あるひあひる旅   -2-



最大の目的地である神社に到着したのは、午後1時半過ぎだった。
活動するのに丁度いい時間帯だ。
ゾロの目もしゃっきりと覚め、狭い場所に座り続けて鈍った身体を動かしたくてウズウズしている。
「まずお参りだよな、ご挨拶しねえと」
バスの中で正しい参拝方法を習ったサンジは、早く神社なる場所に行ってみたくて落ち着かない。
「出発は3時10分です。3時10分までに、このバスまで戻ってきてくださいね」
単純計算で1時間半はあると、余裕でバスを降りた。
砂利が敷かれた参道を、他の参拝客に混じってゆっくりと歩く。

「お参りしたら、店をぐるっと見てみてえ」
「おう、まずは参拝からな」
サンジは軽い足取りで大きな反り橋を珍しげに渡り、杉の巨木を仰ぎ見て、道行く多くの観光客をキョロキョロと眺め回した。
なにもかもが珍しくて、楽しくてしょうがないといった風情だ。
そんなサンジの後ろをついて歩いていたゾロが、ふと違和感に気付く。
尻に尾羽が生えているのを目撃されて以来、もう誤魔化す必要はなくなったと、サンジはふわもこパンツを封印した。
ボクサータイプの下着を愛用することでぴったりとしたジーンズも履けるようになり、お洒落の幅も広がったと喜んでいた。
確かに、きゅっと締まった小尻にスリムジーンズは大変よく似合っているが、いまゾロの視線はまさにその部分に釘付けである。

目の錯覚か気のせいでなければ、サンジの腰が動いている。
くなくな揺れているのではなく、尻の上部分だけがジーンズ越しにもこもこと動いているのだ。
普通に歩いている分には、ぱっと見わからない。
だが「あれ?」と違和感に気付いてしまうと、そこから目が離せない。
ピタッとしたジーンズの、尻の上だけもこもこピヨピヨ・・・
これはあれだ、服の下で尾羽がぴるぴる動いているのだ。
嬉し過ぎてはしゃぎ過ぎて、自然と尾羽が立ち上がり跳ねている。

「―――――・・・」
ゾロは無言で早足になり、サンジの真後ろにピタッとくっ付いた。
ただならぬ気配を感じ、サンジは首だけ傾けて振り返る。
「なんだ?」
「や、なんでもねえ」
「なんでもねえって、くっ付きすぎじゃね?」
「そうでもねえ」
噛み合わない会話を続けつつ、あんまり前後にくっ付いて歩くのも不自然だ。
ゾロは仕方なくサンジの腰に手を掛けて横並びになった。
これはこれで、思い切り腰を抱いたポーズになるが、止むを得ない。
「なに、迷子になりそうなのか?」
混んでるからなーと、サンジも手を伸ばしてゾロの腰を抱き寄せる。
誤解だと思ったが、うまく説明できそうにないからゾロは黙って寄り添って歩いた。


「心の中で住所と名前をちゃんと唱えて、お願いしないといけないんだぞ」
そうでないと、どこの誰のお願いだかわかんないから〜とガイドの受け売りを得意げに話す。
そうして生真面目な顔で階段を昇り、二礼二拍手して目を閉じた。
合わせた指先に額を付けるようにして、熱心に祈りを捧げる。
その横顔があまりに真剣だったから、普段は神頼みをしないゾロもついつられて神妙に手を合わせた。

ふっと吐息をついて、サンジが顔を上げる。
身を翻し階段を下りる背中を追って、ゾロも足を踏み出した。
砂利を踏みしめながら、来た時と同じようにお互い腰に手を回し寄り添って歩く。
「なに、祈ったんだ?」
「あー?んなの、口に出したらダメだろ」
唇を尖らせて振り返り、ふっと微笑んだ。
「多分お前と、同じだよ」
「―――・・・」
言ってから、はにかむように前に向き直ったサンジに、ゾロは顔を寄せた。
「そうだな、同じだ」
柔らかな金髪から覗く耳が、ほんのりと赤く色付く。
舐めたいな、と唐突に思ったが、自制するだけの分別は持ち合わせているから何食わぬ顔をしてゾロも前を向いた。
一緒に暮らして数ヶ月経つが、明確に欲を感じたのはこの時が初めてだった。


