愛が呼ぶほうへ 7




こんな狭めえ船の上でなんか、冗談じゃねえ。
子供みたいに言い張った。
絶対嫌だ。
俺がてめえに組み敷かれてるとこなんざ、誰かに見られたら舌あ噛むぞ。

けどお前は思ったより簡単に、約束してくれた。
てめえが嫌がるなら、一切船ん中で手出しはしねえ。
約束する。

ゾロの約束の言葉は重い。
実際その通りどんなに長い航海でも泥酔しても、ゾロは手を出してこなかった。
「俺だって辛いんだぜ。」
甲板に並んで世間話をするように水を向けると、ゾロも眉間に皺を寄せて怒ったような顔で答える。
「バカ言え、俺のがぜってえ数段辛え。が、我慢できるぜ。なんせ俺はお前に惚れてっからな。」
赤くなった俺の顔を、水平線に沈む夕陽が誤魔化してくれただろうか。
「てめえの事を大事にしてえ。ぜってえ船では触れねえよ。だが、島に着いたら覚えてろよ。」
そう言って笑ったゾロの目は、夕陽を受けて闇の獣のように金色だった。
俺はうっかり勃ちそうになって、慌ててキッチンへ引っ込んだんだ。
けどゾロの気持ちは充分に思い知った。

ああ俺は、痛いほど愛されていたんだよ。



食料に若干の余裕を残して、船は無事港に着いた。
サンジは船番を買って出て、全員を島に送り出し一人甲板で煙草を吹かしている。

あれから、ゾロは一切サンジに触れて来なくなった。
視線を合わせることすらせず、食事時以外は顔を合わせるのも避けている。
俺の台詞がよほど堪えたのか、愛想が尽きたのか。
それも仕方ねえと、サンジは無視することに決めた。
二度と自分から歩み寄るつもりはない。

別にあいつが悪いわけじゃあねえけどよ。
ゾロに何か非があるとすれば、サンジに無断で貰い食いをしたことだけだろう。
すっかり忘れ去ったゾロを責めても仕方がないし、ゾロにしたらサンジの行動は混乱を招くことばかりだっただろう。
身勝手だったのは俺の方だな。
ゾロに愛された記憶を後生大事に温めて、身体から関係を迫った挙句裏切られたような気になった。
自分を愛した筈のゾロの姿が、歪められるような気がしたから。
勝手な話だ。

サンジは自嘲して吸い殻を海に投げ捨てた。
じゅっと煙を上げて、水面にゆらゆらと無様に浮かんでいる。
「ゾロこそ、いい迷惑だ。」
声に出して呟いたら、余計空しくなった。
残りのストックで、なんか適当に作って食うか。
手すりに凭れて一息ついて、サンジは空を振り仰いだ。
昼間だというのに、分厚い雲に覆われた空はどんよりと曇って一雨きそうだ。
ポケットに手を突っ込んで甲板を横切る。
比較的大きな島からは、風に乗って賑やかな喧騒が途切れ途切れに届いた。

キッチンの扉を開けて、ギョッとして立ち竦む。
降りた筈のゾロが、腕組みしたままイスに腰掛けてこちらを睨んでいた。
「おま…なんで…」
言葉が先に続かない。
みんなと一緒に降りたんじゃなかったのか。
久しぶりの島だから、ゆっくり遊んで来いよなんて、気安く言葉をかけられるほど心を許したわけでもない。
サンジはただ戸口に突っ立って出て行くことも入ることもできずにいた。

