R先生の些細な道楽3 -6-






あまり眠った気がしないままに、朝を迎えた。
だるい身体を叱咤しながら定刻どおりに起床して、身支度を整える。
着替える前に、一瞬躊躇ってしまった。
すでに普通の衣服を手に入れているのに、敢えてメイド服に袖を通す意味はあるのか?
これでいつもどおりメイド姿になったら、明らかに喜んで着てるコスプレマニアになってしまうのではないか。
しばらく下着姿のまま逡巡していたが、結局メイド服を選んだ。
なんのかんの言って、自分はまだこの家の家政婦。
ユニフォームで通すのが筋だろう。


エプロンの紐をきゅっと締め、台所に立つ。
先生は一度眠ってしまったら梃子でも動かせないため、まだ居間で寝ているはずだ。
朝食の準備ができたら起こしに行こう。
そして、昨日の話の続きをしよう。





味噌汁を作り、だし巻きを焼いて和え物を添えた。
魚は先生を起こしてから焼いた方がいいかもしれない。
起こしに行ってから実際に起きてくるまで30分以上のタイムラグがあるから、温かいものを出すタイミングが
結構難しい。

エプロンを外して居間の襖をそっと開けたら、予想に反して先生はすでに起き上がって布団を畳んでいた。
びっくりして佇むサンジに柔らかな笑顔を向ける。
「おはよう、今日もいい朝ですね」
「お、おはようございます」
珍しいですねとか、どうしたんですかとか、口をついて出そうになった。
サンジが起こす前に起きた先生を見るのは、この家に来てから初めてのことだ。
「いい匂いがしますね。顔を洗ってきます」
サンジに促される前に、ぼさぼさの寝癖頭のまま洗面所へと足を運ぶ。
その後ろ姿を見送ってから、サンジは慌てて台所に舞い戻った。











「昨日は遅くまで起きていたのに結局何も食べてませんでしたから、腹が減って目が覚めました」
「そうでしたね。すみません」
「謝ることではないですよ」
ずず、と味噌汁を啜って、おしんこを摘まむ。
「それより先に眠ってしまいましたね。クラハドールさんにも失礼なことをしました」
「お話が終わったら、すぐにお帰りになりましたよ」
「そうですか」
さくさくと食の進む先生を、サンジは湯飲みを手にしたまま途方に暮れたような顔で眺めている。

「先生、昨日の話なんですが」
「はい」
「俺に、家族がいることがわかりました」
「ほう、そうなんですか」
茶碗で顔半分を覆い隠して、眉を上げてみせる先生の表情が癇に障った。
「それに俺、遺産もあるみたいなんです」
「それは、よかったですね」
アジの開きをまるごと齧る先生の白い歯が、笑ったように見えてサンジは乱暴に湯飲みを置いた。

「先生、最初から知ってたんですね」
「いいえ」
即答されて、怒ろうとしたタイミングがずれる。
「い、いいえって・・・」
「貴方についての詳しいことは、知りませんよ」
「だって、俺の祖父の墓とか知ってたじゃないですか!」
先生はずずーっと味噌汁を飲み干すと、空のお椀を差し出しお代わりを要求した。
「貴方が墓参りすると言い出したら、ここがそうだよとポートガスさんが教えてくれてたんですよ。住所を書いた
 メモを貰っていたので、タクシーの運転手さんに見せただけです」
「だって、墓にも迷わず真っ直ぐ」
「和風じゃない墓って聞いてましたんでね」
「いつもはいない警備の人とか」
「物騒なことになるとは聞いてました。だから、卒塔婆に木刀を紛れ込ませたのもポートガスさんです」
だし巻き卵を頬張って、満足そうに目を細めた。
「ただ、それが貴方とどういう関わりになるかまでは聞いていません。私も聞きませんでした」
「・・・だって」
うろたえるサンジとは反対に、先生はいつもと変わらぬ平静さで食事を続けている。

疑い出したらキリがないのだ。
先生は、実は祖父と以前からの知り合いで、サンジのことを頼まれていたのかとか。
エースから話を聞いて、善意で協力してくれたのかとか。
遺産目当てで加担してくれたのかとか。
実は裏社会の繋がりで、先生こそがイタリアマフィアの黒幕じゃないのかとか。

