愛が呼ぶほうへ 6



明日の冒険を前に当然のように盛り上がって部屋に戻ったルフィ達は置いといて、俺は宿の主人から適当に酒を分けてもらって空いた部屋に入った。
先に帰っていたらしいコックは風呂のようだ。
こんな田舎でなんもすることがねえなら、飲んで寝てるしかねえな。
ルフィじゃないが、明日は山にでも登って自然相手に鍛錬でもするか。
粗末なベッドに寝そべって酒を飲んでいると浴室の扉が開いた。

もわっとした湯気が足元を舐める。
髪を拭きながらバスローブ姿のコックがだるそうに出てきた。
今まで何度も同室になったし、一緒に風呂に入ったこともある筈なのに、なぜか今日は妙に緊張して知らず身構えてしまう。
俺がじっと見ているのが気に入らないのか、コックはタオルで顔を隠すように俯いて、足早に隣のベッドに向かった。

「もう寝るのか?」
俺の言葉にびくんと大げさに反応して、コックが間抜けな顔を見せた。
「ええ?あ?」
「いやだから、外に飲みに行ったりしないのかよ。」
どうやら俺の台詞を勘違いしたらしい。
風呂上りで上気した頬をさらに赤らめてコックは咳払いした。
「ああ、もう寝る。いくら俺でも妙齢過ぎる女性を誘いに歩く元気はねえからな。」
はははと乾いた笑いを立てて、ベッドサイドの煙草を吸い始めた。
俺がぎしりとスプリングの音を軋ませて立ち上がると、そっぽを向いたコックの肩がかすかに揺れる。
俺の一挙一動に注意を払ってるのがモロわかりでおかしくなった。
どうやらコックの方も恐ろしく緊張しているようだ。
俺はわざと足音を立てて風呂に向かった。
背後でコックが緊張を解いた気配が伝わる。
全くおかしな奴だ。

カラスの行水で風呂から上がると、コックはまだベッドに腰掛けてぼうっと煙草を吸っていた。
だが灰皿の中は山盛りの吸い殻だ。
どうやらちょっと吸っては揉み消すを繰り返していたらしい。
部屋の中に煙がこもって臭いから俺は腰にタオルを巻いた姿で窓を開けた。
まだ宵の口だというのに、街の灯りは殆ど消えていて、所々申し訳なさそうに街灯が残るだけだ。
「ほんとに何もねえ島だな。」
俺は独り言のように呟いた。
「あながちてめえの言ったことも外れてねえな。島に下りたからって女を抱けるとも限らねえみてえだ。」
コックに向かって言ってやると、相変わらずそっぽを向いたままふうんと生返事を返してきた。
だが今度はフィルターを焦がしそうなほどの勢いで吸っている。
「てめえも好みの男がいそうにねえから、丁度いいだろ。」
途端にゲホゲホと煙草にむせている。
「なん、なん、なに…」
「ああ、そういやてめえジジコンだよな。ジジイもいけんのか?」
コックは吸い殻に煙草を押し付けて立ち上がった。
「てめえ人を苔にすんのも大概にしろよ!誰が男好きだコラア。」
全身から怒気が滲み出ている。
どうやら本気で怒ってるらしい。
「おかしな奴だな。てめえ男が好きなんだろが。だから俺に跨ったんだろ。」
「ま、ま、跨ったって言うな!」
「んじゃ、襲った?」
「俺に男を襲う趣味はねえ!!」
まるで地団太を踏む子供のようにコックは足を踏み鳴らして悔しそうに顔を歪めた。
どうしようもなく、ガキ臭エ奴だな。
俺はベッドに腰掛けると胡座をかいて酒を手に取る。
ぬるい瓶に口をつけて喉の渇きを潤した。
「まあ俺は女がいねえならいねえで抱かなくたってかまわねえがな。てめえはどうなんだ。」
コックの目を見据えながら笑って見せた。
赤く染まった目元が潤んでいるのは怒りのせいだけではなさそうだ。
「欲しいんならてめえが来い。」
空の瓶をテーブルに転がして、ベッドに寝そべった。
コックは悔しそうに下唇を噛んで、俯きながらもノロノロと俺の方へ歩いてくる。
身体をずらして空けてやったスペースに腰を下ろすと、畜生と小さく呟いた。
最初に人に乗っかっといて何が悔しいんだかわからないが、どうも苛めているような雰囲気でバツが悪い。
俺は小さく舌打ちをして、コックの肩を掴んで押し倒した。

