愛が呼ぶほうへ 2



ナミさんから預かった予算ぎりぎりまで買い込んだ。
ストレス解消にはやはり買い物が一番らしい。
注文した品が次々と船に運ばれるのを見ながら、ふうと煙を吐く。
ちらりと視線だけよこせば、ゾロが黙々と錨を上げている。

集合時間通りに集まったときも、俺を見ようともしなかった。
無視している訳ではない。
視界に入らないのだ。
なんとも思ってねえ野郎なんか、普通見ねえよな。
吸い殻を落として足で揉み消す。

でも偽モンだったら効果は1日。
ってえと24時間か?
あいつが昨日のいつ頃口にしたか知らねえが、うまくいけば今日中に元に戻る。
俺は結構諦めが悪い。
なんでも自分の都合のいい方に考えようと努力もしている。
大丈夫だ。
あの熱い夜が幻で終わるわけねえ。

「さあ、出航よ。」
ナミさんの号令は良く晴れた青い空より高らかで明るい。



ざぶざぶと波をかき分けながら、GM号は順調に進んだ。
皆、久しぶりの島の話題を口々に言い合って、余韻を楽しんでいる。
俺もレシピをまとめながら適当に相槌を打ったり笑ったりして忙しい。
それでも時折、ゾロに視線を送る。
船に乗ってからも、ゾロとは一度だって目が合わなかった。
ゾロが俺を見ないからだ。
知らず軽くため息をつくと、隣でウソップが肘をつついた。

「ったく、遊びすぎだろサンジ。真っ赤な目して。」
ウソップにしたら小声のつもりだろうが、その声はえらく響いてナミさんが面白そうに眉を上げた。
「ふふ、私も気になってたのよサンジ君。まるでウサギさんみたい。」
「ち、違いますよナミさん!ウソップ馬鹿なこと言うんじゃねえ!」
慌てて手加減なしに蹴り倒してしまった。
まさか愛しいゾロに忘れ去れて一晩中泣き明かしてましたなんて、言えない。
俺は半ば心ここに在らずといった感じでそわそわしながら、それでも辛抱強く変化を待っていた。


夕方が来て夜が来て、日付が変ってしまっても。
ゾロは何も変わらない。
完璧だ。
ザザーンと高い波飛沫が、甲板に立つ俺の身体を濡らす。
完璧に、俺達は終わった。

寄せては返す荒波にいっそ身を任せてみたい。
夜が来て朝が来て、昼が来てもゾロに変化はない。
見つめて来ないし触れて来ないし囁いても来ない。
完璧に、忘れ去られた。
俺はもう、ただの仲間だ。

仲間と呼ぶにも関係が希薄すぎる。
もともと気の合うタイプではないし、共通点なんか皆無だし、話は合わないし喧嘩しかしてなかった。
愛し合う前の自分達を思い出してみる。
全然ダメじゃん。
海より深く落ち込みそうだ。
ゾロとの関係は愛情があってこそ成り立っていた。
好きだと自覚して触れたいと願って、ようやく叶えられた喜びに胸が震えた。
けど、今はなんにもねえ。
少なくともあいつには、俺への愛情なんて欠片も残っちゃいないんだ。
俺のこと好きでなきゃ、鬱陶しいだけなんだろうな。

一心不乱に料理に集中しているようで、単純作業は思考が空回りする。
俺とてめえは愛し合っていたんだぜ、と言ってしまったらどうだろう。
その場で迷いなく斬り捨てられるだろうか。
それより呆れられて、おかしいと思われて、軽蔑されるだろう。
もし自分がゾロの立場に立ったなら、きっとそうする。
だって野郎だぜ。
もともとホモじゃねえしよ。
俺だって好きになった相手がゾロだったからこうなったのだ。
好きで男と寝るわけじゃない。
黙ってるしか、ねえな。
下手にアプローチして嫌われてしまうのは辛い。
せめて仲間として傍にいて、一緒に暮らせるならそれだけで充分じゃねえか。
例えあの手がもう二度と自分に触れなくても、想い出だけ生きていけんじゃねえだろか。
俺あもともとレディが好きだから、これを機会にまっとうな人生を送るってのもありだな。
ナミさんやロビンちゃんみたいに綺麗で可愛いレディと恋に落ちたら、マリモのことなんか直ぐに忘れるさ。