「普通、考えたらおかしいことだらけでしょう。俺みたいな身寄りのない、どこの馬の骨ともわからない男を、
 いくら知り合いの紹介とはいえすぐに雇うなんて。しかもこんな格好させて、家から一歩も出られなくして・・・
 病院にだって・・・」
そこまで言ってはっとする。
「あ、だからチョッパーの往診?俺が病院にまで診察に行かなくて済むように。食材の配達とかも、全部―――」
あれこれと思い当たれば、新たな疑惑が生まれる。
「でも、なんでそこまでするんですか。往診代だって馬鹿にならないのに。それ以上に、昨日の警備の費用とか
 俺の生活用品とか、今までも・・・色んな面倒なことあったじゃないんですか?」
次々と沸いて出る疑問を押さえ切れなくて、つい責めるような口調になるサンジの前で先生は黙々と食事を続け、
空の御飯茶碗を置いた。
ずず、と茶を啜ってから手を合わせてご馳走様を唱える。
ようやく視線を上げてサンジの顔を見た先生は、笑ってはいなかった。



「私が貴方を雇ったのは、気に入ったからです。それだけで、理由にはなりませんか」
「・・・でも」
「私が見込んだとおり、貴方はとてもよく働いてくれている。その労働の対価として、給料はきちんと現金で渡して
 いるはずです。給料以外に貴方に掛かる費用?それこそ、私の道楽ですから貴方にとやかく言われることでは
 ない。それとも―――」
先生の瞳がすうと眇められた。
「貴方は人が・・・いえ私が、裏で損得勘定をしながら動く人間だと、思っているのですか」
言葉の意味に気付いて、サンジの顔がカッと赤く染まった。
慌てて口元を手で押さえ、首を振る。
「ち、違うんです。そうじゃなくて、ただ理由が・・・」
「理由?貴方を雇った理由?貴方への私の態度や行動の理由?それらはすべて後付けのものでしかないのに、
 どうしても理由が必要なのですか?私が望んでしたいと思ったことをしただけですが、それでは納得できませんか?」
静かだが硬い声音で、先生は畳み掛けるように言った。
「それとも、私を信用できませんか?」
「・・・先生っ」
サンジはテーブルに両手をついて、突っ伏すように頭を下げた。
こんな風に、先生を侮辱するつもりはなかったのだ。
子どもみたいに「なぜ」「どうして」を繰り返すしかできない自分が、恥ずかしい。


「私からも、貴方に尋ねたいことがあるのですよ」
頭の上から響く先生の声には威圧感がある。
―――怒ってる
そのことが伝わって、恐ろしくて顔を上げられない。
怒られるのが怖いのではない、こんな浅はかな自分を嫌われるのが怖いのだ。
「後2ヶ月で、貴方との雇用契約の期間が満了します。その時、貴方はどうしますか?」
サンジは恐る恐る顔を上げた。
正面で見据える先生の顔には表情がない。
穏やかな笑みも不機嫌な怒りも何も感じさせなくて、そのことが余計に悲しかった。

「お、俺は・・・」
「私は望みを言いません。貴方が答えてください」
「え・・・」
俺に決めろって?
口を開いたまま緩く首を振るサンジを、先生はじっと見据えた。
「契約を解消し、どこかで暮らすのか。またはご家族の下に旅立つのか。それとも契約を更新するのか。貴方が決めなさい」
・・・突き放された。
サンジは青褪めて拳を握り締めた。


だってもう、自分には家族がいることがわかったのだ。
帰るべき場所がある。
一人で暮らしていけるだけの、資金もある。
この家に留まる理由なんて、もう何一つ残っていないのに。
先生の傍に、この家にずっと――――

「あ・・・」
口を開きかけて閉じた。
理由がないというなら、先ほどの先生と一緒だ。
理由だけを求めるなら、望むことなんてなんの意味もない。
俺はただ、先生の傍にいたいだけなのに―――



「この家に、いさせてください」
蚊の鳴くような小さな声で、サンジは呟いた。
「先生の傍にいさせてください。先生のご飯を作って、お世話をして、あの・・・先生が、嫌になるまで・・・」
言いながら、じわりと視界がぼやけてくる。
「嫌になったら、先生から契約を打ち切ってください。それまではずっと、自動更新してください。お願いします!」
涙を誤魔化すように、畳に手をついて勢いよく頭を下げた。
侘びのしようもないけれど、ただこの気持ちだけは真っ直ぐに伝えたかった。
先生の傍にいたいと、それが自分の望みだと、その想いだけは―――



「わかりました」
先生の声に、そっと頭を上げる。
着物の袖の中で両腕を組んで、先生が困ったような笑みを浮かべてサンジを見下ろしている。
「では、これからもお世話になりますがよろしくお願いいたします」
穏やかな声にほっとするサンジの前で、先生はにやりと笑った。

「ただし、私を疑い返事を躊躇ったのは、許しがたいですね」
びくっとサンジの肩が震えた。
「そんな浅はかな貴方には、お仕置きですよ」
恐ろしいはずの先生の声が、何故か甘く耳に馴染む。







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