愛が呼ぶほうへ 5



気持ちよく晴れ渡った空の下、今日も甲板で賑やかな声が響いている。
特に目立つキンキン頭はあちこち移動してゴムを弾き飛ばしたり、女の前でたこ踊りをしたりして忙しい。
ゾロは昼寝の体勢のまま片目だけ開けた。
日の光を受けてきらきら光る金髪が目に飛び込んでくる。
まぶしくて鬱陶しいな。
そう思うのに何故だか目が離せない。
最近やたらとサンジの姿が視界に入るのだ。





■ゾロ■
相変わらずよく喋って動く男だ。
俺は体を少しずらして日陰に入った。
おちおち昼寝もできやしねえ。
コックはやれおやつだ飲み物だとまたよく光る銀色の盆にいろんなものを乗せて、晴れた甲板を走り回っている。
色素の薄い目には強い光が堪えるんだろう。
殆ど開けてねえほど目を眇めて、日陰に居る俺を見た。
手で庇を作って睨みつけながら近づいて来る。
日陰に入ってしまうと何度か瞬きして、それから眉間に皺を寄せる。

「なんだ、起きてんのか。珍しいな。」
相変わらずの凶悪面だ。
愛想もそっけもなく俺の前に盆を置くと煙草を咥えて行っちまいやがった。
お決まりの悪態もなくてどうにも物足りねえ。
俺はよく冷えたグラスを持ち上げて一気に飲んだ。
キンと冷えたなんだかわからない飲み物は、いつものようにすっと身体に染みとおる。
暑い空気ん中で、身体だけが引き締まる感じだ。
ああ、美味いな。
素直にそう思った。
目を上げればもう甲板にコックの姿はない。
あいつは眩しいのが苦手だからあまり陽の下に居たがらねえし、キッチンでまたなんかゴソゴソやってんだろう。
そこまで考えて、俺はなんとなくむかついてグラスを盆に置いた。
何で俺はコックのことをよく知ってんだ。
いや、最近ついつい目が行っちまう。
それはアレだな、あいつのせいだ。
あのアホが俺に妙なことを仕掛けてきやがったせいだ。


前の島で、コックが酔っ払って俺に乗っかってきた。
何をする気かと、面白半分でされるがままになっていたら、あろうことか俺に跨って勝手にイこうとしやがる。
まさかあの女好きにそっちの趣味があったたあ知らなかったが、俺はすっかり度肝を抜かれた。
以来、どうしたってあのアヒル頭が気になって仕方ねえ。
あいつ、ホモだったんだな。
しかもかなりの男好きだ。
島で二人連れの男を引っ掛けようとしてやがったし、それに失敗したからか仲間である俺にまで見境なく
乗ってきやがった。

俺はぐっと下腹に力を込めた。
思い出すと反応しそうな自分がいる。
普段、すかした面してあんときゃすげえ顔をしやがる。
女は魔物だと聞いたことはあるが、野郎でもそうなのか。

俺は居住まいを正して足を組んだ。
気を静めるために深く息を吐く。
だが頭の中は邪念だらけだ。
普段の奴とのギャップがあまりに激しくて、未だにあの夜が本当にあったことだか疑わしい。
だが時折、目が合うと意味ありげに微笑むから、奴は自覚しているのだろう。
厄介だな。
同じ船に乗る仲間同士としては面倒な存在だ。
いっそ斬って海に捨てるかとも考えたが、後が何かと面倒そうなので思い直した。
その代わりあの夜のことは完全になかったことにして無視するか、このまま気が向いた折にでも関係を続けるかどちらかにすべきだろう。

さて、どうしたもんか。


「うおーい、ウソップ!魚の群れだぞ!」
ルフィのよく通る声が青空に響いている。
「チョッパー、網持って来い!掬うぞ!」
「おーし、たくさん取れよお。俺が全部美味いディナーに化かしてやる!」
コックの声も響いた。
陽光の下で弾けるようなマヌケ面が脳裏に浮かぶ。
俺の中で淀んで溜まった水溜りに、暗い波紋が一つ深く静かに広がるような感覚があった。


ああだめだ、目が離せねえ。
危なっかしくてしょうがねえ。
お前は途方もなく馬鹿でアホでお人よしで、自分の値打ちをわかってねえんだ。
俺には大事なてめえだから、てめえが自分を粗末にすんのは許さねえよ。
どうすりゃてめえに俺の全部が伝わるのかすらわからねえ。
愛しいと、大切だと言葉を弄して身体を求めても、満たされねえほど想いは強い。

いつかお前のすべてを喰らったら、俺ははじめて安らかな眠りにつけるんだろうか。


ひやりと、汗が引く感触を覚えて唐突に目を覚ました。
首筋の毛が逆立ってじっとりと寝汗をかいている。
俺はゆっくりと身体を起した。
まだ月は真上で、それほど時間が経っていない。
夕食後に中途半端に眠ったのがいけなかったのか。
強張った肩を慣らして、俺はぼりぼりと頭を掻いた。

