R先生の些細な道楽3 -5-






タクシーは街を通り抜け山道へと入り、懐かしい我が家へと近付いた。
が、なにやら様子がおかしい。
いつもは暗い、外灯がぽつんと一つ灯っている程度のひっそりとした玄関なのに、まるで照明で
照らし出されたように明々として賑やかだ。
しかもまるで警備でもするかのように玄関の両脇に人が立っている。
いや、まさしく警備なのか?

タクシーを横付けすると、見た目に警備員とわかる制服を来た男が一斉に敬礼した。
「なんですか、これ」
目をぱちくりさせるサンジの隣で会計を済ませると、先生はさっさとタクシーから降りる。
「お疲れ様です。その後どうですか?」
「先程ご報告したとおり、13時から15時までの間に裏庭から侵入を試みるもの2名と玄関から許可なく
 立ち入ろうとした者3名おりましたが、いずれも注意のみで逃走し確保にはいたりませんでした。16時
 以降は不審者は確認できません」
「ありがとう。引き続きお願いします」
警備員たちは軽く敬礼して、また玄関の両脇に立った。
その間に挟まれるように先生は玄関の鍵を開けて中に入り、サンジも両脇にそれぞれ会釈をしながら後に続く。
広い家の周囲に人の気配を感じて、相当数の警備が入っているのだとわかる。



「あの、警備の人にお茶とか淹れましょうか」
「いりませんよ。仕事です」
屋敷中の電気を点けて、居間に落ち着いた。
茶を淹れる為に湯を沸かしている間、上着をハンガーに掛けてサンジも畳に座り込んで一息つく。
「はあ〜、なんか疲れましたね」
「久しぶりの街だったからかな」
「それ以上に、色々あり過ぎです」
さて、と改めて話を聞きたいのは山々だが、家の周囲に警備の人間がいると言うのも、何か落ち着かない。
「夜食かおつまみ、作りましょうか」
「いえ、いいですよ。それより日付が変わったら夜中ですが来客がありますので、そのつもりでお願いします」
「先生」
サンジはとんと音を立てて先生の前に正座し直した。
「今日のことは一体なんだったのか、お聞かせ願えますか?」
ほとんど膝をつき合わせる格好で、真正面から向き合う。
「それもまたその時に。暫くは休んでいなさい」
やんわりと窘めるようにそう言われ、サンジは諦めて台所に向かった。















先生と差し向かいで座ったまま、サンジは煙草をくゆらせていた。
うっかり漏れる欠伸を噛み殺し、何度となく時計に目をやる。
もうすぐ、日付が変わる。
恐らくは今日この日、一日だけが重要だったのだろう。
祖父の命日であることが関係するのか、そもそも祖父絡みであの物騒な男達が関わって来ていたのか。
多分そうだろうと見当はつくが、自分ひとりが蚊帳の外で、先生に庇われてばかりなのは面白くない。
自然、眉間に皺を寄せて不機嫌な表情になるのは、隠さなかった。

「失礼します」
玄関から声を掛けてきたのは警備員だ。
「この時間を持ちまして、撤収させていただきます。ご利用ありがとうございました」
帽子を脱ぎ、深々と頭を下げる。
「お疲れさまでした。これを機に年間契約の件、考えておきます」
「ありがとうございます」
再度敬礼してから、次々と屋敷を後にする。
玄関で見送れば3台の車に分乗していて、相当な人数で警護に当ってくれていたことがわかった。

入れ違いにヘッドライトが近付いて来る。
これが、先生が言うところの深夜の客人だろうか。
「こんばんは、夜分失礼いたします」
春とは言えまだまだ冷える夜の空気の中で、白い息を吐きながらやってきた男は弁護士のクラハドールと名乗った。





