愛についてかたること -1-


「お誕生日おめでとうゾロ。今日は素敵なプレゼントがあるのよ」
そう言って母はにっこり微笑むと、身体を傾けて背後にいた人を促した。

―――薄くてキンキラしてる。
それが第一印象だった。
色が薄いとも言えるし、体型がなんだが平べったいとも思える、とにかくそんな印象で。
よく晴れた秋の陽光をそのまま映したかのような、光を弾く髪が目に眩しかった。

「今日から彼が、貴方のお父さんよ」
「君がゾロだね、はじめまして」
そう言って差し出された掌の意味もわからず、ただじっとその指を見詰めていた。
骨ばって白くて傷だらけの、大きな掌を。









「くそゾロ、朝だっつってんだろ、起きろーっ」
聞き慣れた罵声を子守唄にして、ゾロはまどろんでいた。
遅刻だの朝飯抜きだの、脅しの文句を多々並べて機関銃のようにがなり立てているが、慣れてしまえば蚊ほどもうるさくはない。
「おーまーえーはー・・・」
いつまでも起きないゾロに業を煮やしたか、ドスドス足を踏み鳴らして近付いてくる音がする。
両手に抱きかかえている布団にぎゅっと力を入れて、ゾロは身構えた。
「起きろつってんだろがっ」
ぽーんと布団が弾かれた。
だがそれにしがみ付いたゾロも一緒に飛んで、布団をクッションにした態勢でコロンと起き上がる。
「おはよう」
ベッドの上に正座して寝惚け眼で見上げるゾロに、サンジはおたまで肩を叩きながら苦笑した。
「おはよう、ゾロ」
いつも朝の始まりだ。


「先に顔洗ってから部屋に来いつってんだろ・・・つかコラ、歯ブラシ咥えたまま歩き回るんじゃねえ、危ない」
要領よく手を動かしながら小言もつけて、サンジは朝食の支度をしている。
今朝のメニューは鯵の開きにだし巻き卵、油揚げの味噌汁に和え物と純和風でゾロの好物だ。
「今日は習字があるんじゃねえのか?だったら汚れた方のシャツ着て行けよ。あ、読書カードが入ってなかったぞ、忘れて来てんじゃねえの」
「いただきまーす」
「こら、服着替えろって。あ、大根おろしいるか?」
「いる。読書カードは週末だけでいい」
「そうか?先週、俺の欄に書かないで持ってっちまったじゃねえか。折角読んだのに」
「今週書けばいいだろ」
「今週は今週でネタがあんだよ、ちょっとは親父の顔も立てろ」
「味噌汁お代わり」
「早えなァおい、よく噛んで食えよ」
「醤油とって」
「目の前にあんだろ。あ、味噌汁は手前に置け、零したら火傷すっぞ」
口うるさいながらも甲斐甲斐しい姿に、つい口元が緩みそうになる。
熱い味噌汁をずずっと啜ってから、湯気の中で顔を上げた。
「今度の遠足、雨でも給食ないから弁当がいる」
「おう了解。晴れるといいな」
「雨降って、延びた方がいい」
「え、なんで?」
「だってそれだと、弁当続けて食えるじゃねえの」
一瞬目を見張ってから、ふにゃんと破顔した。
「嬉しいこと言うんじゃねえよ、くそガキ」
煙草片手に立ち上がり、ゾロの髪を乱暴にぐしゃぐしゃと撫でる。
「さって、今度はなんのメニューにしようかな〜」
鼻歌でも歌いそうにご機嫌でくるりと背中を向けて、腕まくりしながら冷蔵庫を開けたりして。
ほんとにこいつ、可愛いなあ。
じんわりと出汁が効いた卵焼きをモグモグと食みながら、ゾロは箸を持ったまま頬杖をついた。
なんでこいつが、俺の“親父”なんだろう。


サンジが初めてゾロの前に現れたのは2年前、8歳の誕生日を迎えた時だった。
いきなり「素敵なプレゼント」と称して紹介されたのにはビックリしたが、元々母親は気まぐれとしか思えない突飛な行動に出るタイプだったので、衝撃はさほどなかった。
これが父親というものか。
物珍しい気持ちで、繁々と眺めたのを覚えている。

ゾロの本当の父親は、物心がつく前に事故で亡くなっている。
それからは母親が女手一つで・・・というと聞こえはいいが、実際には無認可保育園や学童保育にほぼ任せきりにして、育ててくれていた。
ゾロ自身、よく眠りぐずらず泣かず、風邪一つ引いたことのない丈夫な体を持っていたため、育てやすかったのも幸いしたのだろう。
それがなんだって今頃再婚なのか。
しかも、子どものゾロから見ても母の再婚相手はあまりにも若かった。


