R先生の些細な道楽3 -2-






墓参りの為の、一時的な外出着なら1着で充分だろう。
選択の余地を見せた所で,これらを選りすぐって後は返品するなどサンジの性分からは考え辛い。
―――全部俺にくれるつもりで、注文したのかな
そう思うと、何故か胸の奥がきゅんと切なく縮む。
ここに来た当初、絶対わざとだとしか言えないタイミングでサンジの衣類は全部処分されてしまった。
以来「着るものがない」との理由でこの家に足止めされているといっても過言ではない。
それが急に、このようにまともな服を買い与えられ、しかもいつでも休暇を取って街に出掛けてもいいと快く
了承されれば、本来ならば喜ぶべきことがサンジはなんだか寂しかった。

―――1年で、お払い箱か
それまでサンジが欲していなかっただけで、望むなら案外あっさりと自由は認められていたのだろうか。
自分だけが甘美な檻の中に自ら留まっていただけかと、思い当たって愕然とする。
―――バカ、みてえ・・・
先生の腕に絡め取られ身動きできないほど縛られていると思って、その実自分がしがみ付いていただけだと
唐突に気付かされた。
それでも、せめて1年の契約が過ぎるまで、先生の側に居させて貰おう。
その後どうなるのか、自分の身の振り方さえ先生の判断に委ねて。
望まれるなら側に、手放されるなら何処か遠くへ―――
どちらにしろ、サンジに選択肢はない。

散らばった衣服を畳みながら思わず切ない溜息を零すサンジに背を向けて、先生はずっと机に向かっていた。













「いい天気になりましたね」
「本当に・・・」
デート日和ですねと言い掛けて、慌てて咳払いで誤魔化す。
少々浮かれ気味な自分を内心で叱咤して、がたつく玄関の引き戸をもう一度揺らして鍵がちゃんとかかって
いるか確かめた。
「こんな鍵で大丈夫ですかね。第一その気になれば庭の端っこからでもいくらでも泥棒が入れますよ」
「大丈夫ですよ、今までもそうだったし」
「このお宅こそ、警備保障とか掛けといた方がいいんじゃないですか?なんせ先生は有名な作家さんで
 お金持ちなんですから」
サンジがここに来て以来、この家が無人になるのは今日が初めてだ。
「大袈裟ですよ、こんな田舎に誰も来ません」
「今までが無用心過ぎたんです。もうちょっと自覚を持って貰わないと」
説教めいた口調でそう言って振り返ったら、思ったより近くに先生がいてドキリとする。
黒のセーターにジーンズ、春物のコートを羽織った先生はいつもと違って見えて、サンジの心臓は無駄に
ドキドキ鳴りっ放しだ。
今までも、パーティに赴く時なんかに仕立てのいいスーツを身につけ「行ってきます」と振り返られたら、
あまりのカッコ良さにそのまま腰砕けそうになったこともあったけれど(無論、その場で押し倒されて
パーティはキャンセルに)、今日はまた違う雰囲気で新鮮だ。
いつもより若く見えるし、なんか躍動的と言うか、アウトドアっぽいと言うか、体育会系みたいと言うか・・・
まあ、とにかくいい。
こういう先生もなんか凄い好きだ。
知らぬ間にぽや〜んとしていたのだろう、先生は怪訝そうに首を傾げて「いいですか?行きますよ」と
いつも通りの穏やかな声で出立を促した。
表には、タクシーが待たせてある。



サンジも知らない、祖父が葬られた菩提寺を何故先生が知っているのか、すでに疑問にすら感じない程度に
サンジの感覚は麻痺している。
なんせ先生は何でも知っているのだ。
普段離れからあまり出歩かない隠遁生活なのに、先生の元には色んな情報が流れ込んでいる。
きっと先に調べてくれたのだろう。
行き先を告げるのを先生に任せ、久しぶりに車内から眺める景色に見蕩れた。
思い立ってポケットに忍ばせた携帯を取り出せば、実に数ヶ月ぶりに電波が立っていた。
問い合わせをすれば、相当沢山メールや着信が残っているんじゃないだろうか。
その場で確かめたい衝動に駆られたが、なんとなくそのままポケットの中に仕舞う。
先生が隣にいるのに、携帯に気を取られるのはなんとなく嫌だった。





サンジの祖父はイタリア人だったが、帰化したため寺の檀家にもなっていた。
結局サンジは一度も墓参りをしていないから、寺の場所も定かではない。
けれどタクシーは確実にサンジが暮らした街に近付き、見慣れた風景が窓の外を流れて行く。
―――帰って、来たんだ
懐かしさに胸が詰まって、サンジは思わず身を乗り出して眺めた。
友人達と足を伸ばしてぶらついた駅前。
初めてできた彼女とのデートで来た映画館。
もう少し先を右に曲がれば、パティ達に買い物指南を受けた商店街がある。
「懐かしい、ですか」
先生にしては珍しく、当たり前のことをそのまま聞いてくる。
「懐かしいですよ」
なんとなく拗ねた気分になって、振り向かずにそう応えたら先生の手がそっと肩に触れた。
急に気持ちが素直に解けて、俯いたまま座席に座り直す。
先生の手が肩から腕に下りて、膝の上で自分の手の甲を覆うように添えられる。
掌を返して、自分から指を絡めて握り返した。
先生は前を向いたまま、知らぬ顔でがっしりと手を繋いでくれている。
―――へへ、やっぱデートだ
俄然嬉しくなって、サンジは赤い顔のまま表情を緩めていた。