コックは呆けたような目で俺を見上げた。
電気の光の下で、少しくすんだ蒼が映る。
俺は挑むように見つめたまま唇を重ねた。


よもや男の口を吸う日が来るとは思いもしなかったが、コックの吐息は甘く唇が柔らかい。
目を閉じて舌でなぞると女のそれと大して変わらねえ。
少し残る煙草の匂いがえらくそそった。
調子に乗ってべろべろ舐めまわして舌を吸う。
コックが喘ぐように口を開けて肩を揺らした。
上唇に歯をあてて顔を離すと、うっとりとした表情で目を閉じている。

どうした訳かむかついた。
何でこいつは、男に口吸われて気持ちよさそうに目を閉じていやがるんだ。
バスローブの襟元を開いて肩を剥き出しにする。
途端慌てたようにコックが身体を起そうとした。
「待て、ゾロ明かりを消せ。」
まただ。
この期に及んでなんでそう生娘みてえな事を言うのか。
俺は腰のタオルを外してコックの身体に乗り上げた。
細い腰に巻かれた帯を解けば白い裸身が明かりの下に晒される。
金色の繁みの中で既に頭を擡げているそれをきつく握り込むとコックは悲鳴に似た声をあげた。
「ナニ言ってやがる。てめえも結構乗り気じゃねえか。」
首筋に顔を埋めてきつく吸い付いた。
鎖骨に歯を立てて、舌で辿って、充分硬くなった乳首を軽く噛む。
俺の掌の中でびくびく脈打つそれを緩く扱きながら、俺はまるで本物のホモになったような気分で
コックを犯した。





開け放した窓からきつい風が吹き込んで、俺は目を覚ました。
カーテンが派手にはためいている。
シーツに投げ出された白い腕は、風に体温を奪われて死人のように冷たい。
俺は起さないようにそっと腕を取って自分の胸の中に抱き込んだ。
なぜだかひどく懐かしい。
ずっと前にもこんなことがあったような、いやごく最近も同じような経験をしたような、不可思議な感覚だ。
俺は、誰か相手にこんなことをしたっけか?

村を出て一人で旅をして、ルフィ達に出会って仲間を得て、それでも誰かを抱き込んで眠るなどなかった筈だ。
旅の途中で出会った女も、娼婦達も用が済めば部屋を出たし、朝まで共に過ごしたことはない。
だが自分の腕は、この感触を知っている。
脆くて儚いものを守るために抱くのではない…だが愛しい感触。
どちらかというと強くてしなやかなものに、縋り付いていた気がする。
俺が。
馬鹿な感覚にとらわれて、俺は振り切るように首を振った。
この俺が縋るだと?
誰かの腕に安らぎを感じるなどある筈がない。

なるべくコックの身体に触れないように、ゆっくりと身体を起した。
起こさないように気遣うのか。
いや違うな。
こいつが起きると何かと煩い。
それだけだ。
サイドテーブルに置きっぱなしのコックの煙草を拝借して火をつけた。
深く吸い込んでゆっくりと吐き出す。
薄暗い闇の中にたゆたう紫煙を目で追った。
丸くなって眠る、はじめて見る筈のコックの寝顔。
皺だらけのシーツの上に零れた金髪が青白い光りを放っている。
こいつは一体、どこでこんな芸当を覚えたんだ。
魚のレストランは野郎ばかりだった。
そこで仕込まれたのか。
それとも旅の途中の島でか。
比類ない女好きの筈なのに、男に突っ込まれるのに慣れた身体だ。
だが仕草はぎこちなくて、硬い。
恥じらいながら乱れ、感じているのに悔しそうに唇を噛み締めている。
相手が俺ってのが不本意なんだろうな。
もっとでかい島に寄って好みの男でも見つけりゃあ、羽目を外してよがりやがるのか。
俺は訳もなく苛々して、灰皿に煙草を押し付けた。
煙草なんざ、クソの役にも立たねえじゃねえか。

「ん…」
匂いに反応したのか、コックは小さく息を吐いて寝返りを打った。
髪と同じ色のまつげが、細かく震えてかすかに光った。
気配を殺して闇から見つめているとまた規則正しい呼吸とともに寝息が聞こえる。
息を潜めて見守っていた俺は、ホッと肩の力を抜いた。
クソ忌々しい。
こんな変態コックに気を使うなんざ、俺もヤキが廻ったもんだ。
俺は素っ裸のまま隣のベッドに潜り込んだ。
散々出して身体はすっきりしているのに、胸のもやもやがひどくなるばかりだ。
やはり修業が足りねえな。
明日は崖を上ろう。
雑念を払って目を閉じる。
いつもなら2秒と係らず眠りに落ちるのに、たっぷり3分は眠れなかった気がする。