「なあ、なんでお袋と結婚したんだ?」
ゾロはことあるごとに、サンジにそう尋ねた。
その度に、彼は夢見る目つきになって「これは、運命の出会いだったんだ」とうっとりと応える。
そんな運命、ゾロにはまったく理解できない。
なぜなら母は、プレゼントと称して父親を家に連れ帰ったその日に入籍を済ませたと言い、その夜はゾロと一緒にベッドで眠って翌日、遥か遠い異国の地へと旅立ってしまったのだ。
長年の夢だった発掘調査団に加わったとか何とか、事情を聞いたのは後の話で、ゾロにとってはまったく予想していなかった展開だった。
ともかく、その日からこの“父親”と二人で暮らしている。

「結局、体のいい“子守り”だったんじゃねえの?」
「失礼な、俺はロビンちゃんと事実上夫婦なんだから、お前もいい加減“パパ”とか“お父さん”とか呼びなさい」
「・・・アホか」
ゾロはノンシュガーだがミルクたっぷりのカフェオレを飲みつくし、立ち上がった。
「んじゃごっそさん」
「ちゃんと口濯げよ、服汚れてないか?こら、口元を裾で拭くんじゃない」
―――親父というより、お袋だな
前からそう思っているが、そのことは口に出さないで置こうと思う。




ゾロは現在、小学校5年生。
サンジと暮らし始めて2年になるが、気持ち的には赤の他人との同居なのにその生活は快適だった。
なにせサンジは、まずゾロを中心に物事を考える。
近所のレストランでコックをしているが、勤務形態はパートで時間も短めだ。
ゾロを送り出してから出勤し、塾から帰る時間までには帰宅しておやつを作って待っている。
家庭内でも掃除洗濯等の家事や宿題の点検、学校の通知や連絡事項にまで細かく目を通し、実に小まめに面倒を見てくれていた。
実の親だって、きっとここまでしてくれない。
授業参観にも積極的に参加して、月一回設けてある自由参観の日も都合がつく限り教室に顔を見せる徹底振りだ。
お陰でサンジたる父親は、ゾロの学校ではすっかり浸透してしまった。
ただでさえ目立つ外見なのにそれがマメに学校にも姿を見せるとなると、同級生達は勿論のことその父兄の間でも有名で、「若いのにとってもよくできたお父さん」と誉めそやされている。
「ゾロ君のお父さんって素敵よねえ」
なんてきゃあきゃあ騒ぐ女子も少なくはないが、そのことをサンジに伝えるときっと大喜びするだろうから教えてやらない。

初めて出会った時、サンジは19歳だといっていたから、まだ21.2くらいだろう。
そんな若い身空で小学生の父親だなんて、客観的に見たら冗談じゃねえやと思うのに、なんだってサンジはいつもあんなに楽しそうなんだろうか。

ゾロの世話を焼いて、ゾロが旨いと言えば喜び、憎まれ口を叩けばムキになって言い返すのにどこか楽しそうだ。
心底ゾロを愛しいと思ってくれていることくらい、いくら子どものゾロでもわかる。
愛するロビンちゃんの息子なんだから、当たり前だよ〜なんて臆面もなく言っているけど、肝心のロビンは2年前から一度も戻って来ていないのに夫婦もクソもあるんだろうか。




「おかえりゾロ、今日はビッグニュースがあるぞ」
塾から戻って開口一番、サンジは玄関でゾロを迎えながら抱きつかん勢いで捲くし立てた。
「なんと、ロビンちゃんが帰って来るんだ。明日のゾロの誕生日に合わせて、一時帰国だけど3日もいてくれるんだって」
テンションの高いサンジに対して、ゾロは靴を脱ぎながらふうんと気のない返事をした。
「そりゃよかったな」
「だろ、よかったな!」
噛み合わない二人だがそんなことは構わずに、ゾロは手を洗うべく洗面所に直行した。
今は家中にいい匂いを漂わせているサンジのおやつを食べることのが、先決だから。