「御祖父様、ゼフ氏の遺言書を預かっております」
客間でサンジと向かい合い、早速話を切り出した。
先生はいつもの部屋義に着替えて、サンジより下がった場所で腕を組んでいる。
「ご覧ください」
差し出された封筒を開け、便箋を開いた。
懐かしい祖父の字だ。
日本語はあまり上手ではなかったが、それなりの達筆でしたためられている。
ゼフの字で住んでいた家や車、預金などが記してあるのを見て、不覚にも涙が込み上げてきた。
これらはもうない。
預金はなんとか貰えたけれど、家も車も、財産はすべて焼けてしまった。
祖父自身も―――
この遺言書を書いた時点ではまだ元気だったのだ。
死の予測はしていても、それを遠いこととして一応の心積もりでしたためただろう文面を目にして目頭が熱くなる。

読み進める内に、サンジの知らぬ名がいくつも出てきて戸惑う。
「あの、この人たちは・・・」
本来ならば、ゼフの後継者は孫のサンジ一人であるから一切をサンジに譲ると記せばいいはずなのに、
そうでないことに自然、動悸が激しくなった。
怪訝な顔で視線を上げるサンジに、クラハドールは眼鏡を掛け直す。
「今さらだとお思いでしょうが、貴方のご両親はご健在です」
「え!」
思わぬ展開に声も出ない。
「貴方にはご両親と妹さん、そして弟さんもおられます」
「・・・・・・」
言葉も出ない。
ゼフを失って天涯孤独の身だと思い込んでいたから、降って沸いたように血の繋がった家族がいると告げられても
俄かには信じられなかった。
「驚かれるのも無理はありません。実の両親がいながら何故その存在を隠され遠ざけられていたのか。故人の意思を
 汲み、お話させていただきます」





ゼフがイタリア北部の出身であることは知っていたが、よもやマフィアのボスだったとは寝耳に水だった。
以前のサンジなら単純に「カッコいい」と喜びもしただろうが、深刻な状態の今となっては現実味すら沸かない。
「故人の一人娘、貴方のお母様は家を嫌って日本に来られ、こちらで家庭を持たれました」
程なくゼフも引退し、日本へと渡った。
娘を追ってとは決して認めないだろうがこの国を選んだ理由にはなるのだろう。
同じ国に暮らすとは言え、縁を切った二人が顔を合わせることがなかった。
それなのに―――
「丁度イタリアの組織全体が衰退し、日本や他の国々との連携や抗争などが激化した頃でした」
マフィアやヤクザ社会とは言え、最近はビジネスが絡んで来ているのだと言う。
そんな中、かつてゼフが率いていた組織は壊滅寸前に追い詰められ、窮地に陥った幹部が予想外の動きを
見せたのだと言う。
「故人はその道では伝説の男でした。彼らは、その名を受け継ぐ後継者が欲しかったのです」
どんな手を使って調べたのか、まだ幼いサンジを誘拐したのだと言う。
これはゼフ自身にも大きな衝撃だった。
手を尽くし無事にサンジを救出したものの、その傷は癒しようもなく娘との亀裂も深まった。
孫の存在を知られた以上、またいつ狙われるとも限らない。
ゼフはそのままサンジだけ親元から離し、引き取った。
娘夫婦と他の孫達は、今は海外で暮らしているという。

「そんなことが・・・」
相槌すらろくに打てずただ呆然と聞くばかりだったサンジは、正座したまま肩を落とした。
何も知らぬ孫を巻き込み、親元から引き離さなければならなかったゼフの懊悩はいかばかりだっただろう。
結果的に人生を狂わされた形になるが、とても祖父を恨む気持ちにはなれない。
確かに自分は祖父の下で、愛され慈しまれて育った。
祖父以外に家族がないことを寂しいと思わなかった訳ではないが、充分に愛に満たされた子ども時代だったと思う。
「けれどなぜ、今更・・・」
クラハドールは表情を変えず、事務的に話を進める。
「今回の遺言書はある条件に副って委託されたものです。条件とはつまり、ゼフ氏の死亡原因が病死、その他の
 自然死、或いは不慮の事故以外でのものに起因する場合」
はっとしてサンジは目を見開いた。
「それって、どういう―――」
「すでに警察の捜査は終了し犯人も逮捕されています。ですがイタリアに今も残る残党、またそれらとネットワークを
 一にする日本の組織の方々が、或いはそのことを利用して貴方を唆さないとも限らない」
クラハドールは神経質そうに眼鏡を掛け直し、いくつかの封筒を差し出す。
「ゼフ氏の死後1年以内を期日とし、貴方からの申請をもって後継者と定めると遺言しました。逆に言えば、貴方が1年
 以内に名乗り出なければその遺言は無効となる。故人の意思は、おわかりですね?」
促され、こくんと頷いた。
ゼフの意向どおりに物事が動いたことを、口惜しいとは思わなかった。
そのために多くの人が尽力してくれたことも、感謝こそすれ疎ましくは感じない。

