愛が呼ぶほうへ 1



空と海が溶け合う狭間に、ぽつんと島影が見えた。
見張り台から身を乗り出して、ウソップが歓声を上げる。

「は〜、やっと見えたぞー。島だ〜〜〜!」
予定より三日遅れて、たどり着いた。
サンジははしゃぐクルー達の背中を見ながら、そっと息をつく。
よかった。
無事にもってくれたぜ。


今回だけはかなりやばい状態だった。
いくら切り詰めて工夫を凝らしても、食材には限りがある。
広大な海の上で食い物がなくなる不安を皆に気づかせないように、極力自然に振舞ったがかなり限界に近かった。

よかった。
マジで、よかった。
火のついていない煙草を噛んで、俯いて口元を緩めていると、いつの間に近づいたのか緑髪の剣士がサンジの腰を抱くようにして寄り添っていた。

「ったく、無茶しやがって。」
サンジが一週間前からろくに食事をしていないことをゾロは気づいていた。
飯を食えと何度怒鳴られたかわからないが、サンジは頑なに拒否した。
自分は飢えに慣れている。
そしてあの孤独と恐怖を、他の誰にも味あわせたくはないのだ。
ゾロの手がジャケットの上から浮き出た腰骨を確かめるようになぞる。
カッコ悪りいから触るなってーか、誰か見てたらどうすんだ。
悪戯な手をはたこうとしたら、耳元で低く囁かれた。
「島に着いたら、ちゃんと食え。」
怒ったような不機嫌な顔。
でも目一杯心配しているんだとわかる。
サンジは手を払うのは止めて、代わりに小さく「おう」と答えた。





■サンジ■
同じ船に乗り合わせただけの即席の仲間だった筈なのに、どちらからともなく俺達は惹かれあった。
言葉にしなくてもなんとなくお互いの視線とか雰囲気とかそんなもので近づいて、今に至っている。
最初はじゃれ合いのようなキスから始めて、お互いの気持ちを言葉で確認して、SEXして、今では俺も後ろだけでイけるほどの快感を覚えた。
ほんとは片時だって離れていられないほどの、いわゆる俺達は愛し合っちゃっているのだ。

「サンジ君もお疲れ様。島ではゆっくり休んでね。」
俺が食事をセーブしていることに薄々気づいていたのだろう、ナミさんは特別に小声でねぎらってくれる。
「ここのログが溜まるのは3日だけど、一杯予算つけるから思いっきり買い溜めしていいわよ。」
「ほんと?やったあナミさん。ありがとうv」
島に着いて一番の楽しみは買い出しだ。
その島独特の食材やレシピ、習慣なんかを市場を回って聞き歩くのが趣味と化している。
それから、ゾロと二人で過ごす夜も。

上陸して直ぐに全員で昼食を済ませ、自主解散となった。
俺とゾロは別々の方向に行くと見せかけて、路地一つ隔てて合流する。
「チェックインにはまだ早いんじゃねえの。」
「うっせえ。俺はもう待てねえ。」
ゾロのストレートな物言いに赤面しつつ、俺も反論はしない。
俺だってほんとはかなり限界だ。
他のクルー達にはひた隠しにしているから、感の鋭いナミさんにだって、二人の関係はバレていない筈。
だから船でなんか何もできない。
すれ違いざまにキスするくらい。
どうしても我慢できなくなったら、きっとお互いを思い浮かべて自分で処理するしかねえし。
だから、毎回上陸は本当に待ち遠しい。
人目を気にしながらも殆ど駆け足で宿に入って部屋にもつれ込む。

シャワーどころか服を脱ぐ手間さえ惜しんで抱き合った。
柔らかなベッドの上で、何度も何度も深いキスを繰り返す。
ゾロが全体重を掛けて圧し掛かってくるからとてつもなく重くて苦しいが、キスの気持ち良さの方が勝っちまう。