「本当に、俺もビックリしたんだ。今日帰ったらポストにエアメールが入ってて、帰るって日付が明日になってんだもんな。ああ〜ロビンちゃん元気かなあ。異国の地で身体なんか壊してないかなあ」
温かいりんごパイを頬張りながら、ゾロは適当なところで相槌を打ってはサンジの話を聞いてやる。
「なんせ2年ぶりだもんな。きっとロビンちゃん驚くぞ、お前がこーんなに大きくなったなんてな。すごく背も伸びたし、ちょっと体重は足らねえけどロビンちゃんに似てスマートだからな」
ゾロの体格は、平均に比べてやや痩せ気味だ。
美味いものばかり食べているのに、手足ばかりがひょろひょろと伸びて体重が追い付いていかない。
体育やクラブばかりじゃなくてもっと身体を鍛えることもしたいのに、サンジは子どものうちは筋肉をつけなくてもいいとか言って、ひたすら食事に気を遣ってくれている。
「もっとゆっくりできっといいのに。盆正月も関係なくて、ずっと音沙汰なしだったしな。せっかく帰って来るんだから一月くらいいればいいのになあ」
「音沙汰なしだったのか?」
ちょっと驚いて口を挟んだ。
自分はともかく、少なくとも“夫”であるサンジには定期的に連絡くらい取っているかと思ったのだ。
サンジは換気扇に向かってふうと煙を吐くと、煙草を咥えて紅茶を淹れた。
「それがもうぜーんぜん。くそう、ロビンちゃんはどこまでもクールだぜ」
―――いやあ、クールとかいう範疇じゃねえだろそれ
仮にも自分の一人息子を、(籍だけ入れたとはいえ)赤の他人に任せっきりでなんの連絡も取らないとは、我が親ながらどういう神経をしているんだ。
黙ってしまったゾロが、ショックを受けたと勘違いしたサンジは慌てて椅子を引き正面に座った。
「いやいや、ロビンちゃんは決してお前のことを心配してない訳じゃねえぞ。定期的に仕送りしてくれてるし、それで俺らの生活は成り立ってるんだから、甲斐性のあるお母さんなんだよ」
それって、フォローか?
確かに、パート勤務のサンジの給料だけではやっていけない。
ロビンは遺跡の発掘調査の合間にもなにやら仕事を並行していて、結構な稼ぎがあるとは聞いていた。
サンジ曰く、知恵と知識を切り売りしているんだとか。
元々ずば抜けて頭のいい奴は、その気になればなんだって金に換えられるということか。
「ロビンちゃんは、とても聡明で類稀なる頭脳と美貌とナイスなバディをを兼ね備えた、まるで女神のような
 スーパーレディなんだ。そんなロビンちゃんの夢だった考古学の世界に、漸く旅立つことができたんだから男たるもの、女性の夢を支えてやらなきゃなんねえ、そうだろ」
そうか?
「過去の歴史を紐解く浪漫を語るとき、ロビンちゃんのあの黒曜石のように深く艶やかな瞳はそれはもうキラキラと輝いていたよ。本当に考古学が大好きなんだな。あんな風に夢に生きる女性は素晴らしい。ゾロ、お前はあんな女性を母に持てたことを誇りに思えよ。あああ、ロビンちゃんの血を受け継いでいるなんて、
 なんて羨ましい〜」
そういうお前は、夫だろうが。
「ロビンちゃんは、お前のことも熱心に語ってくれたよ。幼い頃から聞き訳が良くて手の掛からない子だったけど、だからこそ心配だってな。いじらしいじゃねえか可愛いじゃねえか。あんなになんでもできる女性が、自分の息子に関しては心配したり不安に思ったりするなんてな。だから俺は言ったんだ。俺に任せてくれたら、少なくとも生活の不自由はさせないって。そして、俺なんかでよかったら、ロビンちゃんの代わりにはとても及ばないけれど精一杯ゾロに愛情を注ぐって」
いや、寧ろロビンよりよっぽど深く愛してくれてるぜ、お前の方が。
「ロビンちゃんが留守の間はどうしたって片親で、しかも男手だからお前にも不満はあるだろう。けど、俺とお前はロビンちゃんという一人の女神に仕える下僕同士だと思えば、多少の寂しさも紛れるだろう」
少なくとも俺は、下僕になった覚えはない。
「手を取り合ってロビンちゃんが帰って来るその日まで、強く明るく暮らしていこうぜ。俺は正直お前さえ元気に育ってくれてたら、後はなーんにもいらねえんだ」
そう言って鼻の下を擦り、サンジはへへっと笑った。
おいおいおい、あまりにも無邪気で可愛すぎるぜおい。
思わず握り締めていたフォークを掴み直して、ゾロは冷めたアップルパイをさくさくっと食べきった。
「ごっそさん」
「お代わりは?」
「・・・貰う」
黄金色のフィリングからほわんと甘酸っぱい湯気が立ち昇るのを、ゾロは複雑な想いで眺めていた。



next