翌日、日の出とともに部屋を出て険しくそそり立つ崖を目指した。
濃い霧に包まれた頂きは清廉な空気に満ちていて、精神統一にはもってこいの場所だ。
そこで座禅を組んで気を集中させていると、どこからともなくチョッパーとウソップの叫び声が響いてきた。
ルフィの伸びた腕も木々の間から時折見える。
狭い島だから仕方ねえのかもな。
俺はそれらも風景の一つとみなして、丸1日修業に明け暮れた。





翌朝、集合場所の入り江を目指して山を降りたが、どうした訳か辿り着いたら昼になっていた。
待ち構えたナミに散々どやされて鉄拳まで喰らう。
ったく怒りっぽい女だ。

船に乗り込めば、出航前から食卓には料理が並べられていた。
コックは不機嫌そうなぐる眉を顰めて、顎で座れと促す。
「どうせてめえのこった、昨日からろくに食ってねえんだろ。先に食えよ。」
料理はどれも温かく、作りたての匂いがする。
俺が帰ってくるタイミングを計ってたのか。
それもこれも、こいつがコックって職業だから、人に対して寛大なのか。

「早く食っちまえ、ルフィに気付かれる。」
態度は無愛想だが、こいつは誰にでも平等に施すことを俺は知っている。
だから身体も差し出すのか。
誰に対しても分け隔てなく?
また思考が堂々巡りになりそうで、俺は食事に専念した。
コックはそっぽを向いて煙草を吹かしているように見えて、背中の神経が俺に集中しているのがわかる。
苛々する。
どうしようもなく。
コックが気になって、仕方がない。


それからの航海は順調とは言い難かった。
突然の猛吹雪に遭って海が荒れ、航路から大きく外れた。
修正する間もなく海王類の襲撃に遭い、返り討ちにしたところで海軍に見つかった。
反撃しつつ這々の体で逃げ切ると、またしても航路から外れていたらしくナミがキイキイ喚いている。
俺が知らない間にも他に色々あったようだが、昼寝していたからその辺はわからない。

「あーもう!こっから一番近い島まででもまだ10日はかかるわ。」
ナミは海図を広げてカリカリしながら呟いた。
コックが気遣わしげに温かな飲み物を入れて邪魔にならないところに置く。
「サンジ君、食料は…」
「大丈夫です。倉庫のストックにはまだ余裕がありますよ。」
ナミの顔が鬼みたいな形相になった。
「サンジ君の大丈夫はアテにならないわ。あなたも含めて、クルー全員がきちんと食事を取れるのは後何日分なの?」
ナミの剣幕にコックは慌てて掌で計算している。
そういやこいつは食料が足らなくなり始めると、まず自分から食わずに済ませちまう。
それで知らん顔して人には食わせてんだ。
「え…と、普通どおりに全員が飯を食ったら6日分あります。その程度の配分なら、10日分に延ばすのは可能ですよ。」
「まずルフィを減らすのよ、船長!あんたも自覚をもって頂戴!つまみ食いなんて持っての他。せめて人並みの食事量まで減らしなさい、いいわね!!」
「おう、わかったぞ、ナミ!」
「ったく返事だけはいいんだから。ウソップはなるべく釣りに専念して魚を獲って!サンジ君、あたし達にも何かできることがあったらどんどん言ってね。」
「ああ、もちろんだよナミさん。でもナミさんは予定どおり島に着けることに専念してくれ。食料のことは俺に任せといてくれたら…」
「てめえに任せらんねえからナミが言ってんだろが。」
つい口を挟んじまった。
コックが険悪な表情で俺を睨む。
「てめえは勝手に自分の飯を減らして皆に気づかせまいとするからな。前の島ん時は丸3日、水しか飲んでなかったろ。」
えっとチョッパー達が声をあげた。
「サンジ、そんなこと…」
「うっせえな、心配ねえんだよ。っつーかクソマリモ、余計なこと言うんじゃねえ!」
フィルターを噛んで、足を鳴らしやがった。
都合が悪くなると蹴ってくる気だな。
「もっと言ってやろうか、てめえ昨夜からパンを一つ分くらいしか口にしてねえだろ。」
俺の言葉に、コックは眉を顰めて煙草を咥えた。
「おいおい、サンジそうなのか?ルフィは知ってたのかよ。」
「おう、知ってたぞ。」
事も無げにルフィが肯定する。
「けど飯のことは全部サンジに任せてあるんだ。サンジはプロだ。俺にこれ以上食うなといえば、俺はそれに従う。けどそう言うまではサンジが勝手に自分の飯を抜こうがあれこれ苦労してようが俺は口出ししねえ。全部サンジに任せた。」
堂々と、胸さえ張って言い切るルフィに、俺は猛烈に腹が立った。
「冗談じゃねえ、ルフィ!こいつはてめえが思ってるよりずっとアホだぞ。今まで黙っててぶっ倒れもしてねえが、いつやらかすかわかったもんじゃねえ。」
言い切った俺にコックが反撃してくると思ったが、意外にも俯いて黙ったきりだ。
金髪の間から覗く耳が赤く染まっている。
なんだってんだ、こいつは。