何の夢だったかは忘れたが、まるで胸騒ぎのように、心の中が落ち着かない。
きゅうと締め付けられるような、それでいて奥底が暖かいような、なんともいえない心地悪さだ。
しかもなぜか、勃起している。
一体どんな夢、見てたんだ。

空には満天の星が瞬いていて、甲板には誰も居ない。
涼しい風が時折吹き抜けるだけだ。
寝るんなら男部屋じゃねえとダメだな。
だから妙な夢を見る。
俺は喉の渇きを覚えて立ち上がった。

キッチンにはまだ明かりが点いている。
あの野郎が起きてるんだろう。
もしかすっと他のクルーも残って茶でも飲んでるかも知れねえ。
そうあって欲しいと、心の隅で願う俺がいる。
だが俺の意に反して、奴は一人でキッチンに立っていた。

俺の姿を認め、煙草を咥えた口の端で笑う。
「なんだ起きたのか。そろそろ起こしに行こうと思ってたんだ。いくら夏島海域とは言え、夜風は身体によくねえぞ。」
そう言って柔ら赤く微笑むコックは、昼間とは違う顔をしている。
気のせいか俺と二人きりになるとその表情が和らぐようで、また意味もなく胸の内がざわめいた。
こいつはこんな奴だったのか。
いつからだ。
この前の島から変だった気がしたが、本当はずっと前からこうだったんじゃねえだろうか。
「おい、ぼけっとしてねえで座れよ。喉が乾いたんだろ。」
見ればテーブルの上には、よく冷やした酒とつまみが用意してある。
俺のための夜食だな。
また胸がきゅっと締め付けられた。
俺はそれを誤魔化すみたいに乱暴に席に座った。

グラスも皿も冷やしてある。
食えば美味いのはわかっていた。
こいつの作るモンは何でも美味い。
コックはシンクに凭れて煙草に火をつけた。
「クソ美味えだろ。」
お決まりの台詞を口に出して、にかりと笑う。
こいつは、こんな顔して笑う奴だったか。
確かもっとこうぴりぴりして、何かと言えば突っかかってくる不機嫌な面しか知らなかった気がするんだが。
飯を食う俺を見る目は、ルフィやウソップ達に向けるそれと似てる。
無防備でガキ臭くて、心を許した相手に見せる顔。
いつからこいつは、俺に対してまでこんな面を見せるようになったんだ。
なぜか落ち着かない気分で俺は飯を掻き込んだ。
「もっとゆっくり食えよ。」
笑う奴の声すら柔らかい。
俺はさくさく食い終えて、酒も流し込むようにラッパ呑みすると空のビンをどんと置いた。
食器を流し台に持っていく。
コックは腕まくりをしながら側に立った。
むき出しの白い手首掴むと、驚いたようにこっちに向き直る。

「おい、やらせろ。」
途端にコックの顔にさっと赤味が差した。





余計に俺は苛々した。
こいつは、人の上に勝手に乗っかってきておいて、こんなウブい面も見せたりする。
このギャップが理解できなくて何かしっくりこねえ。
「あ、アホか!こんなとこでナニ言ってやがる。とっとと寝ろ!」
口で言い返すだけで足が飛んでこないのは、本気で嫌がってない証拠だろう。
「ここじゃなきゃいいのか、格納庫にでも行くか?」
コックは益々耳やうなじまで真っ赤になった。
俺もさっきの訳のわからない夢見のせいで、身体に熱がまだ残っている。
野郎相手は不本意だが、こいつはまあ冷静に見れば見られねえ面でもねえし、下手すっと女よりイイ身体してんのも経験済みだ。
処理の相手にゃ丁度良い。

だがコックは俺の手を振り解いて後退りした。
「ダメだ!ぜってーてめえとは、船の上ではやんねえ。」
はあ?
こいつ、なに言ってんだ。
「船の上ではってなんだよ。」
「船の上では、だ。島に着いたら、考えねえでもねえ。」
ますます不可解だ。船の上だから溜まるんじゃねえか。
「何言ってやがる。島に着いたら女が居るだろが。態々てめえとやる意味はねえだろ。」
お互い様だと思ったからそう言ったんだが、コックの顔はなんとも言えない表情に歪んだ。
なんだってんだ、一体。
コックは端から見てもわかるほど深く息を吸い込んで、ゆっくりと吐き出した。
なに緊張してんだこいつ。

「なんでって、こんな狭い船の上じゃ誰にばれっかわかんねえし、絶対に嫌だ。それだけは言っとく。それに…島に着いても女買うのは金かかっだろ?だから俺が手を打ってやろうって言ってんだ。俺の親切心を無にする気かてめえ。」
せかせかとポケットを弄って煙草を取り出し火をつける。
指の先が震えているのははっきりとわかった。
それで俺も、漸く気づいた。
「ああ、そういうことか。てめえは男が欲しいし、俺は女を買うのに金がかかるから、お互いで手を打てってことだな。まあそれならそれで、かまわねえぜ。」
そう言った瞬間のコックの顔は、なんともいえない間の抜けた顔だった。
いつもより多く眉毛が巻いて見えたし、ぽかんと開いた口はなかなか塞がらなくて、端に引っ掛かった煙草は落ちそうで落ちないところで危ういバランスを保っている。
俺はなんか、変なことを言ったか?