深鍋を火にかけて一服しながら、想像してみた。
柔らかい肌。
豊満なおっぱい。
甘い匂い。
すべらかな手足。

だけど、ちっとも胸がときめかない。
心のどっかに風穴が開いたみたいに、すうすうする。
だめだ、俺あ、骨の髄までホモになっちまったのか。
ひどく落ち込んで、今度は無理やり男と寝てる自分を想像した。

・・・吐きそうになった。


俺の心中を知るはずもなく、ゾロは日々の鍛錬に明け暮れている。
暑い日ざしのときになど、冷たい飲み物をもってさりげなくゾロに声をかける。
流れる汗をぬぐいながら、ゾロが珍しく表情を緩めて白い歯を見せたりすると、倒れそうなほどクラクラきた。
だがここでよろめいていてはゾロに不審がられるだけだと戒めて、普段よりしかめっ面で悪態を吐く。
顔で笑って心で泣いて。
最近の俺の生活はほぼそんな感じだ。

それでもふと夜中に目覚めれば、思いの外近くに眠るゾロに気づいて、じっとその寝顔を眺めてしまったりする。
規則正しく上下する厚い胸や、秀でた額に触れたくなる。
意志の固そうな唇にキスしたくなる。
俺は突き上げるような衝動を抑えて、そっと男部屋を後にした。

トイレにこもって前を寛げると、可哀想なほど素直に反応した息子が顔を擡げた。
俺は目を閉じて宥めるように扱いた。

ゾロは体温が高くて、触れた傍から熱が移るみたいだった。
大きな手で乱暴に扱いて、痛いくらいで…
思い出しただけで、手の中でびくびくと自身が跳ねる。
俺は声に出さないで「ゾロ」と口を動かした。

てめえは感じやすいなあ。
素直に反応する身体に嬉しそうな顔をした。
死にそうに恥ずかしいのに、可愛いとキスしてくる。
敏感な部分も全部舐めて、てめえの味がすると言った。
「・・・あっ・・・」
思わず声が漏れる。
夜中とは言え、誰が来るか分からない。
いけないと思いつつ、空いた手で奥を弄る。
入り口を擦って内壁をぐるっと弄ると、自分の指ですら快感が走る。
ゾロの長い指が奥のイイところをついて、苦しいのに気持ちよくて…
「ん、あ…ゾロっ…」
声が漏れるのに、手が止まらない。
開きっぱなしの口から涎が落ち、便器に座ったままびくんびくんと痙攣する。
「ゾロお、ゾロ…」
がくんと首が折れて、肩で息をした。
むなしさだけが残る行為。

でも多分、止められない。







「ルフィ、つまみ食いすんじゃねえ!あ、ナミさあん、お茶はいりましたようんv」

麗しいレディに目を細めつつ、手際よくケーキを取り分ける。
「あー、なんかゾロのがでけえぞ!」
「あ、ほんとだ!ひいき、ひいき!!」
お子ちゃま達が一斉に騒ぎ立てた。
俺はちっと舌打ちして指を立てる。

「いいかてめえら。このクソアホマリモ腹巻は鍛錬ばっかりで必要な糖分を酒でしか摂取してねえ。それに糖分は唯一の頭の栄養だっつーのに、それが足りてねえからアホがどんどん進行してんだ。だから、この俺様が率先してこいつに糖分を供給してやろうって訳だ。な、チョッパー!」
いきなり話を振られて、チョッパーは大げさにばたついた。
「そ、それはそうなんだけど…なんでまた…」
今更とは続けにくいらしい。
俺の目を見て怯えている。

「コックさん、最近妙に剣士さんにサービスがいいわね。食事も和食のものが頻繁に出るし。」
ロビンちゃんが言いにくいことをさらりと言った。
あ、やっぱりとナミさんが続ける。
「と、とんでもない!俺はいつでもお二人優先ですよ!」
慌てて訂正しつつ、俺の手にはできたばかりのザル豆腐が乗っていた。
これから冷やして今夜の酒の肴にするつもりだ。
ふふんとナミさんが鼻で笑って、それ以上は言及しない。
それをいい事に俺はいそいそとその場を立ち去った。


