R先生の些細な道楽
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「何故だか、部屋が明るい感じがしますが」
母屋に入った途端、先生は気付いたようだ。
「蛍光灯を全部拭いたんで、ちょっとは明るくなったと思います」
「なるほど」
うんうんと一人頷き、嬉しそうに飯台の前に胡坐をかく。

「部屋の中もどこか見違えたようだ。あなたがいらしてまだ数時間しか経っていないのに、もうこんなに
 違うんですね。有能な方だ」
「いえ・・・」
祖父に罵倒されることには慣れていたが、面と向かって褒められるのは初めてだ。
なんとも気恥ずかしく、サンジは料理に火を通すことに専念した。
先生は伏せられた茶碗の前でしばらく寛いで待ってくれるらしい。
ぱさりと、静かに新聞を広げる音がする。

ところで、さっきのはなんだったんだろう。
うっかり失念していたが、先程起こしに行って襲われた気がする。
気のせいでなければ―――
けど、なんて文句を言ったものか。
もうあんなことしないでくださいよ、と茶化して言えるほど、サンジはまだ擦れていない。
今だって思い出すだけで心臓がバクバク鳴って、冷や汗が出る。
キスするのが初めてと言う訳ではないが、自分から仕掛けたことはあっても、人からされたことはない。
しかもあんな、殆ど無理矢理羽交い絞めて食らいつくような、あんな激しい―――

「煮えてますよ」
はっと気付けば、お玉の下でみそ汁がグツグツ煮えていた。
「わわ、すんませんっ」
しまったと舌打ちしつつ、慌てて火を消す。
先生は静かに新聞を畳むと膝の横に置いた。

「先程は、すみませんでした」
「え、は・・・」
「どうも寝惚けてしまったようで、驚かせてしまいましたね」
「・・・はあ・・・」
やっぱり寝惚けてたのかあれは。
ってえか、寝惚けると誰にでもすんのかあれを?
色々突っ込みたかったが今後の生活を考え、ぐっと堪える。
「これからは気をつけます。申し訳ない」
膝に手を置いて頭を下げられて、サンジは慌ててお玉を振り回した。
「い、いえ、大丈夫ですから。俺も気をつけます」
顔を上げた先生の口元は、少し笑っていた。
「はい、よろしくお願いします」
なにをよろしくお願いするんだろう。
なんとなく噛み合わない会話を置き去りにしてともかく膳を整える。



「これは素晴らしい、ご馳走ですね」
先生の表情がぱっと輝いた。
子どものように喜色を表していただきますと手を合わせる。
「冷蔵庫の中のもので有り合わせです。お口に合えばいいのですが」
味噌汁を啜り和え物をつまんで先生は大袈裟に頷いた。
「どれもこれも、とてもいい味です素晴らしい」

それからはモノも言わずさくさく食べていく。
それまでの物静かなイメージとはまた違う、豪快な食べっぷり。
けれど基本的に所作が綺麗で上品だ。
半分ほど食べてしまってから、今気付いたと言う風に顔を上げた。
「あなたの夕飯は?一緒に食べましょう」
「え、俺ですか?」
先生の食べっぷりに見蕩れていたサンジは間抜けな声を出した。
「い、いえ。俺はまた後でいただきます」
「こんなご馳走を私一人がいただいているのも、なんだか寂しいものです。今からでも
 ご一緒してくださいませんか」
なんだか男二人顔突き合わせて食事をするのも寒い光景じゃないかと思う。
けれど先生の顔付きは、どこか縋るような頼りなさだ。
ここで無碍に断るのも可愛そうな気がしてきた。
「わかりました、今度からそうします。とりあえず今日は、俺は後でいただきますので」
「そうですか」
ほんの少し口角を尖らせて、先生は味噌汁を啜った。
その仕種が拗ねた子どものようで可笑しくなってくる。
くるくると色んな表情を見せられて捉え所がないが、やはりどこか憎めない。

「それじゃ、俺風呂の準備してきますので」
「お願いします。普通のユニットバスですし、必要な物は揃っていると思います」
一礼だけしてそそくさと退席した。
緊張するのとはまた違うが、先程の一件もありどこか油断できない。


先生の言葉通り風呂場には内部だけすぽんとユニットバスがはめ込まれていた。
水垢のついた檜風呂だったら掃除がまた大変そうだが、これなら助かる。
湯船は掃除が行き届いていると言うより、殆ど使われてないらしい。
きっと男の一人住まいだからシャワーだけで済ませてきたのだろう。