鳥居を潜り門前町へと繰り出すと、道幅が狭くなった分人混みが激しくなって、ゾロは自然とサンジの腰から手を離した。
これくらい混んでいれば、尾?骨のぴるぴるも気付かれまい。
サンジはもう連なる店に夢中で、あっちこっちと目をやっては立ち止まり行きつ戻りつを繰り返す。
「ゾロ、ぜんざいだって」
「ちと寒いし、あったまるか」
「ゾロ、豆腐ドーナツだって」
「コーヒーも飲みてえな」
「ゾロ、立ち飲みだって」
「お」

両サイドに誘惑が多過ぎるおはらい町は、数歩歩く度に暖簾を潜って長居してしまう。
丁度おやつ時で、昼ごはんも並の量だったから小腹は空いていた。
特に酒屋のカウンターは少量ずつ飲み比べられて、ゾロにはうってつけだ。
「この酒が気に入ったな」
「そんなに高くねえぞ、買って帰るか」
「いま買うと荷物になるだろう、帰りにしようぜ」
暖簾を潜って表に出たら、同じツアーのおばちゃんが通り掛かった。
「あら、いいお酒あった?」
「ええ」
ソツなく答え、通りを歩く。
向かい側から、やはり同じツアーのおじさんが歩いてきて擦れ違った。
「ゾロ、牛肉コロッケだって」
「―――・・・」
ゾロはふと足を止め、懐から携帯を取り出した。
やたらとツアー客と擦れ違うから、嫌な予感がしたのだ。
「あ」
「なに?」
立ち止まったゾロに合わせるようにして、サンジも足を止める。
「今、2時56分」
「―――・・・」
俄かには理解できなかったらしく、サンジは?マークを表情に浮かべている。
「集合は3時10分」
「・・・げ」
一気に青褪め、あわあわと口を開け閉めした。
「嘘だろ」
まだメインのおでかけ横丁に辿り着いてもいないのに。
「時間切れだ、帰るぞ」
「い〜〜〜や〜〜〜だ〜〜〜〜」
サンジの叫びも虚しく、そこで観光はタイムアウトとなった。


一体いつの間にこんなに時間が経っていたんだ?と驚愕したのは、ゾロも一緒だった。
感覚的にはまだ相当余裕があると思っていたのに、すでに予定の1時間半が過ぎようとしている。
考えてみれば神社への道のりは結構あったし、門前町の入口あたりで既に何軒か梯子をしてしまっていた。
そう分析しても、後の祭りだ。

「い〜や〜だ〜〜もっといる〜〜〜」
サンジはゾロにズルズルと引き摺られながら、何度も名残惜しげに振り返った。
「お団子ーコロッケー地ビールーケーキー天ぷらーお抹茶ー焼き栗ーういろー組紐屋に招き猫ー・・・」
往生際悪く未練たっぷりに呟くから、ゾロの胸までチクチクしてしまった。
なにせ本当に楽しみにしていたから。
ここも行くんだあそこも行くんだと、パンフレットを広げてチェックしてニコニコしていたのに。
まさか、目的地に辿り着く前に時間切れとはゾロでも想定できていなかった。
「・・・お参り、しない方がよかったか」
「んな訳あるか」
くわっと、噛み付く勢いで振り返る。
「神様にご挨拶しないでお邪魔できるか、お参りは外せねえ!」
「だよなー」
そうすると、やはり絶対的に時間が足らなかったのだ。
「仕方ねえ、諦めろ」
「う、ううう」
まさか、もっとここで遊んでたいんで置いてってください、とは言えない。
だがサンジの無念もわかる。
肩を落としてショボショボと駐車場に向かう後ろ姿は、哀愁に満ちていた。
あれほど案じた尻のモコモコもまったく見えない。
と言うか、明らかにションボリしている。
落胆のあまり、尾羽もぺったり寝てしまったのだろう。

「また、来るか」
ボソッと呟いたら、すごい勢いでサンジが振り向いた。
「なんだって?」
「・・・また、来たらいいだろうが。いつか」
なぜか窮地に立たされた気分で、ゾロは声を潜め言い返した。
「来ようと思って来れない距離じゃねえ、一泊二日とか、自分で時間とって・・・」
途端、ぱああっとサンジの表情が輝きに満ちた。
まるで、驟雨に煙る山波にぱかっと雲が割れて、光が差し込んだようだ。
明るくて優しくて、眩しい。
「そうか、そうだな。いつか来れるよな」
しかもお泊りで―――
そう呟き、あらぬ方向を見つめながらうっとりと夢見るように目を細めた。
「いいなあいいなあ、楽しみだなあ」
「言っとくが、『いつか』だぞ」
「わかってるって、てめえは約束破らねえって知ってるし」
釘を刺された気がする。
でもまあいいかと、ゾロも柄にもなく浮き立つ気分でバスに乗り込んだ。

