に作られていなくて、普段は居間に布団を敷いてサンジと二人で並んで寝ている。
子どもは大人の呼吸を感じながら寝るもんだなんて、サンジが持論を通すからだ。
だが今日は寝室のベッドを開放して、ロビンはゾロを呼び寄せた。
「久しぶりじゃない、一緒に寝ましょう」
「・・・俺はもう5年生だぞ」
「そう、今日11歳になったのね。おめでとう」
パジャマに着替えたロビンは布団を捲っておいでおいでしている。
ゾロはしょうがねえなとため息をついてから、のそのそとベッドに入った。
「今日だけだぞ」
「嫌よ」
「あのなあ・・・」
「2年振りなのよ、好きにさせて」
ロビンはゾロの身体を引き寄せてぎゅうっと抱き締めた。
手足が冷えていて、暑がりのゾロには心地よい。
「2年ぶりって、それはそっちの都合だろうが」
「そうね、ごめんなさい」
ロビンは神妙な顔つきながら、ゾロの髪や背中を撫でてクンクン匂いまで嗅いでいる。
「あ〜ゾロだわ〜」
「そんなに有り難がるなら、ずっと傍にいりゃあいいんだ」
子どもなりに、これは言っちゃいけないことだとわかってはいた。
けどつい、口をついて出てしまった。
案の定、ロビンは哀しげな顔をして、そっとゾロの耳元に顔を埋める。
「ごめんなさい・・・」

思えば、ロビンはゾロに対して謝ってばかりだ。
でも、謝るくらいなら行くなよとゾロは言えない。
むしろ、自分の信念を貫いてるんなら謝るなと言いたい。
ロビンの生き方でゾロが犠牲になってる訳じゃないのだ。
そう言いたいのにどう言っていいかわからなくて、ゾロは結局黙ってロビンを抱き返した。
細い背中を宥めるように叩いてやると、安心したように目を閉じている。
「俺はいいんだけどよ、あれはどうだ」
「あれ?」
ロビンは眠そうに片目を開けた。
「あんたの亭主。ほんっとに献身的だぜ、多分あんたが思ってる以上に」
「そう、よかった」
「よくねえよ!」
今度こそ、ゾロは声を荒げた。
「俺は別にいいんだよ、あんたいなくてもサンジがいるし。けどあいつは、仮にもあんたが嫁さんだろ?せめて久しぶりに帰って来た時くらい、一緒にいてやったらどうなんだ」
ロビンは拗ねた子どものように口を尖らせた。
「だってゾロがいいんですもの」
「なにがだってだ、可愛くねえよ」
息子は辛辣だ。
「あいつ、まだ若いんだからちょっとは遊んだって構わねえと、俺でも思うぞ。なのに毎日家と職場の往復だけで、俺が帰る頃にはきっちり家にいておやつ作って飯作って・・・ちったあ夜遊びくらいして来いっつっても、子どもを一人でおいとけねえとかなんとか、休日にナンパでもして来いっていうのに、俺は妻帯者だなんてほざくんだぜ」
「嫌だゾロ、あなた母親の配偶者に浮気を薦める気?」
茶々を入れるロビンに本気で腹が立った。
「薦めたくもなるだろうが、俺はなあ疑ってんだよ。あいつと結婚した後も、まさかやらせてねえんじゃねえだろうな」
「まあ」
ロビンは長い睫毛に縁取られた大きな瞳を見開いた。
「いっぱしの口を利くのね、ほんとに生意気」
「面白がるな」
何を言っても無駄かとガックリ来ながら、ゾロはロビンの顎の辺りでモゴモゴ呟いた。
「こんだけよくしてもらってるんだから、ちょっとはサービスしてやれよ。俺から見てても、あいつ相当不憫だぞ」
「確かに、よくしてもらってるわ」
「ちゃんとやらしてやったっていいじゃねえか。減るもんじゃなし」
ゾロの言葉にロビンは顎を引いて「あら!」と声を大きくした。
「減るわよ」
「ああん?」
今度はゾロが目を細める。
「よくしてもらってるお礼になんて、それは“愛”じゃないのよ。可哀想だとか不憫だとか、それもそう。そして“愛”のないセックスは、“愛”を減らしてしまうわ」
「はあ?」
ロビンは横になったままゾロに向き直ると、両頬に手をあてて顔を上げさせた。
「一番大切なことは、大好きな人と心を通わせ身体を繋ぐということ。気紛れやお金のために行うセックスは気持ちを枯らし、その人自身の価値を下げて愛を薄めてしまうわ。いくら年を重ねても経験を積んでも、根本の部分は変わらないの」
愛と同じだけ性行為は崇高で純粋であるべきだと、ロビンは真剣な眼差しで説いた。
「でもそれじゃあまるで・・・」
皆まで言わさず、ロビンは豊かな胸の谷間にゾロの顔をぎゅっと挟み込む。
柔らかく暖かな感触に、ゾロの意識は急速に眠りの中へと引き込まれていった。

―――でもそれじゃあまるで、母さんはサンジを愛してないみたいじゃないか…
言いたかった言葉は眠りの途中で途切れたままだ。





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