あるひあひる旅   -1-



ゾロたちが暮らす沿線添いより少し離れた郊外に、巨大なスーパーセンターがあった。
なにがスーパーなのかというと、広大な店舗の中になんでも揃っているところだ。
しかも安い。
なにもかもが異常に安い。
昔ながらの商店街で惣菜屋を営むサンジ(もはやバイト扱いではなくなっている)にとって最大のライバルとも言える存在だが、日用品を安く購入できるため過剰に敵視することもなく、むしろ無頓着かつ適度に利用していた。

そのスーパーセンターでは8月に「夏のお客様感謝プレゼントキャンペーン」なるものを開催していたらしい。
買い物をするごとにレシートと一緒に応募葉書が配られ、それにせっせと住所氏名を記入して店内の箱の中に投函する。
イベントごとが大好きなサンジは、いつもマメに葉書を貰ってきてはせっせと書いて投函していた。
そうするのが義務みたいに、機械的作業でそれでもウキウキとやっていた。
何が当たるかまでは予想もせず期待も寄せず、ただゾロと自分の名前を書いて住所を書いて投函すること自体が非常に楽しい作業だったようだ。
そうして、キャンペーン応募の期間も終了しいつものただ買い物するだけの日々が戻ってきて1ヶ月後―――
ゾロの部屋に、DMに紛れて「ロロノア・サンジ様」宛ての封書が届いた。
「ご当選、おめでとうございます」の文字と共に同封されていたのは「日帰り旅行招待状」

「やった、届いた!つか当たったぞ、ゾロっ!!」
封筒を片手に文字通り小躍りするサンジを、ゾロはぽかんと口を開けて見上げた。
「それはいいが、おたまを置いてから飛べ、汁が散ってる」
「いやーごめんごめん、あ、熱くなかったか?」
頭から軽く味噌汁を振りかけられたゾロの、頬に付いた飛沫をさりげなく舐め取ってスライディングするみたいに目の前に正座する。
つか、今なにをしたお前。
「いやー当たるもんだなあ。金額に関係なくホイホイ手渡される応募用紙だからさ、しかもみんなその場で書いては箱に入れてたからもんのすごい競争率だと思ったわけよ。だから、絶対当たんないと思ってたのにさあ」
まだおたまを手放さず、片手に握ったまま封を開け3つに折り畳まれたパンフレットを広げた。
「なになに、あー当たったの俺だけだ。せっかくゾロの名前も書いたのに」
なんだと?
「コースが2つ、あっ日にちが選べる。お昼も、特選コースって選べるんだ、へー」
どれに行こうと、すでに行く気満々のサンジの手からとりあえずおたまをもぎ取ったゾロは、塩気が付いた頭をタオルで拭きサンジの前に座り直した。
「お前、一人で行く気か?」
「だって折角当たったんだもの。それにお前バイトあるだろ」
いやいやいや待てちょっと待て。
別に旅行に行くのを咎め立てはしないが、一人歩きは感心しない。
「当選した本人じゃないとダメなのか」
「ん、実費払ったら同行できるぜ。一人9800円」
おのれ、足元を見よって!!
「いつの日にちがあるんだって?」
「ん?ゾロも行くの」
サンジは意外そうに目を丸くして、それからふにゃりと笑った。
「嬉しいなあ、俺こういう旅行に行ったことねえのに、ゾロも一緒だとめっちゃ嬉しい」
そんなこと言われて、行かない奴がいたらお目にかかりたい。
行くとも、這ってでも行くとも!
「てめえ一人じゃ心許ねえ。しょうがねえからついてってやる」
仕方なさを前面に押し出して言ったつもりだが、ゾロの目尻が別人のように脂下がっていたので、サンジは面白そうに目を輝かせてもう一度その目元をぺろりと舐めた。