「ん・・・ゾロ、ゾロ・・・」
ここなら、声に出して名前が呼べる。
誰に聞かれる心配もない。
自然、鼻に掛かったような甘ったるい声になってるのが自分でも気恥ずかしい。
「畜生っ」
ゾロが小さく呟いて、いつの間にかシャツをたくし上げて身体を撫で回している。
「こんなに痩せやがって。バカ野郎…」
何度も何度も口付けながら、もどかしげにボタンを外す。
服を剥ぎ取ろうとする手を俺は抑えた。
裸にはなりたくない。
薄い肉に浮いたアバラなんて見たら萎えるだろう。
「てめえ、さっきもちゃんと食ってなかっただろ。もっと食え。」
ゾロは俺の抵抗なんてお構いなしに、ほいほい服を剥いでいく。
怒っているのかひどく乱暴だ。
「・・・あ、すきっ腹に、一気に食うと・・・受け付けねん…よ、だから・・・」
ゾロが胸を辿って鎖骨を噛んだ。
痛くて擽ったくて、声が漏れる。

「・・・てめえを骨まで、舐めてえな。」
ゾロの言葉にじんと頭の奥が痺れた。
ゾロの愛撫は俺を隅々まで嘗め尽くす。
愛しくて仕方がないのだと、全身で言ってるみたいだ。
「ゾロ・・・」
性急な愛撫についていけなくて、俺はゾロの髪を掴んだ。
たじろぐ俺を宥めるようにゾロが伸び上がって軽く口付ける。
そのまま鼻や頬や額に唇を落として、ざらりと舐めた。

「てめえの全部を食っちまいてえ。」
耳に熱い息がかかって、それだけで俺は達しそうになった。
「俺も、てめえに食われてエ。」

いつか、命の終わりが来るとしたら―――
ゾロは戦って死にたいと言った。
俺は、ゾロに食われて死にたいと思う。
好きな死に方を選択できるとしたら、迷わずそれを選ぶだろう。


まったりと濃密な夜を過ごして、贅沢にも昼近くまで寝て過ごした。
ゾロとこうなってから、当たり前みたいに繰り返される島での生活。
今回は3日しか時間がないから、少々慌しい。
「ゾロ、俺午後は市場に下見に行くけど、お前どうする。」
「俺は和紙や油を買いてえから、店を探してみる。」
寝そべって煙草を吹かすサンジの背中に、頬擦りするようにゾロがべったり顔をつけている。
一度寝たらなかなか離れない甘えん坊だ。
「そっか、迷子にならないように帰って来いよな。拾い食いするなよ。」
「アホか。」
俺の背中に軽く歯を立てて、それから覗き込むようにキスをする。
ほんとはずっとこうしていたい。

二人で遅い昼食を取って、宿の場所を懇切丁寧に覚えこませて一旦別れた。
俺は市場へ。
ゾロは店を探しに。
また今夜なと、別れ際にゾロが軽く口付ける。
公衆の面前でこっ恥ずかしいことすんじゃねえと軽く蹴りを入れて、俺はそっぽを向いた。
ゾロが笑いを残して立ち去っていく。

まさかそれが、ゾロとの永遠の別れになるなんて、俺は思いもしなかったんだ。







市場をぶらつくだけで珍しい食材がやたらと目についた。
この島は年中温暖な気候で、島独特の特産品が豊富なのだという。
気の良さそうなオバサンと話し込んで、得意のレシピなんかを聞き出した。

並べられたお買い得品の棚の隅に「新・悪魔の実」なんてラベルが張ってあった。
見た目にはとても悪魔の実とは似ても似つかない、よくある小さな赤い木の実。
「これって、悪魔の実?」
値段もチープだし、バッタモンだろうか。
「ああそりゃあね。悪魔の実とか言ってるけど、世間で言うような奴じゃあないんだよ。しかもそれは偽モンだしねえ。」
売主なのにそんなことを暴露してころころと笑う。

「この島で言う悪魔の実ってのは、とてつもなく強くなる禁断の実さ。けれどそれを食べると大事なモンをなくしちまう。大事なモンをなくすから強くなれるってこと。」
「はあ。」
意味が良くわからない。
「その実はそれの似せ物だよ。食べると物忘れがひどくなるってエ、厄介だけど使いようによっては便利なんだ。しかも効力は1日しかないから悪戯なんかに良く使われるよ。」
便利だか不便なんだかわかんない木の実だなあ。
「もしその本物の実を食べたら、どうなんの。」
「忘れちまうのさ。ただ一つ、一番大切なものをなくしちまう。」
オバサンはそう言って、又ころころと笑った。


