R先生の些細な道楽3 -4-






恐る恐る目を開ければ、視界を覆うほどの広い背中。
―――あ・・・先生
今更ながら、その存在に気付いて呆然とする。

おかしな話だが、サンジを含めその場にいた全員が、今の今まで先生の存在を忘れていた。
意識して気配を消していたのか、俄かに動いた想定外の男にクリークたちが表情を変える。
「なんだてめえは!」
いつの間に手にしていたか、先生は木刀のようなものを構えてサンジの前に立っていた。



「生憎だが、こいつはうちの優秀な家政婦でね。俺の許可なしに勝手なことをして貰っては困る」
にやりと笑う不敵な横顔は見たこともない獰猛さを秘めていて、サンジの胸は場違いな状況ながらどきりとときめく。
「しゃらくせえ!いいからまとめてやっちまえ」
バギーの怒鳴り声と共に男達が一斉に動いた。

腕を伸ばす男達を蹴りで弾き飛ばして振り向けば、先生は木刀の他に、こともあろうに卒塔婆を引き抜いて
大立ち回りをしている。
普段竹刀で素振りをしている程度でしか知らなかったが、両手に剣代わりに棒を振り翳して殺陣さながらの
流麗な動きを見せる先生に思わず魅入ってしまった。
まるで本物の刀を操るかのようにしなやかで力強い、見事な剣さばきだ。
「すげー・・・」
先生の雄姿にうっとりとしかけながらも、サンジは迫り来る男達の気配を機敏に察して身をかわし反撃する。
何発か銃声が響いたが、冗談みたいに先生が全部弾き返してしまった。
頼もしい思いで鉄球男の顎を蹴り上げ、裏手の山際まで蹴り飛ばした。



ぐるりを取り囲んでいたはずの男達も、何時の間にか全員が地面に倒れ臥し、その場に立っているのはサンジと
先生だけになっていた。
「先生!」
身を翻し駆け寄ろうとするサンジの背後で、不意にパチパチと手を叩く音が響いた。

「いや〜、お見事お見事。俺の出る幕ねえじゃん」
聞き覚えのある声に振り向けば、墓の陰からテンガロンハットを被ったエースが首だけ出して覗いている。
「エース!」
なんでここにと言い掛けたサンジの横を、先生が先にすり抜けた。
「高見の見物たあ気楽なもんだな。まあ助かったぜ」
投げて寄越した卒塔婆をエースが受け取る。
だがよく見れば、それも木刀だった。

「真剣じゃねえと物足りねえんじゃねえの?」
「この人数で峰使ってちゃ、刀の方がもたねえよ」
尋常でない状況で親しげに会話を交わす二人の顔を、サンジはキョロキョロと見比べた。
「え?なに?なんでエースがここにいんの?」
「ん〜、まあ説明すっと長くなっからね。また後で」
愛嬌のある雀斑面でにかりと笑うと、ゾロに向き直り片手を耳の横でくるくると振った。
「取り敢えず、ヤクザの抗争みてえっつって警察呼んだから、裏手から行くといーよ」
言っている間もなく、ファンファンとサイレンの音が遠くから近付いてくるのが聞こえる。

「ありがとよ、また後でな」
先生は軽く手を上げて挨拶すると、サンジの腕を取って寺の裏に回った。
「タクシーを呼んでいる暇はなさそうですから、ここからはバスで街に出ましょう」
いつもどおりの穏やかな顔に戻って、先生は早足で歩きながらサンジの耳元にそっと囁いた。
何がなんだかわからない。
すぐにでも先生を問い詰めたいが、どこからか感じる視線に背を押されるように、サンジは黙って歩くしかできなかった。
―――尾けられている。しかも、複数。





タイミング良く来たバスに乗り込んで、狭い通路に並んで立つ。
車内から振り返れば、間に車を挟んで数台の明らかに怪しい黒塗りの車がついてくるのが見えた。
「先生、一体どういうことですか」
さすがにこのバスには乗り込んでいないだろうが、自然と囁き声になる。
先生は前を向いたままそうですねえと暢気そうに呟き、
「ともかく、腹が減りましたね。適当なところで降りて、食事にしましょう」
そう言って笑うばかりだ。
静かな車内で問い詰めるわけにも行かず、サンジは釈然としない気持ちで後ろをつけてくる車に気を散らしていた。
