「お前の、船番が終わったら――」
ひどく穏やかなゾロの声。
「島でてめえを抱いていいか。」
口調とは裏腹なとんでもない台詞に、サンジの頭にかっと血が昇る。
「なに・・・言ってやがる。もう終いだと言った筈だ!」
腹いせにイスを蹴り倒した。
「金輪際俺には触るな。二度とやらせねえ。」
「それは、俺が嫌がるお前を無理やりやったからか?」
激昂するサンジとは対照的に、ゾロはあくまでも静かに話す。
「お前がどこの誰と交わしたんだかわからねえ約束を大事に守ってて、それを俺が破ったから、いけねえんだろ。」
誰だって?
てめえだよ畜生。
サンジは倒したイスを乱暴に起してどかりと腰を下ろした。
ゾロに言いたいいくつかの言葉をすべて飲み込む。
「なら、俺がお前と約束する。」
「へ?」
「もう二度と、船の中ではやらねえ。お前が嫌がる時はしねえ。約束する。」
サンジはポカンと口を開けてゾロの顔を見た。
腕を組んでふんぞり返ったまま殊勝なことを言うゾロははっきり言って不気味だ。
「なんで、だ」
「てめえとやりてえからだ。」
俺とやりたいばっかりに、したくもねえ約束をするのか。
てえか、もう陸に着いてんだから俺なんか相手にしなくてもいいんじゃないか?
「なんで、俺なんだよ。」
いつもは廻る口が、うまく動かない。
問い掛ける言葉が足らなくて、自分でももどかしい。
「知るかよ。けどてめえにこれっきりって言われて焦ったんだよ。島に着いても女抱きに降りる気もしねえくれえ。」
ゾロの台詞はいちいちストレートでなんのてらいもない。
その分ずんと胸にクル。
「てめえが男を知ってたってのが正直ショックだったし、なんか辛そうな面してんのは見てて面白くねえし、やると気持ち良いがてめえが気持ち良さそうな面してっとむかつくし・・・」
「って、なんでむかつくんだよ。」
ゾロが妙に苛々している理由はこれか?
「むかつくんだよ。てめえに気持ちイイこと教えた野郎がいると思うと。」

―――はあ?

ぽとんと、口の端から煙草が落ちた。
「てめえが俺を誰かの代わりにしてるってのはいくら俺でもすぐに気づいた。いつも目閉じて気持ち良さそうにしやがって、俺のこと見ようともしねえ。そのくせどうしようもねえほどエロい身体してやがる。てめえをそんな風に仕込んだ野郎が気になるんだよ。」
吐き捨てるように呟くと拗ねた子供みたいにそっぽを向いた。
浅黒い肌だが目元がほんのり赤い。
「つまり・・・それって」
サンジは頭の中でさっきからゾロの台詞を反芻する。
ゾロが苛ついてる理由は・・・もしかして

「お前・・・焼きもち?」
はっきりとゾロの頬に朱が走った。
「知るか!けどよ、てめえについつい目がいっちまうのも、昔の男が気になんのも、またやりてえって思うのも・・・」
ゾロはきっと挑むように睨み付けた。
「てめえが嫌がることはもうしねえと誓うことは、誓いてえのは、お前が気になるからじゃねえのか?」
えらそうにふんぞり返って、なんで疑問形なんだよ。
「だからっ、てめえを大事にしてえとか思ったんだよ!」
殆どヤケクソで言葉を投げて来た。


しばしの沈黙の後、サンジは床に落ちた煙草をゆっくりとした動作で拾い上げる。
指で弄びながら机に凭れかかった。
口元に笑みを浮かべて吐息を漏らす。
「あのよ、俺の初めてのオトコ・・・誰だか教えてやろうか。」
ゾロの腕にぴきっと力が入った。
緊張が走る。
「俺の・・・知ってる奴か?」
「ああ」
ごくんと、ゾロの喉仏が上下に動いた。
サンジはもったいぶってひと呼吸置くと、重々しく口を開いた。

「お前だ、ボケ」

「は?」


目の前には、100年の恋も醒めるくらい、間の抜けた顔をしたゾロがいた。






「だから、てめえは前の前の島で、どっかの爺さんに妙な実を貰って食って、俺とのことをすっぱり忘れちまったんだ。」
噛んで含めるように何度も繰り返し丁寧に説明した。

二人の馴れ初めから始まって、初めてのキス。
初めての夜。
殆ど習慣になっていた喧嘩と陸での過ごし方。
ゾロは目を剥いた形相のまま、いちいち頷いて聞いている。

サンジが訥々と、それでもすべてを話し終えたとき、ようやく呼吸を思い出したように大きく息を吐いた。
「・・・ってことで、わかったか?」
「・・・」
直ぐに返事はできないらしい。
がりがりと頭を掻いて首を傾げたり、捻ったりしている。
ゾロが気が済むまで黙って見守っててやろうと煙草に火をつけたら、恨みがましそうな目でこっちを見た。