手早く洗い湯を張って、タオルを用意した。
脱衣籠の中には拍子抜けするくらい洗濯物が少なかったので、却って不安になる。
ちゃんと下着くらい替えてたんだろうか。
礼儀作法には厳しそうだが、どこかぞんざいな性分もありそうだ。
それに着物を日常着にしているようだし、あれも殆ど洗ってないに違いない。
先程起こしに行ったとき、部屋が男臭かった。
決して嫌な匂いじゃなかったけれど―――

そこまで考えてはっとした。
嫌じゃねえってなんだよ。
そもそも男臭いんだから最悪じゃねえか。
庭で竹刀持ってたときもえらい汗掻いてたから、汗染みてて大変なことになってんに違いねえ。
ああやだやだと、まるで自分に言い聞かせるみたいに声に出して呟いた。
これから暑い季節になる。
こまめに面倒見てやらないと、気がつけば部屋の隅にキノコが生えてる状況にだって、この家なら
有り得るだろう。



サンジが風呂張り終えて居間に戻ると、先生は綺麗に食べ終えていた。
「とても美味しかったです、ご馳走様でした」
丁寧に頭を下げられ、つられてお辞儀する。
「食後すぐのお風呂は身体によくないですよね。しばらく休まれますか」
「いや、大丈夫です。風呂に入ってさっぱりしてきます」
先生はそう言い、少し申し分けなさそうに眉を顰めた。
「風呂上りに一杯飲みたいものですから、簡単なつまみ程度を用意して貰えますか」
「あ、はい!」
しまったと思った。
祖父は晩酌の習慣がなかったから、大抵の男性が夜酒を飲むことも失念していた。
「いや、そんなに気にしなくてもいいんですよ。私は食事時より寝る前に一杯ひっかけるのが
 好きなんです」
よほど好きなのか、相好を崩して笑う。
「冷えたビールなんかじゃなくて、そこにある一升瓶から適当に飲んでますから」
言われて指差す方向を見ると、部屋の隅に何本もの一升瓶がちょこんと寄せ置かれていた。
そういえばさっき、掃除の邪魔になると隅に寄せたんだっけか。
「冷や酒でいいんですか」
「ええ。つまみもピーナッツとかそんなものでいいです。あなたが食べる夕食を作るついでで」
「わかりました」
自分の食事のことなどすっかり忘れていた。

「それでは、先にいただいてきます」
「はあどうぞ」
颯爽と立ち去る先生の背中を見送って、サンジはほうと深く息を吐いた。



なんだかえらく疲れた1日だった。
この家に到着したのが午後だったからそれほど時間は経っていないが、精神的に疲れた気がする。
思いもよらないユニフォームに着替えさせられたり、いきなり寝惚けてキスされてしまったり・・・
それを思い出すと、やはりサンジは怒りより戸惑ってしまうのだ。

本来男にキスされるなんて、噴飯モノのアクシデントなはずなのに、「怒る」と言う行為すらできなかった。
これではいかんと思う。
男にキスされても平気な男と誤解されたら大変だ。
自分は断じてそんなふしだらな男ではない。
怒りの論点がズレていることにも、サンジ自身薄々気付いている。
気が短いはずの自分がそれほど怒っていないことも、先程のキスを、思い出すもおぞましい気持ち悪い
出来事だと心の底から嫌悪できないことも。
どうかしたかオレは。

思えば昨日まで病院のベッドの上だった。
病み上がりというものではないが、身体が鈍っていたのかもしれない。
早く日常に戻りたくて気ばかり焦って、退院したその足でこの家に来てしまったけれど、やはり少し
早まっただろうか。
掃除や家事に忙しくて、余計なことは何も考えないで過ごせたことは助かったが。

後1年、ここで暮らすんだよな。
住み心地は悪くない、と思う。
少なくとも以前住んでいた家や店を思い出させる物はなにもない。
ある意味特殊なことばかり続いて、目まぐるしく気が紛れた。
実質勤務時間8時間なんて規定されても、それ以上に自分は働いてしまうだろう。
住み込みなんて公私の区別はつき難いし、それでもいいと思う。
この1年がむしゃらに働いて、自活費用を貯めるのみだ。