その日の夕方、俺は夕食を片手に部屋に戻った。
ゾロはまだ帰ってきていない。
迷子になってなきゃいいけどな・・・
一抹の不安が胸を掠めたが、何とか匂いでも辿って帰ってくるだろう。
ふんふんと鼻歌混じりで買ってきたものをテーブルに並べていると、聞き慣れた靴音が聞こえた。
おし、ちゃんと帰ってきやがった。
ノックもなしに扉を開ける音に満面の笑顔で振り返る。

「おう、思ったより早く帰ったな。」
俺の言葉にゾロは驚いたような顔で固まっていた。
「おい?」
突っ立って反応のないゾロに、俺も目をぱちくりさせるしかない。
「どうしたんだ。入って来いよ。」
呆けたような表情は、次に剣呑なそれに変わる。

「クソコック…てめえなんで俺の部屋にいやがる。」
「あ?」
今度はこっちが呆ける番だ。
こいつ何言ってやがる?
「今朝俺はこの部屋から出てったし、間違いねえ。ここは俺のねぐらのはずだが…」
そこまで言って、テーブルに並べられた食事に目をやった。
「お前と一緒に、飯を食うのか?」
俺は心底びっくりして声も出なかった。
ゾロは何を言ってる?
まるで他人でも見るような目で。
いや他人だけど、なんかほんとに・・・
ゾロはきょろきょろと部屋を見回して、益々眉を顰めた。
「俺の部屋だろ。ベッド一つしかねえじゃねえか。」
そりゃあ連れ込み宿だから・・・
言いかけて、俺は口を噤んだ。
ゾロの態度はからかっているとも思えない。

「お前、今日なんか変なモン食ったか。」
ごくりと唾を飲み込んで、恐る恐る訪ねる。
「変なモンって・・・」
「例えば、こんくらいの真っ赤な実の覗いた木の実とか・・・」
ゾロがん?と首を傾げた。
「そういやさっき、山ん中歩いてたら・・・」
「店探しに行って何で山ん中歩くんだよ!」
「知らねえよ。気が付いたら山ん中にいて、しょぼくれた爺さんが蹲って座ってたんだ。足挫いたとか言って。そんでそいつ背負って家まで送ってたら、爺さんそりゃあ喜んで・・・」

『これをやろう。あんたがとてつもなく強くなれる、魔法の実だ。』
『そんなモンいらねえよ。俺は自力で強くなる。』
『そう言わずに食ってみよ。迷いも煩悩もなくなる。すべてを捨て去る、魔法の実さ。』
爺さんはボケているのかゾロの手を離そうとはしない。
ゾロは仕方なく、その小さな木の実を口にした。


ゾロの目の前で、自分の顔が見る見る青褪めるのがわかった。
大切なものを忘れる実。
もしも、もしも本物だったら・・・?
「ゾロ、俺が誰だかわかるか?」
俺の間抜けな問いにゾロはバカを見る顔をする。
「クソコックだろうが。」
「じゃあ、GM号には他に誰が乗ってる?」
「何言ってやがる。ルフィにナミに、ウソップにチョッパー、そしてあの女だ。」
「だよなあ。じゃあお前なんでこの宿に泊まってっかわかるか?」
「寝るためだろ。」
「誰と?」
「一人でだろが。」

がつんと、後頭部をハンマーで殴られたような衝撃を受けた。
ゾロは、俺との関係だけを忘れている。
つまり俺への愛情がすっぽり失われてしまった。
なんてこった―――
俺は眩暈を感じて一歩下がった。

あんなこともこんなことも、きっと多分すべて忘れちまったんだ。
今俺を見るゾロの目を見ればわかる。
何言ってんだと、軽蔑の混じったまなざし。
愛情なんてかけらもない、他人を見る目。