「貴方の食事に勝るものはないでしょうが、たまには外食もいいものです」
駅前でバスを降り、大通りに面したシャレたイタリアンレストランに入った。
学生の身だったサンジは、自分の店以外ちゃんとしたところなんて入ったことがなかったし、雰囲気やメニューやらも
珍しく興味深い。
ついでに、ついてくる男達のことも気になってついキョロキョロと挙動不審なくらい視線を彷徨わせてしまうが、さすがに
街中の賑やかな場所とあって、男達は目立った行動を控えているようだ。
「お勧めコースにしますかね。軽くなら食前酒も、いいでしょう?」
外の動きなどまるで気にしない素振りで、先生は顎に指をかけてあれこれと選んでいる。
「一日は長いですから、ゆっくり楽しみましょう」
言外に何かを含むようにそう言われ、サンジは緊張を解いて座り心地のいい椅子に凭れかかった。
昼間から、墓地でテレビドラマばりの大立ち回りをやらかしたのだ。
これから何が起ころうとも、今更慌てることもないだろう。
先生は、すべてを知っているようだし・・・
それならば純粋にデートを楽しもうと、サンジは腹を括った。



見目にも美しく美味い料理を食べながら、先生と他愛もない会話を交わした。
ずっと一緒に暮らして来ながら、こんなにまで話し込んだのは初めてだったかもしれない。
こうして改めて向き合ってみると先生は意外に聞き上手で、促されるまま取り止めもないことを喋り続けた気もする。
ほんの少し入ったアルコールのせいかもしれない。
いつもと違う雰囲気で、先生がしっとりと見つめるからかもしれない。

物心がついたのが遅かったのか、祖父と暮らし始めた頃からしか覚えていないこと。
小さな頃から料理に興味があったこと、
いつか祖父がやっていたような店を自分で持ちたいと思っていること、
女の子が大好きなのにいつも友達以上の付き合いにまで発展できなかったこと、
仲の良かった友人、憧れた先輩、乱雑だったけど気のいい従業員たち、
小さい頃から慣れ親しんだ商店街の人たち―――

足を伸ばせばすぐの距離で、懐かしい人々は変わらぬ暮らしを続けている。
今すぐにでも、サンジのポケットから携帯を取り出し電源を入れれば、元の世界に繋がるのはきっと容易だ。
けれど・・・
こうして先生に過去のこととして自分のことを語るだけで、サンジは何故か満たされた気分になった。
これを限りにこの街に過去の暮らしに、決別する意味合いなんて決してないのに、もう振り返らなくてもいいような
吹っ切れた気持ちでいる自分に気付く。
常に誰かの視線を感じる、ほとんど監視されている状態なのに、サンジはどこかポワポワと浮かれ気分で楽しい
ひと時を過ごした。




和やかな食事を終えて、そのまま街中へショッピングに出かけた。
先生と連れ立って買い物をするなんて、考えもしなかったことだ。
あれこれとウィンドウを眺めるだけでも結構楽しい。
恐らくは意識して、百貨店や人通りの多い場所を選んで歩いているのがわかる。

―――守られている
思い出してみれば、最初から先生の行動は計算づくだった気がする。
今日が祖父の命日だと知っていて、自らもついて来てくれたのは「警護」の意味があったのかもしれない。
墓地まで真っ直ぐタクシーで向かったのも、何故か木刀を手にしていたことも、エースがその場に「待機」して
いたことも。
「・・・あの卒塔婆、最初から木刀を紛れ込ませてたんですか?」
思いついて脈略もないままそう問いかけたら、先生は笑って頷いた。
墓の後ろに乱雑に立てられた中に潜む木刀・・・その様子を思い出してみると、笑えてくる。


当てもなく街中をぶらつき、ときおりカフェで休んで一服を繰り返す。
―――まだ帰れないってことか
真っ直ぐに家に戻らないことにも、意味があるんだろう。
先生は時折携帯に呼び出されて、横を向いたまま頷いたり指示したりしている。
最初は仕事の話かとも思っていたが、それだけではなさそうだ。
―――それにしても・・・
先生に携帯も、また珍しい光景だ。
一昔前にタイムスリップしたかのような、あの家での暮らしに慣れすぎて、目の前の先生が先生らしく見えなくて
目のやり場に困る。
―――これはこれで、似合ってるんだけど・・・
好きな人の意外な一面って、これがまたクルのよね。
なんて可愛い彼女が言っていたのを思い出して、まったくそのとおりだと腐った頭で納得する。


賑やかな街にも夕闇が迫り、昼間よりなお煌びやかなネオンが瞬く頃になって、先生はようやくタクシーを拾った。
「それではそろそろ、家に帰りますか」
「はい」
ほっとしたような、まだ少しこの乱雑な空間にいたいような複雑な気持ちのままサンジは素直に頷いた。
家に戻ったら、何事もなかったように普段と変わらない日常が待っているかもしれない。
それとも、今日のすべての理由が用意されていて、明日からのサンジの暮らしは激変するのかもしれない。
僅かな期待とかすかな恐れとが入り混じり、サンジは緊張した面持ちで窓の外を流れる夜景を見つめていた。







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