つらつらと考え事をしながらも、手は勝手に料理を作っていた。
酒の肴に何がいいかなんて咄嗟には思い付かなかった。
祖父に晩酌の癖はなかった。
そういうことを思い出して、鼻の奥がツンとする。
やはり、何も考えずに奇天烈な先生の言動に振り回されている方が気が楽だ。


自分の分の食事も食卓に並べ終えた頃、先生が風呂から上がって来た。
紺縞の浴衣を羽織り、髪を乱暴にタオルで拭っている。
「さっぱりしました。いい湯だった。湯船に浸かるのも久しぶりです」
やっぱり、と口の中で呟いてサンジは一升瓶を抱えた。
「本当に冷酒でよろしいんですか?」
「ええ、コップ酒が一番ですよ」
先生は食卓に並んだサンジの夕食兼つまみに目を細めると、酒屋のロゴが入ったコップを二つ、取り出した。
「どうぞ一緒に・・・と言いたいところですが、未成年ですね」
しまったと顔を顰めて、一つを棚に戻している。
「いえ・・・あの〜・・・大丈夫ですよ」
「そうですか?」
先生は嬉しそうに振り返って、また眉を顰めると一人で首を振った。
「いえいえ、やはりダメです。脳細胞がまだどんどん殖えている時期に酒など飲ませては、折角の細胞を
 死滅させてしまう」
しかめっ面でそう呟く先生に、思わずサンジは噴き出した。
「でも俺、ワインのテイスティングとかもしてましたんで、ちょっとなら大丈夫ですよ」
「ほお、本当ですか」
先生が目を輝かせた。
よほど飲むのが好きなのだろう。
どうせなら、一人で飲むより晩酌のお共が居る方がいいに違いない。

けれどまた、憂い顔で目を伏せる。
「いやいやいけません。古来より酒は過ちの源、過ぎたるは罪と言われます。未成年のあなたでは、例え
 一口でも過度の量となり、我を失う可能性もありえます」
あまりに大袈裟な物言いに、サンジは本当に笑ってしまった。
「大丈夫ですって、俺は大人に囲まれて育ったから、割と早くからアルコールには慣れてるし、自分の許容量も
 実は知ってます。ほんの少しお相伴に与るだけですから」
「そうですか?」
先生は嬉しさ半分心配半分といった表情でコップを出し直した。

ちょっぴりくたびれた身体に、ほんの少しのアルコールは穏やかな薬となるだろう。
サンジはそう判断して、先生と差し向かいで並々と酒を満たしたグラスを軽く合わせた。



そうしてその夜、サンジは過ちを犯してしまった。








コップ一杯も空けてしまうつもりはなかった。
ただ、先生は案外と聞き上手で、促されるままにぽつりぽつりと身の上を話す内にコップの中の酒が
どんどん減っていっただけだ。
それに比例するように、体温はどんどんと上昇している。

今日初めて会った男相手に、何もかも曝け出す気は毛頭なかったけれども、気が付けば随分と弱気な
台詞まで飛び出した気がする。
まだ未成年なのにどうして身寄りがないのか、なぜ住み込みなのか、問われればどうしたって答えは
祖父の死や火事に繋がる。
決して悲壮感を漂わせないように気を付けながらもサンジはぽつりぽつりとすべてを話した。



口に出して事実を述べることで、それが本当にあった出来事だと、改めて思い知らされる。
火事で家と店が焼け、祖父は死んだのだ。
自分一人を助けるために。
今までずっと病院の白い部屋の中で、見知らぬ人達に世話をされて過ごしていた。退院したその足で、
また見知らぬこの家に来た。
それらのすべてがまるで現実味を感じさせなくて、ずっとサンジの感覚は麻痺したままだったのだ。
それなのに、僅かなアルコールで口が解け、身の上を語る内にそれらを現実のものとして受け容れ
なければならない事実に直面した。

ジジイはもういない。
自分が帰るべき場所はない。
暖かな仲間達とも離れ、自分はもう一人ぼっちだ。

友人達に掛けられた慰めの言葉も、すべてサンジの上を素通りして心には響かなかった。
なのに――――

今サンジは、先生の胸に凭れてその腕の中にいる。
出会ってまだ一日と経っていないのに。
気を許した訳でも、油断したつもりもないのに、いつの間にか先生の手にすべてを委ねて身を任せる自分がいた。
これが、酒の席での失敗というものかと、他人事のようにぼんやり思う。