コックは何度か口を開けたままアワアワとして、煙草が落ちる寸前に口をパクンと閉じた。
額にピキリと青筋が立って見えたが、口元は笑いの形に引きあがっている。
「…ま、そういうこったな。だからてめえもそれで手を打てよ。ともかく船の上ではご法度だ。溜まってんならてめえで扱け!以上!」
言い置いてくるりと背を向けた。
一方的に話を切られたのは癪に障るが、ここでわざわざ力尽くでやって機嫌を損ねるのも面倒だ。
俺はどこか釈然としない思いを抱きながらもキッチンを出て行った。


「おいナミ、次の島に着くんはあとどんくらいだ。」
食事時にそう口を開いたら、ナミより先にコックの方が反応しやがった。
固い瓶の蓋だかを開けてる最中だったらしく、カパンと斜めに開けて中身をこぼして慌てている。
「なによゾロ、あんたが次の島を気にするなんて珍しいわね。」
こいつはいちいち余計なことに気がまわるんでタチが悪い。
「前の島で買い損ねたもんがあんだよ。いつ着くんだ?」
だからつい、言い訳みてえなことを言っちまう。
聞かれたことにだけ答えろってんだ、魔女め。
「残念ながら次の島は買い物には向かないみたい。今回も順調な旅だったから明日の夕方には着くかもね。暗かったら沖で一泊してから入港した方がいいでしょうけど。」
パラリと新聞をめくってふうんと一人で頷いている。
「島の人口よりヤギの数のが多いような、辺鄙な島よ。ウソップやあんたが喜ぶような店はなさそうね。どっちかって言うとチョッパーやサンジ君向きかしら。」
「そうなんっすかナミさんv」
コックが大げさに反応して見せた。
女相手にはいちいちオーバーアクションな奴だ。
多分アレは、ホモのカモフラージュに違いない。
「自然が豊富なプチリゾートなんて銘打ってるけど、単なる田舎の島みたいね。まあたまにはこんなとこでゆっくり羽根を伸ばすのもいいんじゃないかしら。」
ナミの言葉にルフィやウソップがはしゃいでいる。
確かに人がごちゃごちゃいるところよりは、田舎の方が好きな奴らばかりだ。
そんな島じゃ女のアテもなさそうだし、かえって都合もいいかもな。
俺は意味ありげな視線を奴に送った。
目が合うと、途端にコックが耳まで赤くなる。
こいつって、本当にわかりやすい奴だな。

前の島での一件があって以来、俺はやたらとコックにばかり眼が行くようになった。
気にしまいと思っても勝手に目についちまうんだ。
それはあの派手なキンキン頭だったり、思いのほか白い手だったり、時折見せるあどけない面だったり。
その度に、こいつは前からこんなだったかと思い直さずにいられない。
乱暴でがさつで、女にへつらうだらしねえコックでしかなかった筈なのに、その変わりようがあまりに激しくて気味が悪い。
本当に本物のコックか確かめてみたくなる。

俺はふと箸を持つ手を止めた。
そうか、俺は確かめてえんだ。
あの筋張った手も柔らかなケツも、目ん玉が溶けそうなほど流した涙も、全部本当にコックのものだったのか確かめてみてえんだ。
別に奴に欲情してるわけじゃねえ。
ただ確かめてえだけなんだろう。
次の島に着いたら取りあえず奴を抱こう。
そうすりゃこの胸ん中のもやもやがちったあはっきりするかも知れねえ。
俺は無理やり自分を納得させて、茶を飲んだ。


想像以上に長閑な島だった。
日が暮れるより早く島に着いた為、穏やかな入り江に船を着けた。
船番の必要もないだろうと全員で上陸して夕食をとる。
「この島の中央にある切り立った崖の上に、最強のヤギがいるらしいわよ。」
「なにっ!ほんとかナミ!ようし、明日はそいつと戦いに行くぞ!」
「さっき北風に乗って薬草の匂いがしてきたんだ。俺は山に入ってみるよ。」
「チョッパー、一緒に行ってもいいか。使える木の実があったら原料に使いてえんだ。」
お子ちゃま組は冒険に盛り上がっている。

「ログが溜まるのは36時間よ。明後日の朝、朝食後に出発しましょう。私も久しぶりにのんびりするわ。」
「にしても恐ろしく暢気な田舎だな〜。妙齢のレディにお目にかかれないんだけど…」
コックが不満そうに口を尖らせて店内をきょろきょろしている。
確かに店の主や客達も年齢がかなり高い。
「生憎この島の平均年齢は60歳ですってよ。サンジ君のナンパも範囲が広くなるわね。」
「そんなあ。」
めろりんしょぼーんとコックがテーブルに突っ伏した。
金色の旋毛が見える。
やっぱりこいつはアホだ。
「でね、この手前の宿に部屋取ったから、適当に部屋割りして休んでね。」
相変わらずてきぱきと采配して、ついでにそれほど小遣いは必要ないでしょと勝手に決められて、
その日は解散となった。




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