「お前なんで、それを先に言わねえんだ。」
サンジの首が、かくんと折れる。
「い、言えるか!んなこと。」
「なんで」
「なんでって、てめえにとっちゃ俺は気の合わねえ仲間だったろうが!そんな相手に実はずっと恋人同士でしたv
 なんて言われて納得するか、お前」
「そりゃあ、納得はしねえかもしれねえが」
サンジはふうと煙を吐いて、肩を竦めた。
「大体そんなこと口にした日にゃ、俺が変な目で見られるのがオチだろ。冗談じゃねえやこっ恥ずかしい。」
「なんの予備知識もなしにいきなり乗ってこられたのもかなり驚いたがな。」
「言うな!おらあ!!」
横腹に蹴り入れてやったが、岩みたいに固くて手応えがない。

「まあ、信じにくい話ではあるが、それで全部話は通じる気がするし、そうなんだろ。ったく、参ったな。」
「なにが参るんだよ。」
サンジは靴底でゾロの膝頭をげしげし蹴った。
気恥ずかしくてしょうがない。
「初めてのてめえを覚えてねえんだよ、俺あ。ああ勿体ねえ・・・」
「アホかい!!」
今度こそ照れ隠しでサンジはムートンショットを決めた。


久しぶりの大きな島で結構な買い物ができてウソップはホクホク顔で荷物を抱えて帰ってきた。
キッチンからはいい匂いが漂ってきて、飯の分まで買い物できて、俺はラッキーだったなあと自分の幸運を噛み締めている。
「ただいま!サンジこの島はすげーでけーぞお・・・」
話ながら中に入ると、サンジはタイミングを計ったようにウソップのための皿を並べていた。
なぜかゾロも一緒に手伝っている。
「と、なんだゾロ、降りなかったのか。」
「ああ、寝過ごした。」
しれっと言うゾロにサンジはこっそり苦笑する。
「なんだ丸1日寝過ごしたのかあ。まあサンジが一緒なら迷わなくて安心だろ。俺の分は自分でやるから、もう降りてもいいゾ、二人とも。」
なんの意図もなくさらりと流してくれたウソップの背後に、二人は確かに天使の羽根を見た。

ウソップの好意をありがたく受けて、二人して早々に船を降りる。
昨夜一晩を二人きりで過ごしたが必要以上に接触を避けるようなよそよそしい夜だった。
何もかも話し合って心は通じ合った筈なのに、肉体的にセーブしなくちゃならないから、どうにもぎこちない。
陸に下りてからも殆ど無言で、近くの宿に入った。

「風呂、先に入るぞ。」
「ああ。」
上着を脱いで寛ぐ間もなくゾロは風呂場へと向かった。
ぴたりと止まって何気なく振り向く。
「一緒に入るか?」
「あ、アホか!」
サンジが投げつけた靴を受け止めて、そこまではいってねーのかと小さく呟くきながら、風呂場へと消えた。



「ったく、調子狂うぜ。」
すべて明らかにしたとは言え、記憶が戻った訳ではない。
かつて愛したゾロに戻れるなんて思わないけど、やはりどうしてもぎくしゃくしてしまう。
まあ、ゾロはゾロだけどな。
尊大で不遜で、寝腐れてる芝生頭。
所詮、マリモだ。
それ以上でもそれ以下でもないだろう。

諦めの境地で煙草に火をつけたら、ろくに吸わないうちにゾロが上がってきた。
「お前・・・早すぎ。」
「大丈夫だ、ちゃんと洗ってきた。」
何が大丈夫なんだか、音もなく近づいて腕を伸ばしてきたから、慌ててすり抜けた。
逃げるように風呂場に入る。
なんか、初めてん時みてえに、どきどきしてる。
ゾロも同じ気持ちだろうか。

念入りに洗っていると思われるのが嫌で、いつもより早く上がった。
けど急いでるようにも思われるのは嫌で身体を拭きながら無駄に時間を潰したりする。
あ〜なにやってんだ、俺。
戸口の隙間から部屋を覗けば、檻の中の熊みたいにうろうろしてるゾロがいた。
初夜を迎える新婚さんかよ。
お互いの行動がなんだかおかしくて、ひとしきり笑ってからバスローブだけ纏って脱衣所を出た。