「空なのですよ」
先生は、どこか歌うように呟いた。
「何もない、哀しみも寂しさも。なにもないはずです。かと言って空虚ではない。あなたにはこの先がある」
先生の指が柔らかく髪を梳く。
その仕種が心地良くてこのまま眠りたくなってしまう。
「ご祖父様を悼む気持もまだ追いつかないでしょう。喪失の哀しみも未来への愁いも。無理をして掘り起こす
 必要はない。時期が来れば自ずと慟哭を迎えます。あなたはただ待てばよい。一日を一生懸命生きて
 過ごして、感情が追いつくのを待てばいい」
そうなのかな。
俺は、ただ待っているだけでいいのかな。
こんな俺は薄情な、人でなしではないのかな。
「人は、それが大切なものであればるほど、失くしたことを認められない。現実から目を背け過去を忘却するのは
 悪いことではない、私はそう思います」

そうなのかな、それでいいのかな。
サンジの背中を擦る手が、そっと離れた。
「けれど、無理はいけません。今日病院から退院して来たばかりだなんて、それには驚きました」
「・・・行くとこが、ないですから・・・」
そう口に出してサンジは唇を戦慄かせた。
そうだ、自分には行く所がない。
すべて燃えてしまった。

「傷はもういいのですか?」
「・・・もう、包帯とか、取れた・・・けど、時々、通院・・・」
ひくひくっと喉がしゃくれた。
うまく話せなくて唾を飲み込むのに、目の奥がじわりと滲む。
「可哀相に、誰にも詳しく事情を話さず、一人で走って来てしまったのでしょう」
先生の声は穏やかで心地良い。
憂いを帯びた眼差しでサンジを見詰め、手だけは素早く動いている。

いくつも連なった面倒なボタンをいつの間にかすべて外し終えて、衿の合せ目から中へと滑り込む。
「せ、先生・・・?」
「大丈夫。私に見せてごらんなさい」
何をと問い返す間もなく、肩を肌蹴られた。
先生は腕に力を入れてさらにきつく抱き寄せる。
もう片方の手で腰にまで上着を引き下ろされて、火照った背中がひんやりとした空気に触れた。

自分には見えないが、酷い傷跡だろうと思う。
ぼこぼことした引き攣れを、先生の指がゆっくりと辿るのがわかった。
その時サンジの胸を占めたのは、怒りや屈辱ではなく、己の傷の醜さからの羞恥だった。
そのことに余計戸惑う。
「先生、あの・・・」
抱き止めた身体がさらに深く圧し掛かり、曝された素肌に温かな息が掛かった。
続いて柔らかな滑り。
ぴちゃりと音が立って、初めてそこを舐められているのだと気付く。

「せ、先生っ、汚い、ですっ」
汗をかいているのだ。
まだ風呂にも入っていないし、今日はよく動き回ったから・・・
焦るサンジ自身、嫌がる理由がズレていることに混乱する。

熱く滑る舌がちろちろと擽るように肌を辿る。空気に触れてひやりと冷えて、鳥肌が立った。
「先生!」
押し退けるはずが腰に抱き付く格好になって、背を伸ばした先生は脊髄をなぞるように舌を進めて行く。
「ちょっとマジ!ヤバイ、ですっ」
横を向いて見上げたら、重みがずれて、下を覗きこんだ先生と目が合った。
冷たく見える、感情の読めない瞳。
それなのに、先生の熱い腕はサンジの身体を離そうとはしない。
「せんせい?」
そう呼ぶしかサンジにはできなかった。
何を考えているのかさっぱりわからないが、先生の腕は力強すぎる。
腰を据えてすべてを受け止めるように抱き締めて来るから、その温かさに抗えない。
それらのすべてに間違いなんか一つもなくて、すべてを委ねたくなってしまう。

酔ったせいだ、とサンジは理解した。
酔っ払ったからだ。
そのせいだ。自分はこんなにもクラクラして心許ないのに、先生は何の頓着もなしに触れてくる。
それがさも当然と言った顔をして。
先生の口元に笑みが浮かび、けれどそこからなんの言葉が漏れることもなく、そのまま唇を塞がれた。