人生賭けて恩返ししろと、客観的に見てプロポーズのような台詞を吐いて熱く抱き合ったのは7月の終わりごろだったか。
あれから3ヶ月あまり。
あひるとの二人暮らしは慎ましくもささやかに幸せで、平穏な日々だ。
サンジは風呂こそ一緒に入ってくれないがそれ以外はいつもニコニコと楽しそうに過ごしているし、ゾロが出掛ける時に両手を広げると中に飛び込むようにしてハグしてくれる。
背丈が同じくらいだから自然と顔も重なって、頬や額に唇を付ける動作もかなりお気に入りのようだ。
ゾロのでこがいい、と臆面もなく言い切って暇さえあればちゅっちゅしている。
それでいて唇を重ねるのはまだだったりするから、我ながら奥手と言うか初心と言うか、もどかしく思う反面ずっとこのままでもいいような複雑な男心だったりする。
なにせサンジが、いつも嬉しそうなので。
ゾロと二人で暮らせることだけで、とても幸せそうなので。
それ以上求めてはいけないような、求めなくてもいいようなそんな気分にゾロまでがなってしまっていた。
サンジと二人で暮らせることの充足感は、ことほどさように強くて大きい。

そんな訳で、平々凡々生活に突如降って湧いたような日帰り旅行のお誘いだった。
サンジは元あひるだけあって、知識に乏しく一般常識に欠ける。
こんなのを一人歩きさせては、いつ尻尾を出すかわからない。
と言うか、文字通り尻尾(尾羽?)があるから、うかうかと人前には出せない。

ゾロの切なる願いが聞き届けられてサンジはめでたく人間に戻ったが、やはり尾骶骨に真っ白な羽毛が生え残っていた。
日帰り温泉旅行ではないから、そうおいそれと人の目に触れないとは思うけれど、あひるの生涯の番と自覚したゾロにとっては心配の種だ。
正直、目離しならない。
故に、9800円の出費は痛かったが旅行に同行することにした。
ゾロのバイトの都合上平日参加となったが、学業は二の次だから問題ない。

「嬉しいなゾロと旅行だ」
二人で出掛けるという事実にのみ着目していて、目的地を確認するのを忘れていた。
ゾロもちゃんとパンフレットに目を通せば、工場見学やらドライブインで食事やらの後、大きな神社の参拝があった。
どうやらここが、メインらしい。
「神社の近くにおでかけ横丁とか、お参り町とか店がいっぱいあるみてえ、なんかすげえな」
サンジは目をキラキラさせて、同封されたパンフレットを食い入るように見ている。
そんなサンジを見ている方が余程面白いと、ゾロも食事そっちのけでサンジの横顔を見つめていた。
「な、昼食は特選コースってのがあるぜ。前もって追加料金で注文するとグレードアップするみてえ」
「いくらだ?」
「2000円」
「却下、普通ので充分だ」
ちえっと可愛く唇を尖らせて見せても、その辺りは譲れない。
これ以上散財しないぞと心に決めて、ゾロもらしくなく浮かれた気分でサンジとパンフレットを交互に眺めた。



        *  *  *



「晴れたー!」
旅行の申し込みをして更に1ヶ月あまり、いよいよ当日がやって来た。
サンジの祈願が叶ったか、どこかにいる鳥の神様の計らいか、見事な秋晴れで旅行日和だ。
天気はいいが放射冷却で冷え込んで、吐く息は白い。
6時半出発で早々と待ち合わせ場所に着いたつもりだったが、もう多くの参加者がバスに乗り込んでいた。
大方の予想通り、9割が妙齢の女性達だ。
大抵友人同士か夫婦連れで、一人参加もチラホラと見受けられる。
親子連れが辛うじて平均年齢を下げているといったところか。

「おはようございます」
元気溌剌とした若い添乗員が、名簿を捲って案内した。
「ロロノア・サンジ様ですね。乗車口にお名前が表示してありますので、そちらのお席にどうぞ~」
日帰り団体バス旅行で若い男の二人連れは、正直悪目立ちしている。
けれどサンジはまったく頓着していない。
「俺、窓側の席ね」
嬉々として座り、曇った窓ガラスをティッシュで拭いている。
何度拭っても表の気温と違いすぎて、景色はよく見えそうにない。
「これからお名前の確認をさせていただきます、なんでもいいので身分証明になるモノをご提示ください。同行の方はこちらで参加費を徴収させていただきます」
実はサンジの健康保険証は、ちゃんとある。
ゼフの元に身を寄せていた時、どういう手段を使ったかは知らないがゼフとの間できちんと養子縁組を済ませてあった。
だから堂々と身分証明として保険証を提示できたのに、なぜか今回の申込欄にサンジは「ロロノア・サンジ」と書いたため、名前の正誤性が取れなくなってしまっていた。
なので、苦し紛れに商店街のカードを提示した。
こちらは「ロロノア・サンジ」名義だ。
サンジはその出自が特殊故か、一緒に暮らす人の苗字を名乗るものだと思い込んでいるらしい。
別にゾロだって「ロロノア」を名乗られて悪い気分はしない。
寧ろ早いとこ就職して経済力を得て、サンジと養子縁組を済ませたいと思っている。