「遅え!」
ゾロは立ち止まって思い出したようにベッドに座った。
仏頂面のまま片足を貧乏ゆすりしている。
「焦んな、タコ」
なんとなくまともにゾロの顔を見られなくて俯いたまま隣に腰掛ける。
ゾロは暫く膝の上で拳を握ったり開いたりを繰り返して、おもむろにがばりと覆い被さってきた。
と、唐突過ぎっ・・・
それでも深く唇を合わせて舌を絡める。
初めてのときより不器用な口付けは、徐々にサンジの緊張をほぐしていった。

ゾロの背に腕を廻して肩を抱く。
サンジの舌先を軽く吸って、ゾロが唇を離した。
頬に手を当ててじっと正面から見つめる。
「・・・なんだよ。」
どうしようもなくどぎまぎして、サンジは忙しなく視線を漂わせた。


「俺は、てめえにひでえこと言ったな。」
真性のホモだと思って驚いた。
他の奴にも抱かれてると思って、腹も立てた。
「いっぺえ、ひでえこと言ったな。」
神妙な顔で悔いるゾロに対する怒りはない。
サンジは薄く笑ってこつんと額をつき合わせた。

「てめーは、訳わかんねえのに俺を受け入れてくれた。・・・拒絶しなかっただろ。」
いきなり男に跨られて驚いたろうに。
「すげえ、嬉しかった。」
消え入りそうな声で呟くサンジにゾロは全身の血がかあっと滾るのを感じた。

今、腕の中にあるこの存在をどうにかしたくてしょうがない。
抱きしめるだけじゃ物足りない、喰らい尽くしたいほどの衝動。

ああこれが――
愛しいということか


腹の底から燃えるような熱がせり上がる。
だが腕の中のコックはあまりに大切すぎて壊してしまいそうで恐ろしい。
なんなんだ、どうにかしてえのに、どうしていいかわからねえ。
なにかが怖くて手が出せねえなんて、なに臆病なこと考えてやがる。

サンジの顔を両手で挟んだまま、ゾロは目を閉じて唸り声を上げた。
「ゾロ・・・?」
ゾロは震える手で何度もサンジの頬を撫でて、額に唇を落とす。

「どうにも放っておけねえんだ。」
ゾロは乾いた唇を舌で舐めた。
「てめえは馬鹿で、自分を省みなくて、お人よしで目が離せなくて、・・・アホ過ぎてどうにかしてえのに、なんかしたら壊しそうで怖え。なんだってんだ、畜生。」
最後は口の中で噛み潰すように唱えて顔を顰める。
サンジは緑の髪を掻き抱いて、声を立てて笑った。
訝しげに見つめる瞳に目を合わせる。

「同じだゾロ。俺も同じだ。愛してる、ゾロ。」

言って、ぎゅうとしがみ付いたサンジの身体を折れるほど抱きしめた。

「ああ俺もだ。愛してる。」







「遅―い!」
出航が遅れてナミはお冠だ。
「すみませんっナミさ〜んv先に荷物もって帰ってろって言ったのに、迷子馬鹿が例の如く迷いやがって・・・」
「うっせえ、俺はちゃんと港に向かって歩いたぞ。」
「港に向かってなんで坂登るんだ!今度からリードつけるぞくおら!」
「あんま顔くっつけんな、素敵眉毛が移ったらどうする!」
「ちったあてめえの凶悪面も、可愛気が出るんじゃねえのか。」
「可愛いのはてめえ一人でたくさんだ。」
途端にぼっとサンジの顔が真っ赤になった。
「んな、んな、んな・・・」
あまりのことに過呼吸気味になったサンジを置いてゾロはさっさと船に乗り込む。

「くおら待てコラ!素ボケ野郎!!」


「なにあれ。」
一部始終を見ていたナミが呆れた声を出す。
「あの二人、いつからあんなに仲良しになったの。」
「さあ、でもコックさんが元気になってよかったわね。」
さらりと流したロビンに、ナミもそれ以上言及はしなかった。

「全員揃ったわね、それじゃ!!しゅっぱーーつ!!!」

誰が船長だかわからない掛け声とともに、今日も羊頭は海を行く。

嵐の夜も吹雪の空も、忘却の海だって越えていけるのだ。

そこに愛があるかぎり。


END



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