何度も何度も口づけながら先生は強過ぎるほど力を込めて抱き締めてくる。
苦しいくらいの圧迫感も、今の自分には心地良い。
こんな風に抱き止めて貰えるなんて初めてで、なのにどこか懐かしい。
ずっとずっと、幼い頃から憧れていたのかも知れない。
人肌のぬくもりや、すべてを受け入れ抱かかえてくれる大きな存在に。

祖父はいつだって厳しく、それでも愛情深く接してくれていたけれど、どこか線を引いたような
ところがあった。
もとより甘やかすタイプではなかったけれど、人前どころか部屋に二人きりでいる時さえ、膝に
乗せて貰ったり抱かれたことなどなかった。

勿論、自分の幼い頃の記憶があやふやだと言うのも原因の一つだろう。
もっと小さな赤ん坊の頃は、いくらなんでもそれなりに扱われ、可愛がられたはずだ。
けれどサンジには9歳以前の記憶がない。
写真もなければ幼馴染もいなくて、すべてを知っているのは祖父一人だった。

その祖父が何も語らず逝ってしまった今、サンジは自分の存在すらも不安定だと感じている。
祖父が死んで家も焼けて、この上自分が消えたって、誰も気付かないだろう。
友人達もしばらくは気に掛けてくれるだろうが、その内自分たちの生活で手一杯になって忘れる。
自分はそれだけの存在。
誰も必要とせず、必要ともされない命。
けれど――――

今、サンジの上に圧し掛かっている男は、愛しげに髪を撫で、唇を吸って腰を抱いている。
片時も離さぬように、此処にサンジが在ることを喜ぶように。
不思議と嫌悪感は沸かなかった。
サンジは元々女の子大好きだし、どちらかと言えば野郎は同じ空気を吸うことさえ耐え難い存在とまで
思っていたのに、この先生に関してだけはどうも最初から毛嫌いの対象にはならなかった。
それよりむしろ、この状況は心地良い。
サンジは男の腕に抱かれることに欲情するのではなく、そのぬくもりに溺れていた。
それがわかっているかのように、先生の動きに性急さはまったくなく、ただ子どもをあやすように根気よく
丁寧に抱き締めては撫で、口付けを落とす。

サンジの身体に程よくアルコールが回り、指先の愛撫にも慣れた頃、先生の舌は意図を持って動き出した。











曝された白い胸の小さな尖りを舌で捉え、くぬくぬと捏ねるように転がす。
うっとりと眠りに落ちそうになっていたサンジは、寝惚け眼のまま飛び起きた。

「え?なにっ?」
その肘を押さえて先生はなおも胸に食らい付くように顔を埋める。
自分の顔のすぐ真下に鮮やかな緑髪があって、サンジは混乱した。

なんで先生が。
男の俺の乳首なんて舐めてんの?
こんな小さいの楽しくないだろうに。
いやそもそも、男の胸なんて触って何が楽しいのかさっぱり―――

頭の中では先生の行動を理解不能と分析しているのに、身体は勝手にびくびくと震えていた。
先生の舌が唾液を含んで嘗め回し、軽くきゅっと歯を立てる。
それが痛いようなむず痒いような妙な感覚で、サンジはうっかり変な声を上げてしまった。
「せん、せ・・・」
逃げようと腕をずらしても、先生は乳首に齧り付いて離れない。
手をついて後ずさるのに、胸に先生だけが食いついて追いかけてくる図がなんとも間抜けで、サンジは
さらにパニックに陥った。

「やめてください!」
そうそう、止めて欲しいのだ。
こんな気持の悪いことは。
気持ち、悪いよな。
なんかもう、変な感じがして―――

くらりと視界が揺れた。
相当酔いが回っているのだろいう。
けれどここで倒れちゃ、いけない気がする。
「せんせ、い・・・」
ちゅう、ときつく吸っては口内でころころと転がし、ぬるりと唾液を絡めて泳がせる。
「やだ―――」
ヘンだ。
もの凄くヘンだ、じんじんする。

立てた膝の間、幾重にも重ねられた白いレースの中を先生の手が潜り込んだ。
その奥に触れて、そうっと全体を包み込むように撫でてくる。
「ああっ」
触れられて初めて、自分が兆していることに気付いた。
こんな、男に乳首舐められて感じるなんて―――