いい天気の甲板に、ウソップ特性の豆腐作成専用木枠を並べて干す。
やべーなあ、レディ達は勘がいいから。
固く絞った布巾を広げて延ばした。
けど、俺にできることっつーと料理しかねえしな。
野郎のハートの射止め方なんてしらねえ。
甘い言葉も賛美も男相手に浮かんでこねえしよ。
ゾロの顔見たら条件反射みてえに悪態しか出てこねえや。
ほんとに俺らはどうやって愛し合っちゃったりしたんだろう。

俺は甲板にヤンキー座りでタバコをふかした。
大体ゾロは、俺のどこに惚れたんだろ。
問答無用で押し倒してきたのはゾロの方だ。
ちゃんと告られた訳じゃねえからなんでその気になったのかは謎のままだけど、確か初めて寝たときは「参った」と云いやがった。
「思ってたよりずっと、めちゃくちゃイイじゃねえか、てめえ…」
確かにそう言った。
ってことは、あいつまた俺に挿れたら、虜になんのか?
一瞬不埒な考えが頭を過ぎる。
だが慌てて頭を振って、布巾で冷や汗を拭いた。

ダメだダメだ。
今は完璧にノンケで俺に興味のねえゾロなんだ。
うっかり迫って嫌われるのはやばいっつーか辛え。
でもどうすりゃいい?
このまま普通に旅して行ったら、またいつか俺に惚れてくれんだろうか。

俺が、俺がゾロにどきゅんとハートを射抜かれたのは、白状すりゃあ初対面からだ。
一目惚れだ。
鷹の目にぶった斬られたあん時から…いんや、俺を馬鹿と呼んでいいのは俺だけだとメンチ切られた時から、もう俺ん中にあいつはいた。
最初に惚れたのは、きっと俺の方からだ。
それからどう接していいかわかんなくて、喧嘩吹っかけたらいい勝負ができて、本気でやりあって楽しくて、些細なところで助けたり助けられたり、目が合って逸らして、二人きりで会話が途切れて…
ゾロの真意がわからなくてやたらとどきどきして、触れられたときはそこだけ火傷しそうに熱かった。

指先に熱を感じてあちっと声を上げた。
ろくに吸わないで短くなったタバコがフィルターを焦がしてる。
俺は布巾で指を冷やしてへらりと一人で笑ってみた。
全部全部、忘れちまったか。
お互い牽制し合うみたいに距離を図って近づいた頃を、戦いの中で背中合わせに得た信頼以上のものを、勇気を出して手を伸ばしたら、受け止めてくれた喜びを。
全部――――

じわんと目頭が熱くなって俺は慌てて汗を拭く真似をした。
いかん、涙腺が緩んじまってる。
ブーツの足音がした。
慌てて立ち上がると、ゾロが上半身裸で汗を拭きながら錘を片付けている。
俺は浮き足立って声をかけた。

「今、冷てえやつ持ってきてやっからな。」
やっぱり俺にできんのは、これしかねえ。
「待てよ。」
けど、ゾロの声が硬い。
俺は嫌な予感がして恐る恐る振り返った。
案の条、なんか怖え顔してる。

「お前、こないだの島からどうも様子がおかしいな。」
おかしいのはてめえだよ。
貰い食いなんかしやがって、馬鹿が。
「なんでそう俺の顔色伺うような面してんだ。てめえらしくもねえ。」
ゾロは吐き捨てるように言った。
苛立ちを隠さない。
「俺の顔ちらちら盗み見やがって、気持ち悪いんだよ。頼みもしねえのに気い遣ってきやがるし。うぜえぞ、普通にしろ。」

そん時の俺の顔は、端から見たらそりゃあ滑稽だっただろう。
愛想笑いを張り付かせたまま、固まってんだから。
あんまりショックすぎてリアクションすら忘れちまって。
俺は全神経を顔に集中させて、なんとか眉を吊り上げて見せた。
続いて口を歪ませることにも成功する。
顎を突き出し、肩をいからせてポケットに手を突っ込んだ。