―― 一番大事なものを忘れちまう――

考えようによっては、ゾロにとって一番大切だったのは自分への想いなのかと、変に嬉しい心地もする。
だがそれより、もしゾロが口にした実が本物ならば、こいつはもう俺を愛してないってことで…
あの熱い口付けも、優しい言葉も、激しいSEXも、これから一切なくなっちまう。
「冗談じゃない!」
俺は声に出して叫んだ。
全身の血が沸騰しそうだ。
「クソ!ゾロ、俺は出かけてくる。てめえはこれ食って待ってろ!」
「何でてめえを待ってなきゃいけねえんだ。ここは俺の部屋だろが。」
ゾロの声を半分も聞かず、俺は部屋を飛び出した。


すっかり日が暮れて、店じまいを始めた市場の中を全速力で駆け抜ける。
幸いあの時のオバサンはまだ片付けの途中だった。
「マダム、昼間の悪魔の実もどきの話を・・・もっと詳しく教えてください!」
血相変えて駆け込んできた俺に驚いて、それからその金髪に見覚えがあるのかまたカラカラと笑った。
「ああ昼間の兄ちゃんだね。なに、あんなにあの実が気に入ったの。」
「違うんですけど、その・・・もし本物の実を口にしたら、大事なものを忘れるとかいったでしょう。あれ、どのくらい忘れるんですか。」
咳き込んでどもりながら、何とか言葉を伝える。
「ああ、一度忘れたらそれっきりさ。二度と思い出すことはない。なかったことになるんだよ」
「なかった?」
「そう最初から何もなかったこと。食べた本人にとってね。」

あのゾロとの愛の日々が何にもなかったことになる?
訳もなく喧嘩吹っかけてみたり、視線がやたらと合って戸惑ったり、初めて触れてときめいたりした気持ちも全部―――
「その記憶、もどんねえの。もう二度と?」
「綺麗さっぱりなくなっちまう。だから強くなれるってんだよ。失って怖いものはなくなるから。怖いもの知らずさ。」

ガーンと頭ん中で効果音が響いた気がした。


それからどこをどう歩いたか覚えてないが、気がついたら宿の前に立っていた。
どうしよう。
ゾロが食った実は、偽者かもしれない。
偽者なら効果は1日だといっていた。
でももし本物だったら・・・
サンジはふるりと頭を振って、部屋に戻る。
荷物が置きっ放しだから仕方がない。
軽くノックして扉を開けるとゾロは大の字に寝っ転がって酒をあおっていた。

「なんの用だ、クソコック。」
やはり声が冷たい。
俺はうな垂れながらクローゼットを開けた。
「俺の荷物が入れっぱなしなんだよ。貰ってく。」
何でだという顔でゾロが見てる。
ゾロの記憶がどんな風にまとまっているのか、俺の方が知りたいくらいだ。

「昨夜俺は酔っ払って荷物をてめえに預けたんだよ、悪かったな。俺の部屋に帰るから。」
俺の苦しい言い訳にもゾロは頓着せず、ああと気のない返事だけ返した。
部屋を出て扉を閉める間際、ちらりと未練がましく振り返る。
ゾロは寝そべってもう俺を見ていない。
鼻の奥がじんとして、俺は顔を伏せて扉を閉めた。


俺達は愛し合っていたんだよ。







ゾロの無骨な手に髪を梳かれるのが好きだった。
直ぐ間近で見つめる目は柔らかく細められて、口元には笑い皺ができていた。
夢中になると力のセーブができなくて、みしりと骨が鳴ると慌てて身体を起していろんなとこを撫でたり摩ったりして・・・
引っ付いたら離れなかった。
子供みたいに甘えてくることもあった。
大型の肉食獣に懐かれてるみたいで、俺は調教師かよと言ったらじゃれて噛み付いてきた。

とぼとぼと、いく当てもなく街を彷徨う。
これから宿を探さなきゃ。
今夜から、一人で眠るのか。
昨夜はあんなに幸せだったのに。
また今夜って言ったのに。

ほろりと、瞬きしたら何かがこぼれた。
後から後から沸いてはこぼれる。
俺は俯いたまま、顔をぬぐいもしないで夜の道をひたすら歩いた。




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