「先生、嘘ですよ。それ違いますからっ」
何が嘘で違うんだかよくわからずに、必死で弁明する。
先生はわかっていると安心させるように頷いた。
「あなたは酔ってしまっただけですよ。大丈夫、少しもおかしなことじゃない。当然です」
「と、当然?」
「ええ、当たり前の生理現象。男なら、必ずなります」
「そう、そうなんですか」
そうか、おかしいことじゃなかったんだ。
そう言っている間にも、先生の手は下着の上からやわやわと丁度いい力加減で揉んできて、サンジの
ささやかな兆しはあっという間に固く形を変えてしまった。

「せ、先生?!」
「大丈夫、これも当たり前な生理現象です」
そりゃそうだろう。
こんな直接刺激を受けたら誰だってこうなる・・・ってえか、問題はそこにあるのではないのでは―――

「はあ・・・」
自分でも吃驚するような情けない声が出た。
そのことに慌てて口を押さえる。
けれど先生の手の動きを止めることはできない。
弄られるうちに下着が濡れて来た気がして、サンジはもじもじと膝を擦り合わせてた。

「先生、汚い、です」
汚いと思うような男なら最初から触れて来ないのだが、サンジはそんなことまで頭が回らない。
大体触れられるのを嫌がるのではなく、相手に不快な思いをさせると気遣うこと自体が、すでにサンジが
落ちている証拠だった。
それが分かっているからこそ、先生は躊躇いもなく下着に手を突っ込んだ。

「〜〜〜〜っ!!」
声にならない叫びに苦笑を返し、真っ赤に染まった耳朶を噛む。
「こんなに熱くなって、可愛そうに・・・解放してあげよう」
「だめ、ですっ」
だめだだめだと両手で突っ撥ねるのに、先生の手の動きはどんどん大胆になっていく。
少し痛いくらいの力で握り締められ扱かれた。
それだけでうっかりイきそうになると、すかさずぎゅっと根元を掴まれる。
「ああっ」
サンジが辛そうに身をくねらせ頭を振れば、あやすように手の力を緩め撫でる。
それなのに達しようとする直前には動きを止めたり圧迫したりするから、サンジの意識はそこにだけ集中して
事態を把握できなくなってしまった。


「いや、あっ、やああっ」
まるで子どもみたいに喚いているのを恥ずかしいと思う余裕さえなかった。
とにかく、早くこの熱を解放したい。
先生の手の中ですべてを放出してしまいたい。
けれどそれは、死ぬほど恥ずかしくて、きっとしてはならない行為なのだ。
こんな崇高な先生の手を、自分の精液で汚すなんて―――

サンジが自分でもよくわからないまま耐えていると、あらぬ箇所に酷い違和感を覚えた。
「せ、先生?」
「うん?」
「あの、なんか・・・」
「大丈夫。痛くないでしょう」
確かに痛くはない。
痛くはないが、普通そんなトコ何か入るもんじゃないと思う。
「ダメ、です・・・」
「そうかな」
少し笑いを含んだ声。
サンジはさっきから驚いたり喚いたり怖がったりで、汗どころか涙や鼻水まで垂れそうに焦っているのに、
先生は表情一つ変えないでこんなにまで人を追い詰めてくる。
その余裕が口惜しくて哀しかった。

「なんで、俺だけ・・・こんなっ・・・」
「きちんと手順を踏めば、痛みなどさほどないのですよ。それよりも、与えられる感覚に素直になりなさい」
と言われても、拭いようのない異物感は不快なもので、サンジは先生の肩にしがみ付いて声を殺した。
自分は上着を脱がされて半裸で、しかもスカートを捲り上げて足を剥きだしにしているのに、先生は何だって
こんなにきっちり浴衣を着込んでいるんだろう。
そのことが、何故だか腹立たしい。

「んあ?」
思わぬ刺激に裏返った声が出た。
ずぶずぶ減り込む先生の指先が、何かに当たる。
「ああ、嫌ですそこはあああっ」
嫌だと腰を引くのに、先生はそこを執拗に突いてくる。
本気で手を振り払って逃れようとするのに、まるでその場に縫い止めるように先生は指を強く差し込んだ。
「い、ああああっ」
内部で小刻みに指を揺らし、ずぶずぶと強引に押し入って来る。
初めて与えられる辛いほどの快感にサンジはなりふり構わず喚いた。

「いやだあ、いやああっ」
浴衣を掴み、引き千切るほどの勢いで引っ張る。
涙に濡れた目で見上げれば、思いの外近い場所に先生の顔があった。
目を眇め、ぞっとするほど冷たい色でサンジを見下ろしている。