「あんだとお、この腐れマリモ!誰がてめえに気遣ってるってんだ、勘違いも程々にしやがれ。そんな口は人間になってから叩くんだな、この水生集合体!」
うまく言えたか?
俺はうまく、喧嘩に持ち込めただろうか。
なんとか必死で蹴りを繰り出し刀を避けた。
戦うより何倍も神経を使って必死で罵倒した。
からかった。
挑発してせせら笑った。
暑い甲板で必要以上に身体を動かして、普段の何倍も汗をかいた。
多分その半分は、涙だったろうけど。

状況は振り出しに戻ったわけじゃねえ。
確かに片思いには違いねえが、純粋に恋焦がれてた時とは違う。
想いが通じ合った後の幸せな記憶がある分、今の状況は俺には耐え難い。
もしあの「悪魔の実」が目の前にあったら、俺は迷わず口にするだろう。

「ロビンちゃん、それなあに?」
ゾロに甲板でしたたかに脛を叩かれて、ちょっと足を引きずりながらキッチンに戻った俺の目の前に、件の赤い実がある。
ロビンちゃんは白いハンカチの上にそれを乗せて、2つに割っているところだった。
「あらコックさん。これはこの間の島で手に入れた『自称・悪魔の実』よ。」
…なんで、それがここに。
ロビンちゃんはミステリアスな笑みを浮かべて実の断面を見せてくれた。
「どうやらこの部分から分泌される成分が脳の神経細胞に影響するらしいけど、偽物がやたらと横行しててこれもはたして本物かどうかは怪しいわ。」
食べたらとても強くなれるんですって。
ロビンちゃんの声がどこか遠くに聞こえる。
強くなれるだろうか。
俺も。
「ねえロビンちゃん、これ用がなくなったら俺にくれないかな。」
ロビンちゃんの細長い指がぴたりと止まった。
小首を傾げて少女のような仕草になる。
「コックさん、あなたはこれの作用を知っているの?あなたにとって一番大切なものを忘れてしまう実よ。」
知ってるよ。
だから食べたいんだ。
もうこんな辛い想いは忘れてしまいたい。
「うん、前の島でオバサンに聞いた。だから…」
「あなたは奇跡の海を忘れてしまいたいの?」
俺ははっとしてロビンちゃんの顔を見た。
奇跡の海。
オールブルー。
「あなたにとって一番大切なものはオールブルーではなかったの?」
さも心外という風に、ロビンちゃんが大きな目を見開いている。

そうだ、俺にとって一番大切なものはオールブルーの夢。
なら…どうしてゾロは大剣豪になる夢を忘れなかったんだ?
鷹の目を倒すより、俺のことの方が大切だったのか?
まさかなと首を振る。
俺にとってオールブルーが夢なように、ゾロの夢は世界一の剣豪になることだ。
白い刀に誓った約束は、奴にとって不動なもの。
けどもし今俺が、本物の実を食べたとしたら本当にオールブルーを忘れるだろうか。
答えは否だ。
多分、ゾロのことを忘れる。
食べた人がそのとき一番執着している物事を忘れる。
ならゾロが、俺を想っていてくれた気持ちは今の俺くらい強かったに違いない。
そんな風に愛してた想いを、俺は忘れるわけにはいかねえんだ。

黙ってしまった俺を問い詰めるでもなく、ロビンちゃんは静かにハンカチに赤い実を仕舞った。
「もしどうしてもとコックさんが望むのなら、この実は今あなたにあげるわ。」
俺はゆっくりと首を振った。
「ありがと。でもやっぱりいいや。俺は大事なものを忘れる訳にはいかねえんだ。忘れちまった奴の分まで覚えておく。たった一人でも、辛くても、自分に嘘はつきたくねえからさ。」
ロビンちゃんは何か考えてるみたいにじっと俺を見つめていたが、それ以上何も言わなかった。
相変わらず感情の読めない瞳でやわらかく微笑むだけで余計な詮索はしない。
そんなロビンちゃんに俺は心中でそっと感謝した。





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