道中で白い花束を買い、郊外の寺に着いた。
先生は慣れた仕種で手桶に水を汲み、柄杓を持って前を歩く。
寺の墓地には同じような墓石が立ち並び、狭い空間ながら何度きても迷うようなややこしさがあるのに、
先生はまっすぐ歩いて適度に曲がって、真新しい墓石の前に立ち止まった。
ゼフの名が刻まれた白い御影石。
シンプルな台形で和風のものとは明らかに違い、確かに見つけやすい。
「綺麗に掃除されていますね」
敷地には枯葉一つ落ちておらず、雑草もなかった。
まだ新しい、たくさんの花束が墓地を覆うように手向けられ、寺の墓地としてはありえないほどの華やかさを
出している。
「・・・みんな・・・」
きっと店の従業員達が、早朝から綺麗にしてくれたんだろう。
1年経っても、みんなゼフのことを忘れてはいないのだ。
そう思えば嬉しくて、それに比べて今日までここに来られなかった自分の不甲斐なさに改めて腹が立って、
サンジは一人唇を噛んだ。
先生はさっと手で墓を拭うと、柄杓で水を汲んでは静かに墓にかける。
サンジにもそうするように手渡して、一歩下がったところで腰を下ろし手を合わせた。
サンジも手桶を置き、墓の前にしゃがんで手を合わせる。

―――じじい、長いこと来られなくて、悪かった
―――しかも、なんかもう顔向けできないことをいっぱいしでかした気がする。
―――こうなったら、とっとと成仏して何か別のものに生まれ変わってくれ。
―――俺のことなんか見守ってなくていいからな。それなりになんとかやって行くから、間違っても心配で化けて
出てくるとか草葉の陰から覗いたりとか・・・頼むから止めてくれな、お願いだ。

墓参りなんだか願掛けなんだかわからない状態で、心中ブツブツと勝手なことばかりを唱えながら
サンジは一心に祈った。
あまりにも後ろ暗い事があり過ぎて、物言わぬ石であってもまともに目を合わせられない気がする。
けれど、すぐ後ろで同じように手を合わせてくれる先生の存在がサンジには有難かった。
どれだけ恥ずかしい、世間に顔向けできない間柄であっても、やはり今の自分には先生しかいない。
―――先生がいてくれてよかった
素直にそう思えて、祖父を思えば胸が痛むながらも、恥じ入るばかりではない自分がいる。

―――じじい、ごめん。どうか許して・・・
この年まで育ててもらいながら、祖父の亡骸すら確認できず葬式にも出られなかった恩知らず。
墓守すら人任せで、命日にやっと顔を見せたと思ったら男連れだなんて、あの世できっと激怒しているに違いにない。
だがこの1年の月日は、自分にとって必要な時間だったと他人事のように感じている。
1年経ってようやく、ゼフの死を受け入れられる気がする。

口汚くてすぐに蹴りが飛んでくる、暴力的な偏屈ジジイはもういない。
懐かしい街に帰って来ても、長く暮らした家はない。
一人で夜中までラジオを聴いていた部屋も、ジジイと二人差し向かいで食事を取ったキッチンも、店に続く廊下も
毎日ランチタイムになると戦場みたいになった厨房も、和やかなレストランも、お客さんたちの楽しそうな笑顔も―――

思い出し始めたら止まらなくなって、サンジは手を合わせたまま大きく息を吸った。
目元がじわりと熱く滲み、呼吸がし辛いほどに急に鼻が詰まっている。
・・・あ、やべ・・・
思ったときには、足元にぽたりと雫が零れた。
一度溢れたそれはタガが外れたように後から後から湧いて出て、際限なく流れ落ちて行く。
「・・・・・・」
鼻を啜ることも目元を拭うこともできず、サンジは手を合わせたまま祈りの形で目を閉じていた。

どれくらい時間が経ったのか、足元の砂に大きな染みができた頃、頬にそっと白いハンカチが押し当てられた。
先生が、出掛ける時にだけつけるコロンの香りがふわりと鼻腔を掠める。
遠慮なくそれを受け取って涙を拭いて、鼻水を拭って、くしゃくしゃの顔のまま先生を振り返った。
先ほどと同じ位置で、同じようにしゃがみながら先生は穏やかに微笑んでいる。
場所柄も弁えず抱きつきそうになって、慌ててハンカチでもう一度目元を拭うと汚れてしまったそれを自分の
ポケットに仕舞った。

「・・・すみませんでした、もう・・・」
言いかけて、近付いてくる複数の足音に顔を上げる。
閑静な墓地には不似合いな、人相の悪い男達が、狭い墓地の通路を我が物顔で歩いてくるのが見えた。







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