「お昼ご飯、特選コースの方もこの場で徴収させていただきます」
2000円を支払う人をサンジは羨ましそうな目で見ていたが、それには気付かないふりをしてゾロは旅行のしおりを眺めた。
結構な移動距離で、帰りは一番遠い場所から直帰コースだ。
「帰りの予定時刻は8時となっておりますが、渋滞や事故等で遅れが生じる場合がございます。お夕飯代わりにお弁当のお申込を受け付けております」
なんと、今度は夜用の弁当注文書が回ってきた。
希望すれば注文書に代金を添えて添乗員に手渡す。
すると帰りのバスに弁当が届くというシステムらしい。
「注文する?」
「いらん、どうせ帰りにトイレ休憩でパーキング入るだろ、そん時なんでも食えばいい」
これ以上ガンとして財布の紐は緩めないぞと、固い決意で望むゾロにサンジもそれ以上おねだりするのは諦めたようだ。
すると続いて、お土産注文書が回ってきた。
「前もってご注文いただきますと、お参りのあとバスのお座席に届くシステムになっております。これから立ち寄るドライブインなどで実物をご覧になり、お値段も見比べてご利用ください」
お土産一覧表には、正規の値段と購入特別価格が載っていた。
これはまた、よくできている。
「わー、どれにしようかゾロ」
「土産なんかいるのか?」
「うん。だってウソップだろ、総菜屋のおじちゃん夫婦だろ、コンビニのおっちゃんに管理人さん」
「今日、行くって知ってるのか?」
「うん、嬉しくてみんなに言った」
ゾロは俯いてこめかみを押さえた。
招待旅行だから、実費を払って同行するゾロはともかく当選したサンジは基本、すべてがタダだ。
けれどこうして夕食代やら土産代やら、なにやかやと注文していくと結局出費することになるではないか。
まったく、よくできたシステムだ。
「ともかく数は最低限で、ドライブインに寄った時によく見比べて一番安いのにしろ」
「わかったー楽しみー」
能天気に注文書を眺めるサンジを置いて、ゾロはバスが動き出すと共に自動的に瞼を閉じてしまった。



そこからほとんど、目的地に着いたら起きて歩き、バスに乗ったら寝るを繰り返していた。
ゾロだって旅行に出かけるなんて修学旅行以来のことで、できたら道中も楽しみたいがどうしても上瞼と下瞼がくっ付きたがる。
今日の日のためにバイトを調節し、明け方までレポートを書いていたから仕方がない。
サンジはそんなゾロの事情を知っているせいか、さほど文句もつけず一人で楽しんでいた。
曇りガラスを何度も拭いて景色を眺め、座席越しに他所のオバチャンと話をしたり飴を貰ったり。
トイレ休憩ごとに律儀に起こし、寝惚けたゾロとサービスエリアを歩くのも実に楽しそうだ。

工場見学に、ドライブインでの食事とショッピング。
昼ご飯は特選コースでなくとも充分に腹が満ちた。
土産物売り場で注文書と同じ商品を探し出すのはゲームのようで楽しいと、サンジが屈託なく笑う。
その頃にはゾロの目も覚めていて、2人であれでもないこれでもないと広い売り場を一頻り廻った。
つい試食に手を出してはアレが欲しいコレがいいと言い出すサンジを宥めすかし、それでも結局8割は折れて土産物を買い込んだ。
袋をいくつも抱えながらバスに戻るゾロは、なんでこうなるまだ寝惚けてのか俺!と自分を叱咤することしかできない。


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