神社からもう一箇所、立ち寄ったのは水産物販売店だ。
サンジは「ここに寄るならさっきの場所でもっと時間とってくれればよかったのに」とブツブツ文句を言っていたが、店に入ってしまえばすぐに夢中になって見て回る。
結局ここでも希望の6割が通って、あれこれと買ってしまった。
そこからは一直線で、帰路に着く。
途中2回ほどトイレ休憩に立ち寄ると聞いていたから、ゾロはまた座席に身を沈めて目を閉じた。
それからたっぷり高速を2時間走って、ようやく1度目の休憩に入った。
さすがにサンジも帰りは疲れたのか、ゾロの隣でぐっすりと眠ったようだ。
首が痛いとコキコキ回しながら伸びをしている。

「順調に走っておりますので、あと2時間ほどで帰着します。トイレ休憩はこの1回のみとなりますので、こちらで必ずおトイレを済ませておいてください」
添乗員さんは可愛い顔をして容赦ない。
帰着が8時になるのに、トイレ休憩は20分だとか言う。
これでは、ゆっくりと夕ご飯も食べられないではないか。
やはり、最初の誘惑に負けて晩飯用の弁当を注文しておくべきだったか。
「ゾロ、腹減った」
「SA行きゃ、なんとかなるだろ」
急いでトイレを済ませ売店に入るも、驚くことに食べもの関係は食堂にしかなかった。
SAだったらご当地グルメとか、せめてみたらし団子くらいあるだろうに。
「うどんは、昼に食ったしな」
「バスに乗って食べられるもんがいいな」
そうは言っても、ないものは仕方ない。
ただ、SAにはコンビニが併設されていた。
そこに行けば、一応は何でも揃っている。
「バス旅行で高速乗ってて、なにが嬉しくてコンビニで食いもん買う羽目になるんだか」
さすがのゾロも少々ボヤき、羨ましそうに食堂の中を眺めるサンジを引っ張ってコンビニに移る。

誰もが考えることは一緒なのか、コンビニはツアー客でごった返していた。
サンジは、よほど未練が残ったのかコロッケと、それから甘いものが食べたいとあんまんを頼んだ。
ゾロも適当に頼み、レジで会計する。
「からしはお付けしますか?」
店員がホカホカのあんまんを袋に入れながらそんなことを尋ねるので、ゾロは一瞬いやな予感がした。
「それ、あんまんですよね?」
念のため確認すれば、店員は途端に曖昧な表情で首を傾げた。
「は、い・・・そうで、す?」
なぜ語尾が疑問系なのか。
確かめてもらいたいが、後ろは列を成している。
もういいよとサンジも横から口を挟んだので、そのまま会計を済ませコンビニを出た。
「や、あんまんにからしは普通、付けねえだろ」
「わかんないぜ、もしかしたら今のトレンドかもしんねえ」
走り出したバスの中で早速コロッケを食べつくし、あんまんに齧り付いたサンジは絶望のうめき声と共に顔を顰めた。
「・・・肉まんだ」
「やっぱりか」
最後の最後に、裏切られたか。
ゾロまで一緒に暗澹たる気持ちになった時、添乗員が「ここからはDVDを流しますねー」となにやらセットした。
バス前方の画面から、軽快な音楽が流れ出す。
ちゃーちゃーちゃらっ
日常に潜む謎や疑問を次々と解決する番組が始まった。
先ほどまでションボリしていたサンジの目が釘付けになり、数分後には腹を抱えて笑い出していた。
結局その後、バスはノンストップで走り続け、予定より10分早くの帰着となった。


   * * *


「楽しかったなー」
サンジはそれから、ことあるごとに日帰り旅行を思い出しては幸せそうな溜息を吐く。
いつかまた行こうな、の「いつか」は具体的に決まっていないけれど、その日を夢見て500円玉貯金を始めた。
早く缶いっぱいにしたくて、サンジはせっせと500円玉を集めては入れている。
今夜も、土産物屋で買ってきたアサリのふっくら煮で炊き込みご飯を作ってもう何度目かになる旅の思い出に花を咲かせた。
そうして最後は、いつもサンジの同じ台詞で締められる。

「お前と一緒に行けるなら、角のコンビニでの買い物だって楽しいぜ」
それはゾロも一緒だ。


End