「まあ、そういう訳だからゾロ、あんたがサンジ君に付き合って頂戴。」
「「はあ?」」
コックとハモって声をあげた。
「これから島に着くまで、あんたは責任持ってサンジ君と一緒に食事をして。どうせいつも寝くたれて食事の時間に遅れたりしてるんだから、後で一緒に取るって方法でもいいわ。サンジ君がちゃんと食べるのを確認してゾロも食べる。それでいいわね。」
相変わらず有無を言わせねえ女だ。
だがこの提案に俺は異論はない。
了解した俺の隣で、コックは黙ったまま煙草を吹かし続けた。

「そいじゃ、今テーブルに置いたそれぞれの分だけを食べること。いいな。」
宣言したその日から、ルフィは腹減ったと口にしなくなった。
一見して食糧不足とはとても思えないほど、三度の食事は充実しているし、おやつだって出る。
だがコックは一切給仕をしなくなり、極力皆と一緒に食卓に着くようになった。
自分の皿はナミやロビンのそれより明らかに少ない量だが、それを指摘するものは居なかった。
突然食事を断ってしまうよりは余程ましだし、その程度なら任せてしまった方がいいと思っている。

ちんけな海賊の襲撃をかわしながら船は着実に次の島へ進んで行った。
「にしし、大量だなあ。」
「ああもう、お宝なんてロクに持ってないのね。まあいいわ食料だけいただきましょv」
海賊らしいんだかどうだか知らないが、仕掛けてきたならず者を返り討ちにして食料を奪い奪い去るのが
癖になってきた。
もちろんごっそり取ってしまうわけではない。
ストックとして倉庫に残してある分だけを奪って来いというのがコックの命令だ。
たとえ通りすがりの敵でも餓えさせて海に放つのは嫌らしい。
とことん甘エ奴だ。


俺は自分用に掠め取った酒を呷って甲板で星を見ていた。
どうやら今日はかなり寝過ごしたらしい。
結構大きな船だったし、かなりの人数を斬り捨てた。
殺して奪って生かして…
俺とコックは矛盾ばかりだ。

酒で頭をすっきりさせてキッチンに戻に向かう。
ほかの奴らは食事を終えて、早々に眠ったらしい。
今夜の見張りは、ウソップだったか。

扉を開けると、俺の足音が聞こえていたのかコックがコンロに向かってせっせと食事の準備をしていた。
香ばしい匂いが部屋に立ち込めて、思わず腹が鳴る。
「ったく、いつまでも寝くたれやがってよ。手洗って席に着け。」
俺は子供のように言われたとおり手を洗ってイスに座った。
間を置かず湯気を立てた食事が目の前に置かれる。
同じモノが乗った皿を向かいの席に置いて、コックも席に着く。
どう見たって俺の4分の1の量もねえ。
こんなで身体が持つのか。
「おい、今日も結構食料補充できただろうが。こんなときくらい腹いっぱい食ったらどうだ。」
コックは珍しく酒まで用意して注いでくれた。
「前にも言ったろ。俺はもともと胃が小せえんだ。食いたくても腹いっぱい食えねえんだよ。」
そう言えばコックはガキのとき遭難して、地獄見てえな飢餓を味わったって聞いたっけか。
以来飢えに対して敏感になっているとも。
だが、俺はいつその話を聞いた?
こいつとそんな深い話をしたことがあったか?
思い出そうとすると、なぜか霞みがかかったようにぼんやりとぼやけてしまう。
だが確かに、俺はこいつの口からそんな話を聞いた。
寝物語のように…