「助けて、いただいたのですね・・・」
少し顔を歪めて後方を振り向けば、先生は腕を組んだまま柱に凭れて舟を漕いでいた。
かくん、とサンジの膝から手が外れる。
「関係者が血眼になって貴方の行方を探していたのは事実ですよ」
クラハドールはフォローするように言い添えた。
「実際、病院を退院したと思ったらそれきり姿を消してしまって、私でさえロロノア氏から連絡をいただくまで消息を
 掴めなかったのです。見事と言えば見事な行方不明でした」
「はあ・・・」
「ゼフ氏からもしもの時にと依頼を受けていたのは、私と仲介に入ったポートガスさんの二人だけです。貴方がこちらに
 身を寄せた采配も、彼のものでしょう」
そういえば、エースは「なんでも屋」なんて怪しい触れ込みの仕事をしていたが、それなりに羽振りはいいようだった。
これも彼の「仕事」のうちだったのか。

「ゼフ氏の後継問題は昨日を持って時効となりましたが、貴方には改めて選択していただくことがあります」
最初に手渡した遺言書を指して眼鏡を掛け直す。
「後半に示してあるとおり、貴方にはゼフ氏のイタリア銀行にある預金が贈与されます。本国法により、日本での
 贈与税が掛かりますが相当の財産にはなるでしょう。これにより、今後一人立ちも可能ですし、もし希望されるなら
 ご家族に連絡を取って移住されることも可能です」
「移住?」
「貴方の成長に関してはゼフ氏から定期的にご両親に報告されていました。ゼフ氏の突然の訃報にいてもたっても
 いられず、来日しかけるのをこちらがお止めしたほどです。貴方から連絡が入れば、さぞかし喜ばれるでしょう」
「両親が・・・」
まだピンと来ない。
親と呼べる人はとっくに亡くなっていていないものだとばかり思い込んでいたから、実感が湧かず特別な感慨も
なかった。
「それほど難いものではないでしょうが、こちらでの雇用契約の話もあるでしょうから急ぐことはありません。
 どちらにしても、今後は貴方の意思に副って手続きをさせていただきますので、よくお考えください。」
慇懃に頭を下げられ、サンジは半ば夢うつつのような状態で反射的に頭を下げた。

すべてに現実感がなく、夢を見ているようだ。
自分には家族がいて、暮らしていけるだけのお金もあって、帰る場所がある。
血の繋がった肉親。
父と、母と、弟や妹と呼べる人がいる。










クラハドールは、サンジに直接名詞を手渡して帰って行った。
玄関までそれを見送り、きちん戸締りしてから改めて居間に戻る。
先程まで柱に凭れかかって舟を漕いでいた先生は、今はごろりと畳に転がってぐうぐう寝息を立てて爆睡していた。

「先生」
起こさないように小さな声で、寝顔でも端正な横顔に囁きかける。
「俺、一人ぼっちじゃなかったよ。家族がいたよ。帰る場所も、あるんだよ」

―――先生は、知ってたの?

最後の言葉は声にならず、サンジは先生の枕元に座り込んで、ずっとその寝顔を見つめ続けていた。







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