こんなに乱れているのは自分だけなのだと、翻弄されているのは自分だけだと思い知らされて、サンジは
低く悲鳴を上げて顔を覆った。
追い詰められた身体が呆気なく弾ける。
がくがくと全身を震わせて射精するサンジの内部で、先生の指は止めを指すようにぐるりと回った。




「――――あ―――」
恐らくは、一瞬気を失っていたのだろう。
荒い息が整わぬまま、サンジは知らぬ間に畳の上にうつ伏せに倒れていた。
まだ目の前がチカチガする。
こんなに激しくイったことはない。
この世にこれほどの快楽があるなんて。

けれど、サンジの胸の中は氷のように冷えていた。
あの、イく寸前の先生の瞳の色がサンジを突き放している。
こんなあさましい姿を見られ、軽蔑されたのではないかと、見当違いの不安ばかりが胸を過ぎって、
辛くて堪らない。

「大丈夫ですか?」
汗に濡れた額を、先生の手が優しく拭った。
そんな風に触れておいて、先生は息一つ乱さないのだ。
溺れたのは自分だけ。
そのことがこんなにも辛い。

「泣かないでください」
泣かせたのは誰だ。
胸の中で悪態を吐きながら、実際にはサンジは声を殺してしゃくり上げるしかできなかった。
自分だけ、自分だけだ。
なんて惨めで、みっともない。
顔を覆って本格的に泣き出したサンジを、先生はぎゅっと抱き締めてくれた。

「泣き上戸ですかね。仕方がない、諦めますよ」
ぴく、とサンジの肩が揺れる。
諦める?
なにを?

恐る恐る顔を上げれば、昼間と変わらぬ穏やかな先生の笑顔。
「恥ずかしながらこんなですが、我慢します」
促されて視線を下げて、仰天した。

浴衣の合わせからにょっきりと突き出ているのは、この世のものとは思えない物体。
しかも先端が濡れてぬらぬらして、湯気が立ちそうなほどいきり立っている。
「せ、こ、な・・・」
「失礼しました。ちゃんと戻します」
いや戻らないだろう。
というよりなにより・・・
「ど、どどどどどど」
「はい?」
「ど、・・・するんですか?」
うっかり指差してしまって、失礼かと手を握り締める。

「まあどうしようもないので、しばらく大人しく酒でも飲んでます」
「さ、酒?ってえか、いやその・・・」
どうしようどうしよう。
サンジの頭の中は先生のありえない一物でいっぱいいっぱいになった。
何より、自分だけが興奮していたわけではないと知って、もの凄く嬉しい。
先生も、先生もあんなになるほど興奮したのだ。
自分に触れて。

「ど、どうすればいいですか?俺、どうにかします!」
喜びのあまり、サンジは叫んでいた。
後先考えてからモノを言えと、再々祖父から注意を受けていたにも関わらず。

「どうにか、してくれるのですか?」
先生の目がきらんと光った気がした。
あれだ、あれに似ている。
闇に獲物を見つけた夜行性動物。
そんな身の危険をまったく感じず、サンジは自分から先生の膝に手をかけた。
「俺にできることなら協力します。このままこんな状態では捨てて置けません」
先生が穏やかに微笑む。
下半身事情など露ほどにも感じさせない、慈愛に満ちた笑顔。

「やはりあなたは人間としても素晴らしい方だ。お若いのに、情に溢れている」
「情・・・ですか」
殆ど縁のない言葉。
「ええ、愛情同情深情け。けれど、生きていく上でとても大切なものですよ。それをあなたに見出せて、
 私はとても嬉しい」
そんなことを真顔で囁かれ、しっとりと抱き締められれば、サンジはぽわんと絆されてしまった。
先生に喜ばれた。
先生に認められた。
それだけで身体が震えるほどに嬉しい。
一人でだって、生きていける気がする。

「あなたのその、無垢な魂で私を包んでくれますか?」
素面で聞いたなら鳥肌モノの口説き文句だろうに、その時のサンジは確かに酔っていた。
冷静な判断能力はなかったし、どちらかと言うと催眠状態に陥っていたと言ってもいいくらい、トリップしていた。

だから仕方のないことだ。
その夜、サンジは先生のすべてを受け容れてしまった。








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