「おい、食わねえのか。」
はっと気がついて、慌てて箸を伸ばした。
考えにとらわれて、ろくに味わうこともなく咀嚼する。
二人きりのキッチンはやけに静かで、なんだか間が持たねえ。
向かいに座るコックも目を伏せて黙々と食っている。
いつも器用に動く手が、今は自分の為にだけ使われている。
こいつが食ってる姿をまともに見るのは初めてなんじゃねえか。
いつも細々と立ち働いて寝てる姿さえろくに見たことがねえ。
いや、寝顔を見たことはあったか。
アレは前の島の時か、それとももう一つ前の島のことか…

また思考が留まった。
確かにいつまで眺めても飽きねえ寝顔だと思った。
ガキ臭い面して安らかに眠る睫まで、金色だとしみじみ見入った覚えがある。
あれは、いつのことだったか。

「ゾロ。」
手の止まった俺に、コックの声が掛けられる。
その響きに唐突に身体が反応した。




下腹部にぐんぐん血が集まって、どうしようもねえ激情が沸きあがった。

俺は残りの飯をすべてかき込んで酒を飲んだ。
コックは訝しげに俺を見ている。
空の瓶を静かに置いて立ち上がった。
コックの皿も綺麗に食べ終わっている。
なら、いいだろう。

俺はコックの背後から覆い被さるようにテーブルに手をついた。
「んなに…」
立ち上がろうとついた手首を抑えて、耳元に口を近づける。
できるだけ低い声で「やりてえ」と告げた。
テーブルに押さえつけた両手に力が入ったのがわかる。
怒りからか、真っ赤に染まった耳朶をちろりと舐めると、大げさに首を振った。
先にシャワーを浴びたのだろう、湿った髪がぱらぱらと俺の顔を打つ。
「馬鹿も休み休みに言え。ここでは、やらねえ。」
「俺はやりてえ。」
手首を掴んだまま、イスごと抱きこんだ。

コックの胸の前に腕を廻せば、奴の鼓動が伝わって来る。
こいつだってやりてえ筈だ。
目元は情欲に潤んでいる。
「いいだろ、てめえが欲しいんだ。」
耳の穴を舌でくるりとなぞると、コックは仰け反って目を閉じた。
反らされた胸には淡い色をした乳首ふくりと立ち上がっているのが、薄いシャツ越しに見える。
そこを指の腹で強く擦りながら、首筋を強めに吸った。
「だめだ、だめ…」
流されまいとするように、コックが足を踏み鳴らして暴れる。
「静かにしねえと、誰か起きるぞ。」
俺の言葉に途端に足を止めて、それでも歯噛みしながら身体を捩った。
シャツのボタンを中ほどまで外して手を滑り込ませる。
硬くなった乳首を両手で捏ねながら、はだけた肩に後ろから舌を這わせた。
わざと焦らすように上半身だけ弄くってやる。
コックは俺の腕に縋りついて爪を立てた。
どこまでも往生際の悪い奴だ。

「だめだ、ぜってーダメだ。船ではやらねえって…」
ぎりぎりと指が白くなるまで爪を立てる。
「船ではやらねえって約束したんだ!」

俺は胸を弄くる手を止めて、肘でコックの顎を抱え上げた。
背後から軽く首を絞める。
途端にコックの顔が苦しげに鬱血した。
「誰と、約束したって?」
片手で顎を掴んだまま覗き込むが、コックは視線を泳がせて俺を見ようともしない。
「言えよ。船ではやらねえって、一体誰と約束したんだ。」
コックは答えない。
テーブルを蹴り倒してでも反撃に出られるはずだが、ほかの奴を起こしたくないのか、息を潜めて静かに身を竦ませるだけだ。
「てめえの身体を仕込んだ奴かよ。なあ、魚のレストランにいた頃から、てめえってこうだったのか。それとも…」
俺自身、かなり混乱していた。

約束だと。
船ではSEXしねえ約束を、誰と交わしたってんだ。
そして何でそんな約束を後生大事に守ってんだ。

俺は後ろから羽交い絞めした格好でコックの身体を引き上げ、床に倒した。
イスが派手な音を立てて倒れたが、自分の身より派手な音を立てたイスに注意が逸れたコックに、余計むかつく。
どうしようもなく腹が立って床に縫い付けるようにのしかかった。
シャツをはだけてバックルに手をかけると拳で俺の頬を殴りつけてくる。
「そんな殴り方すっと、手を傷めっぞ。」
俺の言葉にぴたりと動きを止めた腕を、まとめて床に押し付けた。
「てめえだって、俺に乗っかったときにわかってただろ。長い航海の便所代わりになることくらい…」
コックの片方だけの目がこれ以上ないくらいに丸くなった。
見る見るうちに、潤んで涙が盛り上がる。
「そんなに嫌なら、何で俺に仕掛けてきた。」
「うっせ、畜生!」
無理な体勢で背中に膝蹴りを入れようとするコックの横っ面を思い切り張り倒した。
一瞬意識がぶれたのか、くたりと大人しくなる。

その隙にコンロの横に置きっぱなしの油を手にとって、下着ごと引き摺り下ろした足を抱えて尻に塗りこんだ。
ぬめる指を何本も差し込んで乱暴に揉み解す。
気がついたコックは、まだはっきりとしない視線で宙をかいた。
「やっ…めろ、畜生!」
おざなりに指を入れただけで既に猛った自分にも油を塗ると、一気に腰を勧めた。
コックの身体が強張って、強く押し戻そうと硬く閉じるのに、油の力を使って無理やりにめり込んでいく。
「く…あ、」
コックは首元に引っ掛かったシャツを噛んで声を押し殺した。
太腿を限界まで押し広げてがんがん突っ込む。
起立したコックのモノが、自分の腹にくっつくほど反り返るのを見て余計に興奮した。

突つきゃあ感じやがるんだ、こいつは。
乳首に爪を立てて引っ掻きながら抜き差しを繰り返す。
直接手で扱かなくても、コックのそれは突かれるたびに先端から汁を溢れさせた。
「くそ、てめ…こんなに感じてんじゃねえか。」
動きを止めないでついと撫でると、噛んだ布越しにくぐもった声がうめく。
「こんなにイイくせに、何でここじゃだめなんだ。」
俺はコックの剥き出しの肩を抱いて、何度も抉るように突き刺した。
喉の奥から搾り出すような悲鳴をあげて、コックが腹に白濁の液をぶちまける。
途轍もない締め付けに痛みすら感じながら、俺は律動を止めなかった。


金糸の生え際を掻き上げて、唇を押し付けた。
しょっぱい汗の味がする。
何度か口付けを落として頬を舐めるのに、コックは身体を投げ出したまま床に視線を落とすだけでこちらを
見ようともしない。
俺は身体を起して挿れっぱなしだった自身を抜いた。
くぷんと粘着質な音が立つ。
それを合図にしたかのように、コックものろのろと身体を起した。
中途半端に身体に巻きついたシャツを直し、汚れた身体をそのままにボタンをはめる。
足元に引っ掛かったズボンと下着も引き上げて、気だるげに前を合わせた。
「気色悪い…もっぺん風呂に行く。」
服も身につけず床に座ったままの俺を置いて、コックは危なっかしい足取りで立ち上がった。
ふらふらと出て行こうとして戸口で振り返る。

「確かに、てめえに最初に乗っかったのは、俺だけどよ。」
何もかも諦めたような、暗い瞳。
「船ではやらねえって約束だけが、俺の支えだったんだ。もう忘れちまったことだろうが。」

なんだ?
何を言ってる?

「だからもう、次はねえ。二度と触れるな、俺に。」
怒りから来るそれではない。
どこまでも平坦で無機質な声。
そのことが余計、俺の胸を不安にさせた。
「どういう、ことだ。」
柄にもなく縋るように、腰を浮かせた。

「もう、終いだ。」
別れを告げながら絶望を感じさせる瞳を残して、コックは扉を閉めた。



キッチンに一人残されて、俺は再び床に座り込んだ。
コックが腰掛けていたイスは倒れたままで、床の所々に白い液体が染みを作っている。
脱ぎ捨てたシャツで適当に拭いて痕跡を消した。
さっきのコックの顔が頭から離れない。


もう、終いだ。

一方的に突きつけられた別れの言葉なのに、なぜかコックが泣いていると思ってしまった。
俺が泣かせたと、思った。

なぜだ―――

考えても答えは出ない。
最初からわからないことだらけだ。
だが、確実に言えることは


俺は、取り返しのつかないことをしてしまったんじゃないだろうか。


next